不登校のその後
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不登校のその後

1990年代から、青年期におけるある状態が「ひきこもり」「ニート」などの用語において問題化されるなど、「社会に出て社会人として活躍すべき若者が社会に出ない」ということが関心を集め続けてきました。

 

 

 

 

そうした中、不登校という現象も「その後」との関係においてより注目されるようになってきました。

 

 

 

 

1999年の現代教育研究所の調査は、中学3年時に不登校経験を持った人々の5年後の状態を調べ、不登校経験のある人々が、そうした経験を持たない人々に比べて、就学・就労ともにしていない比率が高まることを示しました。

 

 

 

 

また、文部科学省の不登校認識に影響力を持つ「不登校問題に関する調査研究協力者会議」は2003年度に「心の問題」から「進路の問題」として不登校を再定義しています。

 

 

 

 

しかし、問題なのは本当に、いわゆる「進学」や「就労」といった事柄ばかりなのでしょうか。

 

 

 

 

「社会とつながる」とはどういうことなのでしょうか。この問いは、たしかに、既存の社会集団に適応的に参加し、自分の役割を得て、ゆくことと結びついて想起されやすいから、これについて考えるうえで、進学や就労が重要な取り掛かりを提供してくれるに違いはありません。

 

 

 

 

けれども、当然ながら進学や就労だけが「社会とつながる」すべてではありません。

 

 

 

 

もっとさまざまな学ぶこと、働くことのかたち・・・・・不登校の子どもが学ぶフリースクールや、さまざまな困難を持つ人々のための緩やかな働き方を目指す労働の場など・・・・・・はありえるのであり、本来「社会とつながる」ことをめぐっては、そうした事柄も含めて考えられるべきでしょう。

 

 

 

 

不登校の「その後」とは、進学・就労という取り掛かりを通じて、より広く「社会とつながる」ことそのものが、主題として前景化してくるような事態だといえます。

 

 

 

 

では、こうした事態のもとで、不登校についてどのように考えることができるでしょうか。

 

 

 

 

不登校は、1980年代ごろまで、長らく主に病理・逸脱として問題化されてきました。

 

 

 

 

そうしたなか、不登校の子どもの気持ちに寄り添い、親の不安を受け止めるうえで、「不登校でも何の問題もなく社会に出ていける」とする語りが生み出されていきました。

 

 

 

 

このような語りは、それまで否定的な価値のみを与えられてきた不登校に、肯定的な意味を見出すことによって、不登校をめぐる子どもや親の苦しみを緩和する道筋を示した点で、大きな意義をもつものでした。

 

 

 

 

不登校を頭ごなしに否定するような風潮はけっして過去のものではなく、こうした語りは今も切実に必要とされ続けています。

 

 

 

 

一方で、不登校を「その後」との関連で考えるとき、「不登校でも何の問題もなく社会に出ていける」とする語りでは、その人の存在を受容すること、すなわちありのままの状態や思い悩みを受け止めることが難しい局面があります。

 

 

 

 

たとえば、「不登校はまだいいが、ひきこもりは困る」といった言い方がなされることがあります。

 

 

 

 

そこにあらわれているのは、「社会に出ていく」うえで必ずしも学校を経由する必要はないが、「社会とつながる」ことそのものからの撤退は肯いがたい、という周囲の人々の困惑でしょう。

 

 

 

 

このような状況を踏まえた上で、不登校の人々を受容しつづけようとするならば、「学校に行く」ことにまつわる苦しみにくわえて、「社会とつながる」うえでの「生きづらさ」のようなものに、焦点を当てる必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

 

その際、鍵となるのが「当事者」という視点だと思われます。不登校の「その後」の一形態としてのひきこもりは、本人・親・支援者などそれぞれの立場に基づくニーズの相違が、避けがたく立ち現れてくる事態でもあると考えられるからです。

 

 

 

 

これらを踏まえ、「当事者」という視点に着目しながら、不登校の「その後」における「生きづらさ」についてどのように考えることができるのか、それをありのままに受け止めるとはどのようなことかを、考察する糸口を探ってみたいと思います。

