フリーターについて
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フリーターについて

 

フリーターをやっている若者が持っていて、大人が持っていない武器は「若さ」です。

 

 

 

 

若さという因子は、若者自身にとっても、また大人たちも、特権的価値であるかのように考えています。

 

 

 

 

たしかに若いということは、多くの可能性を秘めているという点で、価値があるように見えます。

 

 

 

 

他の諸条件が同じなら、若い方が尊ばれるのが近代以降の普遍的価値観です。早い話が、18歳で大学に入れれば、普通ないしは優秀ですが、12歳で大学に入れれば、これは超優秀ということになります。

 

 

 

 

また収入と若さの関係も同様です。400万円の年収を、15歳で得たとしたら大威張りですが、50歳だと、いささか苦しいです。

 

 

 

 

フリーターという生き方が比較的抵抗なく営まれているのも、この理屈によります。

 

 

 

 

企業側にとって、フリーターのメリットは低コストという点ですが、それは若さによって保たれています。

 

 

 

 

ですが、収入が少なく、その低収入ラインの維持さえ不安定な男性は結婚することがきわめて困難になると思われます。

 

 

 

 

若くて結婚を考えないうちはいいですが、いざ結婚を望むような状況になりますと、フリーターであることは、大きな障害となります。

 

 

 

 

一方、女性の場合は、これまでは専業主婦として家庭にはいるという選択肢が、むしろサラリーマン夫婦にあっては一般的だったので、女性フリーター変じて「家事手伝い」と称するようになり、実際には家事をしたことがなくても、あたかも専業主婦としての技量を備えているかのごとくに装って結婚するという道筋がありました。

 

 

 

 

実際わたしの知人にもそういう女性がいました。彼女は自宅住まいで、派遣コンパニオンのアルバイトをしながら、素人劇団に属し、女優になりたいという夢を持っていると語りました。

 

 

 

 

そして、こうも言いました。「でも、26、7歳になったら、結婚相手を見つけないと。

 

 

 

 

それより遅くなるとやばいでしょ。お金持ちのお医者さん、紹介してくれない?」と。

 

 

 

 

パラサイトシングルの命名者である山田昌弘氏は、収入がそこそこある男性の数には限りがあり、また男女雇用機会均等法と長年の男女平等教育の「成果」で、結婚後も妻が仕事を続け、一定以上の収入があることを求める男性が、増えていると指摘しています。

 

 

 

 

そういわれてみると、わたしの友人にも、医者同士の夫婦が多いです。また文筆業の友人では、夫婦そろって文筆家というケースが多いです。

 

 

 

 

とはいえこれは、夫が妻にも収入を望んだ結果ではなく、男女平等社会で価値観の共有できる結婚相手を選ぶと、自然に職業を共にする「同志」的相手を選ぶことになるためではないかとも思われます。

 

 

 

 

昔は、貧乏な作家を妻が内職して支えるといった美談(?)が聞かれましたが、今時は、そういう理解のある女性はほぼ存在しません。

 

 

 

 

というよりは、それだけ夫の文学に対して理解のある女性は、内職をしないで自分でも文筆に取り組むのです。

 

 

 

 

それが現在、バブル時代の「三高」に代わって、結婚の条件のトップに躍り出た「価値観の一致」というものでしょう。

 

 

 

 

同じ職業意識や職業適性を持っている者同士が、互いに尊重しあえる夫婦関係を築いているのです。

 

 

 

 

わたしはこれを「ホモソーシャル夫婦」だと考えているのですが、論旨がずれてしまうのでここではふれません。

 

 

 

 

すると「若いときはパラサイトシングルで好きなことをして、あとは結婚して一生、夫にパラサイト」と言う女性と「価値観が一致」する男性というのは、どういう男性なのでしょうか。

 

 

 

 

ちょっと心配ではあります。結局男性であれ、女性であれ、社会的にも自分を磨かなければ、結婚相手の獲得も難しい時代になりつつあります。

 

 

 

 

話をフリーターに戻しましょう。若いうちは、正規雇用者の賃金も比較的低水準に抑えられています。

 

 

 

 

終身雇用制度や年功序列賃金体系が崩れてきているので、正規雇用者が安定しているとは一概にはいえなくなってきているのは事実です。

 

 

 

 

しかし企業側にしてみれば、有能な人材は長期的に確保しておきたいので、そういう人材は正規雇用に組み入れたがるし、採用してみて本当に優秀だったならば、当然リストラされることもないし、給与も上がるのです。

 

 

 

 

フリーターの定年は、すぐにやってきます。厚生労働省の定義に立ち返ってみれば、35歳以上の非正規雇用者は、もはやフリーターではありません。

 

 

 

 

それでは社会的にどのように見なされるかというと、正規雇用に移行することが難しい、中年の未熟練労働者として扱われることになります。

 

 

 

 

かつて山一證券という大きな会社が経営破たんしたとき、社員の再就職が問題になりました。

 

 

 

 

スペシャリストとしての経験や資格を持っている人びとを除く大多数のゼネラリストは、35歳を上限として、自分の希望する業種・給与での転職は、きわめて困難だったといわれています。

 

 

 

 

優秀といわれる大学を出、一流といわれた企業で働いた経験のある人びとでさえ、そうだったのです。

 

 

 

 

フリーターにとって「若さ」に価値があるということは、逆言すれば若くなくなった時点で、フリーターは無価値になるということです。

 

 

 

 

特別な経験や資格を持たない人間が、若くなくなったとき、当人はこれまでと同じ時給でかまわないと考えていたとしても、企業の側は間違いなく、若いフリーターを選ぶでしょう。

 

 

 

 

ただ「若い」というだけの理由で・・・・。考えてみてほしいのは、あなたが18歳のアルバイト店員だったとして、同じ職場に50歳のアルバイト店員がいたら、どうなるでしょうか。

 

 

 

 

ふたりは立場も時給も同じです。しかし、どう見ても重い商品を運ぶのは若くて丈夫なあなたのほうが得意そうです。

 

 

 

 

フットワークも若いあなたのほうが断然軽いです。したがって自然ときつい仕事はあなたに回ってきます。

 

 

 

 

時給は同じなのに、あなたのほうがより多くの仕事をしなければならない羽目になります。

 

 

 

 

「あのおじさんとは組みたくない」という意見が、若手たちから出てきます。もちろん、年長のフリーターが特別な技術とか知識とかを持っていて、あなたがそれを学びたいと思っているなら話は別ですが、そうではないのです。

 

 

 

 

ただ、ずっと同じように、その日に頼まれてやってきた別の人間でも誰でもできる単純な仕事を、やってきただけの年長者なのです。

 

 

 

 

あなたが若者なら、こういう人を尊敬できるでしょうか。また、あなたが経営者なら、そういう大人を、雇いたいと望むでしょうか。

 

 

 

 

フリーターのまま、一生を暮らすというのも、たしかにひとつの選択肢かもしれません。

 

 

 

 

ですが、年次を積むことによって昇給するわけではなく、しかも、いつでもより若くて安価に使える別のフリーターに職を奪われる危険にさらされながら、中年以降もフリーターをやり続けるというのは難しいことです。

 

 

 

 

20代では、フリーターと正規雇用者の収入格差はさほどでもありませんが、30代、40代になってくると、確実に差は大きくなっていきます。

 

 

 

 

正規雇用者なら、家族手当や住宅手当もつきますし、有給休暇もありますが、フリーターではそうした保証や手当ては期待できません。

 

 

 

 

したがって、結婚をして家庭を持つことが非常に困難になります。20代のうちなら、正規雇用者でも未婚者は多く、表面上、両者の違いはさして目につきません。

 

 

 

 

ですが、30歳前後になって結婚をしたいと考えるようになっても、経済的な事情からそれができないとなると、それはかなり不自由な立場といわざるを得ません。

 

 

 

 

もっとも、このようなシミュレーションは、まだまだフリーターの耳には、届かないかもしれません。

 

 

 

 

なぜならフリーターは、「今の自分は仮の姿であって、10年後、20年後には、別のことをやっているはずだ」と考えているからです。

 

 

 

 

しかし、その「別のこと」はどこにあるのでしょうか。また、「やりたいこと」がみつかったとして、フリーターをやっていることと「やりたいこと」は、どのように結びつくのか・・・。

 

 

 

 

その「やりたいこと」を「やる」ために、フリーターという時期を過ごすことは、必要不可欠なのでしょうか。

 

 

 

 

フリーターをしている人びとに、フリーターとして働くことのメリットは何だと思うかを尋ねました。

 

 

 

 

返ってきた答えの主なものは、

 

 

 

 

1、自由な生活がしたい

 

 

 

 

2、夢を追い続けていたい

 

 

 

 

3、多くの仕事を体験してみたい

 

 

 

 

4、スキルを身につけたい

 

 

 

 

というものでした。逆言すれば、フリーターにとって、正社員とは、自分の生活を他者(会社)によって管理されて自由がなく、夢がなく、単調な仕事をさせられ、スキルが身につかないと思われていることになります。

 

 

 

 

この認識は、はたして正しいのでしょうか。たしかに正社員の場合、毎日、仕事をしなければなりません。

 

 

 

 

会社に拘束される時間が長く、その分、自分の自由になる時間は短くなります。

 

 

 

 

フリーターなら、仕事をする時間を選ぶことができます。ただし、フリーターであっても、労働をしている以上は勤務時間は労働に縛られるのは、正社員と同じです。

 

 

 

 

そして労働時間についての選択権をもっているのは、フリーター側ばかりではありません。

 

 

 

 

雇用する側にとっては、フリーターは雇用の調整弁として、非常に利用しやすいのです。

 

 

 

 

現在、フリーター人口が増大している背景には、フリーターを志向する若者が増えている一方、雇用する企業側にもメリットがあることをも、意味しています。

 

 

 

 

実際、1992年以降、正社員の募集は現象の一途をたどっていますが、アルバイトの需要は逆に増えています。

 

 

 

 

一見すると、需給のバランスが取れているようにみえるかもしれません。しかし一致しているのは、「働く時間を限定したい」というフリーター側の要求と、「経費を削減したい」という企業側の要求です。

 

 

 

 

フリーターが、高収入を得たいので長時間の労働をしたいと考えても、そうした職を確保するのは非常に困難です。

 

 

 

 

しかもフリーター人口が増えるということは、フリーターの労働単価が、将来、ますます下がる可能性が高いことを意味しています。

 

 

 

 

実際、フリーターをしている若者のなかには、当初からそういう生き方(勤務形態)を希望したわけではなく、就職試験を受けたものの希望の職種に就職することができず、しかたなくフリーターをしているという人も多く、将来への不安を抱えています。

 

 

 

 

ここで、フリーターのデメリットを考えてみましょう。

 

 

 

 

1、収入が少ない

 

 

 

 

2、社会保障が受けにくい

 

 

 

 

3、長期的な人生設計を立てるのが困難

 

 

 

 

4、比較的単純な労働にしか関われない

 

 

 

 

5、専門的なスキルが身につきにくい

 

 

 

 

などがよく指摘されるところです。このうち、4と5は、フリーター自身が考えている「スキルを身につけたい」「多くの仕事を経験したい」というフリーターのメリットと矛盾します。

 

 

 

 

実態としては、いったいどちらが本当なのでしょうか。「本当にやりたい仕事を探すためには、フリーターはいちばんいい方法だ」という意見もあります。

 

 

 

 

「フリーターをやっていると、いろいろな仕事を経験できるから楽しい」という意見も、実際、よく聞きます。

 

 

 

 

それでは「いろいろな仕事」とは何でしょうか。接客、経理、営業、製造、販売などという「仕事」は、ひとつの会社にいても経験できます。

 

 

 

 

電鉄系百貨店に勤務している友人(正社員)が教えてくれたのですが、そのデパートでは、新人研修として店内の各売り場で「見習い」をするだけでなく、系列の鉄道会社の駅で勤務をしたり、電車乗務研修も受けたといいます。

 

 

 

 

たしかにフリーターは、特定の企業に勤めているわけではありませんから、さまざまなところで働くことになります。

 

 

 

 

しかしその職務内容には、一定の傾向があるはずです。コンビ二でバイトをしたあと、居酒屋に勤め、それを辞めてスターバックスで働いて、つぎは・・・・。

 

 

 

 

そうやって多くの「職場」を体験はできても、その人が経験できる職務内容は、おのずから限界があります。

 

 

 

 

なぜなら、会社としては、フリーターに任せられる職務内容には限界があるからです。

 

 

 

 

