不登校~母親に引きずられた娘~
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不登校~母親に引きずられた娘~

長女のAが幼稚園の年長の頃、私は得意な英語をAと、その友だちのBちゃんに教えていました。

 

 

 

 

 

ドリルのページの下のほうに小さな字で逆向きに答えが書いてあります。Bちゃんはそっと正解を盗み見て答えます。するとAは、「Bちゃん、これはお勉強なんだから、答えを見たら自分のためにならないよ」と諭しました。

 

 

 

 

 

こんな子ですから、「いいお嬢さんですね」とよくほめられました。小学校では班行動が盛んでした。テストでは班員が全員100点を取るまで班長は班員に教えなければなりません。

 

 

 

 

 

ですから勉強ができない子はどの班長も取りたがらないのですが、娘は班長になると、優しいのでそういう友だちを引き受けて面倒を見ました。

 

 

 

 

 

バランスのいい人間に育つように、バレエやピアノも習わせていました。勘がいい上に練習もちゃんとするので、どちらも人並み以上にできました。

 

 

 

 

 

小学生のうちにショパンのプレリュードを弾きこなし、バレエでもよく選ばれて舞台に立ちました。当時の小学校のクラスの雰囲気に押されて進学塾にも通っていました。

 

 

 

 

 

 

本気で中学受験をする子どもは学校の行事は手抜きして、学校から早く帰って塾に行きました。娘は、「能力を出し惜しみしてはいけない、どんどん発揮するように」という学校の先生の教えをそのまま受け入れて、行事も手を抜きませんでした。

 

 

 

 

 

要領良く発表会前はピアノとバレエ、テスト前は勉強と、その時々の優先順位に従って適当にこなすこともなく、いつでもすべてにがんばっていました。

 

 

 

 

 

何が何でも私立中学を望んでいたわけではないので、中学受験では名門女子校一校しか受けさせませんでした。一点違いの補欠で落ちたAは、結局学区の公立中学に進みました。

 

 

 

 

 

御三家の中学に入れなければ公立でもいいという家庭が多かったので、優秀な子がたくさん集まる中学でした。勉強の競争はとても厳しく、一学年150人のうち、通知表で5をもらえるのは10人ほどでした。

 

 

 

 

 

内申点を上げるために学級委員をする子がいたり、逆に点取り虫と思われたくないから学級委員はしたくないという子がいたり、のびやかに行動するのが難しい環境でした。

 

 

 

 

 

年賀状の版画コンテスト、書道コンテスト、耐久歩行、百人一首大会、運動会、マラソン大会と次から次へと行事があり、すべてが評価の対象でした。

 

 

 

 

 

 

修学旅行前には事前テストで集合時間や持ち物を正確に覚えているかをチェックし、旅行から帰ると遅くまで残って報告の新聞作りをし、合唱コンクールでは歌だけでなく、伴奏にまで順位がつけられます。

 

 

 

 

 

自由曲と課題曲がありましたが、Aは自分が自由曲を弾いて課題曲の方が難しいと、そちらを担当した子に悪いことをしたと思うような子です。

 

 

 

 

 

定期試験の前には試験前準備計画表を提出しなくてはならず、毎日その計画通りに進んだかどうかを自己チェックし、先生にも提出します。これではまるで事務員さんです。

 

 

 

 

 

先生からするとAは勉強ができる、問題のないいい子です。先生から学年のリーダーになりなさいと指導されると、逃げもせず自分の務めと受け止めます。クラブの部長、学級委員、運動会のリレーの選手までやっていました。

 

 

 

 

 

バレエやピアノも続け、勉強の時間はほとんどありませんでしたが、小学生のときの塾で中学レベルの勉強をしていましたから、成績は4と5を取れていました。

 

 

 

 

 

すべてについて普通より良くできるAでしたが、後から振り返ってみると私は十分にAを評価してあげていませんでした。すごく集中力があるので、30分ピアノを練習すれば、ほかの子が2時間練習したくらい進みます。

 

 

 

 

 

「じゃあ、2時間練習したらどんなにうまくなるだろう。それなのに30分しか練習しないで才能におっかぶって努力しない子だ」と思っていました。でも、本人にすれば30分が限界だったのです。

 

 

 

 

 

Aの頭の良さは小さいときからわかっていましたから、成績が少々良くてもほめたことはありません。私はオール5、私の母は全優でしたから、5の中に4が混ざっているAの成績に母はがっかりしていたくらいです。

 

 

 

 

 

昔は子どもも多かったし、勉強にキリキリしていなかったから、5を取るのはそんなに難しくなかったけれど、今はみんなが塾に行って成績に汲々としている中での5ですから、重みが全然違っていたのです。