 

 

 

 

不登校とひきこもりは、しばしば非社会的な逸脱行動として一様に問題化されます。

 

 

 

 

けれども、受容的な語りのありかたを考えるうえで、この2つは質的に異なった状況にあります。

 

 

 

 

具体的には、現在「不登校でも何の問題もなく社会に出ていける」として不登校を「肯定」する立場からは、「ひきこもりにつながる不登校」を受容的に語る回路を見出すことができにくくなっているように思われます。

 

 

 

 

このような不登校とひきこもりの関係について言及するうえで、念頭においておかなければならないのは、「不登校でも何の問題もなく社会に出ていける」という語りが、不登校をやみくもな治療対象とみなす語りへの対抗言説として出現したという歴史的な経緯です。

 

 

 

 

朝倉景樹(登校拒否のエスノグラフィー・彩流社・1995年)は、1981年から1989年までの登校拒否に関する雑誌記事の見出しを調査し、1988年を境に、「登校拒否は病気ではない」とする内容のものが、それを治療対象と見るものを上回り、増加していったことを明らかにしています。

 

 

 

 

1988年とは、精神科医の稲村博氏の発言が、朝日新聞の記事に「30代までつづく登校拒否症、早期完治しないと無気力症に」として掲載された年です。

 

 

 

 

この記事は、不登校が精神医学的な治療対象としての「病」であり、大人になっても「社会に出る」ことができない状態につながるもとであることを指摘したものであり、不登校を否定的に捉えるものでした。

 

 

 

 

これに対して、「不登校は病気ではない」とする立場からさまざまなかたちで反論が寄せられ、「登校拒否を考える緊急集会」が東京で開かれ、800人あまりの参加者を集めるなど、対抗的な語りが盛り上がりを見せたのです。

 

 

 

 

不登校を治療対象とする語りに対して「否」を突きつけるかたちで興隆した新たな語りは、不登校を子どもが選びうるひとつの進路として示し返すことで、その意味を肯定的なものへと塗り替えることに寄与しました。

 

 

 

 

このような語りの出現によって、不登校の子どもや親がみずからの存在を受容できるようになった点は、たいへん意義深いものでした。

 

 

 

 

一方でこのことは、以下のような本来的には別個のことがらであるいくつかの含意を、蜜に関連することがらとして、ひとまとまりに提示する象徴的な契機となったように思います。

 

 

 

 

すなわち、「不登校でも何の問題もなく社会に出て行ける」とすること、不登校を「病気ではない」とすること、「学校に行きたくない」と言う子どもの気持ちを尊重し、その存在を受容すること、という本来それ自体としては独立に成立しうる諸々の主張が、折り重なって志向される独特の文脈が形成されたように思われます。

 

 

 

 

このことが問題となるのは、時代背景や場などによって語る言葉の意味や効果が異なってくるときでしょう。

 

 

 

 

1908年代後半には、不登校を「病気ではない」とすること、および「そのままでよい、いつかは問題なく社会に出ていける」とすることが、子どもや親の悲しみや苦しみを緩和することとほぼ同義であるような文脈が、たしかに存在していました。

 

 

 

 

けれども今日、ひきこもりを経験した人々の言葉には、「もう明るい物語を信じることはできない」というように、「ひきこもりを根底から肯定すればいつか社会に出て行ける」といった言い方では受け止めきれない現実がしばしば見られます。

 

 

 

 

だとすれば、不登校の「その後」や「ひきこもり」という現象について考えようとするうえで、「そのままでよい、いつかは問題なく社会に出ていける」とすることがすなわち本人を受容することだとする回路の有効性を、かつてほど強力には主張できなくなっていることに、気づかざるをえないのではないでしょうか。

 

 

 

 

そこでは、ある状態を「肯定」することと、その状態にある人を「受容」することがどこまで重なり、ずれるかという問題に踏み込む必要が出てきています。

 

 

 

 