もちろん今では、人件費削減のために、リストラを進めて、正社員を減らしていますから、そのぶんは、できるだけ多くの仕事を非正規雇用者に任せる企業が増えています。

 

 

 

 

ですが、彼らに任せられる仕事は、企業の中核業務にはかかわりのない「非正規雇用者に任せられる仕事」に限定されています。

 

 

 

 

「本当に自分にあった仕事」を探そうとしている若者が、「いつでも置き換え可能な人員」として扱われ、限定された仕事にしか関われないのは、一種の悲劇です。

 

 

 

 

また、「本当の自分」として「自由」に生きたいと希望している若者が、没個性的なマニュアルどおりに行動することを求められ、お客さんの前で見せる笑顔までも、マニュアルによって規定されるというのは、なんとも痛ましいです。

 

 

 

 

それをしも「いろいろな仕事」といえるでしょうか。フリーターは「親の心子知らず」を絵に描いたようなものだ、という意見があります。

 

 

 

 

苦労して育て、学校を出したのに、その後も定職に就かず、親のすねをかじり続けているとなれば、親は困惑するだろうし、経済的にも苦しくなります。

 

 

 

 

しかし、あるフリーターは、「それは逆です」と教えてくれました。「親の心がわかってしまったから、フリーターになるしかなかった」のだと・・・・。

 

 

 

 

彼の話をまとめると、以下のようになります。小さい頃は、父親を尊敬していました。

 

 

 

 

大きな会社に勤めていて、テレビでその会社のコマーシャルが流れるのを見ると、誇らしい気持ちになりました。

 

 

 

 

母親は「お父さんみたいにならなくちゃ」と言っていたし、自分でも父のようになりたいと思っていました。

 

 

 

 

ところが中学生になり、高校受験の頃、父の口から「誰のためにこんなに苦労していると思ってるんだ」

 

 

 

 

「お前らに、俺の苦労がわかるものか」という言葉が出るようになりました。その頃、昇格して、ますます忙しくなり、イライラしていたのかもしれません。

 

 

 

 

帰りも遅くなりました。めったに顔を合わさず、会えば説教をされました。それまでもそうだったのかもしれませんが、子どもだったから気がつかなかっただけかもしれないけど・・・・。

 

 

 

 

とにかく、そういう父親が嫌いになりました。それまで、父親は仕事が好きで、誇りを持ってがんばっているんだと思っていました。

 

 

 

 

だからこそ、「自分も立派なエリートサラリーマンになりたい」と思っていました。

 

 

 

 

ところが、父親は仕事が嫌いなのに、家族のために我慢して働いているのだといいます。

 

 

 

 

そう言って、家族に当たるのです。父親のことを痛ましく思いました。そんな働き方をしてほしくはなかったし、自分もしたくない、とつくづく思いました。

 

 

 

 

父親を尊敬していただけにショックでした」だから高校は、両親の望む進学校に合格しましたが、勉強に身が入らなくなり、大学はレベルを落とすことになりました。

 

 

 

 

そして大学卒業の時期になると、一応、就職活動をしましたが、途中でやめてしまいました。

 

 

 

 

そして今は、フリーターとして働いています。「親の苦労が身に沁みてますからね。

 

 

 

 

ああいう形ではたらくのは、どうしても嫌だった」と、彼は言います。「だから、サラリーマンにだけはなるまいと思いました。

 

 

 

 

自分に合った仕事というか、生き方を探したい」と。彼の話には、身につまされるところがありました。

 

 

 

 

わたしは自分の父親のことを思いました。わたしの父親は自営業者で、小さな会社を経営していました。

 

 

 

 

わたしの記憶のなかの父親は、いつも忙しく働いていました。どうやらこれは、わたしが生まれる前からだったらしいです。

 

 

 

 

祖父は父親が高校生のうちになくなったため、父親はまだ高校生だったうちから祖父の会社を引き継ぎました。

 

 

 

 

二男でありながら、18歳で家長の責務を負わされた父親は、医学部や薬学部に進学していた兄姉の学費や生活費の仕送りをし、後に控えていた妹2人も大学を出させました。

 

 

 

 

わたしが幼かった頃は、ちょうど高度経済成長期で、父親の仕事も順調のようでしたが、それだけにともかく忙しかったようです。

 

 

 

 

わたしは「父親のようにはなりたくない」とは思いませんでしたが、自分が「父親のようにはなれない」であろうことを、かなり早い時期から自覚していたように思います。

 

 

 

 

ですからわたしの将来設計のなかには、「いざとなったら親の仕事を継げばいい」という選択肢はなかったのです。

 

 

 

 

わたしは自らの手でモラトリアムを切り上げる必要がありました。彼は今でも父親のことが好きだといいます。

 

 

 

 

「バイトでも働いてみて、親のありがたさはいっそうよくわかりました。親には感謝しています。

 

 

 

 

だけど、父親と同じことをしたら、結局は自分は父親よりも、ずっと悪い父親になってしまいそうです。

 

 

 

 

そうではない生き方、それを見つけるのが今の自分の仕事だと思います」

 

 

 

 

危機を回避するためのモラトリアムは、しかし再延長によってモラトリアムそれ自体が危機となる、と経済学者のシェムペーターが「景気循環論」(1939年)のなかで指摘していたことが、ふと頭をよぎりました。

 

 

 

 

ですが彼は、もしかしたら再延長のモラトリアムの末に、自分なりのライフスタイルを、確立するのではないかとも感じました。

 

 

 

 

そうであってくれればいい、とわたしは切実に思っています。すべてのフリーターが、消極的な理由から、何となくフリーターをしているわけではありません。

 

 

 

 

大きな夢を持っていて、その夢を追い続けるためにフリーターをしているという人びとも多く存在しています。

 

 

 

 

フリーターには大きく分けて2つのタイプがあります。ひとつは「決められないフリーター」であり、もうひとつは「決めつけるフリーター」です。

 

 

 

 

若者たちと接していて、おぼろげながらそんな実態が見えてきました。モラトリアムを延長しながら、自分に合った道を模索し続けるフリーターが「決められない若者」だとすれば、もう一方には明確な目標を持った若者がいます。

 

 

 

 

後者はちょっとばかり立派そうに見えます。世間でも、同じフリーターでも、「何となく」フリーターをしている者には批判的ですが、何らかの目標をもっている若者に対しては、わりあいに好意的な大人が多いです。

 

 

 

 

「いいじゃないか。夢を追えるのも才能のうちだよ」などという意見まであります。

 

 

 

 

また、この「目標」ないしは「夢」の有無を分岐点にして、フリーター同士のなかでも、階層分化、階層対立があるようです。

 

 

 

 

具体的な目標を持っていること自体が、彼らのあいだでは、一種のステイタスとして機能しているようです。

 

 

 

 

もっとも、あまりに現実離れした「夢」は、揶揄の対象になったりするようですが・・・・。

 

 

 

 

ですが、目標があっても、その目標にいつまでも到達できなければ、実質的にはモラトリアム再延長と変わりません。

 

 

 

 

彼らは「決められない」段階はクリアしましたが、今のところは、まだ「決めた」のではなく「決めつけた」のに過ぎません。

 

 

 

 

だから結局は、また「決まらない」のです。本当に「決まる」ためには、相手(会社なり、独立なり、アーティストとしての成功なりを認めてくれる相手)の同意なり承認なりがなければなりません。

 

 

 

 

職業として成功するためには、一定以上の他者の評価が必要となります。同意なしの決定は、「決めつけ」なのです。

 

 

 

 

決めつける若者、ここにフリーターの、もうひとつの苦悩があります。もちろん「決めつけ」たことを出発点として、努力を重ねて成功にいたるケースもあります。

 

 

 

 

成功者は、必ずこの苦難の道筋をたどった(人によって、長くさまよう努力家もいれば、あっさりとかけ抜ける天才もいます)。

 

 

 

 

目標を持って生きることはすばらしいという近代の個人主義的理想は、前近代の身分制度を乗り越える過程では、必要なイデオロギーでした。

 

 

 

 

ですが、誰もが自分が就きたい職業に就けるわけでもないというのもまた、厳粛な事実なのです。

 

 

 

 

それでも若者たちは「仕事」への純粋な想いを口にします。「やって楽しいと思えることを、仕事にしたいです。

 

 

 

 

仕事自体を楽しいと感じられない人生はつまらないと思います」「やっていて、それが生きがいになるような仕事がしたいです。生きがいになるような仕事に就けば、自分はとてもがんばれるはずです」

 

 

 

 

「好きでもない仕事をして、ただ日々の生活のためのお金を稼ぐ、それで満足できる人はかまわないかもしれないけど、それだと人間的な成長がないし、充足感が得られないのではないかと思います」

 

 

 

 

それほどに憧れる「夢の仕事」を自分のものとするために、彼らはどのように取り組んでいるのでしょうか。

 

 

 

 

また周囲は、彼らをどのように遇しているのでしょうか。夢を追う若者に対して、大人が言うことはだいたい決まっています。

 

 

 

 

そんな、やりがいがつまっているような仕事はごくわずかしかない、例外でしかない、本当に自分のやりたいことをして食べていけるのは、ごく一部の才能のある人、いわば選ばれた天才だけだ、ふつうの人たちは、我慢しながらこつこつと仕事をして家族を養ったり、日常生活のなかにささやかな幸せを見つけていくものなのだ、と。

 

 

 

 

しかしこれは、「自分は選ばれた天才かもしれない」と信じ込んでいる若者に対しては、なんの説得力も持たないでしょう。

 

 

 

 

若者たちは、「自分こそはその例外的な成功者になるのだ」と信じているわけですから。

 

 

 

 

「なぜなら自分には才能があるのだから」と。現在マンガ喫茶でアルバイトをしている特撮マニアのD君(28歳)は、漫画家もしくはアニメ原作者を目指しています。

 

 

 

 

子どものころからアニメが好きで、中学生の頃に「アニメーター」という仕事があることを知ってからは、それになりたいと考えていた時期もあるといいます。

 

 

 

 

彼は自分の志望進路をめぐって、親と何度も衝突しました。中学・高校時代には、大切にしていたアニメ雑誌を親に勝手に捨てられてしまい、自室に鍵をつけました。

 

 

 

 

親は大学受験を押し付けてきました。何校か受験し、合格したところもあったので、一度は入学したものの、まもなくつまらなくなって行かなくなってしまいました。

 

 

 

 

そうやって大学に2年間在籍した後、親がとうとう折れたので、行きたいと思っていた専門学校でアニメの勉強をすることになりました。

 

 

 

 

しかし卒業後、希望していたような形でのアニメ製作会社からの求人はありませんでした。

 

 

 

 

そのころは「アニメーターは自分で作画をできるわけではなく、ストーリー作りに携われるわけでもないとわかったので、原作者になりたいと思うようになっていました」といいます。

 

 

 

 

そこで今では、フリーターをしながらマンガ同人誌を発行しています。「絵よりもストーリーのほうが好き」なので、絵が得意な仲間と組んで作品をつくっています。

 

 

 

 

同人誌はコミケで販売し、そこそこの人気があるらしいです。ですが、それだけで生活が成り立つほど売れるわけではありません(一説によりますと、いまやコミケ市場は、かなり大きくなっており、同人誌マンガ家といえども、それだけで十分に生活できる人もいるそうです)。

 

 

 

 

また、期待したようには、商業出版社から声はかかりません。D君は「親が理解がない」と何度かこぼしていました。

 

 

 

 

「もっと集中できる時間さえあれば、自分は成功していたと思います。だけどあれこれ無駄な労力を費やしているうちに、こんな歳になってしまいました。

 

 

 

 

マンガの世界では、この歳ではもう年寄りですよ」と。「自分は無理解な親に才能をつぶされた」とまで言いました。

 

 

 

 

彼の言い分を、そのまま鵜呑みにしてううものかどうか、わたしは判断に苦しみました。

 

 

 

 

そもそも才能とは、何でしょうか。才能は、具体的にはどうやって測ればいいのでしょうか。

 

 

 

 

極端に下手だとか、誰が見ても明らかに天才というレベルなら、悩むことはありません。

 

 

 

 

問題は、そこそこに上手だ、という場合です。それがプロとして通用するかどうかの判断は、きわめて難しいです。

 

 

 

 

これまでプロデビューしていないのは、才能が足りないからではないのか、とも思えます。

 

 

 

 

ですが、プロとして立つためには、才能以外に運も大きく作用しますし、努力も必要です。

 

 

 

 

努力は活動に費やした時間に比例する傾向がありますから、その意味では他のことに時間を費やしたことはマイナスだったかもしれません。

 

 

