事務局長のつぶやき
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事務局長のつぶやき

関東自立就労支援センターの事務局長を務めているものです。これから日常業務のことや業務とは関係ないことなどを好き勝手に書いていこうと思います。(2015年6月3日開始)

 

 

6月3日

昨日、派遣会社の女性2人にお越しいただいて、派遣業界のことやうちの団体と今後どのように関わっていくかなどのお話をしました。うちの団体に来ている人たちをアルバイトや派遣で雇ってくれるというありがたいお話でした。非常にパワーのあるお二人で、刺激をうけました。ひきこもりやニートに対する偏見もなく、今後お互いよい関係を築いていけたらいいなと思いました。今日は12時にボランティア志望の男性が来る予定。あと、13時に家庭訪問に伺っている横須賀の男性のお母さんが来る予定です。4日くらい前からパソコンの調子が急に悪くなって、イライラ。

 

 

 

 

 

6月4日

昨日のボランティア志望の男性は結局来ず。電話ではサラリーマン風だったけど、何がしたかったのか?横須賀の男性はお母さんと電車でがんばってきました。あした、ニートの一人暮らし支援を受ける男性が来ます。30歳で、サラ金に借金があるという話。金額は聞いてないけど。今月は今のところ電話相談少ないです。なぜか天気が悪いと電話相談の数がガクッと減ります。6月は雨が多いので毎年比較的暇です。悩んでいる方、お電話ください。なぜ、ひきこもりやニート・スネップの支援をしているのかいろんな人からよく聞かれます。その理由は、単刀直入に言うと僕も彼ら(彼女ら)も同じ不器用な人間だからと答えます。学校や会社でうまく立ち回ることができない人間、損ばかりしている人間なのです。

 

 

 

 

6月5日

昨夜飲みすぎて久しぶりに二日酔い状態で目が覚める。飲みすぎと中年太りで体重が激増したため、しばらくお酒はやめようと思っていたのにこのざまです。今日は所用があって所沢に行かなくては。なんか雨が降りそうです。

 

 

 

 

6月6日

昨日は結局所沢に到着した瞬間に雨が降り出し、服がびしょびしょに。テンションが一気に下がりましたが、なんとか業務を遂行し終えました。今日は土曜日ということもあって、いまのところ暇です。平日のほうが忙しいです。

 

 

 

 

6月7日

今日は僕はお休みです。自室にひきこもってゆっくりします。あしたからまたがんばります。みなさんお気軽にご相談ください。

 

 

 

 

6月8日

半年くらいやめていたタバコについに手を出してしまい、体調が悪いです。特に胃のあたりが。最近私生活で嫌なことが続いて、とうとう手を出してしまいました。タバコを吸ったからといって状況が好転するわけはないとわかっていながら・・・。

 

 

 

 

6月9日

雨があがってこれから晴れてくるのかよくわかりませんが、とりあえず、降り止みました。昨日、禁煙に失敗したことを書きましたが、そういえば、うちにきているニートやひきこもりの人たちは、ほとんどタバコを吸う人がいないことに気づきました。まあ、金がないという理由もあるのかもしれませんが。ひきこもりやニートの中にも健康に気を使っている人も珍しくありません。

 

 

 

 

6月10日

今日は快晴ですが、最近なぜか天気がいいと憂鬱になることがあります。ひきこもりやニート・スネップの方たちの中にはうつ病に罹患している人も珍しくありません。関東自立就労支援センターに来ている人の中にも、通院しながら支援を受けている人はめずらしくありません。ひきこもりやニート・スネップの状態が続きますと、社会から孤立して気持ちがネガティブになってうつ病やうつ状態になりやすくなります。大事なことは外に出て日光を浴びることと、少しでいいので、家族以外の人と交流を持つことです。

 

 

 

 

6月11日

昨日、40代のひきこもりの男性と1時間くらい話をしました。彼は、数年前までは普通に働いていましたが、会社の人間関係に疲れ、会社を退職後、約5年間引きこもりの生活をしています。完全に生きていく自信を失っている彼に対して僕は言葉を選びながら話をするわけですが、一度社会から孤立してしまうとそこから這い上がることが非常に難しいということをあらためて実感しました。でもなんとかがんばって彼には社会復帰して欲しいと思います。

 

 

 

 

6月12日

毎日さまざまな相談が全国から寄せられますが、最近はひきこもりやニートの高年齢化をいやというほど感じるほど、40歳前後の相談がよくきます。この年齢になると、本人もあまりまわりの言うことを聞かないケースが多いため、なかなか難しい面があります。

 

 

 

 

6月13日

今日は数ヶ月前に一度、引きこもりの息子さんのことで相談にこられたお母さんと再び個別面談をしました。5年ほど正社員として働いていた息子さんが、会社を退職後数ヶ月ひきこもり状態ということでご両親が心配しているのですが、本人は一向に動き出す気配がないようです。今後、ひきこもりの状態が長引くのではないかと心配しています。

 

 

 

 

6月14日

今日は電話番をしていました。いろんな電話がかかってきましたが、30歳前後のひきこもりやニート・スネップの相談が多かったです。あしたは個別相談が2件入っています。

 

 

 

 

6月15日

39歳のニートの男性を抱えるお父さんから電話があり、個別相談を希望してきました。もう40歳近い息子さんが働かないで家にいるという状況は、親にとってかなりのストレスになると思います。

 

 

 

 

6月16日

6月もはやくも半分をすぎました。最近は家庭内暴力をするひきこもりやニートの相談がよく来ます。何もしていない、何もできないイライラを家族にぶつけるわけですが、当然そんなことをしても何の解決にもなりません。特に、ひきこもりの生活を長年続けていますと、どんどん内弁慶になる変わりに、外の環境が怖くなって、さらに引きこもり状態が長引くという悪循環に陥ります。

 

 

 

 

6月18日

今日は久しぶりに家庭訪問に行ってきます。場所は世田谷なのですが、もう何回も伺っているお宅です。ひきこもり状態で外に出られない方の話し相手になることと、家族以外の人とかかわりが薄い方が、人に慣れるためにやっている支援です。外に出るきっかけになって欲しいと思います。

 

 

 

 

6月20日

6月ももう20日ということで、時間の経過は早いなと改めて思います。関東自立就労支援センターに寄せられる相談は、ひきこもりやニートの高年齢化や長期化、彼らを支える親の高年齢化等、深刻な問題が多く、毎日頭を悩ませています。最近は発達障害に関する相談がよく来ます。

 

 

 

 

6月22日

今日は関東自立就労支援センターの提携している人材派遣会社の方と久しぶりにお会いし、いろんな話をします。この人材派遣会社には日頃からお世話になっていて、現在も何人かこちらの会社のお世話になっています。今月中に2人新たにお世話になることが決まっていて、その打ち合わせも兼ねています。

 

 

 

 

6月23日

今日はなぜか電話相談が多くて混乱しています。北は北海道から南は九州までさまざまな地域からひきこもりやニートの相談が舞い込んできます。都心に住んでいる方は、直接お会いして相談を受けることができますが、地方に住んでいる方は、なかなかそうはいかないので難しい面があります。

 

 

 

 

6月24日

今日はまた関東自立就労支援センターの活動に賛同してくれている企業の方とお会いします。最近は人手不足で人材を募集している企業からの連絡がよく来ます。

 

 

6月25日

今日は埼玉方面に家庭訪問に行きます。40代のひきこもりの男性がいるお宅なのですが、少し、精神的に不安定なところがあり、対応に苦慮しています。

 

 