ひきこもりという現象は、「学校とつながる」ことの自明性を問題化した不登校肯定の立場が、結果的に問う必然性をもたなかった「社会とつながる」ことの自明性を問うことなしには、その受容がなされえないような、ラディカルな問題です。

 

 

 

 

不登校を「その後」との関連で主題化することは、「子どもが学校に行かない」という事態を再考することに加えて、「人が社会とつながる」ということそのものを問い直す意味を持ちます。

 

 

 

 

そこでは、ひきこもりにつながる不登校について、受容的に語る道筋を見つけ出していく必要があるでしょう。

 

 

 

 

そのように、「ひきこもりにつながる不登校」を受容的に語ろうとするとき、鍵となるのが「当事者」という視点だと思われます。

 

 

 

 

不登校の「その後」やひきこもりは、本人、親、居場所の関係者など、かかわる人びとの立場によって主張の内容や意味が必然的に異なってくる状況でもあります。

 

 

 

 

「社会とのつながり」に向けての具体的な一歩を踏み出さないまま家の中で過ごし続ける本人と、その生活を援助する親の利害は、基本的に、重なることのない構造のなかに組み込まれていきます。

 

 

 

 

そこでは、個別的な信頼関係で結ばれることはもちろん可能であり大切であるにせよ、「親が子どもの気持ちに寄り添うことによって子どもが安心し、エネルギーをためて生きる道を見つけていく」という言い方だけでは解消が難しいような、個別的な人間関係上の努力の範疇を超えた困難や葛藤が顕在化してくるように思われます。

 

 

 

 

もはや「子どもの気持ちになって考える」といった代表・代弁の可能性に期待することが現実的ではないこうした状況のもとで、不登校の「その後」としてのひきこもりを問うことは、支援者と利害を異にする「当事者」という存在を問うてゆくことにつながるでしょう。

 

 

 

 

「当事者」という視点の重要性を指摘するものに、中西正司・上野千鶴子の「当事者主権」(岩波新書・2003年)における議論があります。

 

 

 

 

中西・上野は、女性、障害者、子ども、性的少数者といったさまざまな社会問題の渦中にある人びとを、「当事者」の立場から発信するという視点の共通性において架橋しようとします。

 

 

 

 

そこでは、「当事者主権とは、わたしがわたしの主催者である、わたし以外のだれも・・・・国家も、家族も、専門家も・・・・わたしが誰であるか、わたしのニーズが何であるかを変わって決めることを許さない、という立場の表明である」とされるように、「当事者」という存在を代弁不可能な主張の主体として登場させることによって、それまで他の行為者によって語られ、決定されてきたことがらを、本人の手の中に取り戻すという効果に焦点が当てられています。

 

 

 

 

わたしは、このような「当事者」の視点に着目し、不登校経験者の語りの収集と分析を行いました。

 

 

 

 

不登校という社会問題の「当事者」であることは、その主題について語る特権と義務をともに持つことであり、「語りえない」ことと「語らされる」ことが同時に立ち現れてくることです。

 

 

 

 

すなわち、不登校の「その後」を生きる彼ら・彼女らは、専門家、支援者、親といった人々と利害を異にする固有の位置性を有していて、その意味で他の人びとによる代弁ではない「当事者の語り」を必要としていますが、一方で、たとえば不登校の理由語りを迫られる場合のように、特定の物語がすでに設定されたうえで、「当事者の語り」へと追いこまれるような事態にも、同時にさらされているのです。

 

 

 

 

しかしそこでは、「当事者の語り」のプラス面とマイナス面に触れてはいたものの明示的ではなく、「当事者論」という主張そのものの問い直しをなしえていませんでした。

 

 

 

 

「当事者論」を内在的かつ批判的に検討する仕事はいまだ少なく、自身のひきこもり経験を軸に在野で活動している少数のひきこもりの経験者たちが「当事者」における権利や論理の扱い方とその政治的効果について、インターネット上のブログで分析を行っているほかは、管見の範囲では見つけられていません。

 

 

 

 