 

 

ですがそれをもって自分の不成功の責任を、親に着せてもいいのでしょうか。ふと思いついて、わたしは「どうして専門学校進学を反対された時点で、家を出なかったのですか」と聞いてみました。

 

 

 

 

「家を出ちゃうとかえっていろいろ面倒なことを自分でやらなくちゃならなくて、結局、時間がなくなっちゃうから」というのが、その答えでした。

 

 

 

 

厳しいようですが、「時間がない」と言ってあきらめてしまえる人、「しょうがない」と言って挫折から立ち直れない人は、そのことをもってやはり才能がなかったのだといわざるを得ないのではないでしょうか。

 

 

 

 

いやしくも才能とは、その程度の外的要因で放棄してしまえるようなものではありません。

 

 

 

 

何があろうと、どんなに邪魔をされようと、ときには弾圧されて生命の危機に脅かされようとも、やめることができないのが本当の才能だとわたしは思います。

 

 

 

 

ときには「もうやめたい」という本人の意思に反してさえ、才能はその人に仕事を続けることを強いるものなのではないでしょうか。

 

 

 

 

だいたい、自分個人の「夢」を追うのに、親が協力しないというのは、自然なむしろ世間の大多数の成功者も一度は経験する事態ではないかと思います。

 

 

 

 

その点で、こういうことも考えられます。自分の親を納得させるのは、自分の「才能」を確認する初期ステップのひとつである、と。

 

 

 

 

よく知られているように、手塚治虫は若くして才能を発揮したマンガ家で、登場と同時にすぐ人気漫画家になりました。

 

 

 

 

 

そして死ぬまで、第一線で活躍し続けました。それでは手塚治虫は、恵まれた環境で周囲の協力を得ながら、その才能を開花させたのでしょうか。

 

 

 

 

彼は子どものころから絵が上手でした。それにストーリー作りの才にも恵まれ、旧制中学時代には、すでに同級生たちはもちろん、教師さえも彼のマンガには一目おいていたそうです。

 

 

 

 

ですが手塚は、子どもの頃からマンガだけを描いていたわけではありませんでした。

 

 

 

 

親は何度も手塚少年にマンガを禁じたし、教師も彼の才能は理解していても、「マンガなどに熱中するのは非国民だ」と叱責しました。

 

 

 

 

時代は太平洋戦争の最中でした。

 

 

 

 

学校では軍事教練や軍需工場への勤労動員が課せられ、マンガどころか教科書を読んでいてさえ「国策協力より自分の勉強を優先させる非国民」と陰口をたたかれた時代。体力のない手塚少年には、辛い日々でした。

 

 

 

「時間がない」「親や周囲の協力が得られない」という点では、手塚治虫は今時の若者よりも、ずっと不遇でした。

 

 

 

 

しかも手塚は、医学部進学を強要されました。これには戦時下という状況が影を落としていました。

 

 

 

 

当時は、兵役年齢に達した男子は、ほとんど誰もが兵隊として戦場に送られることになっていました。学生には兵役猶予の特権がありましたが、戦況の悪化とともにこれも順次廃止されました。

 

 

 

 

ただ、医師は軍医として必要なので、最後まで徴兵猶予されましたし、卒業後は軍医になれるから、ただの兵隊として前線に送られるよりはましだと考えられたのでした。

 

 

 

 

これが病弱だった手塚自身の希望だったのか、それとも親の考えた道筋だったのかは分かりません。ともかく、戦時下、マンガを禁じられた手塚は、医学生となりました。

 

しかし、本当の才能とは、そういう悪条件をものとはしないものなのです。

 

 

 

 

禁じられて止められるものではありません。それどころか、自分で止めたくても止められない。

 

 

 

 

時間がなければないなかで、ますます磨かれてゆくのが才能です。

 

ちなみに手塚治虫は戦後すぐ、昭和二十一年にはプロの漫画家としてデビューしていますが、それは彼が大阪大学医学部に在学していた頃のことでした。

 

 

 

 

手塚は二十二年にはマンガ『新宝島』(原作・酒井七馬)で四十万部を売り上げ、その後もヒットを飛ばし続けましたが、しばらく学生と漫画家の二足の草鞋を履いた生活を続けています。

 

 

 

 

そして昭和二十五年には『ジャングル大帝』、翌年には『アトム大使』の連載を開始。手塚は既に人気漫画家として押しも押されもしない存在になっていました。

 

 

 

 

そして昭和二十八年には、手塚は多くの高名な日本画家を要する関西画壇のなかで、高額所得者第一位にランクされました。

 

 

 

 

もはや漫画家として食えるどころか、大金持ちといってもいい存在になっていたのです。

 

 

 

 

それでも手塚は、医学部を辞めませんでした。この間に手塚は、大学を卒業し、医師国家試験に合格、さらに大学で研究を続け、博士号を取得しています。

 

 

 

 

そのために手塚は、多大な時間を費やさなければならなかったはずですが、その間も彼はマンガを描き続けていました。それも膨大な量と質を保ちながら。

 

 

 

 

「時間がない」「協力が得られない」という弱音は、「才能がない」「努力が足りない」ことの告白と同義です。

 

 

 

 

何かを真剣に目指すならば、その言葉を口にしてはいけないのではないでしょうか。

 

 

 

 

たとえ口にしたところで、どうなるものでもないし、むしろそれは自分の意欲を殺いでしまいます。

 

 

 

 

ちなみに手塚治虫は、後年「何年かの医学生だった経験、曲がりなりにもインターン、病院勤めをした経験は無駄にはなりませんでした。そういうものがぼくにもっと深く人の命ということを真剣に考えさせてくれたのです」(『ぼくのマンガ人生』 一九九七)と述べています。

 

 

 

 

この言葉が嘘ではない証拠は『ブラック・ジャック』(一九七三~一九八三)その他の作品を見れば、一目瞭然です。

 

 

 

 

勉強、勉強とうるさくいわれたから、漫画家になれなかったという弁明は、手塚の前には通用しません。

 

 

 

 

たしかに実際、周囲の無理解や生活苦などといった悪条件のために、才能がありながら、チャレンジの機会を持てず、「才能が埋もれてしまう」ことも、ないとはいえません。

 

 

 

 

ですが、数十年間、生活のために別の仕事をしたとしても、本当に才能があれば、第二の人生で、それを開花させるということがあり、才能が埋もれたままということはないのではないか、とも思われます。

 

 

 

 

小説や俳句などの世界では、ままこのようなケースがあります。定年を迎えて書きだした作品が、脚光を浴びるということだってあるのです。

 

 

 

 

そして、本当にその人に才能があれば、数十年間、別の仕事をしていたという経験は、その人の才能を鈍らせるものではなく、むしろ才能を開花させるために役に立つのがふつうです。

 

 

 

 

長い眼で見れば、あらゆる努力、あらゆる経験に無駄はないのだ、と私は思います。

 

 

 

 

フリーターをしながら目指している「夢」にも、いろいろなタイプがあります。

 

 

 

 

E君(26歳)は、これまでフリーターとしていくつかの飲食店で働いてきました。

 

 

 

 

現在も、ある居酒屋チェーン店に、やはりフリーターとして勤めています。

 

 

 

 

E君は将来、自分でも飲食店を経営したいと考えていて、そのためにフリーターをしているのだと言います。

 

 

 

 

「フリーターだから、いろんな店に勤められるし、そうすると、それぞれのいいところ悪いところを見極めて、自分なりの店作りができるようになると思う」と彼は言いました。

 

 

 

 

確かにE君は、彼なりにきちんと目標を決めて歩いているように思われます、ですが、彼の行動が本当に彼の目的に適合しているのかどうかについては、ちょっと疑問がありました。

 

 

 

 

たとえば同じ目的のために、居酒屋に正社員として勤めるのでは、なぜ駄目なのでしょうか。

 

 

 

 

私はE君に、その点を尋ねてみました。

 

 

 

 

「駄目じゃないけど。うちの店は店長とチーフ・マネージャー以外は、みんなバイトなんですよ」

 

 

 

 

私「店長とバイトの仕事は、どこが違うんですか?」

 

 

 

 

「よくわからないけど。店でやってる仕事の内容ってのは、変わらないかな。注文を聞いたり、厨房に通したり、料理を運んだりを店長もするし。でも、店長は大変ですね。お金のことを見なきゃいけないからそれにノルマとかあって、本部からいろいろ言われたりとか」

 

 

 

 

私「店の運営は店長が本部の指示を受けてやっているわけですか」

 

 

 

 

「大筋ではそうだけど、でも、現場の意見も、けっこう聞いてくれますよ。ミーティングで、こうした方がいいんじゃないか、とか意見を言うと、結構、それを取り入れてくれる。そういう点、今の店はいいです」

 

 

 

 

私「そうじゃない店もあった?」

 

 

 

 

「ありましたね。バイトは黙ってろ、とかって感じの店。でも、そういう店は駄目ですよ。だってほら、実際、現場にいるのはほとんどバイトだったりするから」

 

 

 

 

私「それじゃあ、今のお店では、店長でもアルバイトでも、全体を見通す目というか、目配りはあまり変わらないということになりますね」

 

 

 

 

「うーん。まあ、そう」

 

 

 

 

私「とすると、店長はバイトとどこが違うと思いますか」

 

 

 

 

「休みがないし」

 

 

 

 

私「ぜんぜん、休めない?」

 

 

 

 

「いや、そういうわけじゃないけど。ほとんど休日は取れない」

 

 

 

 

私「でも、もし自分で店を持って自営するつもりなら、その前に正社員になって、店長を経験したほうがいいんじゃないですか。経営面のノウハウは、店長を経験したほうが、よく分かるでしょう。」

 

 

 

 

「ぼくはあんまり、お金のことは考えない店をやりたい」

 

 

 

 

誤解しないで欲しいのですが、E君は決していい加減なわけではありません。また私は彼に絡んでいるわけでもありません。

 

 

 

 

ただ、彼と話をしながら、なにか奥歯に物が挟まったような、もどかしい感触を感じ続けていたことは事実です。

 

 

 

 

しかしここまで食い下がった時、彼は次のように漏らしました。「本当は、店長に採用されるといいんだけど、うまくいかないんで」と。

 

 

 

 

そして彼は、その「告白」を糸口に、それまで語っていた「夢」とは遊離した現状を、語ってくれました。

 

 

 

 

彼は週6日間、44~46時間はたらいているといいます。フリーターというと、もっと楽な働き方をしているのかと思いましたが、私より勤勉に働いているのでした。

 

 

 

 

リクルートワークス研究所が、2001年に行った「非典型雇用労働者調査」によると、フリーターのうち、半数を超える51.2%は、週40時間以上労働をしているといいます。

 

 

 

 

雇用契約の形態が違うだけで、労働時間は正社員並みなのです。

 

 

 

 

E君によれば、現在の職場では、チーフ・マネージャーも店長も週60時間以上働いているといいます。

 

 

 

 

しかもノルマが厳しく、月例評定での配置転換は当たり前で、ときには月半ばで本部に呼ばれて転属になるケースもあるといいます。

 

 

 

 

その結果、正社員に上がっても、すぐに退職せざるを得なくなる事例も多いとか。

 

 

 

 

E君が独立を志望しているのは、「本当は自分で店を持つのが夢だから、とかそういうボジティブな理由からではない」といいます。

 

 

 

 

「このままではいられないし、正社員になれる見込みもない。なっても辛い」という現状を踏まえて、「自分の居場所は自分で作らないと、どこにもない」と感じているからなのです。

 

 

 

 

それでも、飲食店をやりたいというのは、お客さんが楽しそうにしているその場が好きだからだといいます。

 

 

 

 

自分が仕切る空間、自分の出す料理に、みんなが喜んでくれたら、自分も幸せになれるはずだ、と彼は語ってくれました。

 

 

 

 

「好きな仕事をしていられれば、幸せなはずだし、いくらでもがんばれるから、本当ににすごい仕事ができるはずだ」と、あるフリーターは言いました。

 

 

 

 

そのひとは、そんな「天職」を目指してがんばっているのだといいます。

 

 

 

 

しかし、「天職」であっても、「職」であってみれば、やっている当人にとっては単なる日常です。

 

 

 

 

しかも、「やりたい仕事」をやっている場合、努力に対して支払われる対価としての収入は、低いのが一般的です。

 

 

 

 

そういえば北杜夫氏も何かのエッセイで、父である斎藤茂吉が「雑誌に随筆を書いたら、こんなに原稿料をよこした」と怒っていたことを、回想しています。

 

 

 

 