 

 

6月27日

胃痛が治らず、困っています。いつからかは定かではありませんが、ストレスがたまると胃が痛くなることが多くなりました。食欲もなくなり、体力が急激に低下して仕事に支障がでるので気をつけてはいますが、なかなか治りません。困ったものです。

 

 

 

 

6月28日

関東自立就労支援センターは土日祝日かかわらず、毎日運営していますが、今日も人材を求めるある企業の方とお会いしました。その会社は今日は日曜日で休日なのですが、それにも関わらず、事務所にお越しいただいて、2時間もお話をすることができました。思った以上にある分野の人手不足は深刻なようでした。

 

 

 

 

6月29日

今日もいい天気でした。きょうは関東自立就労支援センターに通いで来ている人たちと話をしました。対人関係に不安を持っている人が多いので、なるべくいろんな人と会話をするように僕も普段から心がけています。対人関係に自信が持てるようになれば、労働意欲が自然にわいてきます。

 

 

 

 

6月30日

今日も雨が降りそうで降らないというはっきりしない天気です。たまに相談の電話にでると、兄弟姉妹から身内の相談が来ます。親がいなくなったら今度は自分がひきこもりやニートの面倒をみなくてはならなくなるので、親同様、真剣に相談してきます。皆、自分の家庭で手一杯なので、兄弟姉妹の面倒を見る余裕はないと異口同音に言います。

 

 

 

 

7月1日

早いもので今年ももう7月になってしまいました。歳をとると月日が過ぎるのが早く感じるようになると以前誰かに言われたことがありますが、それを実感しています。最近大阪等の関西方面からの電話相談がよくかかってきます。関西にもひきこもりやニートの支援機関があると思いますが、あえて地元を避けて誰も知り合いがいない東京の施設に相談する方も多いです。

 

 

 

 

7月2日

この時期は相談の電話が多い時期で、一日で20件くらい相談の電話がかかってくることがあります。印象的なのは、大学に入学後になじめずに中退し、その後、何もしていないという相談です。最初は見守っていた親御さんも、1ヶ月、2ヶ月と月日が過ぎても何も行動しない子どもの様子を見て心配になってきます。この状態が一時的なものなのか、長期化するのか見分けるのは非常に難しいことです。

 

 

 

 

7月3日

先ほど20代後半のニートではないのですが、仕事をすぐにやめてしまう男性のお父さんが面談に来て、話をしました。この男性は、高校を何の理由もなくただつまらないからという理由で中退し、その後通信制の高校を卒業しましたが、卒業後は家にひきこもり、何もしない、誰とも会わないという生活を数年続けました。そして20代後半になって親の援助で一人暮らしを始め、自立を試みましたが仕事をすぐにやめてしまうため結局ずっと親が家賃や光熱費、食費等を支払っているということでした。この男性は現在の状況は親が悪いからとか社会が悪いとか環境が悪いとかすべて自分以外のせいにして、何の反省もしていないので今後どのように指導すればいいのかわからないというのがお父さんの相談でした。

 

 

 

 

7月4日

胃痛に耐えながら、仕事をしています。最近は発達障害の疑いのある相談者が何人か連続して相談に来ました。この相談者が発達障害かはわかりませんが、15年以上この仕事をしていますとなんとなくわかるようになります。発達障害者の特徴としては、人のきもちがわからない、あきっぽい、人のせいにする、対人関係が苦手等の特徴があります。ひきこもりやニート・スネップの中にはこのような人が少なくありません。

 

 

 

 

7月6日

少しですが、胃の調子がよくなりました。でもまだ全快ではないので仕事がきついです。自分の体の調子が悪くても引きこもりやニートの相談はどんどん舞いこんできます。早く治したいのですが、なかなか難しいです。

 

 

 

 

7月7日

今日もいつ雨が降り出してもおかしくない天候です。午前中に相談の電話があり、40代のひきこもりの男性が家庭内暴力を母親にするという内容でした。いままで一度も働いたことがなく、対人関係も苦手ということですから今後社会で活躍できる可能性は極めて低いと思われます。とにかく家庭内暴力をやめさせるために一度家庭訪問をすることになりました。

 

 

 

 

7月9日

今日も雨が降り続いています。今日は13時に大阪から個別相談の予約が入っています。わたしはひきこもりやニートの就労支援を15年以上やっていますが、個別相談で終わってしまう方、寮に入る方、一人暮らし支援を行う方、通いで支援を受ける方等たくさんの方を見てきましたが、個別相談を一度受けてその後音信不通になる方も少なくありません。あの相談者のお宅はその後どうなったのかなと思い出すこともよくあります。いい方向に向かっていることを願わずにはいられません。

 

 

 

 

7月10日

今日はある企業の方に会うために渋谷に行きました。暑いのと人の多さでめまいがしそうになりました。関東自立就労支援センターの活動に協賛してくれている企業の社長さんと2時間ばかりとても有意義な話をすることができました。うちの施設に通っていた男性が3人この会社で働かせていただいています。うちの施設にきたときは、3人とも30代のニートやひきこもりでしたが、関東自立就労支援センターで就労支援を受けて社会復帰を果たしました。これからもがんばって欲しいと思います。

 

 

 

 

7月11日

今日はいい天気です。ここ最近大阪等の遠方からの個別面談の以来が続いています。高齢の親御さんも多くて、高齢のひきこもりやニート状態の息子(娘)さんの将来に心を痛めています。自分が病気になったり、死んだ後はどうすればいいのか、死んでも死にきれないとつらそうなお顔でこちらに訴えてきます。今後さらに、このような高齢の親御さんの相談が増加することでしょう。

 

 

 

 

7月12日

最近暑い日が続いていますね。今日は埼玉から個別相談の方がいらっしゃいます。19歳の男性ですが、大学を中退後、何もしていないということで親御さんが心配しています。意外と大学に進学したものの、その後中退してニート状態になる人が多いです。何か目標を見つけることができればいいのですが・・・・。

 

 

 

 

7月13日

すでに事務所の室内は30度あります。みなさん熱中症に注意しましょう。今日は川崎から約6年引きこもり状態の男性を抱えるお宅のお母さんが個別相談にいらっしゃいます。最近家庭内暴力がはじまったようで、お母さんはびくびくしながら生活しているようです。

 

 

 

7月14日

今日は、足立方面から個別相談の母子がきます。いじめが原因の不登校から始まり、ひきこもり、家庭内暴力という経過をたどっている男性です。家庭内暴力のほとんどがお母さんに向けられますが、この男性も例外ではなく、お母さんに対して言葉の暴力、足で蹴る、頭をたたく等の暴力を繰り返してきたようです。お母さんはすっかり息子の暴力におびえ、まるで奴隷のように息子の言いなりになっていたようです。父親はこのような母子関係になっていることを理解しながら何もせずに(できずに)、仕事に逃げるという典型的な機能不全家族状態に陥っている家族です。

 

 

 

 

7月15日

最近暑さのためか、体が重くてつらいですが、仕事は休めませんので気合をいれてがんばっています。今日は川崎方面から高校を中退して以来一度も働いたことが無いという20代後半の若者がお母さんと一緒にやってきて個別面談をしました。本人が言うには、人と接することが苦手で、自信がないということでした。人と接することを避けながら生活していますと、ますます人と接することが苦手になり、最悪の場合、対人恐怖症等の病気になることがあります。今後は関東自立就労支援センターに通いで来て、人と話す練習をすることになりました。

 

 

 

 

