一流大学から一流企業、そしてひきこもりへ
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一流大学から一流企業、そしてひきこもりへ

 

 

 

 

 

中学3年、高校3年と、わずかに登校を渋ったことがありましたが、大学へ進学し「勉強一筋」できたB君(23歳)は、いわゆる一流会社に入社後、数ヶ月で退職し、自宅で引きこもり続けていました。

 

 

 

 

 

第三者との関係を完全に絶っていた彼が、訪問面接でわたしに言った言葉を忘れることが出来ません。

 

 

 

 

 

「僕は一人称(受け身)が守られていれば、集団の中にいても困りませんでした。でも二人称、三人称(グループ化)が息苦しかったのです。

 

 

 

 

 

国語や社会なら何ともないのに、体育や音楽になると同じ授業なのにすごく苦しかったです。だから体育や音楽の先生は、あまり好きにはなれませんでした。

 

 

 

 

 

中学で幼なじみ(特定の友達)と別れた僕は、人間関係に襲われたので勉強という安全地帯に逃げ込みました。大学は気楽な独り身の生活で、アパートと大学の往復でした」。

 

 

 

 

B君は職場不安もありましたが、「卒業したら、働かなくてはいけない」と思い、採用試験を受け、学習能力の高さと「面接マニュアル」で入社しました。

 

 

 

 

 

ところが、入社早々、あいさつの仕方で同僚に笑われてしまいました。

 

 

 

 

 

そして、世間話が錯綜する休憩時間が苦痛で、仕事中のほうが気が休まりました。

 

 

 

 

 

昼休みをトイレで隠れるように過ごすことが同僚に知れると、変なやつという噂を耳にし、耐えられずに退職してしまいました。

 

 

 

 

 

人間関係づくりの基本

 

 

 

 

 

人は人なくしては生きていけません。「友達がほしい(気持ちを聴いてほしい、人とつながりたい)」という願いは、子供の、いや人間としての切なる思いです。

 

 

 

 

 

だから、人は友達の数が多ければ多いほど悩みに強くなれます。

 

 

 

 

 

長期にわたる孤独に、人はそういつまでも耐えられるものではありません。その葛藤は、ときに精神的混乱を招くこともあります。

 

 

 

 

 

「ひきこもり」を生きる彼らがイメージできない世界があります。人間関係づくりの基本は「せめぎ合って(感情交流)、折り合って(合意の形成・歩み寄り)、お互いさま(相互扶助・信頼)」です。

 

 

 

 

 

このことをあるひきこもりの青年は、「ケンカして仲直り」と言いました。

 

 

 

 

 

 

幼児期からのこの積み重ねが、人に対する信頼感を確かなものにし、人間関係を豊かなものにしていきます。

 

 

 

 

 

これが生身の体をとおして描けず、その場面に襲われると頭の中が真っ白になってしまうのです。

 

 

 

 

 

だから一度ケンカしてしまうと即、決裂となってしまい、自分の意見を譲ることは即、敗北に思えてしまうのです。

 

 

 

 

 

また、他人との対立が怖いので、集団の場は回避しがちになります。つまり人間関係の修復能力、「ケンカしても仲直りができるんだ」ということに対して自信、確信がなく、新たな人間関係を築くまでの「曖昧さ」に耐えきれません。

 

 

 

 

 

人間関係を知的に割り切ろうと感情を軽視してしまいます。

 

 

 

 

 

ひきこもる彼らは言います。「人間関係が社会のシステムの中に組み込まれ、『当たり前』に獲得できた時代は終わり、自分たちは『学ぶ』時代に生まれたにもかかわらず、そのチャンスを親世代から与えてもらえずに育ってしまった」と。

 

 

 

 

 

人間関係の希薄さは、人の命とつながることの実感を失わせ、孤独な状況を余儀なくさせていきます。

 

 

 

 

 

彼らは自らその体験の欠落を嘆くのです。

 

 

 

 

 

とりわけ、せめぎ合うことはできても、折り合うことができず、人に対して臆病にさえなっています。

 

 

 

 

 

どの子もこうつぶやきます。「ケンカして仲直りする方法や、その体験を知っていれば、これほどまでに人間関係の場(仲間集団を形成する学校や職場)を恐れることはなかった」と。

 

 

 

 

 

一人称で「思いどおり(自己中心的)」に生きてきたので、人と触れ合ってこそ知る思いやり(気持ちを聴く)という能力も育っていません。

 

 

 

 

 

さらに、絡み合いが希薄なため、「自己肯定感」が乏しく、常に「自分探し、優しさ探し」という言葉に酔いしれてしまうのです。

 

 

 

 

 