この感覚は、ちょっと解説が必要かもしれません。

 

 

 

 

周知の通り、斎藤茂吉は近代日本を代表する歌人ですが、短歌の原稿料は驚くほど安いです。

 

 

 

 

苦吟して、魂を絞るようにして作った短歌の原稿料は安いのに、気楽に書いた随筆の原稿料のほうが、はるかに高かったことに、茂吉は理不尽なものを感じたのです。

 

 

 

 

もちろん、原稿料が安いからといって、茂吉の短歌の価値が低いというわけではないですし、出版社の側でも、そのように扱ったつもりはなかったでしょう。

 

 

 

 

歌人は金のために短歌を作っているのではありません。短歌を作るのが好きで、作っています。あるいは、作らずにいられないから作るのかもしれません。

 

 

 

 

その「好き」であるという一事によって、歌人は経済効率を度外視した時間と労力を費やして、短歌を作ります。

 

 

 

 

だから理論上は、その報酬の金額の高低は、本来なら問うべきではないのかもしれません。

 

 

 

 

ですが、「好き」であるからこそ、その報酬が低いことに、侮辱を受けたような不満を感じるとしても、不思議はありません。

 

 

 

 

好きなことを仕事にしたからといって、いつも幸せでいられるとは限りません。

 

 

 

 

 

作家であれ、ゲームクリエーターであれ、芸能人であれ、常に業界内の競争にさらされています。

 

 

 

 

 

外部の声など気にせずに、自分の心の赴くままに創作をしようと思っても、クリエーティヴな仕事の場合、作品が世間に示されるだけに、いろいろな声が聞こえてくるのは防げません。

 

 

 

 

 

デビューするまでの苦労も大変かもしれませんが、デビューした後、テンションを維持してゆく厳しさは、さらに大変です。

 

 

 

 

 

企業の業務評定について、そこには公正な基準がなく、だから「サラリーマンは実力を客観的に評価されない職業だ」というのなら、それは自営業も作家も、みな同じです。

 

 

 

 

 

だれも「仕事」において、公正で客観的な評価を下されているとは限りません。

 

 

 

 

 

むしろ、日々、不当な評価を下され、理不尽なレッテルを貼られているように思われてならないというのがフリーランスではたらいている人間が陥る疑心暗鬼のようです。

 

 

 

 

 

私はあまり付き合いの広いほうではないですが、先輩作家の様子を見ていて「五十歳見返り説」をいう仮説を立てています。

 

 

 

 

 

五十歳前後に、これまでの自分の仕事を振り返ってみて、落ち込むらしいのです。

 

 

 

 

 

「こんなに頑張ってきたのに、やれた仕事はこれだけか」「自分の業績に対する、世間の評価はこの程度か」と。

 

 

 

 

 

これは不遇な作家に限った話ではありません、文学賞をいくつも受賞し、ベストセラーを出し、作品が映像化されている作家でも、やっぱり落ち込むらしいのです。

 

 

 

 

 

私のようなものからすると「このうえ、何がほしいのだろう」と思いますが、本人にとってはそうではないらしいです。

 

 

 

 

 

けっきょく、世間から評価されていても、その評価は本人の努力や能力には見合っていません。

 

 

 

 

 

少なくとも、作家本人の自己評価に比べたら、まだまだ低いということのようです。(一方、サラリーマンでは、およそ出世の限界がわかる四十歳前後に「フォーティーズ・クライシス」が訪れるといいます)。

 

 

 

 

 

どんなに仕事をしていても、「正当な評価」得られないらしいです。

 

 

 

 

 

好きな仕事をするということは、好きなことについて与えられる理不尽な評価に常に耐えなければならないということでもあります。

 

 

 

 

 

プロとは、「それでもないかつ好きなことをやり続けたい」人々です。

 

 

 

 

 

さらに怖い話があります。それはプロになってしまうと、好きだったことが好きではいられなくなるということです。

 

 

 

 

 

要するに、逃げ場がなくなるのです。

 

 

 

 

 

私は、いわばアマチュアの物書きなので、今でもアンケートなどで「趣味は?」と聞かれると、臆面もなく「読書」と答えることにしています。

 

 

 

 

 

はっきり言って、私は本を書くのよりも、読んでいる方が好きです。第一そちらのほうがずっと楽です。

 

 

 

 

 

ところがあるとき、先輩作家が「自分はプロなので、恥ずかしいから読書が趣味とはいえない。本を読むのも映画を見るのも、全部、仕事の延長になってしまったから」というのを聞いて、ちょっと恥ずかしくなりました。

 

 

 

 

 

根を詰めて仕事をしていれば、たとえ好きなことであっても、疲労します。

 

 

 

 

 

そんな時、なにか好きなことをして気分転換したいのですが、何分、「好きなこと」を仕事にしているので、今では本を読んでも映画を見ても、プロットや技法が気になって、リラックス出来ないのだといいます。

 

 

 

 

 

私にも、その感覚はよく分かります。別に書評のための本を読んでいるわけでなくても、へんに分析的な眼差しで読んでしまったり、細かい言葉の使い方や、句読点に打ち方に注意がいってしまうことが、よくあります。

 

 

 

 

 

また、ある座談会で一緒になった作家は、「プロになって残念なのは、無心に本が読めなくなったこと。つまらない小説を読むと腹が立つし、面白い小説を読むと余計に腹が立つし」といっていました。

 

 

 

 

 

笑いながら言っていましたが、本気だと思います。

 

 

 

 

 

どうも例が出版方面に偏りがちですが、私が現実に知っている世界は限られているので、お許し頂きたいです。

 

 

 

 

 

ですが、たぶん他の分野でも似たような状況があるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

きっとプロゴルファーはゴルフをしても気分転換にはならないだろうし、パチ・プロになるとリラックスしてパチンコはできなくなるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

好きなことを仕事にした場合の苦労は、「思うような収入が得られない」「気分転換ができない」こと以外にもあります。

 

 

 

 

 

それは仕事のたびに、自分の信念と、社会の側からの需要のあいだで、常に妥協をしなければならないということです。

 

 

 

 

 

夏目漱石は『それから』(1909年)のなかに、小説家志望で今は翻訳で生計を立てている寺尾という人物を登場させています。

 

 

 

 

 

彼の立場を、憶測を交えて要約すると、次のようになります。

 

 

 

 

 

東京帝国大学を卒業した知的エリートである寺尾は、しかし会社にも官庁にも勤めようとは考えませんでした。

 

 

 

 

 

教師になるのも嫌だった。彼は、そのようにして社会の歯車になることを拒み、作家として世に立つことを希望しました。

 

 

 

 

 

そのために、今は本当はあまり好きではないのですが、翻訳をやっています。

 

 

 

 

 

すぐにでも作家として世に出たいのですが、今のところはどの出版社も彼の小説原稿には金を払ってはくれません。

 

 

 

 

 

ですが、何しろ東京帝国大学の卒業生だから、教授の紹介や新聞社・出版社に就職している先輩、同級生も少なくなく、そうしたコネのおかげで、翻訳の口はかかります。

 

 

 

 

 

こうして彼は、肉体労働や、つまらない仕事に就かなくても済んでいるのです。もちろん、翻訳の仕事はあまり金にはなりません。

 

 

 

 

 

最初は文章修行にもなり、編集者とのコネも強くなると期待していたのですが、どうも今のところ、そこから作家への道が開ける気配はありません。

 

 

 

 

 

が、それでも一応「金を得るために仕事」です。

 

 

 

 

 

しかし、まさに「金のため」であることによって、彼の翻訳に対する姿勢は、いい加減なところが見受けられます。

 

 

 

 

 

本当なら自分の小説を書くために時間を費やしたいのに、その時間を削って翻訳を行っているのが、不満なのです。

 

 

 

 

 

だから彼の仕事ぶりは、以下の様な次第になります。

 

 

 

「分らない所はどうする」と代助が聞いた。
「なにどうかする。――誰に聞いたって、そう善く分りゃしまい。第一時間がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如くに天から極めていた。
相談が済むと、寺尾は例によって、文学談を持ち出した。不思議な事に、そうなると、自己の翻訳とは違って、いつもの通り非常に熱心になった。

代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだろうと考えて、寺尾の矛盾を可笑しく思った。

(夏目漱石『それから』)

 

 

 

 

 

仕事は「金」です。作家を職業とするからには、まず、生活に足りるだけの収入を、継続的に原稿を売ることによって、稼ぎ続けなければなりません。

 

 

 

 

 

もちろん作家は、自分の書きたいものを書いていいのですが、それを「売る」からには、作家の書くものは作家本人が満足するばかりでなく、編集者が「売れる」と判断し、実際に読者が「面白い」と受け入れてくれるものでなければなりません。

 

 

 

 

 

そこにはどうしても、妥協の余地が出てきます。

 

 

 

 

 

作家として世に立ち、仕事(報酬の得られる労働)として書くからには、自分で書きたいものを気ままに書くというわけにはいかず、書肆側の注文に応えなければなりません。

 

 

 

 

 

それは何も、表現の自由を侵すとか、思想心情について干渉されるといった高次元の問題ではないです。

 

 

 

 

 

その作家自身に力量があって、その実力を編集者が認めてくれていれば、内容にまで細かく口を挟まれるということは、あまりありません。

 

 

 

 

 

ですが、長篇や短篇、あるいは随筆といった漠然とした注文の枠組みは課せられるし、何より締め切りというものが設定されます。

 

 

 

 

 

注文原稿を執筆するプロ作家にとって、「自由に書く」ということは、もはやありえない。それが漱石のいう矛盾です。

 

 

 

 

 

プロを目指しながら、その仕事を自由にやりたいというのは、矛盾なのです。

 

 

 

 

 

作家ばかりではありません。いかなる職であろうとも、「生き甲斐としての仕事」は、そもそも大きな矛盾をはらんでいます。

 

 

 

 

 

報酬を目的とした「仕事」は、本来、働き手ではなくて、顧客のためにする行為なのです。

 

 

 

 

 

教師は自分の研究時間を割いて学生に知識を切り売りするのだし、医師は自分の知的好奇心を満足させるためではなく、患者の健康を回復するために、その体にメスを立てるのでなければなりません。

 

 

 

 

 

自身の楽しみのためではなく、他者への奉仕を前提にしてこそ、報酬が発生するし、人を切っても罪に問われないのです。

 

 

 

 

 

すると「好きなことを仕事にする」ということは、自分が好きなことで日々、妥協をするということと同義になります。

 

 

 

 

 

それは、あまり好きではない仕事を毎日するのよりも、かえって辛いことのようにも思われます。 

 

 

 

 

 

再び作家を例に取ると。

 

 

 

 

 

『赤毛のアン』で成功をおさめたルーシー・モード・モンゴメリは、その後、「アン」シリーズを書き続けましたが、これは作家本人の考えではなかったらしいです。

 

 

 

 

 

モンゴメリ自身が書いた手紙に「もし、残りの人生がアンという暴走する馬車に引きずられてゆく運命だとしたら、アンを創造したことを痛烈に後悔するでしょう」とあるそうです。

 

 

 

 

 

つまり作者は、第一作目は自分自身の内的な思いに促されて書きましたが、その後は、読者の希望や出版社側の要請に動かされ、つまり外圧によって働かされていたことになります。

 

 

 

 

 

同じような話は、コナン・ドイルにもあります。周知の通り、ドイルは「シャーロック・ホームズ」で人気を博しましたが、自身はこれがあまり好きでなく、格闘の末に滝壺に見を投じさせてこれを殺し、シリーズ集結を宣言しました。

 

 

 

 

 

しかし読者が納得せず、出版社もせっついたため、死んだはずのホームズを蘇らせてシリーズを継続するはめに陥りました。

 

 

 

 

 

ドイルはホームズ・シリーズのおかげで豊かになり、世界的にも有名になりましたが、それは自分自身の好きなものを書くという作家としての自由を犠牲にすることと引き換えにして手に入れたものでした。

 

 

 

 

 

晩年にサーの称号を授けられる際に、ドイルがこだわったのは、それが彼のどの業績を評価した結果かという点でした。

 

 

 

 

 

ドイルはホームズ・シリーズの作家として、大衆的人気の故にサーに叙せられるのを嫌ったのです。

 

 

 

 

 

したがって、公式には、彼がサーになったのは歴史叙事詩の作品によってということになっています。

 

 

 

 

 

ただし、現在でもホームズ・シリーズを読んでいる日本人は多いですが、ドイルの歴史叙事詩を読んでいる日本人(英国人も)は、あまりいないでしょう。

 

 

 

 

 

