不登校・高校中退の実例
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不登校・高校中退の実例

ここでは、関東自立就労支援センターで支援をした不登校・高校中退の実例を記述していきます。

 

 

 

 

中退に至った理由とその後どうしたか、どうなったか、ということを記述しますが、親御さんのなかにも、これらのケースに近いお子さんが必ずいらっしゃると思いますので、何かのヒントになりかもしれません。

 

 

 

 

長期間にわたってひきこもりを続けていたA子さんの場合

 

 

 

 

A子さんは長期間ひきこもっていた女性で、中学2年から不登校でいわば中学中退者です(義務教育には中退という制度はありませんので、中学はそのまま卒業しました)。

 

 

 

 

10年たって家から出て、近くの通信制高校に入学し、3年間通い、保育士の資格を取るために短大に進学しました。

 

 

 

 

2013年に公立の保育士として就職し、結婚したと報告を受けました。彼女とは、まずメールでのやりとりから始まりました。

 

 

 

 

本人からメールで、「わたし、高卒の資格を取りたいんです」というメッセージを送ってきました。僕が、よければどうぞ相談に来てくださいと誘ったら、次の連絡が来ました。

 

 

 

 

「20歳過ぎていても大丈夫でしょうか」関東自立就労支援センターでは年齢は問題ないですと伝え、電話をくださいとも書いておきました。

 

 

 

 

するとすぐに本人から電話がきました。そして、その翌日に母親と一緒にやってきました。話を聞くと、関東自立就労支援センターで学習支援を受けて、高校卒業の資格を取りたいというので、じゃあがんばりましょうということになり、わたしたちが支援をしていくことになりました。

 

 

 

 

彼女のやる気は口だけのやる気ではなくて、本当に一生懸命に学習にとりくみました。長期間ひきこもっていたことがまるでうそのようでした。

 

 

 

 

彼女は意欲的で、どんどん教えてほしいと言ってきました。わたしたちは圧倒されていましたが、失った時間を取り戻すために彼女は必死だったんだろうと思います。

 

 

 

 

その時、彼女の将来の希望は歯科衛生士でした。理由は、自分が最初に家から出たきっかけが歯科医だったから、将来歯科衛生士になりたいという単純なものでした。

 

 

 

 

それだったら高卒の資格を取って、大学か専門学校に行ったほうがいいよねという話になりました。彼女はすごくやる気があったので、一週間くらいしてから「バイトやってみたらどう?」と言ってみました。

 

 

 

 

家と支援センターの往復だけではなくて、もう少し広く、社会へのリハビリも必要だと思ったのです。履歴書の書き方や求人情報の探し方まで教えてあげました。

 

 

 

 

彼女は整った顔立ちでしたから、時給の高さとかに引っかかって余計な目にあわないように「A子さんは美人だから、やはり水商売みたいなところはまずい」とか「飲み屋とか居酒屋じゃないほうがいい」とか 。父親みたいに世話をやきました。結局、関東自立就労支援センターの事務所に近いミスタードーナツに決まりました。

 

 

 

 

「ミスドに決まりました!」「何?ミスドって?」「ミスタードーナツのことですよ、遅れてますねー」なんてやり取りもありました。

 

 

 

 

そのミスドでも人間関係がうまくできました。その後彼女は、月曜日から金曜日、アルバイトの時間の前まで勉強をして、夕方から夜十時くらいまで働くという生活を続けていきました。

 

 

 

 

教室で課外授業がある場合は、バイト先へ休みを取ったり、遅刻することを前もって告げていました。本当に楽しそうに日々を過ごしていました。

 

 

 

 

彼女は年齢的にも上のほうでしたから、関東自立就労支援センターでもクラスのお姉さん的存在でした。

 

 

 

 

センターの中心になってくれていて、たとえば、男の子が悩んでいたら「わたしのほうが大変だよ」と言ってなぐさめたりしていました。

 

 

 

 

そんな彼女ですが、進路のほうは在学中に、血を見るのがイヤだということがはじめてわかったそうで、歯科衛生士から保育士へと変更になっていました。

 

 

 

 