 

 

 

 

 

それなのに認めてやらなかったのだから、すごく厳しい家庭環境だったと思います。同じクラスに、Cちゃんという勉強も運動もちょっと苦手という友だちがいました。Aは担任の先生からお世話役を頼まれていました。

 

 

 

 

 

マラソン大会の日、Cちゃんは風邪をひいているのに、「どうしても出たいからAちゃん一緒に走って」とAに頼んだそうです。Aは遅いペースのCちゃんに付き添って走り、結局ビリでした。

 

 

 

 

 

マラソンが得意なので、朝は好物の詰まったお弁当を持って、ルンルン気分で張り切って出かけたのですが、さすがに不機嫌な顔をして帰ってきました。

 

 

 

 

 

「本当はCちゃんにいいことをしてあげたのに、そういうように思えない自分が嫌だ」と言いました。断れないAが歯がゆく、私は「『これは遊びじゃなくて競技なのよ、悪いけど一緒に走れない』って言えばよかったじゃない」とAを責めてしまいました。

 

 

 

 

 

Aは、私が彼女の友だちの欠点を言っても、「〇〇ちゃんのそういうところは自分にもある。〇〇ちゃんを悪く言うことは自分を否定することになる」と人の悪口を言うことはありませんでした。

 

 

 

 

 

友人関係もストレスになっていました。普通、女の子は流行に敏感ですが、Aはあまり関心がありませんでした。みんながスカートを短くしていても、禁止されているし、関心もないから長いままでした。

 

 

 

 

 

でも、みんなとあんまり違うのも嫌だ、だからといって短くするのもみんなに合わせていると思われるから嫌だと胸のうちは複雑です。

 

 

 

 

 

芸能人の恋愛やドラマの話題にもついていけません。関心があるふりをして面白くもないのに無理して笑っている自分を、悲しい目で見ているもう一人の自分がいるようです。

 

 

 

 

 

誰からも気に入られたいという気持ちと、自分が納得していないことはできないという気持ちとがせめぎ合っています。優等生なのにコンプレックスもあります。

 

 

 

 

 

自分はまじめで成績がいいから友だちから認められているけど、ノリが悪いから好かれてはいない、まじめにしていないと自分には取り柄はない、いじめられると思っているようです。

 

 

 

 

 

中学3年になると学校に行きたくないと言いだしました。熱があれば学校を休めるので毎朝測りますが、体温計の目盛りは上がりません。

 

 

 

 

 

体温計を見てはため息をつくAを見るのは、本当につらいことでした。Aは、不登校の子が陰で悪口を言われているのを耳にしているので、自分も休んで同じようには言われたくありませんでした。

 

 

 

 

 

年に10日以上休むと私立高校の受験に不利なので、私もあまり休ませないようにしました。ストレスがたまると「学校でこういうことがあった、ああいうことがあった、お母さんはどう思う?」と堰を切ったようにつらい思いを吐き出しました。

 

 

 

 

 

私は励ますつもりで「嫌なことはどこにでもある。みんな我慢してるんだから、Aだってできるよ」と言っていました。

 

 

 

 

 

親子共に、中学のがんじがらめの生活に疲れ果てていました。それだけに高校に行けば変わるんじゃないか、と母娘で期待もしていました。

 

 

 

 

 

「高校に行けば自由だから楽しいよ」と希望を持たせる一方、「もし高校に行っても学校が嫌だったら、今度はやめていいよ」と約束して、中学を卒業するまで頑張り通しました。

 

 

 

 

 

高校はAが選びました。勉強のレベルは高いけれども、自由な雰囲気の私立の女子校です。本人が選んだ高校なので私は希望を持っていましたが、入学式から帰ってくるなり「また、集団生活が始まるかと思うと暗くなる」と言いました。

 

 

 

 

 

六時間授業を聞いているだけで疲れ、ストレスから過食気味になり、微熱やめまいなど体にも変調をきたしてしまいました。

 

 

 

 

 

一学期のうちに学校を休みがちになりました。夜はAの機嫌がいいので、「明日は学校に行くかなあ」と期待しました。朝起きてご飯を食べていよいよ親の期待が高まってくると、食べた後にさめざめと泣き出します。それで「ああ、今日も行かないんだ」とがっかりします。毎日それの繰り返しでした。

 

 

 

 

 

そういう状態に私も疲れ果て、主人にAへの対応を頼みました。主人はおっとりしていて人づき合いも下手、頼まれたら断れないというAによく似た性格なので、気持ちも理解しやすいかと思ったのです。