7月16日

今日は久しぶりに雨が降っています。今日も午後から個別相談が入っています。最近女性のひきこもりやニートの相談が多い気がします。女性のひきこもりやニートを支援するとき、いろんな意味で男性よりも気を使います。女性のほうが男性よりも人の好き嫌いがはっきりしているため、支援員との相性等なかなかたいへんな面があります。

 

 

 

 

7月21日

この時期ですから仕方がないのですが、暑すぎますね。熱中症にならないように気をつけましょう。昨日の電話相談で、10代の不登校の男性のお母さんから相談があったのですが、まだ、20歳にもなっていないのに、運動不足や不規則な生活、食事を繰り返していたら糖尿病になってしまったというお話がありました。何年もひきこもり生活をしていますと、いつ糖尿病になってもおかしくないのですが、この男性は10代ではやくも発症してしまいました。長期のひきこもりは心と体の両方を蝕んでいきます。

 

 

 

 

7月28日

早いもので、もう7月も終わろうとしています。最近はひきこもりや不登校の方の家庭訪問によく行きますが、暑さでお宅にたどり着く前に倒れそうです。昨日もあるお宅に行ってきたのですが、20代で、もう9年くらい家にひきこもり続けている男性がいました。9年もひきこもりを続けていますと体力が極端に低下して、家の中で少しの間立っているだけで、めまいがすると言っていました。この状態ではとても仕事をするどころではありません。この男性のお宅には、今回が初めての家庭訪問でしたが、今後も継続することになりました。

 

 

 

 

8月3日

毎日のように全国からさまざまな相談が関東自立就労支援センターには寄せられますが、最近あった相談で50代の男性のひきこもりが80代のお母さんに家庭内暴力をしているという事例がありました。日本は現在、高齢化社会を迎えてさまざまな社会問題を引き起こしていますが、ひきこもりやニートの世界も確実に高齢化の時代を迎えていて、このような案件はすでに珍しいことではなくなっています。今後、日本社会の高齢化と比例するようにさらにひきこもりやニート、そして親の高齢化が加速し、大きな社会問題になることでしょう。

 

 

 

8月13日

人間はいつかは労働と真剣に向き合わなければなりません。もちろんひきこもりやニートの人もです。

働くということは人生そのものであり、人間はさまざまな職業で生きる糧を得ながら生涯を送ります。

人生の大部分が労働という時間に費やされ、人間はそれを避けることはできません。

発展途上の貧しい国では、十歳にも満たない少年少女たちが働かされています。

そんな国の底辺で生きる人たちは「働く」という概念についてわざわざ考えることはありません。

労働の意義とは何かなど考える前に朝から晩まで働き、なかには物乞いをしてその日の食料をえなければ餓死してしまうし、誰も命の保障はしてくれません。

彼らにとって働くことは命を紡ぐことそのものなのです。

生きるために働くのは先進国に住む人間も同じことであり、労働は生きるために欠かせない前提なのですが、労働の中身の厳しさという点ではまったく違います。

このように人間は、生きている時代や国の状況がそれぞれに異なるので、働くことの意味や概念を一つに定義づけることは難しいです。

仕事をすることによって生きる喜びを実感する人たちは確かに存在します。

たとえば、自分の技を習得して熟達することを生きがいとして、創る喜びを労働の喜びへとつなげて人生をまっとうしようと考える人たちがいます。

匠の世界で生きる人たちがそうです。

また、農林業や漁業などの収穫の喜びは働く人間の身体をとおして得られる喜びです。

労働の喜びとは創る喜び、達成する喜び、自分の能力を確かめる喜び、社会に貢献する喜びだと思います。

 

 

 

 

8月17日

うまくいかないときは、自分が同じ場所をグルグルと回っているだけで、まったく前に進んでいないような気がするものです。

そして、「あんなにがんばったのに、前とちっとも変わっていない」と感じることは、心にマイナスのエネルギーを増やし、心から粘り強さを奪うことにもつながります。

そんな状態が長く続けば、やる気はどんどん失われ、結局、途中であきらめてしまうことになります。

そうなれば、また自信を失ってしまい、心にはさらにマイナスのエネルギーが増えてしまうのです。

そんな悪循環を断ち切るために効果的なのは、自分が主役の「成長日記」をつけることです。

やり方は簡単です。毎日、自分が「成長した」と思えるようなことを書き留めていくのです。

「いつもより早起きして、余裕をもって学校(会社)に行くことができた」

「先輩から注意をされても落ち込まず、気持ちをすばやく切り替えることができた」

そんなふうに、小さなことでもいいのです。

探してみれば、そんなふうに自分の成長を感じられるようなことが、毎日いくつかは見つかるはずです。

成長した自分を探しているとき、心にはプラスのエネルギーが増えていきます。

「自分はちゃんと前に進んでいる。だから、心配しなくても大丈夫」

と自分を勇気づけるきっかけにもなります。

 

 

 

 

8月18日

物事がうまくいかずに悩んでいるときに、何があってもへこたれない人をイメージしながら、「こんなとき、あの人ならどうするだろう」と考えることで、気持ちを切り替えられることがあります。

たとえば、性格のきつい同僚に、「あなたの顔を見ると、なんだかイライラする」と言われ、傷ついたとします。

そんなときは、深く落ち込んでしまう前に、どんなときも元気でおおらかな知人を思い出してみてください。

その知人なら、どんな対処をするでしょうか?

「あの人なら、何を言われても5分後には忘れて、別のことに夢中になっているだろう」

「あの人なら、他人から何を言われても、右から左に聞き流して、落ち込むようなことはないだろう」

そんな考えが浮かんでくるかもしれません。そうしたら、自分がその人になったようなつもりで、その考え方をまねしてみましょう。

すると、自分にとってはひどい仕打ちに見えていたその出来事が、自分とは違うタイプの他人の考え方を借りることで、「こんなことで、悲しむこともないか。自分は他にすることがあるんだし・・・。」と思えるようになるでしょう。

そういうときのために、日頃から、身の周りにいる強い心を持っている人たちを観察してみることをおすすめします。

彼らがいつも平常心でいられる理由を探ることで、落ち込みかけたときも心のバランスを崩さずにいられる強い自分を作ることができます。

 

 

 

 

 

 


8月19日

ひきこもりやニート・スネップ・不登校の人に中には発達障害の人が珍しくありませんが、発達障害のある人は、磨かれていない原石です。

彼らは、脳の発達がアンバランスで、物を片付けたり、約束の時間を守ったり、メールをもらったら折り返し返事を出すなど、普通なら誰でも簡単にできることができずに職場や家庭などでしばしばたいへんな苦労を強いられます。

しかし、その一方で彼らは、多くのすばらしい長所も持っているのです。

たとえば、自分の興味や関心のあることには誰にも真似できないほど夢中になれる人並みはずれた集中力(過集中)や好奇心(新奇追求傾向)があります。誰も思いつかないような「ひらめき(インスピレーション)」を発揮することがあるのも大きな特徴です。

気持ちが素直で、表と裏がなく、腹黒い下心などを持たないため、褒められると、「疲れを知らない子どものように」がんばれるのも優れた特性のひとつです。

こうした長所を持つ彼らは、ひとつの技能や領域などに興味や関心を持つと、すべてのパワーとエネルギーを傾注し、邁進するため、優れた技師、学者、研究者、画家、音楽家、芸術家などになることがしばしばあります。

実際、歴史に名を残す偉人や天才には発達障害を抱えていたとされる人物が多く、音楽家のベートーベンやモーツァルト、科学者のエジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、画家のピカソ、ダリなどはその典型といわれています。