もっと悲惨な事態だって、起こり得ます。

 

 

 

 

 

才能がなければ成功できませんが、あれば絶対に成功するとは限らないのが、この世の中の怖いところです。

 

 

 

 

 

それどころか、むしろその逆に、才能が有るからこそ、食えないということだって、あり得るのです。

 

 

 

 

 

現在は有名な作家であっても、生前は職業作家として世に立てなかった人は少なくありません。

 

 

 

 

 

早世した梶井基次郎などは、また別の事例と考えるべきかもしれませんが、長い期間、創作に携わりながら、原稿料では生活できず、別の生業をして暮らしながら、売れない原稿を書き続けた作家だって、たくさんいました。

 

 

 

 

 

たとえば、宮沢賢治は、教員をして暮らしていました。生前、彼の職業は教員であり、童話や詩は「趣味」でした。

 

 

 

 

 

私は何も、宮沢賢治を貶めているのではありません、逆に金儲けを目的にしない「趣味」だからこそ、純粋に独自のものを書き続けられるということだってある、といいたいのです。

 

 

 

 

 

ただしその場合は、別の「仕事」によって生計を立てなければなりません。

 

 

 

 

 

またゴッホの絵画は、現在、世界で最も高価な美術品ですが、生前には二枚しか売れませんでした。それも親戚のつてで売れただけでした。要するにゴッホは、プロの絵描きではありませんでした。

 

 

 

 

 

天才であっても、いや天才だからこそ、その素晴らしさを理解できる人間(自腹を切って作品を買おうという勇気ある人間)がいなかったのです。

 

 

 

 

 

にもかかわらず、ゴッホは絵を描き続けました。それは絵を描くことが彼の労働だったからではなく、生き甲斐だったからです。

 

 

 

 

 

われわれは「仕事」の問題を考える際に、2つの観点をきちんと分離せずに論じています。

 

 

 

 

 

それは「労働=金儲け」と「生き甲斐=自分自身の楽しみ」という側面です。

 

 

 

 

 

好きなことを仕事にしたいというのは、煎じ詰めれば、自分自身の楽しみで金儲けをしたいということです。

 

 

 

 

 

ですが、客の側にしてみれば、自分(客)の楽しみのために金を払うのであって、仕事をしている側の楽しみを優先されたら、たまりません。

 

 

 

 

 

だからゴッホには画家にとって一番手っ取り早い収入の道であった肖像画の注文というものが、来ませんでした。

 

 

 

 

 

一般の顧客は、対象の内面を鋭く浮き彫りにするようなデフォルメされた絵画ではなく、実物よりもかっこよく、あるいは美人に描かれることを希望したからです。

 

 

 

 

 

ゴッホだって技術的には写実的な絵画を描く能力もあったと思いますが、彼はそのような「妥協」はしませんでした。

 

 

 

 

 

芸術家としてのゴッホの態度は、正しいと思います。では職業人としてはどうなのかというと、甚だ難しい。

 

 

 

 

 

ニーズに応えなければ、「仕事=経済的な見返りが得られる労働」とはならないからです。

 

 

 

 

 

多くのフリーターと話をしているうちに、わたしはフリーターというのは、職種でも、勤務形態による分類でも、年齢層でもなく、一種の階級なのではないかと考えるようになりました。

 

 

 

 

 

フリーターは今現在、彼らが何者をしているかによってではなく、その存在形式によって、社会から評価(と同時に批判)されます。

 

 

 

 

 

それは「学生」とよく似ています。学生は、今現在その人が何者であるかによってではなく、将来何になるかによって評価されます。

 

 

 

 

 

フリーターもまた、今現在の自分自身を評価されることを拒み、これから何をするかによって評価されることを望んでいる存在です。

 

 

 

 

 

その状態を可能にしているのは、当人の希望であると同時に、そのような在り方を許容する周辺環境です。

 

 

 

 

 

フリーターの労働所得は、概して少ないです。しかし当人な稼ぎが少ないからといって、ただちにその人の可処分所得が少ないということにはなりません。

 

 

 

 

 

親と同居していて、居住費や食費、光熱費といった諸経費の一切を、親がかりで済ませているパラサイト・シングルなら、アルバイトで得た賃金は、ぜんぶ自分のお小遣いになります。

 

 

 

 

 

一人暮らしの者でも、学生時代の延長で、家賃やお小遣いなどの仕送りを、親から受け続けているものもいます。

 

 

 

 

 

こういうケースを、従来の階級論に当てはめて考えてみることは、フリーターの自己意識的階級を考える上で、有効かもしれません。

 

 

 

 

 

ポール・ファッセルによれば、階級を決定するのは収入の量ではなく、その財源だといいます。

 

 

 

 

 

自分自身で稼いでいるのであれば、たとえそれがどんなに多額でも、その人は単なる金持ち、高額所得者、成金にすぎないといいます。

 

 

 

 

 

富はその財源が古ければ古いほど社会的価値が高いのだそうです。つまり世襲財産は、労働による所得に勝ります。

 

 

 

 

 

たとえそれが、当人の能力や人格とは無縁のものであるとしても。いや、むしろその故にこそ。

 

 

 

 

 

これを現代日本の家族論に当てはめてみると、家庭のなかで最も地位の高いのが子供だということは、一目瞭然です。

 

 

 

 

 

子供は、自分ではお金を稼がず、生活の全てを親がかりで暮らしています。

 

 

 

 

 

「泣く児と地頭には勝てぬ」という諺も、そう思ってみてみると、単に我儘なやつにはかなわないという意味ばかりでなく、子供の持つ地頭並の階級的優越を無意識に示唆しているように思えてきます。

 

 

 

 

 

さて、この比喩をさらに就労年齢に敷衍してゆくとどうなるでしょう。

 

 

 

 

 

小学生が働くというのは、芸能界とか家(家事、家の商売)の手伝いを除くと、ほとんど考えられません。

 

 

 

 

 

中学生のアルバイトとして公認されそうなものは、新聞配達くらいですが、これは「苦学」「勤勉」「親孝行」などを思い起こさせます。

 

 

 

 

 

それ自体は称賛に値する立派な行為ですが、同時に貧しさ、つまり階級的低さを想像させるのは、歴史的にも否めません。

 

 

 

 

 

そして学歴との関連で言えば、中卒で働き始めるよりは高卒、高卒よりは大卒のほうが、階層的に上であるようにみなされています。

 

 

 

 

 

こうした学歴重視の社会通念は、教育期間の長さが知識の豊かさを保証しているに違いないという考えに由来しています。

 

 

 

 

 

と同時に、長い間「学生」をしていたということ、つまり労働から隔たっていた期間が長いほうが、経済的に豊かな家庭の出身者であるということを明示する指標でもあるのです。

 

 

 

 

 

つまり近代社会においては、親の収入に依存して生活することが、恥ずかしく無いどころか、「強者」の指標とさえ言えるのです。

 

 

 

 

 

社会ネットワーク研究所の安田雪氏は「現代の日本では高校を卒業後に働く理由は、本人の低成績、次いで家庭の経済力、あるいはその両方とみなされる。(中略)就職を志望する本当の理由がなんであれ、これを生徒自身が認めた瞬間、そこにいるのは自分と家庭である。」と指摘しています。

 

 

 

 

 

こうした歪んだ意識の延長線上で、大学卒業後も働かずにいられる若者は、より豊かな階層に属する人として、労働に従事する同世代の人間よりも「上」であるかのように振る舞い得ます。

 

 

 

 

 

したがってフリーター自身は、高卒であれ大卒であれ、自意識の中では、卒業後ただちに生業に就いた者より、自分を「上」だと漠然と考えているのかもしれません。

 

 

 

 

 

そしてこのようなフリーター=あまり働かない青年は、最近になって突然出現したわけではなく、文化史的にはきわめて古く「正当な」伝統を持っているのです。

 

 

 

 

 

われわれが「仕事」によって得たいと望んでいる対価は、大きく分けて二種類あります。ひとつはお金であり、もうひとつは評価(自己充足)です。

 

 

 

 

 

人は労働の代償として給料や代金を受け取ります。もし「仕事」の価値がお金だけなら、話は単純です。お金が儲かる仕事が「いい仕事」であり、高給を取れる人間が優れた人間となります。

 

 

 

 

 

ですが、われわれの社会には、職業に貴賎の別はないという考え方がある一方で、「汚い儲け方、きれいな儲け方」という考えもあります。

 

 

 

 

 

詐欺紛いの方法で他人を陥れて儲けたり、投機的な方法で利益を上げることを卑しむ気分があります。

 

 

 

 

 

卑劣な詐欺まがいの方法が卑しまれるのは当然として、なぜ投機による利益が胡散臭く感じられるかというと、それが偶然による利益があり、その人自身の人間的価値や努力とは無関係だと思われているためです。

 

 

 

 

 

これに対して「きれいな儲け方」というのは、その仕事それ自体が人々に感謝されるものであり、尊敬を伴う勤務です。

 

 

 

 

 

しかし、経済的見返りと「評価」のあいだには、微妙ながら明確な差があります。この価値観の違いは、明らかに階級的な報酬観の差に由来しています。

 

 

 

 

 

商人や職人にとって、報酬や評価は、最終的にはお金によって示されます。

 

 

 

 

 

商人の中にも、高田屋嘉兵衛のように海運業の延長線上で幕府に代わって、個人で外交上の難局にあたった人物や、頑固一徹の職人肌というものもあり、人間的尊敬の対象ともなりますが、それとても結局はいかに多くの報酬を得られるかで、その商才や技術力を測られます。

 

 

 

 

 

つまりこれらは「きれいな仕事」であっても「儲けるための仕事」です。

 

 

 

 

 

これに対して、士大夫の仕事はお金に還元されない、と考えられていました。

 

 

 

 

 

それは労働ではなく、天子(あるいはその代行者としての幕府)を助けて天下国家を治めるのが職分であったからであり、基本的には天下万民に奉仕する職なのです。

 

 

 

 

 

前近代の価値観の中では、それは道徳的な美学に基づく自己表現でした。

 

 

 

 

 

天職を探したり、あるいは「これこそわが天職」と信じる仕事に就くために努力するのは、仕事が単に労働ではなく、それを自己表現であり自己充足の手段と考えられているためです。

 

 

 

 

 

この自己表現としての仕事という考え方には士大夫の職という「仕事」階級思想がいくらか形を変えて息づいているように思います。

 

 

 

 

 

ところで、語源的に言えば「天職」というのは、本来は天子が国家を統べる職務を指す言葉でした。

 

 

 

 

 

そしてそれは、輝かしく誇らしい職務という意味ではなく、天(天帝)から命じられた職の意でした。

 

 

 

 

 

つまり天職とは、自らの意志で「選び取った仕事」ではなく、天下万民という他者の幸福のために徳高き統治者に「与えられた仕事」だったのです。

 

 

 

 

 

英語のvocationもまた、「与えられた職」というニュアンスを備えています。

 

 

 

 

 

この語は、もともとは使命とか聖職を指す言葉であり、「神によって与えられた(人々に奉仕する)仕事」だったのです。

 

 

 

 

 

現在、われわれが天職というとき、それが他者のために選ぶ職、他人に奉仕する職という意識は希薄です。

 

 

 

 

 

天職はあくまで、自分自身のためのものであると感じています。

 

 

 

 

 

ですが、「自分が自分の生き甲斐としてやることに、他人が金を出してくれる」というのは、かなり虫のいい話ではないでしょうか。これほど消費者を無視し、馬鹿にした態度もありません。

 

 

 

 

 

ですが、意外なことにわれわれは、そういう無茶苦茶な「仕事」の仕方をする人間に、奇妙な敬意というか、憧れの気持ちを抱く傾向があります。

 

 

 

 

 

「取材拒否の料理店」とか「頑固おやじの店」が評判になるのも、そうした心理の表れです。

 

 

 

 

 

われわれはどこかで、客に媚びないのが立派なことであるかのように感じています。

 

 

 

 

 

作家の佐藤愛子の祖父・佐藤弥六は、津軽藩士でしたが、極め付きの頑固者で、明治以降も客に媚びないどころか罵倒して暮らしていたといいます。

 

 

 

 

 

(佐藤弥六は)維新後は弘前市で西洋小間物の店を開いたりしていたが、客が来て値段を聞くと、うるさい、欲しければ勝手に持っていけ、と怒鳴ったりしたので経営が成り立つわけがなく、晩年は郷土史研究や農業改善に力を尽くして81歳で亡くなった。