資格をとることと、そのために専門の勉強が必要なので、大学進学を決めて、某私立大学を受験して見事に合格しました。

 

 

 

 

そこで保育士の資格を取得しました。2013年の1月に珍しく彼女から年賀状が来ました。「わたしのこと、覚えてますか」と書いてきました。

 

 

 

 

そして、「わたし、公務員試験に受かりました。区役所に就職したんです」そう書いてあるのを見て、うれしく感じました。その後、結婚したという報告も受けました。

 

 

 

 

A子さんは長期のひきこもりでしたが、もともと能力的にはポテンシャルがあって、自立できた例です。要するに、自分のタイミングでたまたまうちの施設に来ただけです。

 

 

 

彼女は、そもそも中学校2年になってひきこもりになったのですが、その原因というのは親の問題でした。ちょうど中2のときに、ご両親が離婚したそうです。

 

 

 

 

彼女は一人っ子で、母親は娘に「あんたがいたから別れた」的なニュアンスで、ずっと言葉の虐待のようなことをしたらしいのです。

 

 

 

 

それが原因でひきこもったようでした。これは母親と娘の関係を改善しないとだめだと思いました。お母さんにも自信を持たせないといけません。

 

 

 

 

3年間、A子さんの誕生日に僕はお母さんに手紙を書きました。「A子さんを産んでくれてありがとうございました。おかげでいい出会いになり、僕も全力で支援するうれしさを味わっています」といった内容の手紙です。

 

 

 

 

返信の手紙は今でも大切に取ってあります。「わたしみたいな母親で、あの子も大変だったんでしょう」というような内容のすばらしい文章でした。

 

 

 

 

母親と娘、二人きりでずっと生活してきましたので、お母さんが無意識にかけた呪縛を解かないと彼女は離陸できないと判断しました。

 

 

 

 

ですから、A子さんとお母さんとを積極的に交わるようにしました。いっぽうでは娘からお母さんの愚痴を聞くようにしました。

 

 

 

 

離れたお父さんとも、会うことを勧めました。お父さんから旅行の誘いが来て、A子さんはどうしようか悩んでいたのです。

 

 

 

 

父親とも何年かぶりで再会できたことが、気持ちの整理につながったのかもしれません。わたしやスタッフとの何気ない会話も、いい感じで実を結んだのかなと思います。

 

 

 

 

スポーツ推薦で挫折したK君の場合

 

 

 

 

スポーツ推薦の生徒で高校を中退した生徒に、K君がいます。関東自立就労支援センターに来たときは、意気消沈していて、ずっとうつむいていました。

 

 

 

 

彼には、中退にいたる課程で、教師や部活の監督ら、大人にだまされたという意識があったようです。柔道のスポーツ推薦で高校に入学して、理由をつけられてやめさせられそうになった1年生の終わりころ、1月か2月くらいにセンターに来ました。

 

 

 

 

本当に辞めさせられる寸前でした。高校を辞めさせられてしまうので都立高校へ行くしかない、だからここで面倒をみてほしいという要望でした。

 

 

 

 

集中的に勉強を教えましたが、転入試験までの期間が短すぎたこともあって、結果的に落ちました。そのとき、彼が行っていたスポーツ推薦校が、彼に対してすごくいやな対応をしました。

 

 

 

 

たしか転入の試験を受けたのが3月15日でした。合格発表もその日でした。そして、学校側が設定してきた「中退」の日が同じ15日でした。

 

 

 

 

つまり、K君が高校に残るか、やめてほかの学校に転入するかを考える余裕がないのです。普通は辞めるかどうかの決定を、3月末までとか待つはずです。

 

 

 

 

半年くらいの余裕があれば、試験に落ちた場合のことなど、対処の仕方を考えることができます。が、彼の場合、15日に退学を決めるしかなかったのです。

 

 

 

 

仕方がないので、転入試験に落ちた場合はどうするのかを事前に聞きました。K君は、そうなったらどこかの通信制高校に入りますとしぶしぶ決めました。

 

 

 

 

彼は学校で散々な目にあってきたので、彼は大人というものをあまり信用していないようでした。関東自立就労支援センターに来てからも、スタッフのことを信用していいかどうか、しばらく様子を見ているようでした。