 

 

 

 

 

ところが、学校に行けない理由が主人にもよく分からなかったようで、日ごろは温厚なのに「どこまで親に心配かけるんだ」と思わずAを叩いてしまったのです。

 

 

 

 

 

Aもショックを受けて「お父さんなんて最低!」と猛反発しました。すぐに主人は謝りましたが、主人自身がAの不登校が心配で夜も眠れない、仕事も手につかない状態だったのです。

 

 

 

 

 

体調が悪い上、強迫神経症気味にもなりました。お風呂では念入りに2時間かけてマニュアルどおりにダイエット浴をします。

 

 

 

 

 

出かける前にはゆっくりゆっくりと化粧水をはたき、乳液を塗り、洋服を選びに選んで何回も取り替えるので準備にすごく時間がかかります。

 

 

 

 

 

Aが出かけるときには私も家にいるようにして、外出の支度を手伝います。手伝うために家にいるということが分かると気持ちの負担になるので、たまたま家にいるのよというふりをしてさりげなく手伝い、Aがスムーズに家を出られるようにしていました。

 

 

 

 

 

やっとの思いで家を出ても、同年齢の集団に出会うのが怖く、たまに友だちに会いに出かけても、帰ると疲れてぐったりしてしまいました。

 

 

 

 

 

ひどいときは家族に会うのも疲れる、3歳下の弟にも「近寄るな」と言って自分の部屋に閉じこもってしまいました。それほど人間関係に疲れ果てていたのでした。

 

 

 

 

 

結局、高一の二学期から休学し、そのまま学校に戻ることはありませんでした。高校に行けなくなって初めて、自分からカウンセリングを受けたいと言いだしました。

 

 

 

 

 

治したいと誰よりも強く思っていたからです。公立の教育相談所では、「あなたはとても賢くていい子だから、がんばれば学校に行けるはず」と励まされて逆効果でした。

 

 

 

 

 

予約しても本人が行けないときは、私が代わりに行きました。週一度、Aの様子や自分の気持ちをカウンセラーに話すだけでずいぶん気が楽になりました。

 

 

 

 

 

「『どうして子どもが不登校になったのか分からない』というお母さんが多いのに、お嬢さんがいろんなことを話していて気持ちが分かっているからいい方ですよ。でも、『そんなこと気にしなければいいのよ』と言ってもAさんはそれができないのだから、お嬢さんの気持ちを『そうだね』と受け入れてあげてください」と言われました。

 

 

 

 

 

Aは早く学校に行けるようになろうと、精神科、心療内科、心理相談などあちこちに行きました。けれどなかなか本人が気に入りませんでした。

 

 

 

 

 

抗不安薬や睡眠薬を処方されて何回か飲みましたが、Aが嫌がるのでやめました。いろいろな診断名も下されましたが、だからといってAが元気になるわけではありません。

 

 

 

 

 

いい出会いがなくてなかなか良くならない、自分はいったいどうなるのだろう、とAは不安です。Aが苦しんでいるのに、夫も私も無力でどうしてやることもできません。「誰か助けて」という思いで、いつ明けるともしれない闇の中にいました。

 

 

 

 

 

不登校になって二ヶ月目、やっと相性のいい女性カウンセラーに出会いました。「学校なんて意味がないから通わなくていい」、「あなたが好きなものを見つければ大丈夫」、「閉じこもってないで、何かやりなさい」と常識にとらわれず単刀直入にアドバイスしてくれます。

 

 

 

 

 

ビジネスライクな関係で、ズバズバ言われることが心地よかったらしく、ここにだけは通い続けました。「女の子は自傷や摂食障害、家庭内暴力になることも多いのに、Aちゃんはそうなっていない。母娘ともに落ち着いている」と言ってくれたので私もほっとしました。

 

 

 

 

 

でも、だからといって、Aがすぐに楽になったわけではありません。学校に行っていない状態に満足しているわけではないので、イライラして当り散らすこともたびたびありました。

 

 

 

 

 

私だっていつも「受容的」というわけにはいかず、つい言い返します。夫は「Aは病気なんだから怒るな」と言いますが、私は親子だから衝突したってかまわないと思っていました。

 

 

 

 

 

好きなときに寝て好きなときに起き、夜中に突然バレエの練習をする、食べたいものだけ食べたい時間に食べる、そんな気ままな生活をしていても、「どこか学校に進んでも、また行けなくなったらどうしよう」と心の底にある不安は消えてはいません。

 

 

 

 

 

「あなたは変わった、お母さんも変わった、まわりも変わってあなたに期待しなくなった、だからもう大丈夫」と元気づけても言葉が届かないときもあります。

 

