ひきこもり体験者の告白~どのようにして立ち直ったのか~
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ひきこもり体験者の告白~どのようにして立ち直ったのか~

ひきこもりのご本人は、Mさんで現在27歳の男性です。市内のコンビニエンスストアで週2~3回のアルバイトを続けながら、単身生活を送っています。

 

 

 

 

 

小さいころから周囲に合わせるようになって、すると何となく本来の自分を自由に表現することができなくなり、大学卒業後、1年あまりひきこもりの時期を体験したそうです。

 

 

 

 

 

でも、高校時代には生徒会の役員をやったこともあるそうです。そんな彼ですから、周囲の友だちはもとより、家族でさえ、Mさんのそんな気持ちに気づくことはありませんでした。

 

 

 

 

 

ご本人は、ご自分の体験を原稿用紙に書いてあらかじめ用意されていました。ご本人の承諾を得て、以下に転載します。

 

 

 

 

 

「わたしの生い立ち」

 

 

 

 

 

わたしは北海道のさらに北の端の片田舎のA市で生まれました。家は明治時代に屯田兵として入植して以来三代続く農家で、三歳上に姉が一人います。

 

 

 

 

 

祖父母、曾祖父、四世代同居の六人家族の中に、待望の長男として生まれました。父が三一歳、母が二五歳のときです。わたしが小学校に入るころ、まだ五〇代の働き盛りの祖父母が続けて亡くなりました。

 

 

 

 

 

父と母にとっては、大変な時期だったと思いますが、わたしは田舎のせいか、とりわけ寂しい思いなどはせず、楽しい幼児期を過ごしました。

 

 

 

 

 

わたしの人生で特徴的なのは、それからの小学校時代だと思います。わたしの通ったA市のさらに片田舎にある小学校は、その当時で全校生徒が一三人しかいない複式の学校でした。

 

 

 

 

 

ちなみに先生は、校長先生も含めて四人です。そんな中、その年の一年生はわたし一人という、都会ではなかなか味わえない特注な環境で、わたしの学校生活はスタートしました。

 

 

 

 

 

このような少人数校は、陰湿ないじめや不登校がなく、先生とも親密で今の教育に欠けている重要な面が、まだ多く残っていると思います。

 

 

 

 

 

しかし、そのような同年代の仲間と接することの少ない、大人の目が行き届いた環境で、わたしは自然に周囲の目を過度に気にする性格になってしまいました。

 

 

 

 

 

これは、全員がそうなるわけではないので、わたしの気質というものが多分に関係していると思いますが、かなり子どもらしくない大人びた子どもだったと思います。

 

 

 

 

 

それは、親子の間にもしだいに影響を及ぼしました。長男として父母は、農業を継いでくれることをもちろん期待していました。

 

 

 

 

 

しかし、わたしはそのころから親と田舎への反発から都会に憧れ、華やかなテレビの世界で将来仕事をしたいなあと思うようになっていました。

 

 

 

 

 

しかし自分を繕うことにたけたわたしは、そんなことを親に言うはずもなく、内に秘めたまま小学校生活を終えました。

 

 

 

 

 

その後、街の中学校へ進むことになりました。田舎の少人数の小学校から街の大きな中学校への進学ですので、友だちができるか、いじめられないか、親もわたしも不安いっぱいの入学でした。

 

 

 

 

 

しかし、運よく友人にも恵まれ、充実した三年間を送ることができました。しかし親子の問題は、往々にして人生の節目に起こるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

わたしは、早く田舎を離れて都会へ出たい一心で、進路を決める際、B市の農業高校を希望しました。親もはじめは同意していましたが、そのうち将来の選択が広がる普通科のほうがいいということになり、結局わたしはC市の普通高校に進学し、親もとを離れて下宿することになりました。

 

 

 

 

 

そこには子どもへの配慮も、親の見栄もあったかもしれません。賢明な判断だったかもしれませんが、しかし親子が分かり合えるせっかくの機会を、お互いの琴線に触れることなしに終わらせてしまったことは、今思うと問題を先送りにしただけでした。

 

 

 

 

 

