フリーターとニート
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フリーターとニート

「こんなうざい勉強なんか毎日してられるかよっ!」これがO君がある私立高校を中退した理由です。

 

 

 

 

その後の彼が、親や周囲の友だちにフリーターを名乗りはじめたことはいうまでもありません。

 

 

 

 

ですが、O君の日常はふつうのフリーターとはかなり異なっていました。夜勤で働いているわけでもないのに、寝床から抜け出すのはいつも昼すぎです。

 

 

 

 

そして入念に携帯電話のメールをチェックし、シャワーを浴びます。彼が家を出るのは毎日午後3時すぎでした。

 

 

 

 

彼が向かう先は、いつも渋谷のハチ公前でした。そこで友だちと待ち合わせるようにしていたからです。

 

 

 

 

そして彼は、センター街に繰り出して遊びます。どこのゲームセンターにどんなゲームがあるかを、誰よりもよく知っていることが自慢でした。

 

 

 

 

自称フリーターになって最初の夏が近づいてきたころ、仲間の一人が言いました。

 

 

 

 

「最近親父やお袋がうるさいんで、俺、働くことにしたから」親友はその後メールを何度か送ってきましたが、ほんとうに仕事をはじめたらしく、O君が送ったメールの返事は途絶えがちになっていきました。

 

 

 

 

連日遊びほうけていたO君が働こうと思ったのは、センター街で知り合った彼女がある日こういったからです。

 

 

 

 

「ねえ、夏になったら一緒に海に行って泊まろうよ」O君は彼女の手前、いくばくかのお金を用意しなければならなくなりました。

 

 

 

 

O君がバイト先にしようと選んだのは、自宅からほど近いコンビ二でした。「時給750円なら1ヶ月も働けば10万は楽勝だな」

 

 

 

 

と思ったO君ですが、肝心かなめの履歴書の書き方がわかりません。彼女に聞くわけにもいかないと思った彼は、本屋で履歴書の書き方の本を立ち読みしました。

 

 

 

 

ですがO君は、途中でその本をパタンと閉じてしまいました。いざというときには、親に教えてもらえばよいと思いついたからです。

 

 

 

 

予想外の出来事が起きたのは、その直後でした。それまで自分の毎日に無関心だった親が、「毎日遊んでいないで、さっさと働け」といい始め、小遣いをくれなくなってしまったのです。

 

 

 

 

小言はその後、怒鳴り声に変わり、彼の頭の中には「働け働け」という親の声がこびりついてしまいました。

 

 

 

 

それだけではありません。母親はいっこうに働こうとしないO君を監視するためか、彼がセンター街に出かける3時前にパート先からいったん家に戻り、家事をはじめるようなりました。

 

 

 

 

そして再びパートに出る母の隙をついてO君が家を出ようとすると、今度は自営業の父親がトラックで帰ってきます。

 

 

 

 

O君は、遊びに出ることができなくなったばかりか、親に履歴書の書き方を聞くこともできなくなってしまいました。

 

 

 

 

彼を襲った予想外の出来事は、これだけではありませんでした。彼女からの別れのメールが届いたのです。

 

 

 

 

彼女にとって金づるでもあったO君がセンター街に姿を見せなくなったので、もともときれやすいガールフレンドは腹を立て、見切りをつけたのです。

 

 

 

 

以来彼は、高校を中退したことを悔やんだり、履歴書の書き方ひとつ知らない自分を恥じるようになり、親に隠れてタバコを買いに出るのもおっくうになっていきました。

 

 

 

 

O君がひきこもりそっくりの「未成熟型ニート」になったのは、その約2ヵ月後のことでした。

 

 

 

 

まず、O君のようなフリーターを「自称フリーター」と呼ぶことを覚えてもらいたいと思います。

 

 

 

 

それはなぜかというと、O君がフリーターを名乗りながらも「まったく働いていない」からです。

 

 

 

 

わたしの知る限り、ダボダボのズボンをズリ下げ、野球帽をアミダに被り、街を闊歩する若者は、そのほとんどが「自称フリーター」です。

 

 

 

 

昼日中にコンビ二の前にしゃがみこんでいたり、カラオケやゲームセンターにぞくぞくと入っていく若者たちも、「自称フリーター」が多いのが現状です。

 