 

 

 

 

結局、カウンセリングには4年間通いました。こんなに長くかかるのは商売だからだろうか、遅刻やキャンセルが多くてもったいない、などと思うこともありました。

 

 

 

 

 

身体の病気とは違って、特別な治療をするわけでもなく、治ったかどうかもよく分からない心の病気の難しさ、辛さを痛感しました。

 

 

 

 

 

高校は中退したものの、高卒認定試験を受けて大学に行くのが当然だという考えが私にはありました。頭のいい子ですし、キュリー夫人の伝記を読んで研究者になりたいと言ったこともあります。

 

 

 

 

 

自立していくにはある程度の職業に就いた方がいい、高校を中退して一年くらい遅れても最終的に大学に行けば普通のレールの乗るのに間に合う、そうすればAはコンプレックスを持たなくてすむ、私はそう考えていました。

 

 

 

 

 

一度、高卒認定試験の書類を取り寄せましたが、科目が多いのが負担でAは鬱状態になってしまいました。高卒認定試験に合格するのが遅れると、本人がとり残された気がして立ち直りにくくなる、とつい私も焦ってしまいました。

 

 

 

 

 

学校に行かないAを受け入れようと思いながら、「どうしてこの子が高校中退なの、六大学くらい行ける力があるのに」と口惜しく、世間体なんかではなくA自身の充実した生活のためにも大学に行くことがいいように思えたのです。

 

 

 

 

 

心理学やカウンセリングの本を読み、講演会にも通い、Aのプレッシャーを取り除くことを考えて、一挙手一投足注意深く気をつけながら接してきたつもりです。

 

 

 

 

 

それなのにAは学校に戻ろうとしない、強迫行動もある、こんなに一生懸命やっている私のいったいどこが悪いの、どうして普通になれないの、と思っていました。

 

 

 

 

 

「お母さんは『学校はもういいよ』と言っておきながら、本当は大学に行ってほしいと思っている。自分の考えを押し付けようとしている」とAは私を責めます。

 

 

 

 

 

「ああ、その通りだ、こういうふうに大学、大学と考えちゃだめだめ」と自戒するときもあれば、「どこの親がそんなに人間できているのよ」と言いたくなるときもありました。

 

 

 

 

 

カウンセラーは中学の勉強は詰め込むだけで全然意味がない、大学の勉強は学ぶ楽しさがあるから大学に行ったほうがいいという考えでした。

 

 

 

 

 

カウンセラーの勧めで高卒認定試験を受けることにしましたが、予備校は一クラスの人数が多すぎて疲れる、個人で教えてくれるところは先生が熱心すぎて負担ということで結局、全然勉強しないまま絶対だめだと思って受けたのになぜか受かってしまいました。

 

 

 

 

 

みんなが高校を卒業する年がきて、親子共にずいぶん気が楽になりました。友だちもそれぞれにいろいろな道を歩みだし、Aが何をしていてもその道の一つと受け止められます。

 

 

 

 

 

高卒認定試験も受かり、選びさえしなければどこかの大学に入れます。けれどもAは「大学に入って何をしたらいいか分からない、何のために行くのか分からない」と言い、大学に行く気になれませんでした。

 

 

 

 

 

そこでとりあえず、音楽の専門学校に行くことにしました。毎日通うのはきついので週に一日、一年間のコースです。発声や歌唱指導のほか、ダンスや演技指導もあります。

 

 

 

 

 

Aはバレエやピアノで舞台慣れしているので、けっこう楽しんで授業を受けていました。時には疲れて通えなくなりましたが、何とか一年間通い続けて無事卒業できました。

 

 

 

 

 

今はコンビ二でアルバイトをしながら、バンドの人たちとステージに立つこともあります。一緒に仕事をする人たちの年齢はさまざまで、経験の幅も広いので学校の友人関係とは違ってAには楽しそうです。

 

 

 

 

 

舞台で歌う姿を見ると、彼女の成長に感慨が深く涙が出るほどです。以前の不安定な時期とは違って、浅いとはいえ人との付き合いも増えてきてほっとしています。

 

 

 

 

 

今でも正直言って、ほんのちょっと努力すれば大学に行けるのに、という気持ちが私にはあります。けれども毎日泣いて外に一歩も出られなかった生活を経験しているので、もうこれで十分とも思っています。

 

 

 

 

 

ステージの後、先輩のうちに泊まってきたり、友だちと打ち上げをしては帰宅時間が遅くなるとか、音楽関係の人と結婚したら生活は不安定などと女の子の親としては心配も多々あります。