祖父は弘前では知らぬものはいないと言われたほどの口やかましい頑固者で、生涯妥協というものを知らずに過ごした。

人に向かってことごとに馬鹿者呼ばわりをしたので、祖父が死んだ時、弘前の人たちは「これで弘前から馬鹿者がいなくなった」といったという。

祖父は訪問客が都合も聞かずにやってきたと言っては腹を立て、贈物を持参したと言っては怒鳴りつけた。帰ろうとすると、勝手に来て許しも得ずに帰るのは無礼だと怒る。

歴史の教師が授業中に吉田松陰を呼び捨てにして教えたというので、「君子の礼を知らぬ無礼者」と怒ったという話や、入学式で校長が勤倹貯蓄を奨励したのを聞いて、男子たるものに金を貯めることを教えるとは何事か!と来賓席から叫んだという話など、頑迷奇人ぶりを語る挿話は枚挙に暇がないほどである。

 

祖父はリンゴの品質改良に功績があったという理由で、黄綬褒章を与えられた。

町の人が喜んで祝賀会を開いたところ、祖父は、「俺が百姓の仲間入りしたのがそんなにめでたいか!」と怒ったので祝賀会はメチャメチャになってしまった。

(佐藤愛子『淑女失格』)

 

 

 

 

 

この一文を読んで、佐藤弥六を嫌なやつだと思う方は恐らくいないでしょう。ですが、迷惑な男だとは思うかもしれません。

 

 

 

 

 

自分が彼の店の客となったり、近所の人間として祝賀会を準備する側にはなりたくないとも思うでしょう。

 

 

 

 

 

にもかかわらず、我々は誰しも、心のどこかに、佐藤弥六のような生き方をしてみたいという気持ちを抱いているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

佐藤弥六は奇人ですが、ただの変人ではありませんでした。リンゴの品質改良の功績を認められたというからには、それなりの知識人でもあったのでしょう。

 

 

 

 

 

それに一本筋の通った人間でした。にもかかわらず、彼は理には聡くとも、利に疎かったです。

 

 

 

 

 

ですから、商売人としては成功せず、しょっちゅう怒ってばかりいて、それでも周囲の人々から尊敬されていました。

 

 

 

 

 

われわれが佐藤弥六に抱く感情は、清貧への憧れです。

 

 

 

 

 

ですが、そもそも清貧とは、旧藩士であり学識者でもあって、世が世ならばもっと重く用いられて然るべき佐藤弥六のような人物が、似合わぬ世俗の泥のなかで、貧しくとも孤高の精神を失わずに生きていることであって、最初から無知で貧しくては「清貧」も何もないのです。

 

 

 

 

 

要するに清貧も奇人も、世俗から超然としているように見えながら、所詮は形を変えたエリートであり、階級意識の産物なのです。

 

 

 

 

 

それが端的に現れているのが、見せに来た客を怒鳴りつける消費者軽視の態度でしょう。

 

 

 

 

 

そして俗物であるわれわれが、時に清貧や奇人に憧れるのは、まさに彼らが一種のエリートであるからに他なりません。

 

 

 

 

 

結局エリート礼賛であり、ここにも「ふつうではないはたらき方」を、「ふつうのはたらき方」の上位に据える思考があります。

 

 

 

 

 

「ふつう」ではないはたらき方を特権視するのは、若者ばかりではありません。

 

 

 

 

 

フリーターの親の中には、つまらない就職をするくらいなら、フリーターのほうがましだと考える人々が存在します。

 

 

 

 

 

バブル崩壊以降、親(大人)自身が、これまで自分たちが築いてきた社会に対する自信を失ってしまいました。

 

 

 

 

 

そうした親たちは、子供に対して「ふつうの就職をしろ」と言えなくなってしまったのです。

 

 

 

 

 

それどころか「自分は会社に縛られる生き方をしてきたが、せめて子供には自由な生き方を見つけてほしい」と願っている節があります。

 

 

 

 

 

一見すると、これは大変に物分りのいい態度のように感じられます。

 

 

 

 

 

こうした親が、息子や娘のパラサイト・シングル・ライフを支えてくれることは、フリーターにとっては夢を追い続ける期間を延長できるわけだから、願ってもない好環境といえます。

 

 

 

 

 

ですが、そうした親の姿勢は、子どもたちの甘えの温床になっているどころか、若者にとっては、新たなプレッシャーになっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

こうした「物分りのいい親」の子供は、「ふつう」ないしは「ふつう以下」の就職を受け入れ難くなっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

もちろん親が、直接的に「夢を追い続けろ。ふつうのつまらない会社になんて就職するな。お前はビッグになれるはずだ」とプレッシャーをかけているわけではありません。

 

 

 

 

 

ですが、モラトリアム期間が長くなれば長くなるほど、そのぬるま湯から抜け出すための心理的負担は大きくなります。

 

 

 

 

 

そしてプライドと夢ばかりが大きくなってしまった若者は、自分から敗北宣言ができなくなってしまっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

その上、引導を渡すべき親が、あまりに物分りがいいので、子どもとしては引っ込みがつかなくなっているということも、あるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

現代の日本では「ふつう」はあまりに軽んじられています。

 

 

 

 

 

いざとなれば親が手に入れているような(そしてパラサイト・シングルが親を通じて現に今、享受しているような)「ふつう」の生活は、ちょっと長めの冒険的青春を送った後でも、容易に手に入ると考えています。

 

 

 

 

 

ですが、それは相当に難しくなっています。本来なら今時、モラトリアムを延長していられるような状態ではないはずなのです。

 

 

 

 

 

若者たちも、実は薄々それに感づいています。それどころか、私が出会ったフリーターのうちのかなりの人数は、夢を語る一方で、親が手に入れたような「ふつう」の生活を達成するのが、いかに難しいかを訴えていました。

 

 

 

 

 

多くの若者が正社員になり結婚して子供を持つという生活をしていないのは、別にそれがしたくないからではなくて「ふつう」が難しいからであり、高いハードルとしての「ふつう」を回避するが故の「自分らしさ」なのかもしれません。

 

 

 

 

 

さらに私は、今、とても恐ろしい事態を空想しています。それは今時の親世代にとっては、子供がフリーターをし、パラサイト・シングルになっているのを許すことが、親である自分自身の最後のプライドになっているのではないか、と。

 

 

 

 

 

本当は子供を信じているのではなくて、親として本来やるべき子離れ、子供の自立のための支援をせず、子供に頼られることを自分の存在意義として必要とする親。そんな親のようにはなりたくないと思いながら、離れられない子供。

 

 

 

 

 

このような相互依存関係があるとしたら、それは親にとっても子供にとっても、不幸という他ありません。

 

 

 

 

 

ましてやその一方ないしは両方が、自分たちが「仕事」に対して抱いている文化的、歴史的、階級的な偏見に無自覚であれば、失職スパイラルからの脱出は不可能です。

 

 

 

 

 

フリーターから脱出するにせよ、その中から自分の新しいライフスタイルを構築するにせよ、自分のライフスタイルを決定する主導権を若者が自分でつかむためには、自分たちが無意識に前提としている文化基盤の異常さを認識し、意識化する必要があります。

 

 

 

 

 

また大人世代の人々も、現代のような社会に生きている若者の労働の意味を伝えるためには、迂遠なようでも、戦前から戦後にかけての価値観の変遷を読み直さなければならないのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そもそも今のフリーターの親世代だって戦後生まれであり、豊かな時代しか知らない世代になりつつあります。

 

 

 

 

 

私が思うに、日本人、ことに日本の知識階級は、昔からずっと「仕事」が嫌いだったのであり、そのことへの自覚が希薄だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ、最近、若者の仕事意識の異常性について考えさせられる体験をしたので、それも併せて紹介しておきます。

 

 

 

 

 

食器や貴金属の輸入会社に勤務している女性(30代半ば)似合った時のこと。若者が現実の自分の能力を把握できずに、理想として抱く夢と現実のギャップに苦しんでいる状態について意見を求めました。

 

 

 

 

 

私としては、キャリアウーマンである彼女から、自分の能力や職業適性の測り方を聞きたかったのです。

 

 

 

 

 

ところが彼女は「でも、それって私も同じかもしれない」と言い出したのです。

 

 

 

 

 

私は驚きました。彼女は正社員として勤務しており、銀座の店舗でチーフ・マネージャーとして洋食器部門を統括、年に数回は海外に買い付けにも行くキャリアウーマンだったからです。

 

 

 

 

 

その日の服装も機能的で趣味の良いスーツを着こなし、肩からエルメスのバーキンを下げていました。

 

 

 

 

 

洗練されたファッションで仕事をこなす彼女が、フリーター的な問題を抱えているとは、どうしても思えません。

 

 

 

 

 

収入を聞いたところ、月給は手取りで約40万円だといいます。それでどうしてフリーターと同じだと感じるのでしょうか。

 

 

 

 

 

実家暮らしで親とは同居しているが生活費として4万円入れており、まったくのパラサイトというわけでもないといいます。

 

 

 

 

 

そんな彼女の話を要約すると、次のようになります。

 

 

 

 

 

彼女は、いつも充たされていない、まだ足りないという飢餓感に苛まれています。

 

 

 

 

 

仕事をしていても、もっとできるはずだと思うし、ようやく何かを達成すると、その成果が周囲から正当に評価されていないのではないかという不満が頭をもたげます。

 

 

 

 

 

その一方で、自分に自身が持てません。

 

 

 

 

 

実は私が洗練されていると感じた彼女の服装は、彼女にとっては一種の戦闘服なのだそうです。そうして自分の身を固めていないと不安になってしまいます。

 

 

 

 

 

「雑誌でよくワンランク上の生活って、あるでしょ。どこまでいってもワンランク上は終わらないんです。それもわかってるんです。でも、在るが儘の自分でいたら、なんだか負けたような気がしてしまう」

 

 

 

 

 

彼女はお気に入りのバーキンやその他の装身具を手に入れるために、クレジットカードでキャッシングし、今も100万円近い借金があるといいます。

 

 

 

 

 

「お金は頑張ればすぐ返せるはずだけど、次々に慾が出ちゃうから、いつまでも(借金生活が)終わらない。このままじゃいけないと思うと、余計にワンランク上の何かに眼がいってしまうんです」

 

 

 

 

 

ここにも、もうひとつの「逃げる若者」の問題が潜んでいました。

 

 

 

 

 

おとなになったら、仕事に就くのは当たり前だと、我々はなんとなく信じてきました。

 

 

 

 

 

フリーターをやっている若者だって、正社員としてフルタイムで働くのは嫌でも、自分が好きな時間に、好きな仕事をする(そうやってお金を稼ぐ)ことは当然だと思っているようです。

 

 

 

 

 

フリーターを取材している間、時々彼らから「悪いことをして儲けてる奴らとは違って、ぼくらは何も悪いことをしているわけじゃない。むしろフリーターは仕事のエコロジーだ」といった意見が聞かれました。

 

 

 

 

 

その一方で「ぼくだって、はたらいていないわけじゃないんです。ちゃんと自活できるくらいは、稼いでいます」という言葉も聞かれました。

 

 

 

 

 

後者は裏を返せば、同じフリーターでも、自活しているフリーターは、自活できていないフリーターに対して批判の声を上げているようにも取れます。

 

 

 

 

 

従来の社会的な枠組みにアンチテーゼを突きつけるような生き方をし、自分の道を歩いているかに見えるフリーターは、他人の暮らしぶりなど気にしないのではないかと思っていたのですが、そうではないらしいです。

 

 

 

 

 

けっこう「他の人は、どうなんですか」という質問もされました。

 

 

 

 

 

フリーターをしている若者にとっても、「大人になったら働く」のは当たり前であるらしいです。

 

 

 

 

 

現状はあくまで一時的なものであって、ずっとこのままでいいわけではないのです。

 

 

 

 

 

資本主義であれ共産主義であれ、近代以降のあらゆる国家、あらゆる党派は「労働」「生産」を賛美してきました。

 

 

 

 

 

「働かざる者、食うべからず」はレーニンの言葉です。

 

 

 

 

 

太平洋戦争敗戦後に制定された日本国憲法では、「労働」は国民の義務に数えられています。

 

 

 

 

 

しかし、はたして、それは本当に「万人の常識」なのでしょうか。もしそれが常識だとして、その常識はいつごろ、どのような事情で成立したのでしょうか。

 

 

 

 

 

先に私は、「仕事」には「労働」と「自己充足」という2つの側面があると述べました。

 

 

 

 

 

戦前の社会における「仕事」の自己充足度には、身分意識や階級意識が隠微な影を落としていたように思われます。

 

 

 

 

 