高校時代も有意義な三年間でした。勉強はあまりしませんでしたが、生徒会活動などで充実した毎日でした。高校二年のときには生徒会の役員もやりました。

 

 

 

 

 

しかしそれは一方で、親もとからの通学ではなかったため、親とも衝突せず、将来の問題を棚上げにした三年間でした。進路決定の三年の秋に、お互い再度、現実と向き合うことになりました。

 

 

 

 

 

大学には興味がなく東京に行きたいだけのわたしと、農業大学に行き後を継いでもらいたい父、地元にいてほしい母、とうとうお互いの相違が明らかになりました。

 

 

 

 

 

結果的には、担任の勧めもあり、推薦で首都圏のD大学に進むことになりました。正直、両者とも100%納得しない折衷案でした。

 

 

 

 

 

そんな気分を引きずってか、大学生活ははじめから晴れがましい気分ではありませんでした。

 

 

 

 

 

テレビ業界への憧れを試してみることもなく、たまに会う親の前では笑顔でしたが、無気力な過去と故郷だけが気にかかる、「後ろ向きの四年間」という形容詞がぴったりの大学生活でした。

 

 

 

 

 

そんな状況では就職活動などやる気がおきるわけがありません。案の定、就職も何も決まらずA市の実家に戻ってきました。

 

 

 

 

 

「ひきこもり体験」

 

 

 

 

 

家にもいられず、その年の五月に、札幌に出てアパート住まいをすることにしました。今もそこで暮らしています。そして、あるレンタルビデオショップでバイトを始めました。

 

 

 

 

 

挫折を経験した若者によくありがちなことですが、このころから「福祉」に興味を持ち始めるようになり、知的障害者の作業所でボランティアをしたり、指導員になろうと首都圏まで資格の受験に行ったりもしました。

 

 

 

 

 

しかしそれらの行動は表面だけで終わり、本腰を入れられず、次第に寝てばかりの何もしない日々が続くようになりました。バイトを一年でやめたころからわたしのひきこもりが始まったと思います。

 

 

 

 

 

毎日毎日、図書館とスーパーの往復で、行かない日は一日中家にいました。九時の起床が一二時になり、その反動で明け方まで寝られず、昼夜逆転の生活が続きました。

 

 

 

 

 

もちろん、寝る前にいっそ目覚めなければいいと何度も思いました。何でこんなことになったんだろうとため息をつき、自暴自棄の毎日でした。

 

 

 

 

 

格好悪いのでほっといてほしいと思う反面、帰宅すると誰かから電話がなかったか、真っ先に留守電のランプを気にする淋しさもありました。

 

 

 

 

 

そのくせ家にいるときにかかってきた電話には出られず、かなり居留守を使いました。電話にも出ないので、親はバイトを続けていると思っていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ひきこもって一年後、たまに立ち読みに行っていた古本屋の手伝いをすることになりました。小さな古本屋なもので、何回か通っているうちに顔なじみになり、店主から声をかけられ少しずつ言葉を交わすようになりました。

 

 

 

 

 

ある日、どうせいつもそこにいるんだからと思ったのか、「君、店番してくれないか?」とその店主から声をかけられました。それでほぼ一年ぶりにわたしのバイト生活が再開しました。

 

 

 

 

 

週二、三回の店番の手伝いは、生活の句読点にはなったかもしれません。しかし、それも毎日ではなく、小さな古本屋の店の片隅にじっと座って本を読んでいるくらいの店番ですから、目立って生活が変わったわけでもありません。

 

 

 

 

 

でも、そこでわたしのひきこもりは一応終わったのだと思います。

 

 

 

 

 

「ひきこもりの原因」

 

 

 

 

 

ひきこもった原因を今考えてみますと、まず第一にわたしの持って生まれた性質、そして幼少期からの周りの環境も少なからず性格に影響を与えたと思います。

 

 

 

 

 

わたしの父も、大雑把のようで気を遣う性格で、そのせいもあるかもしれません。お互い相手を傷つけないようにと配慮した不自然な結果が、このような問題を生んだのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