 

 

 

わたしはこのような若者に自分たちをどう名乗るのか聞いてきましたが、彼らは全員が全員、「自分はフリーターである」と答えます。

 

 

 

 

そこで次に、どんな仕事をしているのかとたずねると、今度は答えが二分します。

 

 

 

 

「働いたことなんかないっすよ」と「前に働いていたけどやめちゃった」です。じつは前者の若者たちが「未成熟型ニート」になりやすいのです。

 

 

 

 

彼らは学校を卒業あるいは中退して「子どもの領域」を出た後、「移行期」で滞留したままになるからです。

 

 

 

 

通常、「移行期」は、最終学歴になった学校を卒業や中退で出た後、社会人として働き始めるまでのわずか数週間だけになります。

 

 

 

 

ですが、自称フリーターは学校を卒業したり中退して「子どもの領域」を飛び出しているにもかかわらず、まったく働こうとしませんし、働くための準備もまったくおこないません。

 

 

 

 

O君のように働くことを先のばしにしていると、いざ働こうとしても失敗する確立が高くなり、「未成熟型ニート」になってしまいます。

 

 

 

 

自称フリーターになる者の生育歴には共通点があります。それが、当人が幼児期からまともなしつけを受けていないことです。

 

 

 

 

だから彼らはそれなりの年齢になっても、人としてやってはいけないことを平気でやります。

 

 

 

 

たとえば、人の面前でつばを吐く、禁煙場所で喫煙する、ごみをあたりかまわず捨てる、商店や家屋のシャッターや公共物に落書きをする、そのきわみが「働かない」になります。

 

 

 

 

では彼らは、なぜ自称フリーターを続けられるのでしょうか。それは、親がかなりの小遣いを与えて彼らを放し飼いにし、親子のいさかいを避けて、身内の平和を保っているからです。

 

 

 

 

したがって彼らは、図体は大きくても中身はまだ子どもなので、自分を立派に見せようと虚勢をはりながら街を歩き回り、同じような境遇にある仲間を求め、必ずつるみます。

 

 

 

 

わたしは、驚くべき金額の小遣いを平気で子どもに渡す親たちが、「自称フリーター」を増産しているのではないかと考えています。

 

 

 

 

学校をすでに出ている自称フリーターが働く準備をおこなわないと、「移行期」のなかで早晩「未成熟型ニート」の初期段階になり、以後「後期段階」にむかって「子どもの領域」に逆走をはじめてしまいます。

 

 

 

 

では、こうして生まれる「未成熟型ニート」が徐々に見せ始めるひきこもり傾向とは、どのようなものなのでしょうか。

 

 

 

 

「未成熟型ニート」のひきこもり傾向は、初期段階では「原形タイプ」になりますが、それ以降は一挙に解決困難な「今日タイプ」に変わっていきます。

 

 

 

 

「未成熟型ニート」のひきこもり傾向が様変わりしていくのは、月日が経つにつれて、「楽」が少なくなり、「苦」が増えたことを日々痛感するようになるからです。

 

 

 

 

彼らは学校を離れて以来、本能のおもむくまま快楽だけをむさぼってきたので、「未成熟型ニート」がすすむと過去の楽しかったことや安楽さばかりが思い出され、なにもできなくなったり、する気にならなくなった自分に苦しみはじめるのです。

 

 

 

 

学校中退は、ほとんどの場合、当人から就職活動の方法を学ぶチャンスを奪い、「移行期」に滞留しやすくしてしまいます。

 

 

 

 

また晴れて学校を卒業した者も、働くことを先送りにしていると、遅かれ早かれ「移行期」で停滞をはじめます。

 

 

 

 

まだ学校に属している現役の生徒や学生のみなさんはもとより、全国の親御さんには「移行期」のもつ意味と、そこで停滞することの危険性を、真剣に考えてもらいたいと思います。

 

 

 

 

O君のような経緯で「未成熟型ニート」になるケースでは、本人はまず「働くなんてまっぴら」と考えています。

 

 

 

 

ですが時間が経過すると、今度は反対に「働かないとまずい」と思うようになり、つぎに「でも、どうやって働くんだ?」で停滞の奈落に落ちていきます。

 

 

 

 