 

 

 

 

わたしはセンターで彼にいろいろ試されたわけです。学力に関してしっかり補強してくれるのかとか、性格はどうかとか、試しているようでした。

 

 

 

 

こういった大人不信(教師不信)に陥った生徒を相手にすると、わたしを信用してくれるまで、最短でも一週間くらいかかります。

 

 

 

 

もちろん相談に来た段階で、50%くらいは信用してくれているのですが、それまで散々裏切られているから、この相手に乗っていいのかどうか、臆病になっているようでした。

 

 

 

 

K君は、だんだんと心を開いて、語ってくれるようになったのですが、柔道の部活で肉体的な体罰を受けていたといいました。

 

 

 

 

いろいろなスポーツのなかで、柔道は一番、逃げ場がないといわれています。いじめられていても、いじめと見えなかったりするからです。

 

 

 

 

野球とかは、バチンとコーチなりキャプテンや監督が生徒を殴れば、体罰とすぐにわかります。けれども柔道の場合は、技を教えるという理由をつけて、締め技をかけたり、投げ技をかけたりできます。

 

 

 

 

彼は、稽古で死ぬ思いをしたと話してくれました。K君は、中学時代は強かったそうです。だから推薦を受けてその高校に行くことができました。

 

 

 

 

もっと強くなるような練習だったらいくらでも耐えられるけれど、これはどう考えてもやられるだけ、実験台だと思ったようです。

 

 

 

 

このままでは自分は殺されてしまう。彼にとっては命からがらの中途退学、高校の1年間だったのです。K君は関東自立就労支援センターに約2年半通いました。

 

 

 

 

そして、だんだん将来の目標というか、考えが固まってきたようです。ある日、「中学校の先生になりたいんだけれど、なれますか?」と聞いてきました。

 

 

 

 

すぐに採用試験の試料やデータを見せて、「今がチャンスだと思う。K君、いい大学というより、とにかく大学に入学しよう。中学の教員は採用試験を受けて、受かっちゃえばいいのだから」と背中を押しました。

 

 

 

 

今は大学の教育学部で、自分の夢に向かってがんばっている最中です。今までの体験が活きて、いい先生になると思います。

 

 

 

 

教師になった不登校生徒Hさん

 

 

 

 

関東自立就労支援センターに来る生徒は、学んで付き合っている間に、「教師になりたい」と思うケースが多いです。

 

 

 

 

自分がこのような状態になったのは、いい先生にであえなかったからだというのです。それで、実際に教員になった人たちもいます。

 

 

 

 

現在30歳を超えた、女子というかお姉さんですが、このHさんとは今なお、交流があります。彼女は中間一貫校の出身なのですが、中一の時点で、学校へ行かなくなりました。

 

 

 

 

今でいう「中一ショック」だったようです。これは、小学校から突然環境が変わって、そこに順応しきれずに不登校になるというものです。

 

 

 

Hさんは、中一の時にけがをしました。それで少し学校を休んで、治療をして学校へ戻ったら、とり残され感が起きてしまい、登校不登校を繰り返し、中三でほとんど登校しなくなりました。

 

 

 

 

関東自立就労支援センターへ来た時に会った彼女の印象は、性格等の問題はなく、ごくごく普通の女性でした。特に自己表現にも問題はありませんでした。

 

 

 

 

ただ学校に行きづらいというのが原因で、高校へ行けないという状況でした。Hさんが関東自立就労支援センターに来た当時は、中学校にもそういう状態の生徒に対処する指針がなく、フリースクールも一般化していないという、受け皿のない時代でした。

 

 

 

 

最初にまずHさんのお母さんから電話がありました。そのときお母さんはわたしの電話の対応の仕方を聞いて、「あれ、おもしろそう」と思ったようです。

 

 

 

 

相談に来られる親御さんもお子さんも深刻です。不登校や中退が若い人生にとっての「傷」だと思い込んでいるからです。

 

 

 

 

そこにわたしみたいなユニークな?感じのおじさんが「なんとかします」と言うのがおかしかったようです。電話での対応でもきちんと話は伺いますが、必要以上に深刻な口調にはなりません。

