不登校について(学校との関係)
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不登校について(学校との関係)

学校を休むと子どもが勉強についていけなくなって、心配だと考える親御さんが多いです。

 

 

 

 

心が不登校状態の子どもは学校にいても、勉強に身が入らなくて勉強どころではありません。

 

 

 

 

学校へ行っていても行っていなくても、勉強が遅れることは同じです。ところが勉強する気になった子どもは学校の勉強の遅れを短時間に取り戻します。

 

 

 

 

子どもの勉強に関しては、子どもが勉強をする気にさせることが大切で、学校へ体を運ぶことが重要なことではありません。

 

 

 

 

不登校状態の子どもが学校へ行くとますます勉強への意欲をなくしてしまいます。勉強を拒否するようになります。

 

 

 

 

それは子どもにとってたいへんに不幸なことです。子どもが学校へ行き渋っている時期には、子どもの性格がどことなく変化したと、親が感じる場合があります。

 

 

 

 

不登校になった子どもには、必ずこの時期があります。けれど多くの場合、この時期は見落とされています。

 

 

 

 

この時期から、学校を見ただけで、学校にいるだけで、学校のことを考えただけで、子どもの心はつらくなっています。

 

 

 

 

無意識に学校を回避しようとし始めています。しかし親や先生や周囲の大人たちには、子どもが学校を見ただけでつらくなるという理解できません。

 

 

 

 

理解できませんから、辛くなる子どものほうがおかしいと感じてしまいます。子どもがおかしいから、あらゆる方法を用いておかしい子どもを治し、以前と同じように子どもを学校へ行かせようと考えます。

 

 

 

 

けれども本当におかしいのは、子どもが学校を見ただけ、学校のことを考えただけでおかしくなるのを理解できない親や先生、周囲の大人なのです。

 

 

 

 

子どもは与えられた環境に素直に反応しているだけなのです。親や先生、周囲の大人たちは先入観に捕らわれて、子どもの本当の姿が見えていないだけです。

 

 

 

 

義務教育が法律で述べられています。それは子どもが学校へ行ける環境を整える義務を述べているのであって、子どもが学校へ行く義務を述べてはいません。

 

 

 

 

子どもは学校へ行く権利があるという意味であり、子どもは自分の意思で学校へ行かないこともできます。

 

 

 

 

学校へ行かないとは、学校に代わる場所にも行く必要はありません。学校と同じ勉強をする必要もありません。

 

 

 

 

不登校の子どもを持つ親御さんにとって、子どもが学年を進級できない、勉強が遅れる、学校を卒業できないのではないかと心配しています。

 

 

 

 

学校に籍を置いている限り、その学年で一日も出席していなくても進級はできます。

 

 

 

 

その学校に一日も登校していなくても卒業もできます。それは私立の小中学校についても同様です。

 

 

 

 

ですから、学校側から登校しないから、出席日数が足りないから進級させないといわれたり卒業させないと言われても、無視してかまいません。

 

 

 

 

卒業の際に、卒業文集だ、卒業写真だと、登校を求められることがあります。これも子どもがいやだと言ったら、断っても良いのです。

 

 

 

 

卒業証書も代理人がもらいにいったり、郵送してもらってもかまいません。卒業後に本人がもらいに来るようにと言われても、代理人で十分です。

 

 

 

 

高校生の場合、規定出席日数に足りないと留年、または退学になります。この場合、子どもは言葉ではいろいろなことを言います。

 

 

 

 

親としては留年してでも学校にとどまってほしい、退学しても他の学校へ行ってほしいと思うものです。

 

 

 

 

多くの子どもは本心では、退学を希望しています。留年するくらいなら、不登校をしません。

 

 

 

 

他の学校への再入学も希望しません。もし他の学校へ再入学しても、また不登校になってしまいます。

 

 

 

 

それだけ無駄な対処をして、子どもを苦しめ、親への不信感を強めてしまいます。

 

 

 

 

不登校をしていても、心に少し余裕がある子どもは規定欠席日数に近づくと、学校へ行くようになります。

 

 

 

 

この場合も、子どもが本心で学校へ行きたいと願って行くのではありません。親の気持ちを感じ取って、無理してなら行けるから学校へ行くのです。

 

 

 

 

勉強以外に大きなエネルギーを使わなければならないので、勉強にはなかなか集中できません。

 

 

 

 

体だけ学校へ運んでいるような意味合いでしかありません。ちょっとした嫌なことで、心がひどくつらくなってしまうこともよくあります。

 

 

 

 

学校生活が楽しくなるような試みがいろいろ行われていますが、それは子どもたちにとってはたいへんにありがたいことです。

 