以下では、「当事者論」に意義を認める立場から、「当事者に聞いてみなければわからない」として「当事者」を代弁不可能な主張の主体と見なすことにともなうリスクについて、検討してみたいと思います。

 

 

 

 

まずひとつに、語りを奪われることへの抵抗から「当事者の語り」の重要性を強調することは切実に必要だとしても、それを特権的な立場として固定化させたとき、「当事者の語り」は異論を差し挟みがたい別種の「権威」として立ち現れしまいかねません。

 

 

 

 

「当事者に聞いてみなければわからない」とすることは、ときとして「当事者の語り」をブラックボックスに投げ込み、「当事者が言うのだから間違いない」としてそれを「最後の切り札」的に提示してしまう危うさを抱えています。

 

 

 

 

こうした「当事者」の特権化や固定化は、運動の現場ではある種応急処置的に必要とされるものでありますが、それが「当事者の語り」を手段として用いようとする態度と隣り合わせであることを、自戒をこめて、心にとどめておきたいと思います。

 

 

 

 

さらには、語りへと追い込まれることの抑圧を問題化しづらいという点があります。

 

 

 

 

「理解」を差し向ける対象としての「当事者の語り」の要請は、ときとして、矛盾やずれを含みこむ丸ごとの本人の語りを否認し、「当事者の物語をこのように語れ」という別種の抑圧として経験される可能性があります。

 

 

 

 

他の立場からの語りがそうであるように、「当事者」という立場にある者の語りもまた、完了することのないリフレクシブに問い返される変化に開かれたものでなければならないでしょう。

 

 

 

 

ただし、このように「当事者」論を批判するうえでは、以下の点に留意しておきたいところです。

 

 

 

 

第一に、このような視点が意味を持つのは、一定以上の状況定義権をすでに「当事者」がもっているような、ある意味で「恵まれた」ケースに限られます。

 

 

 

 

「当事者の語り」がもつ抑圧性という側面は、存在を認識されず耳を傾けられることすらない者からすればひどく「ぜいたくな」話であろうことは確かです。

 

 

 

 

この点は「当事者」論の問題というよりも、語りを求め、解釈する聞き手側の問題として、強調する必要があると思います。

 

 

 

 

第二にこれらのことは、「当事者も他の存在と同じように処遇されるべきであり、特別な位置性などは認めない」とする立場に直結するものではありません。

 

 

 

 

「当事者のニーズ」を認め、その存在を受容しながらも、「選択の主体」としての語りへと追い込まれることを避けうるような、別個の回路は存在しうるし、それを求めてゆく必要があるでしょう。

 

 

 

 

これらのことを考え合わせたうえでなお、「当事者」の視点なるものを重視するべきだと考えるのは、繰り返しになりますが、不登校の「その後」ないしひきこもりという現象が、「当事者」が親や支援者とは異なる固有の位置性を帯びた存在であることを、可視化せずにはおかないからです。

 

 

 

 

「当事者の語り」は、不登校やひきこもりの価値を頭ごなしに否定し、やみくもな「克服」「治療」の対象とする人びとに対して対抗的であるばかりではなく、親や支援者といった共感的な伴走者でありうる人びとに対しても、ときとして、葛藤的であらざるをえないです。

 

 

 

 

そのうえで、そうした「当事者の語り」をあえて浮かび上がらせることが、前節で論じたような「ひきこもりにつながる不登校」を受容的に語る回路を創出することにも、かかわってくるでしょう。

 

 

 

 

というのも、「学校とつながる」ことにとどまらず、「社会とつながる」ことに困難を覚える「当事者」にとって、「そのままでよい、いつかは問題なく社会に出て行ける」とする周囲の者の語りは、たとえ本人の生のあり方を尊重しようという意図のもとになされたものであっても、ときとして、かえって本人の生のあり方や苦しみの内容を限定的に意味づける効果をもってしまうためです。

 

 

 

 

「働くことはつらい、けれども働かないことは、もっとつらい」と考える本人にしてみれば、単に「働かなくてもよい」と言ってみてもその困難はやみがたいです。

 