 

 

 

 

「初めてお電話しますけど、じつは・・・・」「お悩みのことはわかります。まずはお二人でいらしていただいて、お話を直接伺いたいと思います」

 

 

 

 

「あの子が来るかしら」「いやあ、わたしなんか学校の先生と違ってかしこまっていませんし、軽くお話しする心づもりでいらしていただければけっこうです。一緒にがんばれればいいですね!」

 

 

 

 

 

というようなやり取りが多いです。えてして、顔の見えないなかで深刻な話をいきなり聞きますと、必要以上に事態を重くとらえがちになります。

 

 

 

 

人生最初のつまづきは重いことですが、まだ最初の挫折です。積み重なったものではありませんので、やる気とがんばりで押し返し、逆転することすら可能なのです。

 

 

 

 

 

ですから自然に明るくなってしまうのでしょう。Hさんは中学の基礎から全科目を勉強しなおしました。放っておくと全然勉強をしないので、わき目をふらさず一所懸命やってもらいました。

 

 

 

英語は三単現のSから教えたので、本当に基礎の基礎からのスタートでした。でも、がんばったおかげで新宿山吹高校に受かりました。

 

 

 

 

そこで3年間無遅刻無欠席の高校生活を送りました。それで、推薦入学で東京学芸大学へ入学しました。そしていまではH先生です。

 

 

 

 

たまに電話がかかってきますが、責任感の強いいい先生になっています。

 

 

 

 

今どきの生徒、ナイスガイのZ君

 

 

 

 

Z君というのは今どきのナイスガイなんです。彼はひきこもり自立支援センターを卒業したあとも、フラッと現れたりします。

 

 

 

 

彼は都立高校に在籍していましたが、目標を失って留年決定になったというケースでした。Z君は、中学の時は何もしなくても勉強ができた子だったそうです。

 

 

 

 

いわゆる字頭がよかったのかもしれません。だから都立のかなり優秀な上位校に入ることができました。このような子にありがちなのですが、周りはちゃんと必死で勉強して入ってきた生徒たちです。

 

 

 

 

高校に入学したらこのような生徒たちと競争することになります。そこで、天然で要領よく入った生徒は、高校で初めて努力を強いられます。

 

 

 

 

でも「やらなきゃ」というエンジンがかからないのです。何気なく入学した生徒は、勉強している生徒よりも当然、成績が劣ります。

 

 

 

 

高校の学習は、よーいどんで出遅れてしまったら、すぐさま成績が低下していきます。「おかしいな」と思ったときはもう遅い場合が多いです。

 

 

 

 

「小中学校と何もしなくてもよかったのに、なんで赤点とかで呼び出されるんだろう。自分は劣等生になるのかな」という感じで、自分がわからなくなってしまいます。

 

 

 

 

すべては勉強しなかったからだ、ということに本当に気がつかないのです。できない理由はないということに固執してしまって・・・・。

 

 

 

 

親に「勉強やれ」ち言われると、このZ君のようなタイプは頭がいいので、「勉強をする意味がわからない」とか言って、今度はごねます。

 

 

 

 

だから留年しそうになったのも、結局のところ成績不振が理由です。父親も一所懸命、関東自立就労支援センターにZ君を引っ張ってきてわたしと話をさせようとしますが、完全にふてくされてわたしが何を言っても、反応がありませんでした。

 

 

 

 

あと何日かで、高校を辞めるのかどうするか決めないといけないところまできていました。都立高校の上位校で、留年を認めない高校でしたから、そのままだと退学させられてしまいます。

 

 

 

 

「君、どうするの?」

 

 

 

 

「・・・・・。」この繰り返しで話がまったく前に進みませんでした。結局、彼は高校を中退し、通信制の高校に通いながら、関東自立就労支援センターで学習支援を受けることになりました。

 

 

 

 

そして、3年のギリギリになるまで進路を決められなかったのですが、急に「おれ、やっぱり大学に行きたい」と言い出しました。

 

 

 

 