 

 

 

どんどん広がっていってほしいと思います。その際に大切なことは、先生が考えて楽しいということではなくて、子どもたちが楽しめる必要があります。

 

 

 

 

子どもが楽しんでいるものの中から、学校生活が楽しくなるようなものが取り入れられる必要があります。

 

 

 

 

もう一つ大切なことは、ある子どもたちにとっては楽しいことが、別の子どもたちには楽しくない場合があります。

 

 

 

 

その時、楽しめない子どもたちをどうやって楽しめるようにしてあげるかも大切なことです。

 

 

 

 

校則と退学ということについて考えてみますと、基本的に子どもは校則を守ろうとします。

 

 

 

 

しかし、実際には校則を破る子どもがいます。その場合、校則自体に問題があって、子どもが校則を破るつもりではないのに、うっかり校則を破ってしまうこともあります。

 

 

 

 

また、校則自体が子どもを苦しめて、または校則以外の何かで子どもが苦しんでいて、その苦しみからの回避行動で校則を破る場合があります。

 

 

 

 

大人のように子ども自身が悪人で、悪の気持ちから校則を破ることはほとんどありません。

 

 

 

 

子どもが校則を破ったときには、校則に問題があるか、または子どもが校則を含めて何かに苦しめられていると考えなければなりません。

 

 

 

 

学校に行き渋っている子どもは本心では学校へは行きたくありません。外からの圧力で学校へ行かされています。

 

 

 

 

そこで外からの力で学校へ行かなくてもよい方法を無意識にとる場合があります。

 

 

 

 

それが髪の毛を染めるとか、ピアスをするとか、授業を妨害するとかという校則破りを行います。

 

 

 

 

このような場合、いくら親がその子どもを学校へ押し出そうとしても、学校側がその子どもを拒否することになって、親はその子どもの不登校を認めざるを得なくなってしまいます。

 

 

 

 

不登校の子どもに学校はあらゆることをして子どもを学校に来させようとします。

 

 

 

 

子どもが学校に来ることは当たり前のことであり、不登校をする子どもには問題があると考えています。

 

 

 

 

子どもを学校へ来させて問題を解決しようとします。不登校の子どもに何の対応も行わないことは学校の怠慢だと考えてもいるようです。

 

 

 

 

そのために教師が家庭訪問をします。プリントなどの出版物を届けたりします。また、同級生を迎えに行かせたりもします。

 

 

 

 

多くの親も学校が、不登校の子どもが学校へ来るようないろいろな対応をとってくれることを、教育熱心だと言って喜んでいます。

 

 

 

 

しかし、子どもは学校との関係を拒否しています。子どもの立場から言うなら、それは子どもの心を無視したとてつもなく迷惑な話です。

 

 

 

 

不登校の子どもを学校へ行かせたいと思う親にとって、学校が子どもに関わってこないことはたいへんな不満です。

 

 

 

 

けれども不登校の子どもにとってこのような学校側の態度はとてもありがたいことです。

 

 

 

 

学校に関するものがどんなに子どもを苦しめるか理解できた親にとっては、子どもに関わってこない学校のほうが、関わってくる学校よりもありがたくなります。

 

 

 

 

不登校の子どもにとって、友達は学校を連想するものですから、多くの不登校の子どもは友達に会うことを嫌がります。

 

 

 

 

それは学校を拒否するのと同じ理由です。ところが不登校の子どもの中にトラウマの反応が弱くて、時間をもてあまして友達と遊ぼうとする子どもがいます。

 

 

 

 

これらの子どもにとっては友達は自分を楽しい気分にしてくれますが、同時に学校を連想して辛い気持ちにもなります。

 

 

 

 

遊んでいる間は楽しい気分のほうが強いのですが、子どもが家に帰ると学校のことを思い出してつらくなり、時には荒れる場合があります。

 

 

 

 

先生の場合、不登校の子どもにとっては癒しの要素はほとんどありません。特に担任の先生には癒しの要素はまったくといっていいほどありません。

 

 

 

 

もしあるようでしたら、子どもは不登校をしません。先生の家庭訪問は子どもを学校へ連れて行ったと同じ効果があります。

 

 

 

 

親として子どもを守るために、場合によっては先生の訪問は断ることも必要です。

 

 

 

 

不登校、ひきこもりの子どもを持つ親が、子どもが学校や社会へ戻れないのは、子どもが人付き合いが下手だからと考える場合があります。

 

 

 

 

その人付き合いを練習するようなところへ親は子どもを連れて行こうとします。

 

 

 

 

ところが、子どもが元気だった頃は、上手に人付き合いをしていた子どもが少なくありません。

 