O君が「未成熟型ニート」になった根本的な理由は、自称フリーターの道を選んだことにあるわけですが、その前に彼が、就職指導と就職活動に縁がなくなる学校中退の道を選んだことも原因になっています。

 

 

 

 

つまりO君のようなケースのニートには、以下のような二つの解決法があります。

 

 

 

 

その第一が、当人が学校に戻り、再び勉強したいというのならば、ひきこもりと同じ手法で社会復帰させることです。

 

 

 

 

また当人の希望が「働きたい」にあるときは、ニートとしての停滞を取り除いてあげればいいのです。

 

 

 

 

ではO君は、実際にはどちらの道を選んだのでしょうか?じつはその答えはまる1年、でませんでした。

 

 

 

 

じつは、今後の方針がかなりの期間定まらないのが「未成熟型ニート」なのです。

 

 

 

 

だからこそ彼らは、「移行期」のなかで停滞を長期化させます。わたしは彼と出会ってからの1年間を、彼が「学校にするのか」「就労にするのか」をじっくり考えるための期間にあてました。

 

 

 

 

なぜそんなにのんきに見えることをしたかというと、O君のような中退者から生まれたニートの場合は、当人をいったん立ち止まらせ、当人自身に今後の進路を決めさせないと、かならず再ニート化を起こすからです。

 

 

 

 

O君と同じような経緯でニートになった子どもを持つ親御さんには、ぜひこの点に細心の注意をはらっていただきたいと思います。

 

 

 

 

人生を左右する宿題を抱えたO君を、わたしはさまざまな人と会わせました。支障のない範囲で、仕事場に同行させたのです。

 

 

 

 

結局、彼は、単位制の高校に復学しました。酒もたばこもやめました。学校に通いなおすことを決意したとき彼は、「社会の厳しさを思い知ったので、中退の負い目を引きずっていたら自分はまただめになる」と思ったそうです。

 

 

 

 

彼は現在、テレビのカメラマンになるため専門学校にいます。就職のときには「ぜひ、相談に乗ってください」とも言いました。

 

 

 

 

言葉遣いひとつを見ても、彼は「成熟」しつつあります。「未成熟型ニート」は自称フリーターだけが陥る状態ではなく、「えっ!」と驚くようなことでもつぎつぎと生まれます。

 

 

 

 

それを説明するために、O君とは異なる原因から生まれる「未成熟型ニート」を紹介しましょう。

 

 

 

 

いまこの変形版が、じわじわと増えていることがよくわかるはずです。

 

 

 

 

不登校を甘く考えた親が生み出す「未成熟型ニート」

 

 

 

 

昨年のゴールデンウィークの直前にひきこもり自立支援センターを訪ねてきた親御さんには、大学2年生になるひとり息子のP君がいます。

 

 

 

 

P君は、都内にある私大の付属高校から理工学部に進学したとたん、大学不登校になり、除籍処分が刻一刻と迫っていました。

 

 

 

 

両親から事情を聞き、まだ時間の余裕があると判断したわたしは、両親に即刻「休学届け」を出すようにすすめました。

 

 

 

 

P君の不登校が2、3ヶ月の集中的なケアで解消できるだろうという判断と、親から聞き出したP君の性格から、彼が大学を去ることになったとき、自ら選んだ退学ならば、大学中退から社会の一員になる余地が残るが、除籍処分を受けてしまうと、「除籍」という不名誉が、はまれ高い彼を十中八九「未成熟型ニート」にしてしまうと予想できたからです。

 

 

 

 

したがってわたしは、両親が遅くとも連休明けには「休学届け」を提出したという話とともに、再度連絡してくるものと思っていました。

 

 

 

 

ですが、連休が終わっても、5月下旬に入っても、電話がいっこうにありません。わたしは非常に嫌な予感がしました。

 

 

 

 

わたしが電話をかけると、案の定、その両親は息子の「休学届け」を提出していませんでした。

 

 

 

 

そればかりか、父親はわたしの名前さえ忘れ、次のようなことを言いました。

 

 

 

 

「わたし(父親)も高卒ですし、息子も高卒になってもかまわないので、もう大学はためさせて働かせますから。

 

 

 

 

いまはテコでも動きませんが、自分の息子ですからかならず働くようにしてみせますので、もうあなたに頼まなくてもよくなりました」

 