それで大学を受験したら見事に合格しました。入学した大学は教員を養成するのに適した学校でした。Z君は先生になるとか最初はまったく考えていませんでした。

 

 

 

 

留学したり、イギリスへ行ったりして大学生活を謳歌していました。この間フラッと来たとき、「僕は卒業するんだけど、もう一回単位取り直して教員をめざします」と言っていました。

 

 

 

 

見た目も今はさわやかな感じで、高校時代のグダグダしていた彼はどこに行ったのかと思うくらいでした。

 

 

 

 

発達障害を隠し続けたM君

 

 

 

 

関東自立就労支援センターに来ていた発達障害の男性の話を書きます。彼は、中学3年生の時に、不登校になりました。

 

 

 

 

中学卒業後は、いったん会社に就職しています。けれども中卒採用の職場は劣悪な環境が多いのが現状です。

 

 

 

 

ですから、退職して高卒資格を取ろうとここへやってきました。M君が入った会社は、彼を健常者だと思って採用していました。

 

 

 

 

しかし、彼のやることなすことは、周囲が理解できないし、物をひっくり返すとか、ミスも多かったようです。

 

 

 

 

中学1年から3年まで、ずっと適応指導教室に通ってはいたのですが、知能障害とは認識されませんでした。

 

 

 

 

でもわれわれは、指導してすぐにM君が知能障害ではないかと気がつきました。表向き、彼はすごくコミュニケーション能力が発達しています。

 

 

 

 

言葉のキャッチボールもできます。ですからそれでみんな気がつかなかったのです。ところが、数学をやらせると全部間違えます。

 

 

 

 

ほかの部分では、やったふりをするのが上手でした。知能障害であることを隠そうとして自衛行為をとり続けていたのです。

 

 

 

 

彼は、かわいそうなことに、偽装する行為が身についてしまっていました。たとえば9+2を聞いてみると10と答えます。

 

 

 

 

社会と書いてみなさいというと、社と会を足して2で割ったような字を書きます。メールのやり取りでは正しい言葉を書いてきます。

 

 

 

 

しかしこれは携帯が自動漢字変換できるからでした。1か月くらい指導していて、知能障害だと確信しました。

 

 

 

 

M君の家は母子家庭で、お母さんと本人に会って話そうと思いました。その場でお母さんとM君に、知能障害だとはっきりと言いました。

 

 

 

 

この状態では、高校卒業後も正規就職は難しいです。ですから障がい者手帳を取得してくださいと伝えました。

 

 

 

 

高卒資格と手帳を取得すれば、一流企業に就職できます。結局、関東自立就労支援センターで学習支援を受けて高卒資格を取得後、東京都の職業訓練校に通い、結局、某企業に就職しました。

 

 

 

 

でも、お母さんは、障がい者手帳を取得することに関して、なかなか認めませんでした。M君自身は、僕の説得に素直に従い、最終的に手帳を取得することに同意してくれました。

 

 

 

 

でも、お母さんはなかなか認めませんでした。このお母さんだけではありません。およそ保護者が10人いたらそのうちの9人は認めません。

 

 

 

 

それでも、自宅訪問したり教育相談を通して、認めてくださいました。

 

 

 

 

押しつけ学習から逃避したD君

 

 

 

 

D君は私立高校を自主退学しました。D君はもともと勉強のできるタイプでした。中位クラスの高校で、進学クラスに通っていました。

 

 

 

 

中位だとやはり高校は予備校体質で、受験勉強を必死でやらせます。週に7時間も通常より長く、学校に拘束されていたそうです。

 

 

 

 

それでD君は嫌気がさして、高校不登校になりました。高校1年の夏休み明けから学校に行かなくなりました。

 

 

 

 

部屋にひきこもって1か月も出てこなくなりました。親が何を言っても反応しないしご飯も食べなくなりました。

 

 

 

 

「これは普通じゃない」とお母さんが思って、関東自立就労支援センターに電話をしてきました。わたしがお母さんに、このような方法があります、とアドバイスしたことを、その母親が息子に伝えました。

 

 

 

 

「都立高校への転向転入試験」の話に、息子は興味を示したそうです。加えて、転入試験に成功した例をまとまた資料を彼に見せました。

 