それは戦後の学歴尊重や「いい仕事」観にまで、ずっと尾を引いています。

 

 

 

 

 

明治維新以降、日本ではそれまでの封建身分制度は廃止され、四民平等が実施されました。

 

 

 

 

 

能力さえあれば、誰がどの職業に就こうと、当人の自由という世の中になりました。

 

 

 

 

 

とはいえ、皇族・華族という特権身分はあったし、士族・平民という身分は残留していました。

 

 

 

 

 

それに付属する公的な特権や義務や制限はないものの、折にふれて人々は身分を意識させられました。

 

 

 

 

 

たとえば学校の卒業証書などには「平民 何野何某」「士族 某田某夫」と、身分が書かれました。

 

 

 

 

 

しかも、前近代には異なる身分階層の人々はみだりに交流しなかったのが、明治以降は建前上は平等であるために、学校や職場では、彼らは対等な関係をもつことになりました。

 

 

 

 

 

だから戦前に社会では、かえって「士族」的な仕事である官吏や軍人が、その職務に付随する権力への畏敬ばかりでなく、身分的な憧れもあって、非常に尊重されました。

 

 

 

 

 

しかも彼らはその勲功次第では叙爵されて華族に列せられる可能性もあったのです。

 

 

 

 

 

それまでは職業は、生まれによって決められていたから、逆に言えばどの職に就いているかは当人の人間的価値とは別の問題でした。

 

 

 

 

 

大名の継子は大名になりますが、だからといって人間的に立派とは限りません。

 

 

 

 

 

逆に足軽であっても、人間的に立派な人だってあり得たし、そのようなものとして世間は人間と職分を考えていました。

 

 

 

 

 

ですが、近代になると職業は自由に選択できるものとなったために、「立派な平社員」というのは、あり得なくなりました。立派なら出世するのが当然だからです。

 

 

 

 

 

そうしてすべての国民は社会的競争に参加させられ、職業の貴賎は、その人の人格の貴賎とみなされる傾向が、かえって強まりました。

 

 

 

 

 

明治期の小説を読んでいると、職業差別の厳しさは一目瞭然です。尾崎紅葉の『金色夜叉』(1902)や森鴎外の『雁』(1913)では、高利貸しに対する偏見とも言える露骨な嫌悪が見て取れます。

 

 

 

 

 

これは、高利貸しが単純に貧しい人々の恨みを買っていたという事情の他に、直接的にお金を扱う仕事であるが故に、「士族」的意識を持った人々の蔑視を誘ったという事情があります。

 

 

 

 

 

当時はまだまだ、「お金儲けは卑しい」という前近代の価値観が生きていたのです。

 

 

 

 

 

また川端康成『伊豆の踊り子』(1926)は、一高の学生(エリート予備軍)は踊り子との身分の差の自明性が前提になっています。

 

 

 

 

 

人柄という点で見ると、ストーカー的な学生よりも「いい人はいいね」と言い切る踊り子のほうが尊いのではないか、と私などは思うのですが、どうも戦前の価値観では、そうではないのです。

 

 

 

 

 

フリーター的若者は明治時代にも、少数ながら存在しました。夏目漱石は、そうした青年像を巧みに描出しています。

 

 

 

 

 

漱石はたぶん、今の若者にとって最も実用的な作家です。同じ明治の文豪でも森鴎外では、そうはいきません。

 

 

 

 

 

なぜかというと、鴎外の作中人物は自己の価値観が明確で、揺れがありません。自己決定しています。

 

 

 

 

 

たとえば『青年』(1910~1911)の主人公は友達が金を貸してくれというと、ぴしゃりと断ります。これはなかなかできることではありません。

 

 

 

 

 

漱石の『三四郎』(1908)では、主人公は自分の下宿代を友人に貸してしまい、あちこちに波紋を広げるのですが、こちらのほうはだらしない分だけ人間的です。

 

 

 

 

 

けっきょく鴎外作品は勉強にはなるが参考にはなりそうもないので、戦前までの若者像として、主に漱石作品を取り上げることにします。

 

 

 

 

 

さて。夏目漱石は近代社会の大前提である「仕事」について、根元的な疑問を突きつけた人物でした。

 

 

 

 

 

漱石作品を読んでいると、私は現在のフリーターが抱えている問題から、日本経済の問題まで、すべてが「予言」されていたように感じます。

 

 

 

 

 

たとえば『こころ』(1914)の話者である「私」は、大学生です。「私」は、大学を卒業しても、すぐには就職しないのです。

 

 

 

 

 

在学中に就職活動らしいことは、あまりしていないし、卒業後も積極的に職を探そうとはしていません。

 

 

 

 

 

「私」は大学を卒業すると、まず両親が暮らす田舎に帰って、しばらくのんびりと過ごします。

 

 

 

 

 

彼は地方の中産階級の出身で、郷里には両親の家があります。彼は次男ですが、兄も大学出で、現在は郷里から離れた場所で地位を得ているらしいです。

 

 

 

 

 

「私」が大学を卒業した頃、郷里の父は老衰しており、病床に伏していたため、一時帰省したのです。

 

 

 

 

 

見方によっては、彼は父のために、都会で就職するのを遅らせて、帰ってきたようにも感じられます。

 

 

 

 

 

とはいえ、「私」は、そのまま田舎で暮らすつもりではなく、いずれはまた東京に行こうと考えています。

 

 

 

 

 

両親もまた、息子に近くにいて欲しいと思う一方で、東京で活躍して欲しいと願っています。

 

 

 

 

 

ただ、父は大学出である「私」ならば、いずれ相当な地位に就けるものと信じており、だから慌てて就職しなくてもいいと考えており、自分の体調への不安もあって、今しばらくはこのままでいるのもいいと感じてもいます。

 

 

 

 

 

その一方で、なるべく早く息子が職に就くのを見届けたいという矛盾した気持ちがあります。

 

 

 

 

 

『こころ』のなかで、「私」たち明治末期の大学卒業者の就職環境は、次のように描かれています。

 

 

 

 

 

8月の半ごろになって、私はある朋友から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。

この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻る男であった。

この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと好い地方へ相談ができたので、余った方を私に譲る気で、わざわざ知らせてきてくれたのであった。

私はすぐ返事を出して断った。知り合いの中には、随分骨を折って教師の職にありつきたがっているものがあるから、その方へ廻して遣ったら好かろうと書いた。

私は返事を出した後で、父と母にその話をした。二人とも私の断ったことに依存はないようであった。

 

 

 

 

 

ですが、中学教師の職を断ろうとする理由は、親子で異なります。

 

 

 

 

 

父は「もっといい仕事」を望んでおり、息子は仕事に就くことそのものへの漠然とした恐怖を感じているのです。

 

 

 

 

 

端無くも、ここには現代のフリーターと、その親の断絶までが、巧みに予見されているかのようです。

 

 

 

 

 

どうして親子に、このような「懸隔」が生じたのでしょうか。

 

 

 

 

 

『こころ』のなかで、「先生」は自分の学生時代(明治20年代)を振り返り、明治40年代の学生である「私」に、「その頃の大学生は今と違って、大分世間に信用のあったものです」と述べています。

 

 

 

 

 

いうまでもないことですが、『こころ』の「先生」や「私」が卒業した大学というのは東京帝国大学です。

 

 

 

 

 

そして明治40年代でも同大学の定員は、現在の東大より遥かに少なかったから、彼らが知的エリートであることは、疑うべくもありません。

 

 

 

 

 

それでも明治40年代には、明治20年代と比べたら、かなり定員が増加しており、したがって「大学生」の価値は、インフレを起こしていたのです。

 

 

 

 

 

それでも、親たちは「大学(東京帝国大学)を出たのだから、それ相応な職に就いてもらいたい」と願います。

 

 

 

 

 

それにたしかに、当時でもまだまだ「大学生」は就職には圧倒的に有利でした。

 

 

 

 

 

たとえばある民間企業では。技術系の高給社員を雇うに際して、大学出は「研究員」とし、それ以外の学校出は「技士」という名称を与えて、区別していました。

 

 

 

 

 

当然ながら給与も格差がありました。ちなみにここでいう大学とは帝国大学のことです。

 

 

 

 

 

大正7年の大学令改正までは慶應や早稲田といえども正式には「大学」ではなく、専門学校の扱いでした。したがって、早稲田の理工を出ても「技士」なのです。

 

 

 

 

 

このように大学での学士が特権的存在である一方、地方の中産階級家庭にとって、子供を大学までやるのは、大きな経済的負担でした。

 

 

 

 

 

それほどまでにしてやった息子が、卒業後も自立しないとなると、親は本当に困るのです。

 

 

 

 

 

もしかしたら「私」の家庭では、「私」の学生生活を支えるために。父祖伝来の田畑の一部を処分したのかもしれません。

 

 

 

 

 

そういえば『三四郎』の主人公は、九州の田舎から東京帝国大学に入学して上京してきた青年ですが、彼の家では、既に父が亡くなっており、母が田舎で田畑の管理をしながら暮らしています。

 

 

 

 

 

そのつましい生活の中から、都会に出た息子に仕送りをしているのです。

 

 

 

 

 

ですが、安定した社会で成長した子供は、親の苦労や経済状態に気が回りません。

 

 

 

 

 

三四郎があれこれ考えた末に夢見る「将来」とは、「要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問に委ねるに越したことはない」というものです。

 

 

 

 

 

この「美しい細君」とは「燦として春の如くうごく世界」の代表であって、その世界には「電灯がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの盃がある」のです。

 

 

 

 

 

つまりそれは、経済的、世俗的な成功の象徴です。

 

 

 

 

 

三四郎の価値観を、もっと露骨に言えば「いい女」を手に入れたかったら、世俗的な成功者にならなければならないということになります。

 

 

 

 

 

そして三四郎はそうした世俗的・経済的成功を学問的成功によって手に入れたい、と漠然と思っています。

 

 

 

 

 

実は『こころ』の「私」も、秘かにそんな生活を願っていた節があります。

 

 

 

 

 

ただし、新入生の三四郎とは違って、卒業生の「私」は、そう簡単に「いい職」に就けそうもないという現実を知っています。

 

 

 

 

 

それなら世俗的な努力をするかというと、そもそも三四郎や「私」の望みは、世俗的な成功にあるのではなく、郷愁の世界、学問の世界、世俗的成功の3つを3つながらに手に入れることなのでその1つにすぎない世俗的成功のために、あえて長い時間と忍耐を費やす気にはなれないようです。

 

 

 

 

 

それくらいなら、何となく郷里に止まって、のんびり暮らしているのも悪くはない。ずっとでは困りますが、今しばらくは……と思うばかりです。

 

 

 

 

 

ですが、そののんびりとした生活とは、現実には、親の財産を目当てにした生活にほかなりません。

 

 

 

 

 

つまりパラサイト・シングル。この場合、人生観、職業観が大きく隔たっていながら、親が子供を受け入れているのは「愛情」のためで、子供が親の前で黙然としているのは「金目当て」ということになります。

 

 

 

 

 

実際「私」は、父と対面しながら「先生は私に国に帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けてもらえと勧める人であった」と思い出します。

 

 

 

 

 

つまり「先生」は、間接的に「はたらかずに、親の財産を食いつぶして生きよ」と勧めたのであり、「私」は「それもいいかな」と薄々考えているのです。

 

 

 

 

 

ここで、現代に立ち戻って考えてみましょう。

 

 

 

 

 

なぜ、人は働かなければならないのか。この問いに答えるのは、簡単なようで、意外と難しいです。

 

 

 

 

 

「食べるため」というのは単純明快ですが、食べるだけならさして働かなくてもどうにかなります。

 

 

 

 

 

極端なことを言えば、現代日本では最低限の文化的生活は国民の権利として保証されているのだから、手続きを踏めば生活保護を受けることだってできます。

 

 

 

 

 

日本国民は餓死することはありません。理論上はそういうことになっています。つまり、はたらかなくても飢え死にはしません。

 

 

 

 

 

ただし、この場合は当人の自尊心が問題になります。体が弱いとか、幼い子供を抱えていて働きに出るのは難しいとか、はたらくのが困難な事情があるのならば仕方ないし、生活保護を受けるのを恥じる必要はありません

 

 

 

 

 

ですが、はたらけるのにはたらかず、生活保護を受けるというのは、ふつうなら自尊心が許さないでしょう。あるいは自分では恥じなくても、周囲から軽蔑の眼差しを注がれるのは、如何ともし難いです。

 

 

 

 

 

ですが、はたらかなくても十分に生活できる金がある場合は、どうでしょうか。

 