 

 

 

 

8月21日

働くことにどういう意味を見出せるかは、一人一人の意識の問題であり、それぞれの個性、能力、体力とも関係があります。

「働かざる者食うべからず」という言葉がありますが、「食うべからず」ではなく「働かないと食えなくなるぞ」ということです。

それでも働かなくても食べていける人間はいます。

ろくに働くこともせず、ずっと無為な時間を過ごしていると、そのうちに精神の「転倒」が起こり、ある妄想の世界に入っていき、そこから抜け出せなくなります。

やがて社会と自分がつくった世界が折り合わなくなり、現実の世界へは戻れなくなってしまいます。

労働に対して身体が疎外感を持ち始めると、労働に対する喜びは生まれなくなります。

働くとはどういうことかということを身体で認識して実感しないと、世の中を理解するのは難しいし、物事の真の姿が何も見えなくなります。

労働や人間の行う仕事について語ることはやはり難しい作業です。

自分が一回性の人生の中で行ってきた労働の中身やその価値は本人の人生の最後にわかるものではないでしょうか。

人生の途上ではなかなかわかりません。しかし、わからないから人生は妙味があるのかもしれません。

そして、何があっても自分の人生を否定してはいけないのです。

 

 

 

 

8月25日

関東自立就労支援センターにはさまざまな方が全国から相談にやってきますが、ひきこもりやニート状態の当事者の方が、精神科に通院しているケースが少なくありません。

そして、特徴的なのが、当事者の方がこのような状態なのに、親が学校に行かせようとしたり、仕事をさせようとすることです。

精神的に安定していないひきこもりやニート・不登校状態の人を無理やり働かそうとしたり、学校に行かせようとしてもどうしても無理が生じますので、さらに状態が悪くなるケースがほとんどですが、社会復帰を焦る親は、無理強いをさせがちになります。

今までこのようなケースをたくさん見てきました。何をやるにしても、精神的な安定がなくてはうまくいかないことを再確認していただきたいと思います。

 

 

 

 

8月26日

どんな子どもでも、中学生ぐらいから友達関係が複雑になります。自我が芽生えたり、受験勉強が始まってストレスを感じたり、恋愛の悩みやトラブルも生まれます。

そして、少しの失敗やいざこざ、気分の落ち込みなどが原因となり、ひきこもり状態になってしまいます。

高校生くらいになると、進路を自分で選ぶ年齢になり、進学するかほかのことを選ぶか考え始めます。

小、中学生のときはもっぱら友人関係が悩みの中心だったものが、人生の悩み、進学、就職のことなど、徐々に将来への不安になっていきます。

うまく支えを得られないと、不安や焦りが増え、ひきこもりにつながってしまう場合があります。

ひきこもりの状態にいると、プライドが高くなりすぎてしまう子どももいます。

思春期は本来自己愛とプライドの高い年頃です。ひきこもると外部の人間と接する機会が激減するため、ますますプライドが高まり、自分を理想化してしまったり、現実とのギャップに苦しんだりするようになりがちです。

相談する相手や社会との接点を増やし、理想と現実のギャップを埋めていくことが大切です。

 

 

 

 

8月28日

早いものでもう8月も終わろうとしています。猛暑の日が続いて家庭訪問をしているときはかなり体力的に消耗しましたが、そんな日がまるでうそのように涼しくなってきました。

8月を振り返りますと、30歳以上の高齢のひきこもりやニートの方の相談が多かった印象があります。

30歳を過ぎますと、いくら本人にやる気があっても企業が採用を見送るケースが多く、その結果、せっかくやる気になっていた人たちが再びひきこもりやニート状態に逆戻りするという事態があちこちで見受けられます。

そうならないためにも25歳までにしかるべき場所に相談してほしいと思います。家族だけの力ではどうにもならない場合は、第三者に早めに相談しましょう。

最近40歳を過ぎたひきこもりやニートの方がよく相談に来られますが、この年齢では社会復帰はかなり難しいのが現状です。なぜなら企業がもうなかなか相手にしてくれないのが現実だからです。こうなる前に早めの対応が必要になります。

 

 

 

 

8月29日

関東自立就労支援センターの活動を通じてわたしはさまざまな人と日々出会います。

人生にはたくさんの人たちとすれちがう「十字路」のようなものがあるとわたしは思っています。

なかにはただすれ違うだけでなく、立ち止まって話をしたり親しくなったりする人もいます。

そこには無意識のうちにある意思が働いていて、どこかでお互いが共通項のようなものを求めていると思います。

人生のなかでそのような出会いがどれだけあるか、これが重要なことなのだと思っています。

人生の「十字路」でどんな人たちとすれ違い、出会うのか。

なかにはこの出会いがその人の生き方を決定づけるものとなることもあります。

 

 

 

 

8月31日

ひきこもりやニート・不登校状態の子どもを抱えるお宅の家庭訪問をしていますと、さまざまな家庭の状況を目の当たりにすることになります。

たとえば、10年以上ひきこもり生活を続け、8年以上お風呂に入らず、髪の毛も切らず、自室はゴミだらけで床が見えない状態で、自室で大便をして、使用したトイレットペーパーを部屋の隅に放置し、高さが2メートルちかくなっている状況という環境下で平然と生活している20代の男性、8年近く母親に対して家庭内暴力を続け、暴力の後は後悔して土下座をして謝るのですが、数日もたたないうちにまた暴力をしてまた土下座をして謝るということを繰り返し続ける30代の男性、4人姉妹が全員無職で現在ニート状態なのに何も言わない父親とノイローゼ気味の母親のお宅など、さまざまな家庭があります。この人たちに明るい未来はやってくるのか、それとも延々とこの状況が続くのかは誰にも判りません。

 

 

 

 

9月1日

早いものでもう9月になり、今年もあと4ヶ月になりました。暑い暑いと言っていた時期はあっという間に去り、もうすぐに寒い時期がやってきます。

関東自立就労支援センターの活動を開始してからもう18年の月日が経ち、この活動をしていますとあっという間に1日が終わります。

この18年の間にさまざまなひきこもりやニート・不登校の人たちに出会ってきました。

いつも感じるのは、ひきこもりやニートの人たちというのは、自分の強いこだわりがあって、あまり人の言うことを聞かない人が多いということです。もちろん全員がそうではありませんが。

この強いこだわりのせいで社会に適応できず、1日のほとんどを無為に過ごし、長い間、社会生活から孤立している人をたくさんみてきました。

社会復帰ができる人とできない人の違いをよく聞かれますが、社会復帰できる人というのは概して、謙虚な気持ちを持って人のアドバイスを受け入れることができる人だと思います。

社会復帰できない人には、謙虚な気持ちが決定的に欠けている場合がほとんどです。

 

 

 

 

9月2日

なぜそういうこと(結果)になるかは、そのような種(原因)をまいたからです。

その原因なくして、その結果はありえません。

そして次にするべきは、では自分に何ができるかを考えて、これを行動に移すことです。

この原因と結果の法則のなかで、自分がどのように行動するべきかを考え、実行していく力が「責任」です。

責任というと、「ねばならないもの」、重くてできれば背負いたくないものという印象を受けます。

でも、本来の責任の意味はちょっと違います。

責任は、英語で「RESPONSIBILITY」といい、「RESPONSE(反応)」「ABILITY(能力)」という2つの言葉から成っています。

日常の反応しなければならないことに対して、自分で積極的に「反応していく力」が、子どもに教えたい「責任」なのです。

人間は基本的に、不快なものには反応するようにできています。それは、つねに人が快適を求めているからです。

薄手のものを着て出かけて寒ければ、次の日は暖かい格好をしていきます。

扇風機の風がうっとうしいと思えば、扇風機を止めるか、風をほかに向けるでしょう。

自分の体験が好きでなければ、その体験のもととなっているものを変えようとする力が働きます。

それが「責任」です。

責任を教えられた子どもは、不快なことに出会うと反応し、自分の納得のいく結果を得るために、原因を変えようと行動を起こします。

その体験を積み重ね、人生が自分次第であることを学んでいきます。

 