 

 

 

わたしは、ことはそれほど甘くないことを電話口から伝えました。しかし、それは無駄なことでした。

 

 

 

 

結局、わたしはP君の社会復帰にかかわることができませんでした。みなさんは、現在の彼が就労者ではなく、「未成熟型ニート」になっていることがおわかりでしょうか。

 

 

 

 

そう、「休学届け」を出しそこなったP君は、単位不足を理由に除籍処分を受けた瞬間、「子どもの領域」から押し出されます。

 

 

 

 

父親から働くように何度も促されるでしょうが、P君が、親に言われて気を取り直し、心機一転、就職活動にいそしむわけがありません。

 

 

 

 

彼は必然的に、「移行期」で停滞をはじめる「未成熟型ニート」になってしまいます。

 

 

 

 

じつはこの数年、高校・大学・大学院の不登校が増えるなか、P君と同じ経緯で「未成熟型ニート」化する在宅不登校やひきこもりが後を絶ちません。

 

 

 

 

彼らの親が、P君の父親のように、「不登校(ひきこもり)が解消できず家でもたもたしているのなら、いっそのこと働かせてしまえ!」と考え、「就労」という手段で不登校やひきこもりを強引に解決しようとするからです。

 

 

 

 

ですが、当然のことながら現実はそんなに甘くありません。学校でうまくやっていけなかった不登校者やひきこもりの若者が、親のあと押し程度でうまく働けるようになるはずがないからです。

 

 

 

 

そのうえ、彼らが抱え込んだ停滞は、彼らの親が生み出しています。だからこのような親の言動は、当人から見れば、「自分を不登校(ひきこもり)にまで追い込んだ親が、今度は働けというのかっ!」になります。

 

 

 

 

不登校やひきこもりの親たちはよく、「わが子ながら、身勝手で困っています」とわたしにこぼします。

 

 

 

 

ですが、その身勝手さは、彼らが自分の親を真似ているにすぎません。しかし、親たちはそのことにまったく気づかず、不都合をすべて子どものせいにします。

 

 

 

 

つぎにさらに深刻な「未成熟型ニート」について説明したいと思います。在宅のひきこもりや不登校が、まず第一に親の関与で「未成熟型ニート」に化け、つぎにわが子をもてあました親が当人をひきこもり支援団体に入れ、そこでもっともひきこもり傾向が顕著な「先祖がえり型ニート」にさせられてしまうケースです。

 

 

 

 

事例を読めば、それが親とひきこもり支援団体による「負の二重奏」の結果であることがわかるはずです。

 

 

 

 

Qさんは長身でモデルのような風貌をたたえた京美人でした。彼女がひきこもりになった理由は、親に希望の進路を絶たれたからです。

 

 

 

 

幼い頃から絵画が好きだったQさんの夢は、大学に進学して絵描きになることでした。

 

 

 

 

ですが両親は、Qさんから東京芸大にすすみたいという話を聞いたとたん、猛反対しました。

 

 

 

 

親は、Qさんが姉たちと同様に良家に早めに嫁ぎ、専業主婦になることがいちばんの幸せだと考えていたからです。

 

 

 

 

彼女は高校2年のとき、これ以上がんばって勉強しても自分の夢はかなわないと思い、不登校からいっきにひきこもりになってしまいました。

 

 

 

 

彼女のひきこもりは自宅で1年以上続きました。さすがの親もこれには参ったようで、なにかいい手立てはないかと思案をめぐらせた結果、彼女を市内の骨董屋でアルバイトさせることにし、その旨を彼女に伝えました。

 

 

 

 

Qさんは1年以上ひきこもっていたとはいえ、ひきこもりの程度は軽いものでした。

 

 

 

 

なぜならば、彼女には確固たる人生設計があったからです。彼女の人生設計は、いまどきの若者にしてはかなりしっかりしていました。

 

 

 

 

彼女は20代の前半まで芸大で学び、後半を留学に費やし、さらに結婚はその先によい縁が得られたらとまで決めていて、いざというときのための貯金さえしていました。

 

 

 

 

彼女が結婚を先送りしたいと考えた理由は、20歳そこそこで嫁いだ姉たちが、実家に帰るたびに嫁ぎ先で起きたさまざまなことを愚痴ってばかりいたからです。

 