 

 

 

 

 

それでもバイトして歌を歌って、Aさえ楽しいと思えればそれだけでありがたい、このままの生活が続いてくれることだけを願っています。

 

 

 

 

 

私は目の前のトラブルはどんどん解決して前に進もうというタイプです。Aが困っていると、ついワンポイントアドバイスをしてしまいます。

 

 

 

 

 

バレエでもお稽古から帰ると「ここはこういうふうにすればうまくできるよ」とアドバイスします。すると本当に上手にできるようになり、次の週には先生にほめられます。

 

 

 

 

 

のみ込みのいい子だと思った先生はより高度なレベルを教え、Aはそれに到達しようと背伸びをします。勉強でも要領よく点数を取る方法を教えたので、自分の力以上の点が取れてしまいました。

 

 

 

 

 

そこでまた学校で期待される、それに応えようとする、という悪循環があったのです。本当は私が口を出さないで、Aが自分の力で自分なりのやり方を見つけるのを待っていなくてはいけなかったのです。

 

 

 

 

 

Aがかかっていた女性カウンセラーに私が相談したときのことです。料金が高いので時間を目一杯利用しようとして、早口でまくしたてました。

 

 

 

 

 

「お母さんの何とかしたい気持ちがビシビシと伝わってくる。子どもがそのすごいエネルギーの前にたじろぐのは当たり前。エネルギーをセーブしてください」と言われてしまいました。

 

 

 

 

 

私は動作も素早くチャカチャカし、夫はゆっくりでぼんやりしています。Aは夫に似ているのに、私に引きずられていました。

 

 

 

 

 

ずっと自分の持ち味を殺して、我慢して私に合わせていたその反動が不登校となって表れたのでしょう。

 

 

 

 

 

Aの不登校のおかげで、学校のこと、社会のこと、家族のことを見直すようになりました。学校が求めているのは、校則をしっかり守ってまじめに努力する子です。

 

 

 

 

 

人に優しく、思いやりがあって、友だちと仲良くし、積極的に手を挙げて発言し、行事に熱心に取り組むというように、子どもの行動のすべての面で優等生を求め、内申書で評価します。

 

 

 

 

 

その延長線上に社会があります。日本は欧米にコンプレックスがあって、ずっと追いつけ追い越せとがんばってきました。

 

 

 

 

 

そのために、どこをとっても傷のない完璧な工業製品、一定の結果をいつも出せる優秀な機械を造ってきたのです。

 

 

 

 

 

その完璧さを人間にまで求めているのが今の日本だという気がします。こうした社会や学校と私自身が重なっていました。

 

 

 

 

 

妊娠が分かり、母子健康手帳をもらってからずっとベルトコンベアに乗っているようでした。健康な赤ちゃんを産むために一ヶ月ごとに健康診断があり、無事にクリアして出産、その後も乳児の身長や体重が基準に合っているか、首がすわっているか、言葉を話せるかとチェックを受けます。

 

 

 

 

 

母親としては標準的な発育発達をしているかがとても気になりました。幼稚園、小学校、中学校と進んでもずっとその心配が続いていたように思います。

 

 

 

 

 

このレールの先にエリートがあり、効率よくレールから外れないようにゴールまで育てるのが親の務めだと思い込んでいました。

 

 

 

 

 

私自身は高望みをせず、大学を出て働いて、結婚し子どもを二人産んで少し仕事をするという、普通の生活にささやかな幸せを感じて生きてきただけです。だからAにも大きな期待を寄せていたわけではありません。

 

 

 

 

 

ただ勉強が好きで知識欲も旺盛、何でも効率よくこなすのが得意、という私の性格はぴったり社会に合っていたけれど、Aの本質とはずれていたのです。

 

 

 

 

 

それに気づかずに、私も学校と一緒になって社会のモデルにAをはめこもうとしていたのかもしれません。いろんな子どもがいるということを頭では理解し、認めていましたが、自分の子どもは一般的なコースから外れることはないと思っていました。

 

 

 

 

 

そういう思い込みが、Aの不登校でガラガラと音を立てて崩れたのです。

 

 

 

 

 

こまこまと管理する学校の在り方、みんなと一緒でないとはじかれる友だちとのつき合い、私の効率の良い育て方、「自分にはそれは無理だ」と言葉にして私に抗議することができなかったAには、学校をやめることでしか親に自分の気持ちを伝える術がなかったのです。

 

 

 

 

 

私もエリートに育てなければいけないと思っていたから辛かったです。もう一度やり直せるなら、子どもの声を聴ける親になりたいです。

 

 

 

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