第二には、親が子どもを自分の思うように育てたく、子どもの自然な成長を妨害してしまうことがあげられると思います。親が子どもによかれと思ってしていることが、結果的に親自身が自分の利益のために、自分が恩恵を受けたいがために、無意識にしていることがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

それは親自身の老後の不安であったり、世間体からかもしれません。子どもは「自分は親のためだけに生まれてきたのか?」と早くから疑問を抱きます。

 

 

 

 

 

そこできちんと反抗できる家庭は健全だと思いますが、手取り足取りお膳立てをされつくされた子どもには、もうそんな勢いはありません。

 

 

 

 

 

よく「うちの子には、反抗期がなかった」という親がいらっしゃいますが、反抗する必要のない、反抗させてもらえない親子関係が、少子化などにより最近はつくられやすいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

わたしも下宿だったこともありますが、反抗期らしいものはありませんでした。父の嫌いなフリーターまがいの生活に入った時が、親への遅い反抗だったと思います。

 

 

 

 

 

反抗を適切な時期に自然発生させること、親が子どもの試行錯誤(トライ・アンド・エラー)を適切に見守れる精神力を持つこと、この二つが子どもの教育には大切だと思います。

 

 

 

 

 

自分の好きなことをしたい、親のことも考えなければならない、兄弟が少ないのでほとんどわたしの肩にかかる、そんなことを誰にも話せない、反抗もできない、そんな思考の板ばさみからの自然な逃避が、わたしのひきこもりの原因だったのではないかと思います。

 

 

 

 

 

「ひきこもりの中の快楽」

 

 

 

 

 

これまでの話は、皆さんには聞きあきた話かもしれません。反抗期の時期も終わり、もう育児がどうのという年齢ではなく、かといって放っておくわけにもいかず、苦々しい思いをされている親御さんがほとんどではないでしょうか。

 

 

 

 

 

よく「三〇歳までは自由に」と言われる方々がおられます。確かに、放っておけばそのうち自然に学校に行ったり、働いたりする例もあるようです。

 

 

 

 

 

しかし、ひきこもりの当事者も苦しい思いをしている反面、現実逃避を繰り返しているうちに、本人にとってそれが快楽になり、なかなか再起が難しくなる面も否定できないと思います。

 

 

 

 

 

その点でひきこもりは、タバコやアルコール、薬物などに類似しているのではないでしょうか。自覚症状や周囲の関心があまりないところから、わたしはタバコに一番似ていると思います。

 

 

 

 

 

親御さんたちは、今日まで親子での説得等、試行錯誤を繰り返されたと思います。しかし、薬物に更正施設が必要なように、第三者の介入や何かで家庭に変化を及ぼさないと、本人の変化もあまり期待できないのではないかと思います。

 

 

 

 

 

人が変わるというのは、大変なことだと自らの経験からもつくづく思います。また昼まで寝てしまったと自己嫌悪に陥ったことが何百回あったでしょうか。

 

 

 

 

 

そのたびごとに、なんとも言えないイヤーな気分を味わってきました。そんなとき、自分を責めて立ち直る人もおられるでしょうが、わたしには無理でした。

 

 

 

 

 

わたしには自分を責めることではなく、肯定することが必要でした。何もしなかった何年間もの無駄な時間を、後悔して立ち上がるのではなく、昔の自分を許し肯定することで気が楽になり、小さな一歩を踏み出せた気がします。

 

 

 

 

 

最後に、わたしはそもそもは活字嫌いなのですが、ひきこもりの現実から逃避するために本を読み始めました。その中でわたしに多くの影響を与えてくれたのが、柳田邦男さんが息子の自殺と脳死を赤裸々に書いた「犠牲ーサクリファイス」という本や、柳美里さんの私小説などでした。

 

 

 

 

 

著者が世間体など省みず、自分の挫折や人生をありありとさらけだした本に衝撃を受け、共感しました。その影響を受けて、自分の心の内で自分自身を「ぶざま」と呼べたこと、そして自分の外に向けてわたし自身のひきこもりを公表しようとしたことが、わたしの場合、自分のありのままを許し、肯定するということだったのかもしれません。

 

 

 

 

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