 

 

 

9月4日

不登校になる生徒はまじめな子、よく考えている子が多いと思います。

なぜ、いま勉強するのだろう?そういう疑問を抱える内省的な子が多いです。

高校が予備校化して、生徒の進路に対する動機付けがなくなりました。「偏差値を上げろ、国公立を目指せ!」ばかりです。

それだけですと、自分の価値や未来に対して、子どもでなくても疑問を持ちます。

自分の価値と自分の未来が数値化され、それに何がついてくるのか、というビジョンが示されていないわけですから。

そうなると、学校なんていきたくなくなります。彼らは教師に「なんで勉強するんですか」と聞きたいわけですが、教師はそんな生徒はめんどくさいのが正直な気持ちでしょう。

黙って勉強する、言うことを聞くのがよい生徒なのです。

内省的な生徒たちこそ逸材の原石だとわたしは思います。

 

 

 

 

9月9日

不登校者が大人になると、「うつ病」と呼ばれることがよくあります。

でも僕は、不登校を病気だと思っていません。普通のやり方で立ち直ることができますから。

不登校を「治す」考え方として、学校の先生のなかにも、「カウンセリングに行けばいい」というのがあります。

けれど、カウンセラーが学校にいるのは月に一回や週に一回で、常駐しているわけではありません。

なので、スクールカウンセラーに任せればいいというのは教師の逃げだと思います。

カウンセラー制度で特殊なのは、会話の内容が治外法権のように扱われることです。つまり、いっさい外にでないんです。

生徒とスクールカウンセラーの間のやりとりは、プライバシーということで守られています。

ということは、学校の担任の先生は、そこで打ち明けられた生徒の心の状態を把握していないのです。

何月何日にこういうことがあった、というのは報告されるのでしょうが、具体的な内容については触れられないのです。

先生側としては、カウンセラーに投げてしまったら、何の指導のしようもない、ということになります。

はたしてこれでいいのでしょうか?

 

 

 

 

9月10日

9日のつづき

東京都の場合は、小中学校と公立高校にカウンセラー制度が敷かれています。

カウンセラーは都なら都の採用試験があって、採用されます。けれども一校ごとに待機するのではなく、掛け持ちです。

一校に一人というようなスクールカウンセラーではありません。

ですから、カウンセラーには学校内、教室内の細かい事情はわかりません。

週一回や月一回しか来ませんので、詳細まで把握できていないんです。

もちろん、優秀なスクールカウンセラーの方もいらっしゃいます。たとえばこの子はこの学校にい続けると不登校が長期化してしまいそうだ、と考え、環境を変えたほうがよいと判断してそう働きかけた方もいました。

その方は、その後僕に相談してくださり、生徒にも高校を転校するなどの選択肢を持たせることができました。

 

 

 

 

9月18日

こんばんは。最近、家庭訪問や個別相談等の業務が多忙で、なかなか休みがとれません。ひきこもりやニート、スネップ、不登校児を抱えて苦悩している親御さんと話をしていて強く感じることは、親子の信頼関係が崩壊してしまっている家庭が多いということです。

人間関係の基本は親子関係です。親とうまく関係を築けなかった子どもは学校での友人関係や会社での人間関係をうまく築けない場合が多いです。もちろん全員ではありませんが。

子どもがひきこもりやニート・不登校になったときに、親はあわてていろいろなことを子どもに言いますが、そもそも信頼関係が築けていない親の言うことなど、子どもが聞くわけがありません。

 

 

 

 

9月21日

友情の基本はお互いに濃密な時間を共有することですが、いまの若者にはそれがあまりないように思われます。

濃密な時間を他者と共有することより、自分だけの時間を優先させる傾向があります。そうなると、友情もきわめて希薄なものでしかなくなってしまいます。

昔の若者のように仲間と毎晩のように飲み歩いたり、議論したりすることもあまりなく、ひたすら自分ひとりの時間を大事にしたいと考え、他人と会うと疲れてしまう若者が多いようです。

友情ははじめに人間関係があって生まれるものですが、その人間関係が希薄になってお互いの共通項がなくなってきては、友情も育まれようがありません。

わたしはあるとき、こんなことを言われたことがあります。「おまえはこれまで友人に何かをやってあげたことがあるのか」この言葉には返事に窮してしまいました。

というのも会話の前後から察するにこの言葉は、精神的なことではなく、物質的、とくに金銭面でのことをさしていたからです。

すると友情が成立するためには、金銭をはじめとする物質的なやりとりが必要だということになります。それも必要でしょうが、だからといっていつもそういうふうにできるのかというとこれも困難です。

そんな関係になれば、必ずどちらか一方的な付き合いになってきます。

その一方的な関係を相手はどこまで受け入れられるのか。そのような関係が長続きするとしたら、友情よりもむしろ許容力の問題といえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

9月23日

ひきこもりの子どもと話すとき、わたしは親側の代弁者の役割もかねています。子どもの味方70%、親の味方20%ぐらいでしょうか。

ところが、この姿勢は子ども側からはとても強い反発を受けます。「親の肩を持っている」と激しく責められたこともあります。

そこで譲歩しながら子どもの気持ちを鎮めるわけですが、(必ずしも鎮まりきらないこともあります)、親の事情は子どもにはわかっていないことが多いのです。

親には子どものこの反発が受け止められなくても、第三者のわたしには受け止めながら和らげていくこともできます。

親の話を聞くときは、わたしはほぼ100%子ども側の代弁者になります。

しかし、それでも子どもに代わって親を責め立てるということはしません。親子の間で、とくに衝突の継続状態から抜け出そうとするはじめは、バランスのとれた会話は一般的には難しいのです。

このようなとき、相談員はただ悩みの相談を受けるというだけでなく、親子の間の仲介者という役割を担うと考えています。

相談をしてくる親へのアドバイス役にもなります。

 

 

 

 

10月3日

若者の「ひきこもり」は男性が圧倒的に多いといわれています。女性も少なくないのですが、働いたり学校にも行かず、ひたすら部屋にこもるのは男性が多いのはよく知られていることです。

 

人生とは周りのいろいろな人たちとかかわりながら生きていかなければなりません。自分の周りには親、兄弟、親戚、隣近所の人たち、地域の人々、ほかの国の人々などさまざまな存在があります。

ひきこもりを続ける若者たちをはじめとして、いまこの他者との関係が壊れてきています。高度経済成長で豊かになって人々は、マイホームを求めて片道2時間以上もかかる郊外の一戸建てに住むようになっていきました。

 

それまでの長屋はマンションへと変わり、地域の共同体は姿を消していきました。向こう三軒となりの近所付き合いもなく、隣人の顔さえわからなくなりました。

他者との関係の崩壊・・・。それはまず家族との関係から起こりました。核家族化がそれにあたります。

それまでの大家族主義は姿を消し、祖父母とは離れ、両親と子どもが川の字で寝ることもなくなり、それぞれに子ども部屋があてがわれるようになりました。

そして、「個人主義」の名のもとに親子の関係も薄れていきました。個人主義という概念や習慣はもともと日本にはありませんでした。

だからといって、わたしは川の字で寝ることがいいといっているわけではありません。昔は狭い家に子沢山の家庭が多かったのでそうせざるを得ませんでした。

ですが、川の字に寝ていた時代は、「家族」という意識は強く、絆というものが確かにありました。

 