 

 

 

Qさんはそれを聞かされるたび、「あまり若いうちに結婚しないほうがよい」と考えるようになりました。

 

 

 

 

自分のひきこもりの状態をなんとかしなければと思っていたQさんは、ダメでもともとという気持ちで、親からすすめられたアルバイトをはじめるといいました。

 

 

 

 

娘のこのひと言で親は舞い上がりました。しかし初出勤の日、彼女は何を思ったのか、部屋から出てきませんでした。

 

 

 

 

この時点で、Qさんは「未成熟型ニート」化したといえます。彼女はその1年後、最寄のひきこもり支援団体に入れられました。

 

 

 

 

親が彼女のひきこもりにさじをなげ、支援団体に期待を寄せたからです。支援団体に入ったQさんの引きこもり状態は、彼女が支援団体の暮らしに慣れてくると、徐々に軽減されていきました。

 

 

 

 

ですが、そのひきこもり支援団体は、彼女のひきこもりが軽減されていく様を見守るだけで、彼女になんのケアもおこなわず放置していたので、就労への忌避観は残り、「未成熟型ニート」は進んでしまいました。

 

 

 

 

自分なりに支援団体に期待を寄せていたQさんが、このままではいけないという焦りにとらわれるようになったのはそのころです。

 

 

 

 

彼女が焦った理由は単純でした。自分の人生設計に狂いが生じたからです。だから彼女は支援団体のなかで極力陽気にふるまうようにし、一刻も早く無罪放免になり、自宅に戻れるように努めました。

 

 

 

 

支援団体ではめずらしいほど闊達なQさんをめざとく見つけ、彼女に職業訓練を受けるようにすすめたのは、その団体にいた自称元ニートの男性でした。

 

 

 

 

彼は談話室や食堂で彼女の姿を発見すると、「自分がニートから脱出した」ことを自慢げに話し、Qさんに職業訓練にぜひ参加するように執拗にせまりました。

 

 

 

 

一刻も早く支援団体から出たかったQさんは、支援団体のすすめる職業訓練を受けることにし、仲間とともにある畜産業者の宿舎に住み込みました。

 

 

 

 

ですがQさんは、働き始めて数日後には、慣れない力仕事と糞尿の臭いに耐えられず、作業現場で身動きできなくなってしまいました。

 

 

 

 

体調不良を理由に部屋に戻ったQさんは、手を洗う際、自分の指の異変に気づきました。

 

 

 

 

それまで色白でか細かった自分の指が徐々に武骨にかわろうとしていたのです。「これでは筆のタッチがつかめない」そう思ったQさんは、ついに宿舎でひきこもりをはじめてしまいました。

 

 

 

 

彼女はやがて、支援団体から「どうしようもないひきこもり」と判断され、自宅に戻されました。

 

 

 

 

Qさんが職業訓練先の宿舎で見せたひきこもり傾向は、ひきこもりの再発によるものでも「未成熟型ニート」によるものでもありません。

 

 

 

 

支援団体にいた自称元ニートの男性から職業訓練を受けろと再三再四いわれたことを「きっかけ」に職業訓練を受け、それに頓挫したことで、「先祖がえり型ニート」に化けたために生まれたものです。

 

 

 

 

「先祖がえり型ニート」は、ひきこもりがなんらかのきっかけで「働かなくてはならない大人の領域」に放り込まれ、そこでうまく働けないと、停滞を起こし、しだいに「移行期」をへて「子どもの領域」へと逆走していくのが特徴です。

 

 

 

 

Qさんのような「未成熟型ニート」も、ひきこもりも同様に「先祖がえり型ニート」に化けてしまうのです。

 

 

 

 

Qさんをひきこもりから「未成熟型ニート」に化けさせたのは、P君の場合と同じく当人の親ですが、彼女を就労年齢に入ったひきこもりと受けとめ、就労を経験させて「大人の領域」に放り込んだひきこもり支援団体が、今度はQさんを「先祖がえり型ニート」にしてしまったのです。

 

 

 

 

話を「未成熟型ニート」に戻します。支援団体に入っても「未成熟型ニート」を進行させていたQさんの希望は、一刻も早くこの状態から脱し、東京芸大に入学することにありました。

 

 

 

 