 

 

 

するとすぐに「明日からそこに行く」といったそうです。このような子は多いのです。1か月くらい家で悶々としているときに、こういう場所があると知ったら、すぐにエイヤッという感じで行動できるタイプです。

 

 

 

 

その悶々は「学校がいやだ」に尽きるのですが、親としてはやめてほしくないわけですから、息子は親と話しても平行線になるだけだろうと思っています。

 

 

 

 

結論が出ないのです。結論が出ないのは嫌だし、そんな親と話しても無駄だと思うから、何も話さずに部屋にひきこもってしまうのです。

 

 

 

 

それでもD君には、関東自立就労支援センターに来るようになってからも、紆余曲折があって、やっぱり悶々とする時期がありました。

 

 

 

 

受験を控えた12月末頃には、関東自立就労支援センターの学習支援に参加しなくなりました。それでわたしも彼に注意をしました。

 

 

 

 

「このままでは志望校は難しいかもしれないよ」すると今度はご両親が来て、「せっかく関東自立就労支援センターに来るようになったのに、、またひきこもって、この子の将来はどうしていけばいいのでしょうか。このままではもとのひきこもりに戻ってしまいそうですごく不安です」と困惑していました。

 

 

 

 

「でもね、お父さんお母さん、お子さんへのしつけはどうなっているんですか?やはり、親の言うことを聞くとか聞かないとかは今に始まったことではないですよね。何かのきっかけで、ずっと今の今までわがままを許していたんじゃないですか?だから僕は、今のこういう状況になっていると思います」

 

 

 

 

という話をしました。するとお母さんが、「先生が父親だったらどうしますか?」と聞いてきたので、こう答えました。

 

 

 

 

「僕ですか?僕はやわらかそうな顔をしているけれど実はけっこう厳しいですよ。自分の娘には小さいころから厳しく接してきました。

 

 

 

 

自分で徹底的にやらなかったらしかったり、4歳の長女を親子でプールに連れて行った帰り、みんな親が子どもに靴を履かせたりしていました。

 

 

 

 

僕はずっと黙って見ているだけです。娘が自分で履くまで待っていました。後で祖父母や妻に文句を言われましたが、それがしつけだ、自分のことは自分ですることを教えたかったといいました。

 

 

 

 

その教育方針は今も変わりません」といったことをD君のご両親に滔々と語りました。話を聞くと、どうもお母さんは息子にべったりで、お父さんも強く出られないタイプのようでした。

 

 

 

 

そしたらクリスマスの日に、今まで怒らなかった父親がD君ととっ組み合いの喧嘩をしたというのです。それでやっとD君は関東自立就労支援センターに現れました。

 

 

 

 

親子の関係は不登校に大きく影を落としています。それからは、D君はごく普通に新宿山吹高校に合格して通学し、ボランテイア活動も熱心にやっているというメールを送ってきました。

 

 

 

 

中高一貫教育はリセットできない

 

 

 

 

続いてO君ですが、こちらは留年勧告されたケースです。彼は有名大学付属の私立高校に通っていました。

 

 

 

 

その学校で、中高一貫校の弊害が如実に出てしまいました。中高一貫校は、いじめが起きると逃げ場がありません。

 

 

 

 

それだけでなく、勉強でも、つまずけば学校に行きづらくなります。中学でだめだったのを、環境が変わったので、一念発起というわけにもいきません。

 

 

 

 

もっとも多いのは、学校に通うことが惰性になってしまって、自分の進路をしっかり考えられなくなり、学習行為と自分が遊離してしまうことです。

 

 

 

 

だから中学から高校にそのまますっと入学すると、なんだか違和感がでてしまいます。勉強にも身が入らないし、学校へ行く意味を見失ってしまいます。

 

 

 

 

そして、これはもうだめだという感じになってしまいます。彼は知り合いの紹介で、お母さんと一緒にここへ相談に来て、そのままスムーズに関東自立就労支援センターで学習支援を受けることになりました。

 

 

 

 