 

10月5日

人間というのは、結局のところエゴイストだと思います。ずいぶん前のことですが、街の金融業者からの借金が返すことができず、きびしい追い込みをかけられ、保険金目当てに自分の娘を車でひき殺した父親がいました。

父親の車にひかれて虫の息の娘が「お父さん、助けて」と哀願するのを繰り返しひいて殺し、事故に見せかけて保険金を手に入れようとしたのです。

人間というのは、追い詰められるととんでもないことを考える生き物ですが、それでも普段はごく普通の市井の生活者なのです。

周囲の人は事件を知って、「あの人がそんなことをするとは信じられない」と言います。

いつもはおだやかでやさしい性格の人間でも、いざとなるとおそろしいことをしでかしてしまいます。

どんな人間でも、追い詰められると鬼畜の心が生まれるのです。

世間で多発している子の親殺し、親の子殺しなどは高度経済成長のなかで共同体が崩壊したことと無関係ではありません。

高度経済成長において日本は大量生産、大量消費社会という米国型の文化と同時に、米国型の個人主義の洗礼を受けることになります。

ですが、もともと日本には個人主義的なものの考え方をする基盤がありません。

親にそのような習慣がないのに子どもに米国型の個人主義が育つはずがありません。

たとえば米国では、18歳くらいになると、親は子どもを突き放すように家から出て外で暮らせと言います。

米国社会は開拓時代からマッチョを尊ぶ世界であり、子どもはいつでも親の庇護を受けることなく、おのおのが早く一人前になってやるという気概を強く持っています。

そうしながらも、欧米の人間がスキンシップを大事にするのは、身体同士の交感がないとおたがいの心の交流が疎遠になり、「身体の空洞化」が起こることを知っているからです。

共同体が崩壊してしまってから日本の家族の概念そのものがかわってしまいました。

親と子が友達感覚でお互いを見るようになり、親は親としていろいろなことを子どもに教えません。

親から教わっていない子どもが親になっても子どもに教えることはできません。

 

 

 

 

10月9日

人間は生まれてから死ぬまで長い時間を刻みながら生きていきます。ところが時間は途切れることはありませんから、自分がどこで何によって変貌したのかはわかりにくいものです。

大きな事件に遭遇したことがきっかけで人間が変わることはありますが、多くの場合、そんな機会はあまりありません。

それでも人間の身辺には些細ではありますが、絶えず何らかの問題が起こっています。

対人関係や健康の不調、仕事上の問題などいろいろなことがあります。

それらの問題が原因となって人間は少しずつ変貌していきますが、その過程は自分でもなかなかわかりません。

時とともに変貌した結果には必ず原因があります。

それを探るためには、できるだけ客観的に自己を振り返ることが大切だと思います。

 

 

 

 

11月10日

日本は千四百兆円以上という世界一の預金高を誇る国です。このような豊かな国で育ち、ひきこもってばかりいる若者たちは全国で約百万人を超えると言われています。

わたしたちの世代にはひきこもりなどというものはありませんでした。家にひきこもっていては生活できなかったからです。

みんなが必死に仕事を探し、懸命に働いていました。

自分の世界に閉じこもってしまうと、人生観ががらりと変わり「無理して他人とつきあわなくてもいい」となってしまいます。

本来、人間は他者とのかかわりなしでは生きていけないのです。

そうなるとますます疎外感も深まり、男女ばかりでなく自分以外の他者との付き合い方がわからなくなってしまいます。

感情表現が下手で、物事に対して感動や喜びを感じることがうまくできないから、異性への恋心もなかなか生まれにくくなります。

恋をして胸をときめかせたり、恋焦がれてもだえ苦しむこともなくなります。

無感動、無表情、もっといえば心が無機的な状態になってしまいます。

 

 

11月24日

今年も早いもので、あと1ヶ月と少しになりました。ひきこもりやニート・スネップ・不登校の子どもを抱える親御さんはたくさんいて、毎日苦悩の日々を送っていると思いますが、今年は何か進展はあったでしょうか。

 

ひきこもりやニートの状態が1年以上たっても本人が何もする気配がない場合、そのまま長期化する傾向があります。

 

しばらく様子を見るといって、親が何もしないでいるうちに1年、3年、5年と月日が経過し、とり返しのつかない状態になっているご家族をよく見かけます。

 

ひきこもりやニートの状態が長期化すると、体力や気力、社会常識、緊張感等、失っていくものばかりで、日々、社会復帰から確実に遠ざかることになります。

 

 

本人たちも最初は罪悪感や焦燥感等の気持ちを持っていますが、無為な生活が長引く中でやがて何もしない生活が日常になり、社会復帰への意欲も後退していきます。

 

 

この何もしない日常生活が当たり前になり、完全に身についてしまうと、この生活から抜け出すのは非常に困難になります。

 

 

来年も同じことを繰り返さないために、家族で話し合いの機会を設け、しかるべき機関に相談しましょう。

12月28日

今年ももう終わろうとしています。今年もあっという間に過ぎてしまった印象があります。振り返ってみますと、今年の相談は、30代や40代の引きこもりやニート・スネップの相談が多く、その父親はすでに会社を定年退職しているというご家庭が多かったように感じます。

日本社会全体が、高齢化していくのに比例するように、ひきこもりやニートも確実に高齢化しています。

ひきこもりやニートの高齢化の進行と、親の年金生活による家計の逼迫という状況が今年は目立ちました。この傾向は今後、しばらく続くと思います。

 

2月28日

このページの更新を怠っていたら、もう2月も終わりになってしまいました。本当に時間の経過は早いものです。

 

 

 

気づいたら、わたしもひきこもりやニート・スネップ・不登校等の子どもたちの社会復帰支援を始めてから、約18年が経ちました。

 

 

その間、たくさんのいろんな方とお会いし、いろんな影響を受けたり与えたりしてきました。

 

 

 

わたしは現在45歳です。あと何年、この活動を続けられるのかわかりませんが、今後もいろんな方とお会いするのでしょう。

 

 

3月22日

経済不況は、そのときにではなく、過ぎた後に精神的変調をもたらすといいます。

 

 

平和なときよりも、戦時中のときのほうが、精神的変調が少ないとも言われてきました。

 

 

たしかに、危機的状況では精神的に張り詰めているため変調は出にくく、危機が過ぎ、緊張が緩んだときに変調をきたすのは、実感としてわかるような気がします。

 

 

悲しみや淋しさや虚しさは、いくらか遅れてやってきます。だから、張り詰めた緊張の糸は、ゆっくりとゆっくりと緩めなければなりません。

 

 

しかし最近は、事態が変わってきているような気がします。経済不況は、長期化、慢性化しただけでなく、かつて「恐慌」といわれたものと質的にも異なってきているのではないでしょうか。

 

 

「恐慌」が全体的なトーンダウンで、いくらか横の連帯感が感じられたのに対して、単純な能力主義・成果主義の美名のもと、リストラされた人たちは、先行きの不安だけでなく、そのひとの存在そのものの価値までも傷つけられています。

 

 

リストラをなんとか免れた人も、急速に進行する過剰労働と、声を上げれば自分がリストラの対象になるという恐怖に板ばさみになっています。

 