自己肯定感の獲得は、すべて他人とのコミュニケーションの積み重ねです。

 

 

 

 

 

互いに声をかけあうことで、人は、「相手にされている」「あきらめられていない」という喜びを抱き、自分を対象化できます。

 

 

 

 

 

他人と絡み合ってこその肯定感なのです。

 

 

 

 

 

人間関係をあきらめることなく、「せめぎ合って、折り合って、お互いさま」していく努力が「生きる証」となるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

ケンカしても仲直りできるコミュニケーションを

 

 

 

 

 

なぜ、わたしたちは人間関係にあきらめやすい社会を、子供たちに相続してしまったのでしょうか。

 

 

 

 

 

昭和40年以降、日本社会は高度経済成長のなかで、そのライフスタイルを大きく変化させました。

 

 

 

 

 

まず、経済発展に支えられた「強迫社会」は、子供たちに十分に人と接する時間を与えず、わき目もふらず「有名校合格」へと突っ走らせました。

 

 

 

 

 

周りの大人が期待する「評価」を「納品」するために、子供たちは人と関係を築き、品よく片付けていくしかありませんでした。

 

 

 

 

 

これが「合理的人間関係」あるいは「功利的人間関係」です。

 

 

 

 

 

さらに、偏差値教育は常に人の評価(目)を気にし、テストの点数では推し量れない人間関係のアバウトさに耐えられる力を育てきれなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

また、「ひきこもり」の親の世代は、戦前、戦中、戦後の地縁、血縁の「わずらわしい人間関係」を軽視し、戦後民主的、「個性尊重核家族化」の波のなかで、一人称ライフスタイルを横行させ、人間同士の相補的関係を次の世代に継承できなかったようにわたしには思えます。

 

 

 

 

 

30歳代後半にもなるひきこもる若者との出会いを重ねてきて、この状況をわたしは「非常に厳しい」と思います。

 

 

 

 

 

わたしたち一人ひとりは孤立した無縁な存在ではありません。

 

 

 

 

 

いま大切なことは、学校のみならず地域、とりわけ家庭においても、子供たちに人と絡み合う喜びを群の復活とともに伝えることです。

 

 

 

 

 

ケンカして仲直りできるコミュニケーションを「当たり前」の生活の中でつくりだし「生きる力」を育てることです。

 

 

 

 

 

「ひきこもり」の孤独感を抱え、来談する親子がともにあこがれる日本映画があります。

 

 

 

 

 

「男はつらいよ」の世界です。この映画の中のケンカしても仲直りできる濃密な人間関係、それは、「ひきこもり」に苦悩する親子が求めながら得ることの出来なかった「理想郷」なのです。

 

 

 

 

 

人間関係は途中に休息やインターバルはあったとしても、生涯のおつきあいです。

 

 

 

 

 

そう実感できるから、人をあきらめないで信じることもできるし、粗末な関係を重ねてしまったと省みることもできます。

 

 

 

 

 

それは、この町、この関係から、わずらわしく、うっとうしく、あいだで休んだとしても、最終的には逃げないという覚悟です。

 

 

 

 

 

逃げられない、見限らない、見捨てないなら「言いたいことを言い」つつ、「せめぎ合って」も「折り合う」道筋を互いに模索するしかありません。

 

 

 

 

 

そのとき「人は独りで生きているのではない」ことに気づくのです。

 

 

 

 

 

「お互いさま」で存在していることに、あきらめでもなく、なぐさめでもなく、開き直りでもなく気づけるのです。

 

 

 

 

 

それがあってこそ肯定感です。希薄な人間関係とは、その営みを育てなかったツケなのです。

 

 

 

 

 

あまりにもうっとうしかった、かつての地縁・血縁社会への反動が、極端に人間関係を「すっきり、さっぱり、さわやかに」ドライにさせてしまったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ときに「男はつらいよ」に抵抗する来談者もいます。でもその多くは、「ケンカして仲直り」することのなかった、悲しく寂しいこれまでを思い出すからです。

 

 

 

 

 

ある六十路を手前にし、ひきこもる二十歳代の息子を抱えた母であり、妻である来談者が、切なくつぶやきました。

 

 

 

 

 

そのひと言を紹介します。「ケンカできる夫婦がうらやましい」

 

 

 

 

 

夫婦を「家庭」「親子」「向こう三軒両隣」「職員室」「クラス」へと置き換えていったらどうでしょうか。

 

 

 

 

 

手間暇かけた人間関係を「間」をとりながら、一緒に歩みましょう。

 

 

 

 

 

「不登校・高校中退・引きこもり」の若者たちは、そんなメッセージを引きこもりつつも、投げかけているようにわたしには思えてきます。

 

 

 

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