 

 

 

急に人付き合いが下手になったわけではありません。何か辛いことを経験して、その結果、不登校、ひきこもりの状態になるとともに、人付き合いをしようとという意欲も失っていきます。

 

 

 

 

人付き合いする気にならない状態になっています。その状態で無理やりに人付き合いを練習させようとしても、それは嫌悪刺激になるだけです。

 

 

 

 

子どもの心をかえって辛くしてしまいかねません。そのようなことをしなくても、子どもの心が元気になったら、または意欲が出てきたら、子どもはその子どもなりに上手に人付き合いをするようになります。

 

 

 

 

子どもが頻繁に学校に行ったり休んだりを繰り返している状態を五月雨登校といいます。

 

 

 

 

五月雨登校でも子どもの本心は、学校を拒否しています。五月雨登校には2つの場合があります。

 

 

 

 

その一つは、子どもが親から無理やりに行かされている場合です。五月雨登校の多くはこのかたちです。

 

 

 

 

実際には、子どもは言葉で「学校へ行きたい」と言っている場合が多いです。親はその言葉をそのまま真に受けて「子どもは学校へ行きたがっているから、学校へ行けないのはかわいそうだ」と考えます。

 

 

 

 

学校へ子どもを行かせる対応をとろうとします。それが子どもの本心に沿った対応だと考えます。

 

 

 

 

子どもは学校へ行かざるを得なくなってしまいます。もう一つは、子どもが学校内の行事や授業で、興味のあるものだけ行く場合です。

 

 

 

 

この場合は親が何もしなくても、自分から「学校へ行ってきます」と言って、学校へ自らすすんで行きます。

 

 

 

 

五月雨登校をしている子どもは、同級生の中で、学校へは行きたくないのに、無理やりに学校へ行かされている子どもたちからのいじめのターゲットになりやすいことに注意する必要があります。

 

 

 

不登校とは情動の心が学校および学校に関するあらゆるものに対して拒否反応を起こしている状態です。

 

 

 

 

その拒否反応を起こす度合いは、学校および学校に関するものにとって異なります。

 

 

 

 

学校内の保健室、校長室、図書室などの別室(教室以外)が子どもに拒否反応を強く出させるものなら、子どもは別室にすら拒否して行きません。

 

 

 

 

ところが別室が子どもに拒否反応を起こす度合いが小さいときには、親の希望を優先させて別室に登校可能な場合もあります。

 

 

 

 

「本人の希望を尊重して別室登校を応援する」という大人がいます。このとき、子どもは自分の意思で別室に行くことを希望したわけではありません。

 

 

 

 

子どもの情動の心は学校内の別室を拒否していることに変わりありません。また、意識の心も、親や先生が子どもに何の対応もとらなければ、子ども自身からその別室へ行こうと判断しません。

 

 

 

 

親や先生の希望を意識して言葉で別室へ行くことを表現しただけです。親や先生の圧力があるからやむをえず別室へ登校しているだけであり、けっして本人の希望ではありません。

 

 

 

 

親や先生が本人の希望というかたちで子どもに一生懸命になればなるほど、それは子どもの心を辛くしてしまいます。

 

 

 

 

学校内の別室に子どもの心を癒す人やものがあれば別ですが、ほとんどの場合、子どもは別室で情動の心の拒否反応に苦しんでいます。

 

 

 

 

意識の心ではなぜ自分が苦しいのかわかりません。その結果、子どもはトラウマの反応を強めていきます。

 

 

 

 

心がつらい子どもの内で、内向的な子どもはクラス内で孤立しやすいです。辛いことにも敏感になっていますから、他の子どもが叱られても自分が叱られているように感じてしまいます。

 

 

 

 

辛いことに耐えるために、模範的な良い子を演じます。一般的にはそれで疲れてしまって学校へ行けなくなると解釈されています。

 

 

 

 

無理して耐えて学校へ行っている間にトラウマを強めて不登校になってしまいます。

 

 

 

 

親や先生からは子どもの心を辛くするようなことは無かったと思いますが、心がつらくても学校へ行かされている子どもは辛いことに非常に敏感になっています。

 

 

 

 

些細なことでトラウマを学習してしまいます。外交的な子どもは、神経症状や精神症状を出すことが少ないので、子どもが学校へ行き渋ったりする割合が少ないです。

 

 

 

 

先生や親は子どもの辛さに気づきにくいです。このような子どもは遊びのかたちで弱い立場の子どもをいじめたり、人目につきにくいところでいたずらをしたり、万引きなどの非行を行っている場合もあります。

 

 

 

 