 

中小の企業の経営者を含めて、多くの働く人が、ぎりぎりのところに長期間立たされ、些細なことを契機に容易に精神的変調をきたしています。

 

 

このような背景の下のうつ病のほうが、抗うつ薬などの薬の処方だけで回復できるものではありません。

 

 

本人だけでなく、家族全体が自分たちを肯定しなおし、ゆとりを持った態勢をとりもどさなければならないと思います。

 

4月3日

現代は、子どもたちにとってたいへん生きづらい社会となっています。そうした中で、学校教育はどのように子どもたちを守り、育むべきでしょうか。

 

 

教育的課題を考えていく上で、まず、最近の学校現場に顕著に見られる問題点について指摘しておきたいと思います。

 

 

今日の学校においては「学力低下」批判と「説明責任」の要求によって、小・中・高を問わず、教育目標として「学力向上」が叫ばれ、具体的な数値を示す「成果主義」が大流行を見せています。

 

 

したがって、たとえば「漢字検定四級合格三十%以上」「英検三級合格二十名以上」という「学力向上目標」が掲げられたり、「茶髪ゼロ」「遅刻五%減」「中退率一割減」など「生活改善目標」が提示されたりしています。

 

 

さらには学校環境整備にまで数値目標が示されます。「中央廊下の観葉植物三十鉢以上」などと緑化目標までも数値化される始末です。

 

 

これでは、複雑きわまりない思春期の精神的発達を保障する学校としての懐の深さを発揮することはできません。

 

 

 

したがって、大人には反抗しながら自立を求め、その反作用として友だちへの依存を強めつつ自立を遂げるという思春期特有の複雑なこころの発達を支えるには、数値に頼る「成果主義」は、あまりにも適していません。

 

 

具体的な数値や型を提示すると、プロセスにおける多様な個人の発達の姿や可能性が、すべて捨象され単純化されるからです。

 

 

 

不登校やひきこもり傾向の生徒にとっては、あまりにも乱暴な教育目標の設定の仕方といわざるを得ません。

 

 

中央線の車窓に見えるある小学校には「全校児童欠席ゼロ二日達成」などと乗客へのアピールが大きくはり紙されています。

 

 

一見、子どもたちのがんばりを称えているかのようですが、病欠の子や不登校児童にとっては、そうしたプレッシャーはどんなにつらいことでしょうか。

 

 

一方、下町を走る総武線沿線のある小学校には、「未来へ夢を追い求めよう」などと掲げています。

 

 

これらは小学校の事例ではありますが、どちらがこころの柔らかな子どもにとって、心やすらぐでしょうか。

 

 

子どもの目線を忘れてはなりません。

 

5月3日

1960年代までは、該当年齢に占める大学在学率は15%以下でした。大学教育は最高学府と呼ばれ、エリートや支配階級の精神・性格の形成を目的に機能していました。

 

 

 

 

ところが、1990年代後半になると50%近くになり「マス型」教育に移行していきました。

 

 

 

 

そして、2001年になると、大学進学率は49.5%になり50%を越えると、ユニバーサル・アクセス型といわれる産業社会に適応しうる全国民の育成に変わります。

 

 

 

 

これはアメリカのマーチン・トロウという有名な高等教育研究者が1970年代に提唱したモデルです。

 

 

 

 

不登校が増えた1975年から2004年までは、ちょうどエリート育成型からマスを越え、ユニバーサル・アクセス型に移行する時期でした。

 

 

 

 

いまや、高望みをしなければ、大学全入の時代と言われるまでになりました。

 

 

 

 

親たちはエリートや社会的指導者の育成という考えの大学教育を受け、社会に出ても、大卒という扱いを受けながら安定成長期からバブル好景気の波に乗り、順調に出世していく勝ち組という意識のまま、大学教育に対しても過去の幻想を抱いて、子どもの進路を考えたのかもしれません。

 

 

 

 

そして、バブル経済崩壊後のリストラ社会でも有名大卒は学閥を利用して、勝ち組であり続けたのかもしれません。

 

 

 

 

そのために、バブル経済崩壊後も有名大学をめざして、子どもたちに拍車をかけて、さらに受験戦争を過熱させていく現状があるのかもしれません。

 

 

 

 

たとえ大学へ行かなくても、マイスター制度のような職人文化が残っているヨーロッパ型社会のように、個々の能力に応じた仕事や多様な価値観がある社会のほうが、市民の最大多数の最大幸福を得やすいのではないでしょうか。

 

 

 

 

しかし、大企業中心の政策によって、世界的に優れた加工や部品の生産技術をもっていた中小企業や職人社会も崩壊しつつある日本の社会では、どのような進路が子どもたちに残されているのでしょうか。

 

 

 

 

そのいっぽうで、個人の自由が認められ平和な国である日本では、本来、多くの若者がそれぞれに夢や希望をもつことができるはずです。

 

 

 

 

そんな潜在意識の中、親や教師に「勉強しなさい」と叱咤激励され、エリートや社会的指導者になるために勉強しても、誰もが身につける一般教養を身につけた人としての評価しか「大学卒」の肩書きとして扱わない社会を、親の世代よりも若者たちのほうが実感として感じているのではないでしょうか。

 

 

 

 

5月31日

早いもので、5月も今日で最終日です。ひきこもりの人に対する世間の目は、決して暖かいとはいえません。

 

ひきこもりの人を支援する立場で書かれた本の出版なども増加し、かつてよりは理解が広がったようにも思われますが、関東自立就労支援センターのカウンセリングの現場では、ひきこもる本人や家族が周囲から「甘ったれている」「怠け者」「根性なし」などの冷たい視線を向けられていることが、今も昔と変わらず多いと感じています。

 

こうした人たちの存在が広く知られるようになったきっかけとして、2000年に発生したいくつかの凶悪事件があります。

 

この年に起きた、新潟の少女監禁事件や佐賀県在住の少年によるバスジャック事件、京都の小学生殺害事件の加害者がいずれもひきこもりであったからです。

 

これらの事件によって、ひきこもる人に対して、従来からの「甘え」や「怠け」に加えて、「ひきこもえいは何をしでかすかわからない、危険で不気味な存在」という見方が加わり、偏見が助長されたように思います。

 

たしかに、その後も凶悪事件の犯人がひきこもりであったケースはあります。

 

しかし、特にひきこもりの人の犯罪発生率が一般の人と比べて高いわけではありません。

 

たとえ親に対して激しい暴力をともなうケースであっても、そのような人から私自身がカウンセリング中や家庭訪問の際に暴力を受けたことは一度もありません。

 

しかし、ひきこもりやその家族までが、ことあるごとに非難や疑いの目で見られる状況は、現在もあまり変わっていないように感じます。

 

 

 

 

8月8日

夏真っ盛りということで、連日猛暑日が続いています。わたしは小学校4年から、野球を始めたのですが、夏休みは毎日、試合か練習という日々で、非常につらかったことを思い出します。

 

 

 

 

当時から当然、夏休みは暑い日が続いていたわけですが、今ほどではなかったと思います。

 

 

 

 

地球温暖化影響で、酷暑といっていいほど気温が上がり、今、野球やサッカー等のスポーツをしている少年たちは、本当に大変だと思います。

 

 

 

 

わたしは野球が下手だったので、ずっと補欠でした。補欠で試合には出られないし、しょっちゅう怒られるし、暑いしでいつも「早く辞めたい」と思っていました。

 

 

 

 