普通、子どもを中高一貫校に通わせている親御さんは、わたしの言うことをまったく信じません。なぜかというと、中高一貫の学校の生徒が行っている塾などでは、、わたしの間逆、正反対のことを吹き込むからです。

 

 

 

 

高校のリセットは不可だといいます。やることさえやっていればいいわけじゃないか、とかです。まったく教育方針が違います。

 

 

 

 

O君は学習支援を受けるようになったのですが、お父さんが学歴偏重、結果主義という人がったので、お母さんは説得するのに大変だったと思います。

 

 

 

 

お父さんの気持ちとしては学年が下がってしまう留年には反対でしたし、息子はきっと目がさめて勉強してくれるだろうと思っていたようです。

 

 

 

 

ですが、目はなかなか覚めないようです。「そうか、留年か」と受け止める生徒が多いのです。認識の甘さを指摘する大人が誰もいないので、彼らは1年くらい遅れてもいいかなあと考えてしまいます。

 

 

 

 

また親は親で学歴、出身高校というネームバリューにすがりつきます。中高一貫校に入れたのだからここは我慢して、大学に進学していってほしい、という願望が優先してしまいます。

 

 

 

 

親子でこの状態だと絶対に目覚めません。O君も少しほんわかした「なごみ系」の生徒ですから、流れに乗ったらそのまま留年を決めていたかもしれません。

 

 

 

 

けれども、都立高校への転入希望があったので、関東自立就労支援センターの学習支援を受ける決意をしました。

 

 

 

 

「僕、留年しちゃったんですよ。この間の転入の話、お願いします。」と言い、ぜんぜん何か、重大な決断をした感じがしませんでした。

 

 

 

 

良し悪しではなく、スッと切り替われるのが今どきの子どもなのでしょうか?

 

 

 

 

そのようなタイプだから、未来はあるいは有望かもしれません。O君は打たれ強い、やさしい生徒です。

 

 

 

 

メンタル面で鷹揚すぎるきらいもありますが、それを長所として活かせば、商社でも営業みたいに厳しい部署でがんばれるでしょう。

 

 

 

 

ヤンチャが過ぎて中退したY君の場合

 

 

 

 

Y君は千葉県の県立高校の出身です。そこで野球部に所属していましたが、集団万引きのリーダーみたいなことをやってしまいました。

 

 

 

 

あと、けんかやいじめで暴力を振るったということで、高校から放り出されてしまいました。彼の場合は、これまでの生徒と違って、「成績不振」を理由に追い込んで辞めさせたり、けがを理由に辞めさせたり、といった理不尽なことはありませんでした。

 

 

 

 

正当な理由で高校を中退することになったのです。けれども、彼には高校を卒業して、さらに進学したいという希望がありました。

 

 

 

 

それで、ご両親も次の進路をあちこち賢明に探しました。千葉県教育委員会で調べたところ、転居しないと他県の高校へは編入できないし、高校に入りなおすならダブらなくてはいけない、ということがわかりました。

 

 

 

 

しかも、頭ごなしに「行くところはない」と県内では行き先を断ち切られてしまいました。そして、相談先を探しているうちに情報を入手して、関東自立就労支援センターに来ました。

 

 

 

 

しかしY君の場合、退学した時期が悪すぎました。高校2年の12月くらいでしたから試験を受けていくところがありませんでした。

 

 

 

 

来たときのタイミングがよくない、それもしかたがないと思いながら話を聞きました。「高校は卒業したいのですか?」

 

 

 

 

彼はこういいました「したい。そして進学したい」「何かやりたいことがあるのですか?」「こんなことになって言いにくいけど、体育の先生になりたいんです」

 

 

 

 

「それじゃあ、大学に行かないといけないね。でも、どうするのかな。この時期に行けるところはないのが現実です。県内の定時制から教員になるための大学に行くのは難しいし・・・。でも、通信制の高校に入れば君の持っている単位は引き継げるし、住民票を移せば、都立高校の編入試験も受けられますよ」

 

 

 

 

そうやって話を振ってみたら、彼は関東自立就労支援センターで学習支援を受けながら通信制の高校に入学することになりました。

 

 

 

 

そして、今では大学の2年生になり、体育教師を目指しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援