不登校の子どもが「学校へ行きたい」と言ったとき、ほとんどの場合、それは子どもの知識として学校へ行きたいと言っただけか、または親の気持ちを感じ取って言っただけで、それは子どもが学校へ行きたがっているのではありません。

 

 

 

 

不登校の子どもは、情動の心で登校を拒否しています。登校刺激をするといろいろな自律神経の反応症状が出てきます。

 

 

 

 

不登校の子どもは言葉で学校に行きたいと言っても、本心では行きたがってはいません。

 

 

 

 

子どもの言葉をそのまま子どもの本心だと理解すると、とんでもない間違いになります。

 

 

 

 

これは多くの大人が間違い続けてきたことです。子どもは大人とは違います。子どもの言葉はあくまでも知識であり、大人になればその言葉通りに行動できますが、子どものうちは情動の心で行動することが大半です。

 

 

 

 

すべてだと言ってよいほどです。そのことはまた、不登校を経験した子どもが大人になったとき、自分の不登校のことを忘れてしまっている事にも関係しています。

 

 

 

 

小学生の場合には、まれに中学生でも、トラウマが軽いために林間学校や遠足、運動会だけには参加できる子どもがいます。

 

 

 

 

この場合、林間学校や遠足、運動会の魅力のほうが学校や先生、友達を回避する力よりも強いためです。

 

 

 

 

子どもの意思で参加するのは問題ありません。親が行くなと言っても参加するようでしたら、参加してもかまいません。

 

 

 

 

ただし、状況によっては参加しないほうがいい場合もありますので、注意が必要です。

 

 

 

 

不登校の子どもが学校を変えれば登校するという場合があります。すると親は転校をさせようとします。

 

 

 

 

しかし、実際に転校をしてみると子どもはやはり学校へ行かないケースが大半です。

 

 

 

 

すると親は子どもに不信を抱き、子どもを責めてしまいます。子どもが転校したいと言ったら、それは子どもが今の学校へは行けないという意味であり、転校することで次の学校へ行くつもりであるということです。

 

 

 

 

必ず行くかどうかは別問題です。転校先の学校で子どもが受け入れられるなら、子どもは転校先の学校に通うことができます。

 

 

 

 

けれども多くの場合、子どもは学校に対して回避行動をとるようになっています。

 

 

 

 

学校にいるだけで不安になってしまいます。その結果、どのような学校でも通学できない場合が多いです。

 

 

 

 

不登校の子どものうちで新学期になったら学校に行く、新学年になったら学校に行く、進学したら学校へ行くという子どもがいます。

 

 

 

 

これらの子どもの言葉は、現在の状態では学校へ行かないという意味になります。

 

 

 

 

新学期になったら、新学年になったら、進学したら学校へ行きたいと言う、子どもの知識からの希望を述べただけで、必ず学校へ行くと言っているのではありません。

 

 

 

 

不登校になった子どもは、学校に対して回避行動をとるようになっています。その結果、どのような状態になっても、学校に回避行動をとらざるを得なくなっています。

 

 

 

 

結局、通学できない場合が多いのが現状です。

 

 

 

 

子どもが不登校の状態になったとき、親が心配するものの一つに、子どもが学校を卒業できるかどうかという問題があります。

 

 

 

 

学校も子どもが卒業できるための条件を提示して、子どもを学校へ来させようとします。

 

 

 

 

それで親は無理をしてでも子どもを学校へ行かせようとします。今までの実績では、学校に一日も行かない子どもが小学校や中学校を卒業しています。

 

 

 

 

義務教育期間では、子どもが学校に属している限り、まったく学校に登校しなくても100%卒業できます。

 

 

 

 

不登校の子どもの中には、学校に自分の足跡を残すことを嫌がる子どもがいます。親や先生は「せめて卒業アルバムだけでも」とか「せめて卒業文集だけでも」と考えますが、子どもにとっては少しでも学校と自分との関係があると辛くなってしまいます。

 

 

 

 

それゆえに基本的に不登校の子どもは卒業アルバムや卒業記念文集を嫌がりますから、載せることを断ってもいいと思います。

 

 

 

 

もちろんすべての子どもが卒業アルバムや卒業記念文集を嫌がるわけではありません。

 

 

 

 

子どもの反応を見ながら、その対応を決めれば良いだけです。学校側は、せめて卒業式だけでもと考えがちです。

 

 

 

 

子どもの中にも卒業式だけは参加する子どももいます。けれども基本的に不登校の子どもは卒業式にも出たがらないと思って対応を考えるべきです。

 

 

 

 

親が子どもの代理人として、学校に卒業証書を取りに行くのがいちばん良い方法だと思います。

 

 

 

 