でも、「辞める」の一言が言えずに結局、最後まで続けました。消極的に続けていた野球でしたが、今思うと、あの苦しい日々を最後までがんばったことは、自分にとってとても大きな自信になったと思います。

 

 

 

 

あのころはこんな暑い日に野球なんかやって、何の意味があるのだろうと思っていましたが、体力がついたし、礼儀作法も学ぶことができたし、何よりその後ずっと付き合うことになる友人たちに出会えたことが一番大きかったと思います。

 

 

 

 

ですから、今、何かのスポーツに打ち込んでいてもレギュラーになれなくて、自分のやっていることに意味が見出せない少年たちに、最後までがんばってやり通してほしいなと思います。

 

 

 

 

必ず何か得るものがあると思います。

 

 

 

 

8月15日

 

 

 

 

求めても得られないと、そのときがつらいからはじめからあえて求めようとはしない・・・・。

 

 

 

 

心に傷を負う経験を重ねてきたひきこもる若者たちは、こうして人間関係に壁をつくり、距離を置こうとしてしまいます。

 

 

 

 

ふたたび傷つくことを恐れ、自分の本音を必死に打ち消そうとします。

 

 

 

 

少なくとも自ら墓穴を掘るような「愚かな出会い」は、可能な限り避けようとします。

 

 

 

 

しかし、さびしさ、心細さがその「決意」をくじけさせ、気がつくと、人の前にたたずんでいます。

 

 

 

 

人はそれを遠慮深さと見て声をかけてきます。ところが、そのやさしさ、心配りを信じることができるほど、心の傷は癒されていないため、その出会いに素直に応じようとはしません。

 

 

 

 

すると、相手は自分が拒絶され、いわれなき仕打ちを受けたと思い、二度と声をかけようとはしなくなります。

 

 

 

 

人に声をかけられるというのは、断られるリスクを背負ってもやっている「人のよさ」でもあるからです。

 

 

 

 

「縁なき衆生は度しがたし」といいますが、裏切られる可能性におびえるあまり、こうして出会いのチャンスをみすみす逃し、孤立感をさらに増幅されていきます。

 

 

 

 

自分だけでなく、立ち去った人に「求めても得られない」つらさを背負わせてしまうこともあります。

 

 

 

 

「だから声をかけてほしくなかったんです。勝手にさびしいだろうななんて判断されても困るんです」

 

 

 

 

しかし、たとえまた裏切られることになってとしても、信じた自分をいとおしく思う、その覚悟をしていかなければ、永久に出会いは見つからないでしょう。

 

 

 

 

出会う前から信じることを捨てているとしたら、神仏も手の下しようがありません。

 

 

 

 

8月26日

 

わたしは、この20年間に約2000家族と出会い、さらに通信手段を通して多くの方と交流させていただきました。

 

 

 

 

そして、多くの親子面談を通して感じることは、親だってみんないじらしいということです。

 

 

 

 

ほんとうは「愛しい」と言いたいところですが、少し気恥ずかしいので、面接のときは「お父さん、その心、ステキだな」

 

 

 

 

「お母さんの話を聞いて、僕も母親の笑顔が恋しくなったよ」などと言ってごまかしています。

 

 

 

 

なぜ、これほどまでにわたしが親に心を寄せるのか?

 

 

 

 

それは、「何度、いっしょに死のうと思ったことか。でも、たまに話しかけられたり、体を心配してくれたりすると、それが親の身勝手だと気づくんです。

 

 

 

 

もう二度と捨てようとは思いません」と自分に言い聞かせ、わが子とともに「その後」を背負う懸命な姿と出会い続けてこられたからでしょう。

 

 

 

 

特に自立のめどが立たない、ひきこもった「不登校その後」の親子にとって、待つことの意味は深いです。

 

 

 

 

いや、結局のところ、待つしか術がないのかもしれません。もちろん、ただ指をくわえ、あきらめに似た気持ちで待つ親はいません。

 

 

 

 

髪を振り乱すのも、すべてこの親子関係から、「逃げませんよ」というメッセージにほかなりません。

 

 

 

 

とまどいつつもその覚悟を見せていただけるたびに、わたしは人間的信頼をいただいている気がします。

 

 

 

 

11月5日

 

 

 

 

不登校やひきこもりの子どもを救う上で何が一番大事かと聞かれたら、わたしは愛情だと答えます。

 

 

 

 

親の愛情と支援者の愛情ではもちろん違いはありますが、この子を何とかして救ってあげようという気持ちは共通しているのではないかと思います。

 

 

 

 

愛情があるから常に良くなるために何が必要か考えることができるし、子どもの変化を敏感に感じ取れるし、本気で怒ったりほめたりできるのではないかと思っています。

 

 

 

 

その中で子どもを立ち直らせるアイデアも生まれてきます。

 

 

 

 

わたしはその子が良くなるためだったら、たとえ親に反対されようが、周囲に反対されようが、信じたことをやり抜く覚悟を持っているから子どもと対話できるのだと思っています。

 

 

 

 

どう考えても、親の愛情にかなうものはありません。だからこそ親御さんには他のことすべてを犠牲にしてでも「子どもを救うんだ」という気持ちを持ってもらいたいのです。

 

 

11月7日

 

 

 

人は誰でも、自分と周りの人たちとの間で、情報の交換をして生きています。そのありようがその人たちの関係です。

 

 

 

 

中味は重要なテーマから他愛ないうわさ話までいろいろです。また情報交換は必ずしも言葉によるとは限りません。

 

 

 

 

態度や姿勢や表情、そして何よりそういったもの全体の量が、その人たちの現在の関係だといっていいと思います。

 

 

 

 

極端に反応が乏しかったり、焦点がずれていたりするのも、その人たちの関係を表しています。

 

 

 

 

逆に周りの反応が過剰だったり、不適切な反応で固まってしまっている家族もあります。

 

 

 

 

家族を思い切りよく二分してしまうと「バラバラ型」と「もつれ型」に分けられます。

 

 

 

 

バラバラ型は個々人の自立、独立性は高いのですが、協力したり結集したりが苦手です。

 

 

 

 

お互い好きなようにやっているタイプで、家はさしずめ宿舎のようになっています。

 

 

 

 

一方、もつれ型は、絡み合って、まとわりつくような濃厚な関係の家族のことです。

 

 

 

 

保護や共感性は高いのですが、そのかかわりの質や量が適切かどうかのチェックが弱く、必要なときにも分離できにくいことになります。

 

 

 

 

この二つの特徴は、長い子育ての間にはともに必要なものです。親子の自然のなりゆきを見ていますと、子どもの小さい間はもつれ気味に、大きくなったらややバラバラギ気味になるのは当然に思えます。

 

 

 

 

両方の要素を子供の年齢に合わせてうまく実行してゆくのが自然で望ましいことです。

 

 

11月13日

 

 

不安や不満が何もない、そういう人はまずいません。誰もが何かへの満たされない思いや、漠然とした不安をもちながら暮らしています。

 

 

 

 

安心したい、求めるもので満たされたい、皆がそう思いながら、なかなかそうならない現実の中で日々を過ごしています。

 

 

 

 

それにまた、何が不足なのか、どうなればいいのかが見えてこないから、余計に苦しい場合もあります。

 

 

 

 

不安とか不満は、とても主観的で個人的なものです。同じ条件にいる人でも、まったく異なった感じ方をしていることは、しばしばあります。

 

 

 

 

そういう意味で、夫は妻の不安や不満がわかりません。父親は母親の不安や不満がわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
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理事:
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理事:
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住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
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活動内容
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