 

 

 

「社会とつながる」ことにまつわる不安や苦しみを、「本人の選んだ生き方として肯定する」というのではないかたちで受け止め、語っていくことは、「当事者」という立場においてこそ可能であり、意味あるものとなるのではないでしょうか。

 

 

 

 

もっとも、「当事者」を支えてきた支援者たちにおいても、「社会とつながる」うえでの困難は重要な主題となっています。

 

 

 

 

実際に、不登校の子どもに寄り添い、学校に行かない生き方をサポートしてきたフリースクール・フリースペースなどの「居場所」の現場では、近年になって、かつて不登校だった20代以上の人びとを対象に、就労支援や自立支援などを含めた新しい実践が模索されつつあります。

 

 

 

 

たとえば、横浜市で不登校児の学習サポートを通じた支援活動を行ってきた「居場所A」(仮名)では、創設から17年あまりを経て、大人になったかつての子どもたちのための就労支援を中心とするNPO法人への転身が図られています。

 

 

 

 

そこでは、「進学」「就職」に象徴されるような「既存の社会に出てゆく」こととは異なり、主催者によれば、「あせらず・ともに・無理をせず」「少し不安定でも、親から自立して安心して生活していけるように、理想は、作業所と保育所とシルバーマンションと病院が、同じ敷地にあるようなところ」というように、緩やかにつながっていける新たなコミュ二ティづくりが目指されています。

 

 

 

 

一方で、それを表す語りのほうは80年代後半からほぼ変わっておらず、「そのままでよい、いつかは問題なく社会に出て行ける」とするスタンスが貫かれている場合が多いように思います。

 

 

 

 

「居場所A」の主催者も「みんないつか戻っていきます。中学で行けたり、高校で行けたり、大学や専門学校で行けたり、その子その子で違うけれど、いつか自分の生き方に戻っていけるのです」

 

 

 

 

「学校が悪いとかいいとかではなく、その子の選択だと思う・・・・。命が学校に合わなかったということ・・・・。言葉にならない命で感じる部分」としており、あくまでも本人の選んだ生き方を尊重してそばで見守っていれば、いつか既存の社会とかかわりをもつようになるとする語りが保持されています。

 

 

 

 

そこでは、現実に行われている実践とそれと表す語りとのあいだに、ある種のずれが生じ始めています。

 

 

 

 

「当事者」が今あるみずからの状態をその「生きづらさ」も含めて受け止めてゆくために、実践の変化に即して語りもまた、変化させていく必要があります。

 

 

 

 

すなわち「選択の結果としての不登校を肯定する」という脱病理化の物語からも、「社会に出ていくためには、不登校であってはいけない」という主張からも距離をとった、もうひとつの語りが求められているように思います。

 

 

 

 

そうした語りが、どのようなものになるかは、まだわかりません。しかし、ヒントを見出すことはできるでしょう。

 

 

 

 

たとえば、「浦河べてるの家」における「病気」をめぐる語りがあります。「浦河べてるの家」とは、北海道浦河町にある、精神障害を持つ人びとが日高昆布の販売などを通じて自活している共同生活の場です。

 

 

 

 

そこに生活する人びとは、「カルテが履歴書」「僕の仕事は病気」と言い、幻聴を「幻聴さん」と親しみを込めて呼び、「精神バラバラ状態」「電波病」など自分で自分に病名をつけます。

 

 

 

 

「病名は、医師が診断した医学的な事実やたんなる忌まわしい記憶としてではなく、一人の人間として懸命に生きてきた証としてある」

 

 

 

 

とされるように、そこでは「病気」という一般的には克服・治療の対象とされているものが、その負の意味合いを徐々に、確実にずらされていきます。

 

 

 

 

ここに示されているのは、自信の状態を「選んだ」とはもとより言えない「病気」を抱えた人びとが、トラブルに対する無力さをも、無理・無駄とするところから新たな共同体を生み出し、病む苦しみを含めて自己を受容していく、そうした語りの立ち上がりのさまです。