特に小学校の低学年の子どもで見られますが、家の中では元気で、友達とも普通に遊んだりしますが、どうしても学校には行けないし、勉強もしないという子どもがいます。

 

 

 

 

親はどうしてこんなに元気な子どもが学校へ行くことができないのか理解できない場合が多々あります。

 

 

 

 

これらの子どもは学校にだけ反応するトラウマを持っています。トラウマとしてはまだ軽いです。

 

 

 

 

子どもは学校内にその子どもなりの喜びや楽しみを見つけられたなら、学校に行けるようになり、学校に行くことでトラウマが悪化することはありません。

 

 

 

 

子どもが学校内に喜びや楽しみを見つけられていないのに学校へ子どもを行かせようとすると、子どもはトラウマを強めて、さらに元気を失い、友達を避けるようになって遊ばなくなってしまいます。

 

 

 

 

不登校・ひきこもりの子どもがガラスを割ったり、壁に穴をあけたり、ドアを壊したり、親に暴力を振るうときがあります。

 

 

 

 

子どもは好きこのんでこれらのことをするのではありません。辛くて辛さから逃れられないから、これらの行動に出てしまいます。

 

 

 

 

子どもたちをこのような辛い刺激から隔離してあげると、子どもたちはこれらの行動を止めます。

 

 

 

 

ごく普通の子どもと考えられるような子どもがこれらの行動をしたときには、自分の辛さをより強い刺激で押さえようとする場合です。

 

 

 

 

この場合には、これらの行動を繰り返すことで習慣化して、問題児になる可能性があります。

 

 

 

 

不登校の子どもが無理して学校へ行かされているとき、子どもは絶えず嫌な刺激を受け続けています。

 

 

 

 

その結果、性格の変化を生じて、嫌な刺激に非常に敏感になっています。

 

 

 

 

その嫌な刺激に非常に敏感になっているところに嫌な刺激を与えると、子どもは爆発的なとても強い怒りの反応を示します。

 

 

 

 

暴力や破壊行動をしてしまいます。その怒りを意識的に押さえることはできません。

 

 

 

 

それを切れると言っています。子どもが切れやすいと子どもの問題点をあげる人たちがいます。

 

 

 

 

けれど切れやすい子どもたちでもいつも切れやすいわけではありません。切れやすい子どもたちでも心が安定しているとそう簡単に切れません。

 

 

 

 

心が辛い状態にあると切れやすくなるのは、大人も子どもも同じです。回避行動が爆発的に攻撃的な行動に出る状態が切れるなら、爆発的に神経症状、精神症状を出すのがパニックです。

 

 

 

 

いろいろな症状が爆発的に出て辛くなり、時には死にそうな思いをする状態がパニック状態です。

 

 

 

 

校内暴力は家庭内暴力と近い関係にあります。家庭内暴力は、親が子どもを責めないと基本的には生じません。

 

 

 

 

校内暴力は子どもが学校に行っただけ、学校内で些細な嫌な経験をしただけ、学校を見ただけ、意識しただけで生じます。

 

 

 

 

先生方は学校に問題点を感じていませんから、子どもが悪い、子どもに問題があると考えます。

 

 

 

 

けれど実際は学校で子どもの心が辛くなって、学校内で怒りの行動、暴力や破壊行動をとらせるのです。

 

 

 

 

子どもの心が学校で辛くなければ、辛い心で学校へ来なければ、安心して学校を休められたら、子どもは学校内で暴力を振るうことはありません。

 

 

 

 

不登校、ひきこもりの子どもたちに登校刺激やその他の嫌悪を与えると、子どもたちはたいへんに辛い気持ちになります。

 

 

 

 

いろいろな神経症状、精神症状を出したり、心がいらいらして暴力に走ったりします。

 

 

 

 

暴力に走れないときには自分に対する暴力、自分の体を傷つけます。自分の体を傷つけたときの痛みで自分の心の辛さを押さえて、自分を取り戻しています。

 

 

 

 

それは自分を苦しめる刺激より、痛みのほうが強いので、傷の痛みが自分を苦しめる刺激による反応を押さえてくれるからです。

 

 

 

 

手首や前腕、上腕、胸、腹などに剃刀やナイフで傷をつけます。タバコの火を手に押しつける子どももいます。

 

 

 

 

ここで気をつけなければならないことは、子どもを苦しめる刺激が強すぎて、傷の痛みを感じなくなっている場合があることです。

 

 

 

 

そのときには、子どもはもっと大きな傷を体につけて、出血から死に至る場合があります。

 

 

 

 

ためらい傷と自殺との関係です。発作的な自殺はこの仕組みとは異なります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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