ですから彼女は、支援団体にいた元ニートの青年から職業訓練を受けろといわれて、気持ちがあいまいなまま職業訓練に参加してしまいました。

 

 

 

 

じつは、何年も「子どもの領域」にいた者が「就労」にかかわることを実行するよう求められたり「就労」について考え始めると、自分でも知らぬ間に「子どもの領域」から少しずつ抜け出し「移行期」にむけて歩をすすめてしまいます。

 

 

 

 

彼らがなぜこのような奇妙なかたちで領域の移動をはじめるのかというと、彼らが「学校」という歯止めを持っていないからです。

 

 

 

 

すでに説明したように、一般の若者は「子どもの領域」(学校)のなかで就職指導を受け就職活動の準備をきちんとおこない、そこでたくわえた力のすべてを就職活動に凝縮して一気に「大人の領域」に入っていきます。

 

 

 

 

したがって彼らは、「大人の領域」でニートになる可能性はもつものの、少なくとも「移行期」のなかに転落し、そのなかでニートになることはありません。

 

 

 

 

ですが、不登校やひきこもりの若者たちにはこの歯止めがありません。だから、彼らの目の前に「就労」の二文字がぶらさがったりちらついてくると、彼らに就労を求めてきた者の指示通り、奴隷のようにだらだらと「移行期」に入ってしまいます。

 

 

 

 

では、このようにして自分でも気づかないうちに「移行期」に入ってしまった者は、つぎにどうなるのでしょうか。

 

 

 

 

そう、そこで遅ればせながらでもきちんとした就職活動をおこなえば、彼らにはまだ就労者になれる可能性は残ります。

 

 

 

 

それでは「移行期」に入った後、そこで就労の是非や可否を考え込んだり、頑なまでに就労を拒否すると、その者がどのようになっていくのかを説明していきます。

 

 

 

 

結論を先に言うと、そのような者は必ず「ニート化」を起こします。「未成熟型ニート」の初期段階とは、まさにこのときの有り様なのです。

 

 

 

 

さらに、「未成熟型ニート」の初期段階になった者は、そのまま「移行期」にとどまることはできず、「子どもの領域」に落ち着く後期段階に到達するまで、ひきこもり傾向を強めていきます。

 

 

 

 

ひきこもりから「未成熟型ニート」経由で「先祖がえり型ニート」になってしまったQさんへの対処法を書いてみたいと思います。

 

 

 

 

Qさんへの対処法を読めば、ニートを解消するには「最後の停滞」からさかのぼるようにして、ひとつひとつ停滞を取り除くことが肝要であることが理解できると思います。

 

 

 

 

自宅にもどったQさんのひきこもりは、わたしが想像していたより軽微なものでした。

 

 

 

 

その理由は、先に紹介したように、彼女が自分の人生設計をきちんと持っていたからです。

 

 

 

 

わたしはQさんにあてた自己紹介の手紙を彼女の部屋のドアに差しこみ、しばらくのあいだ、携帯メールを使って信頼関係を築く作業に専念しました。

 

 

 

 

そして彼女の両親には、結婚のことや支援団体にいた当時のことは絶対に話さないように確約してもらいました。

 

 

 

 

メールとはおもしろいもので、通信を重ねていくと徐々に相手の嗜好がわかってきます。

 

 

 

 

Qさんは絵画の道を志していただけあって、美しいものには目がありませんでした。

 

 

 

 

わたしは趣味の寺めぐりのさいに集めた各地の寺院のパンフレットをQさんに送り、「京都の寺社には、もっとすばらしいところがあると思うので、今度京都に行ったら、ゆっくり寺をめぐってみたい」という手紙も添えました。

 

 

 

 

ですが、彼女からのメールは、パタッと止まってしまいました。わたしはこれまでの経験で、もしかすると、京都生まれのQさんが、市内の寺のことをあまり知らず、それを恥じて返事をよこさないのではと思い、「実は鎌倉に住む自分も、東京に住む人が東京タワーにいったことがないと言うように、鎌倉の寺のことをよく知らない」というメールを送り、彼女を安心させました。

 

 

 

 

あるとき、わたしが畿内を訪れることがあり、その旨を彼女に伝え、ダメもとで京都市内にある寺社の案内を依頼してみました。

 

 

 

 