 

 

 

 

それもパラサイト・シングルのように、親から折々にお金をもらうという程度ではなく、自分名義の資産として、働かなくてもその利息だけで十分に暮らしていけて、目減りしないほどの財産がある場合には、どうでしょう。

 

 

 

 

 

そういう人は、働く必要があるのでしょうか。

 

 

 

 

 

たとえば、貸ビルとか貸マンション(『こころ』の時代なら家作や小作農地)などの不動産を所有している場合。

 

 

 

 

 

その不動産の賃貸料によって一定以上の不労所得が上がれば、人は働かなくても、給与所得者が給料を手にするように、安定した収入を将来にわたって保証されることになります。

 

 

 

 

 

いや、古来から「すまじきものは宮仕え」というように、会社員や戦前までの官吏・公務員は、いつリストラされるかわからない存在だったから、不動産賃貸収入のある不労所得者のほうが、ずっと安定していたといえます。

 

 

 

 

 

こうして不労所得を生む資産を恒産といいます。歴史的に言えば、こうした不労所得者の代表は貴族や大名であり、明治以降の日本では地主階級がそれに当たります。

 

 

 

 

 

こうした階級の人々は、通常、われわれが考えているような意味では「はたらいて」はいません。

 

 

 

 

 

もちろん、旧時代の地主だって、農地の管理や農作物の改良、さらには小作人たちの生活の心配など、いろいろなことをしていたでしょう。

 

 

 

 

 

むしろ今の私などよりは、よほど忙しい毎日を過ごしていたかもしれません。

 

 

 

 

 

また、現代の不動産所有者の多くは、その賃貸業務を会社組織にしているので、名目上は会社社長になっているはずです。

 

 

 

 

 

したがって、職業欄に「無職」と書く必要はなく、クレジットカードの申し込みではねられることもないでしょう。

 

 

 

 

 

しかし形はどうあれ、彼らの収入は彼自身の労働によってもたらされるものではないという事実には、変わりはありません。彼らがお金のための労働をしていないことには、変わりはありません。

 

 

 

 

 

ですが誰も、彼らが働かないからといって、軽蔑しはしません。それどころか逆に尊敬さえするのです。ようするに金があれば、金のために働かなくてもいいのです。

 

 

 

 

 

『こころ』の「先生」は、まさにそのような立場に立っており、したがってはたらいていません。

 

 

 

 

 

この場合、「先生」に教養があるとか、知的エリートだということは、その経済的基礎とはぜんぜん関係がありません。

 

 

 

 

 

教師のように知識を切り売りして儲けているわけではなく、発明家のように特許で利益を得ているわけでもないのですから、知識は「先生」の経済的実生活のためには、あってもなくても全く関係ありません。

 

 

 

 

 

知識は「先生」にとって一種の道楽なのです。

 

 

 

 

 

教養があって仕事をせずにすみ、自由な時間があるとは、羨ましい限りです。

 

 

 

 

 

ふつう、こうした存在形態としてよく引き合いに出されるのは、ジェントルマンのライフスタイルです。西洋版の士大夫といえます。

 

 

 

 

 

夏目漱石は英文学者であり、英国に留学した経験もあるから、当然、その生活ぶりを知っていました。

 

 

 

 

 

ジェントルマンは、語源的には地主階級を意味するジェントリーに由来しています。

 

 

 

 

 

英国には貴族制度がありますが、英国における上流階級は、爵位を有する貴族の他に、それに準ずる古くからの地主階級(それは貴族の分家筋であったり、婚姻によって貴族階級とつながってもいる)が、その裾野を形成していました。

 

 

 

 

 

もっとも、そうした階級に属していれば、皆ジェントルマンなのかというと、事情はそう単純ではありません。

 

 

 

 

 

大貴族であっても、その人が傲慢、無知、卑怯などの悪徳を示せば「彼はほとんど皇帝の如き存在だが、ジェントルマンではない」といわれました。

 

 

 

 

 

ジェントルマンと言われるためには、何よりも礼儀作法を心得ており、勇敢で正直、公明正大であることが求められました。

 

 

 

 

 

そしてこの基準を満たすためには、労働のためには働かないことが望ましいとされました。

 

 

 

 

 

実際、19世紀前半までは、商売人はいくら金があっても、尊敬はされませんでした(おべっかは使われたとしても)。

 

 

 

 

 

ジェイン・オースティンの小説『傲慢と偏見』(1813)では、サーの称号を持つある男について、別の登場人物が「彼は今や立派な紳士ね。この前までは、さぞや立派な商人だったのでしょう。」という場面が出てきます。

 

 

 

 

 

これは、商人上がりの男は、たとえサーの称号を持っていても、ジェントルマンとはいえないと皮肉っているのです。

 

 

 

 

 

いずれにせよ、ジェントルマンの資格は財産だけではありません。財産プラス「何か」なのです。

 

 

 

 

 

そしてこの「何か」とは、金儲けとしての労働では、断じてありませんでした。

 

 

 

 

 

では、貴族、上流階級にふさわしい「仕事」にどんなものがあるかというと、治安判事、外交官、政治家、軍人などの公的奉仕

(国家的名誉)に関わるもの、あるいは慈善事業や芸術家の保護などの文化的消費(仕事なのに消費)です。

 

 

 

 

 

また、これは「仕事」か「趣味」なのか微妙なところですが、冒険並びにその冒険に付随する博物学研究、狩猟やスポーツなども、貴族の好むところであり、よほど度を越さないかぎりは尊敬の対象でした。

 

 

 

 

 

進化論の提唱者となるダーウィンも、生涯、金を得るための仕事には就かなかったし、彼が進化思想を確立するきっかけになったビーグル号での航海は、その費用のかなりの部分を彼の家が負担していました。

 

 

 

 

 

なお、これらが「仕事」として営まれる際にも、原則的には金銭的報酬は、彼らが「仕事」に支出する経費を上回ることは殆どありませんでした。要するに自腹を切ってやっていたのです。

 

 

 

 

 

近年、日本では外務省職員の国費の搾取や乱脈浪費ぶりが問題になりましたが、英国などでは「外交」に関わるのは名誉なことであり、国費ではなく自費で、公的交際をするのが普通でした。

 

 

 

 

 

そもそも英国では20世紀初頭まで、外交官は初期の数年間は無給なのが普通でした。

 

 

 

 

 

軍隊も同様で、19世紀前半になっても、貴族の中には自費で兵を雇い、正規軍に寄付するか、あるいは自ら義勇軍を率いて参戦するものが少なくありませんでした

 

 

 

 

 

もっとも、こうした制度・社会習慣があるために、政治や外交に関わる仕事が、貴族並びに富裕層によって独占されるという弊害もありました。

 

 

 

 

 

だから民主化が進むに従って、そうしたシステムは改められていくことになります。

 

 

 

 

 

ですが、改革はそう単純には進みませんでした。庶民の側からも職業政治家や職業軍人に対する疑問と不信の声が聞かれました。

 

 

 

 

 

ここに「仕事」と「金」と「純粋な名誉(自己充足)」の一筋縄ではいかない関係が見て取れます。

 

 

 

 

 

漱石の作品には、しばしば高等遊民なる存在が登場します。

 

 

 

 

 

この言葉自体、漱石の造語なのですが、ようするに高等教育を受けて学校を出ても、経済的な顧慮が不要で、就職することなく、好きな読書や散策などをして、表面上は無為に暮らしている人物を意味しています。

 

 

 

 

 

現実にはあまり存在しませんが、小説の作中人物としてはお馴染みのタイプです。

 

 

 

 

 

『それから』の代助がまずそうですし、『彼岸過迄』(1912)の須永や、先に引いた『こころ』の「先生」も、そのひとりです。

 

 

 

 

 

『彼岸過迄』では、大学出の敬太郎が職を得ようとあれこれ動きまわるのですが、彼の友人・須永は偉い軍人だった父親が利殖の道にも明るかったので母と二人で床しく働かずに暮らしています。

 

 

 

 

 

さらに母のその母に実弟にあたる男なども、一種の贅沢家で高等遊民です。もっとも、この高等遊民というポジションは、意外と不安定で退嬰的なものです。

 

 

 

 

 

「何もしないで贅沢に遊んでいられるくらい好いことはないんだから結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうして貴方、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにか遣って行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだまだ中々なので御座いますから不可ません」と打ち消した。

須永の親戚に当る人の財力が、さ程敬太郎に関係のあるわけでもないので、彼はそれなり黙ってしまった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 

 

 

 

 

ここで一点、注意しなければならないのは敬太郎と須永の母が考える「贅沢」の差異です。

 

 

 

 

 

敬太郎が考える贅沢とは「外套の裏は繻子でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要りもしないのに古渡りの更紗玉とか号して、石だか珊瑚だかわからないものを愛玩したりする」余裕を持っているという程度のものです。

 

 

 

 

 

たしかに一人暮らしの男なら、それは十分に贅沢な生活状況でしょう。ですが、須永の母が実弟に望むのは、もっと経費のかかる生活です。

 

 

 

 

 

「一家を構え、妻にも相応の贅沢を許して夫婦揃って晩餐会や音楽会に出かけられるだけの体面を保ち、子供には充分な学問・教育を与え、いずれは子供に譲れるだけの財産を蓄え」と、「健全な生活」の支出は切りがありません。

 

 

 

 

 

敬太郎の願望は「今現在」の生活ですが、須永の母は「将来」の展望を求めます。

 

 

 

 

 

節約すれば一人くらいは生活できる財産に頼る生活は、優雅に見えても一代限りのもので、結婚も子供を持つことも不可能なのです。

 

 

 

 

 

自分以外の家族を持ち、これを扶養するとなると、すぐに困窮してしまうのが高等遊民の財政事情なのです。

 

 

 

 

 

そうならないためには、身につけた学識や学歴を生かして「仕事」をしなければなりません。これはもっと豊かな階層でも、基本的には変わりませんでした。

 

 

 

 

 

高等遊民のモデルであるジェントルマンも、事情は似たり寄ったりでした。

 

 

 

 

 

ヴィクトリア朝英国では上流階級の独身者が多かったですが、女性の側は持参金不足、男性側も資産の不足が、その主たる原因でした。

 

 

 

 

 

はたらくことを軽蔑する階級に属する人々の内情は、自分一人の優雅な生活を支えるのが精一杯で、家族を持つ余裕がなかったのである。

 

 

 

 

 

それならはたらけばよさそうなものですが、それでは階級からの脱落者になってしまいます。

 

 

 

 

 

けっきょく、彼らにとって結婚して子供を持つことよりも、自分自身の階級に止まることのほうが重要だったということになります。

 

 

 

 

 

ここには現代日本の晩婚化、少子化と同じ構造がありました。

 

 

 

 

 

今時の若い男女は、決して無茶な贅沢を望んでいるのではありません。ただ、親元で気儘にしていられたのと同じような生活は、結婚すると中々できなくなります。

 

 

 

 

 

つまり多くの若者にとって、結婚は階級的下落になるのです。

 

 

 

 

 

ここでもう一度、三四郎が思い描いた幸福な未来の条件の1つ「美しい妻」を思い出してみると、それは中産階級の道徳ではなく上流階級の価値観に属しているものだったことに気づきます。

 

 

 

 

 

そして世俗的な成功を「美しい妻」に代表させてしまう三四郎の経済的な成功への野心は、決して大きくなく、むしろ最初から彼の理想は生産ではなく消費の方向を向いているのです。

 

 

 

 

 

「美しい妻」は無用の装飾品です。少なくとも社会的にはそうで、漱石作品では妻は労働と無縁な存在で在り続けます。

 

 

 

 

 

実際、銀行でなにかまずいことがあった平岡の妻が、たとえば上司の娘とか、資産家の娘であれば、銀行を辞めずに「まずいこと」を穴埋めできたかもしれません。

 

 

 

 

 

ですが、友人の妹で今は有力な係累のない(しかし美しい)美千代と結婚した彼は、失職して生活に困窮してしまうのです。

 

 

 

 

 

その上、「美しい妻」を美しいままに保とうとすれば、家事労働を担う家政婦を置き、着物や宝飾品を調えるなど、多大な出費を伴います。

 

 

 

 

 

それができない時、夫は妻に対して負債を負ったような具合になります。

 

 

 

 

 

中産階級においても妻は生産性とは無縁であることが望まれる(夫は働いて稼ぎ、妻に非労働の”上流”を演じさせることで自己の階級上昇願望を一部満足させる)のですから、彼女にお金がないのは彼女自身の責任ではなく夫の責任となるからです。

 

つづく

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