 

 

 

 

そこでは、不登校の文脈では強く結びつけられていた事柄、すなわち、自己の状態を「選択の結果」として「肯定」すること、「社会に出て行ける」とすること、ありのままの存在を受容すること、という3つは、それぞれ独立に言いうるものと捉えています。

 

 

 

 

このような語りを、不登校を受容するうえで示していくことは必要なことであり、それはまた、より広くマイノリティの受容の物語と連結させていく土台にもなりうるのではないでしょうか。

 

 

 

 

不登校の「その後」は、単に進学・就職といった事柄が問題とされる事態ではありません。

 

 

 

 

それは「今ある社会に出ていく」というのではなく、「社会とつながる」ことそのものの意味を捉えなおすような契機です。

 

 

 

 

他者や集団とつながるとはどういうことか、そのありようがどのように多様でありうるか、そこに生じる不具合をどう受け止め飼いならしていくか・・・・それらを含めて見つめなおすとき、不登校について考えるということは、学校に行く・行かないを超えて、「社会とつながる」ことそのものについて考えることに近づいていきます。

 

 

 

 

このことは、不登校を病理・逸脱と捉える見識いどみ、「病気ではない、それは本人の選んだ人生なのだ」として子どもや親にもうひとつの道筋を示して見せた人びとが、「親の会」や「居場所」の創設とそこでの多種多様なやりとりを通じて抱え続け、取り組み続けた主題でもあるでしょう。

 

 

 

 

だからこそ、いま問わねばならないのだと思います。不登校を「病気ではない」とすることが「不登校でも何の問題もなく社会に出て行ける」とすることとイコールであり、そのことがすなわち、学校に行かない子どもやその親の存在をありのままに受け止めることを意味する、というその一連の含意が、いぜん強固に結びつきあっていなければならないことの必然性をです。

 

 

 

 

もしそれが必然だとするならば、不登校を「病気である」とすることがそのまま「不登校では社会に出てゆくことができない」ことを意味し、子どもや親のありのままを認めないことである、とする支配的な物語と相変わらず対をなすことになり、不登校をめぐる語りはこの2つしか存在しえないような、不毛な二項対立へと回収されてしまうでしょう。

 

 

 

 

わたしは不登校という主題をそのように矮小化してしまいたくはありません。なぜなら、不登校を経験する人々の思いは、そのどちらかに当てはめることなど到底不可能な、多様性と矛盾に満ちた豊かな広がりを持つものであり、「親の会」や「居場所」における実践も、そのことを誇りを持って受け止めたうえに成立してきたものであることを、感じずにはいられないからです。

 

 

 

 

さらにいえば、これは何も不登校の「その後」だけの問題ではないでしょう。「社会とつながる」ということを、わたしたちはしばしば進学や就職という事柄に結び付けて考えてしまいがちですから、ひきこもりやニートなど、「その後」にまつわる事柄とともにでなければ、きちんと想像することが難しいです。

 

 

 

 

けれどもおそらくそれは、不登校の渦中にある子どもを直視するなかからも、また、不登校を経由せずとも人とのつながりかたに躓きを経験する人々を見つめなおすところからも、考える必然性を充分に見出すことが可能なものであるに違いありません。

 

 

 

 

今の自分やそれがつながっていく未来のことを考えると、ひざを抱えてうずくまってしまいたくなります。

 

 

 

 

行き場のなさ、何をするにも規準なんかはありはしないのに、いつも誰かに測られている感じがします。

 

 

 

 

「よい/悪い」「正しい/間違い」の軸がゆらいでいるばかりではなく、「好き/嫌い」「快/不快」という自分自身の感覚に帰依した基準さえ、もうおぼつきません。

 

 

 

 

「社会とつながる」うえでのこうした漠然とした不安感を見つめ、受け止めてゆくひとつの切り口として、不登校を捉え返すことができるならば、不登校は子どもや親の思い悩みの深度に見合うだけの、豊かな主題であり続けられるのではないでしょうか。

 

 

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