彼女は、今度はかなり詳しいプランをわたしの自宅に送ってくれました。奈良から京都にまわったわたしを、Qさんはいちばん上の姉とともに京都駅で出迎えてくれました。

 

 

 

 

わたしがその日、彼女のために割くことができた時間は、8時間程度でした。わたしは姉と別れたQさんの案内で京都南部の寺社をめぐり歩きました。

 

 

 

 

遅い昼食のとき、わたしは彼女に「これからなにかしてみたことはなんですか」とたずねてみました。

 

 

 

 

やはり、彼女の希望は芸大に入ることでした。京都見物を終え、Qさんと別れたわたしは、そのことを彼女の両親に伝え、さらにその話にもしばらくの間は触れないようにと念を押しました。

 

 

 

 

他人であるわたしとさまざまなことを話をし、また行動をともにできた段階で、彼女の「先祖がえり型ニート」のひきこもり傾向はほぼ解消されたと判断できました。

 

 

 

 

「娘の様子が少しよくなってきたようです」という電話をQさんの母親から受けたのは、わたしが都内の仕事場で打ち合わせをしている最中でした。

 

 

 

 

わたしは母親に、今度は京都の北部を案内してほしい旨を伝えてくれるようにと頼み、日程が決まり次第連絡すると申し添えました。

 

 

 

 

私が再度、京都を訪れたのは、その1ヵ月後でした。夜行バスで京都入りしたわたしを、Qさんはバス停で待っていてくれました。

 

 

 

 

わたしは再び、京都見物の案内を彼女に託しました。「未成熟ニート」がひきこもりと似てしまう理由のひとつに、彼らがひきこもりと同じように、世の中のことをあまり知らないということがあります。

 

 

 

 

ですが、「未成熟型ニート」の世間知らずは、狭い地域社会しか知らないというもので、社会のシステムやルールそのものを知らないひきこもりとは異なります。

 

 

 

 

そのような理由で、わたしは京都というミニ社会からQさんを連れ出すため、よい場所がないかと思案をめぐらせました。

 

 

 

 

彼女は美しいものには目がありません。わたしはお寺の見学を終えた後、彼女に「今度は思い切って自分の親と一緒に鳥羽の真珠養殖を見に行きませんか」と誘ってみました。

 

 

 

 

わたしは、Qさんと親の関係がどの程度改善されたのかを知るため、彼女自身の口で、それを両親に伝えてもらうことにしました。

 

 

 

 

両親が我慢してきた成果がでました。Qさんは、両親とともにという条件を守り、翌々週、近鉄鳥羽駅に約束どおり姿を現したのです。

 

 

 

 

一家はごくふつうの家族に見えました。わたしは彼女にこのようなメールを送っておきました。

 

 

 

 

「今度鳥羽で会ったとき、わたしからあなたの親に、Qさんの希望が芸大に入ることだと言ってもいいですか」と。

 

 

 

 

彼女はわたしの提案に、丁寧な言葉で「頼みたい」と返信してきました。夕食を楽しみながら、わたしは両親に話を切り出しました。

 

 

 

 

父親も母親も、末娘の思いを今度は深く受けとめてくれ、Qさんの受験勉強と芸大合格後の東京での一人暮らしも認めてくれました。

 

 

 

 

両親がこのように変わったのは、ひとつにはわたしと出会ったことで彼らの凝り固まった価値観にひびが入ったこと、またQさんがわたしとかかわるうちに、親がよく知っていた本来のQさんらしさを取り戻していったことがあげられます。

 

 

 

 

つまり親が自分たちの考え方を娘に押し付けさえしなければ、彼女はなんら問題のない、夢と希望とやる気に満ちた娘だったことに気づいたのです。

 

 

 

 

このような親の「気づき」があれば、当人のひきこもり傾向は徐々に払拭されていきます。さらに1か月後、わたしはQさん一家に上京を促し、東京芸大や上野界隈を案内しました。

 

 

 

 

Qさんはもしかすると自分が暮らすかもしれない東京の下町に胸を躍らせました。彼女がその後、わたしのアドバイスによって、大検合格を目指したことは言うまでもありません。

 

 

 

 

Qさんは結局、芸大には合格できませんでしたが、他の美大を経て現在はパリにいます。

 

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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援