ひきこもり・不登校の学校・職場復帰
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ひきこもり・不登校の学校・職場復帰

20歳以上のひきこもりの人の社会参加の到達目標として、わたしは2つを設定できるように思います。

 

 

 

 

1つは、学校復帰や就職・就業です。もう少し、一般的な表現をすれば、家族以外の集団的な場の一員として継続的に参加していることです。

 

 

 

 

これは周囲の人にわかりやすく、また社会参加という場合に求められやすい内容です。ひきこもりの経験者にとってもわかりやすく、納得しやすいものです。

 

 

 

 

就職に関しては、企業側の正社員採用が改善されつつありますが、雇用状態が流動的になっています。当事者の願いやそれを実現できそうな精神状態だけではなかなか達成されません。

 

 

 

 

そこで、継続的なアルバイトや、ときには継続的なボランティア活動なども含めて考えることにしています。

 

 

 

 

学校復帰の場合は、学籍があるだけでは十分ではありません。不登校、休学になっている人はもちろん、放送大学、通信制高校・大学に籍を置くだけという人も多くいます。

 

 

 

 

これらは学校復帰とはいえません。実質的な学校生活があるというのが学校復帰です。

 

 

 

 

もっとも、たとえば通信制高校に入学し、徐々に学校生活に入る道もありますから、この面から通信制高校に入学することを否定的にみているわけではありません。

 

 

 

 

この学校復帰や就職・就業はわかりやすいのですが、しかし目線の高い目標であり、人によってはそれにこだわっていては、適切な目標とはいいがたいこともあります。

 

 

 

 

また、もうひとつの社会参加の目標は、同世代復帰です。同世代のなかで継続的な対人コミュニケーションがとれるようになることは、社会参加(少なくともその基盤の確立)といえると考えます。

 

 

 

 

年齢が下がるほど同世代は同年齢と同義になり、年齢が上がるほど、同世代の年齢の幅は広くなります。

 

 

 

 

対人関係において、継続的なコミュニケーションが取れないのは、人を目の前にして、どの程度受け入れるのか、どの程度受け入れないのか、相手によってうまく調節できないことによるものです。

 

 

 

 

人と人との関係は常にゆれていて、一日一日微妙に違ってきます。それを理性と感情の働きでコントロールしています。

 

 

 

 

コミュニケーションがうまく取れないのは、繊細な感性の作用としてこのコントロールがうまくいかないためと考えられます。

 

 

 

 

コントロールが不安定であると、ときには相手を無防備に受け入れてき傷ついたり、逆にそういうことを恐れて無条件に心を閉ざしてしまうことになります。

 

 

 

 

そのため、何も話さない、何も話せないということになります。あるいは、相手が何を望むのかを先取りしてそれとつきあい、そのために神経をすり減らしてくたびれはててしまうのです。

 

 

 

 

自分の心を相手に開くことは、プライベートな情報の開示を伴いますが、相手との関係のなかで程度や内容が自然に調節されていきます。

 

 

 

 

対人関係の練習では、相手との年齢間の差が大きいほど楽です。それは、情報内容や考えかたに差があることが苦にならないからです。

 

 

 

 

年齢差が少なくなってもコミュニケーションが楽になること、それが同世代復帰を目標とする意味です。

 

 

 

 

社会参加の到達目標の2つのうち、学校復帰や就職は外見上、目につきわかりやすいものです。同世代復帰はわかりにくいのですが、内面的でより本質的なことです。

 

 

 

 

両者は、実態としては必ずしも同時進行しないこともあります。ところで、社会参加(とくに仕事に就くこと)のうえでの対人コミュニケーションと、親友作りにつながるコミュニケーションは、必ずしも同じではありません。

 

 

 

 

これまでわたしが出会ったいろいろなタイプの人を思い浮かべてみました。そうすると、「親友らしい人がいるとは思えない(そうは見えない)けれども、社会参加をしている人」がつぎつぎと思い浮かんできたのです。

 

 

 

 

わたしはある診療所で働いていたことがあります。そこの所長の医師は、独立独歩のタイプでした。医師仲間とのつきあいが深いわけではなく、というよりも孤高といってよいと思いました。

 

 

 

 

医師としての業務に集中し、十数人の職員を指揮していました。幼なじみ的な、仕事とは直接はつながらない友達はいたかもしれませんが、そのような対人関係上のコミュニケーションは、ここでは必要なかったのです。

 

 

 

 

ほかにも思い当たる人はいるのですが、いや、ほかの人のことを言わなくてもよかったのです。わたし自身にしてもはたして親友と呼べる人がいるかどうか。

 

 

 

 

大学時代に「寝食をともにし」「同じ釜のメシを食った」何人かの友人はいますが、30数年を経た現在、住む場所も遠く離れてしまい、日常的な交流はありません。

 

 

 

 

あるとき、テレビである落語家兼タレントが言っていました。「親友というのは、その人がどんな場合であっても、その人の側につくような人です。

 

 

 

 

社会的に非難されるようなことをしたからもう親友じゃない、というのはもともと親友じゃなかったんです。

 

 

 

 

その人を多くの人の前で弁護したり、わたしの親友ですとまではいわないかもしれないけれど、二人になったときにそいつのことを考えそいつの身になって一緒に苦しみ、そこから抜け出す方法を考えるとか、じたばたしてみるとか、場合によっては、刑を終え牢から出るまで待っていてそいつを支えるとか、そういうのが親友なんです。

 

 

 

 

そうじゃなくて自分に都合のいいときは親友、都合が悪くなればただの知り合い程度というのは、もともと親友じゃないんです」

 

 

 

 

親友とは、切っても切れない絆で結ばれた友人関係だとおもいます。高いレベルの友達ということだと思います。

 

 

 

 

このような親友関係が生まれる条件とは、わたしの勘、推測では、つぎのような場合です。

 

 

 

 

*少なくとも中学生以前からのつきあいがあり、利害関係を超えて、人間としてのつきあいを積み重ね、互いのよさ、欠点、力量、生活環境など、「お里が知れていて」安心感があり、そこから築かれてきた信頼関係によるものです。

 

 

 

 

*お互いに(3人以上でも)一緒に困難な条件、状態のなかで(ときには生死を左右する環境で)全力を尽くし、力の限界を見せ合い、お互いを思いやる気持ちを確かめ合った経験を持つなかで生まれた信頼関係によるものです。

 

 

 

 

*「苦しいときの友は真の友」自分が苦境にあるとき、これまで友達であったと思っていた人たちが自分からはなれていくなかで、これまでの友達関係を続けていく意思を示し、可能な支援をしてくれた人です。

 

 

 

 

また、その相手への信頼のなかで生まれた関係です。このような親友関係は、そうざらにあるわけではありません。

 

 

 

 

対人コミュニケーションを求めるといっても、このレベルをもとめるのは求めすぎでしょう。その未達成状態を嘆き、疲れて落ち込むのは、ないものねだりでしかありません。

 

 

 

 

結果として親友関係にまで進むこともまれにあるでしょうが、それは求めて達せられるのとは違うように思います。

 

 

 

 

そうなる環境を人為的につくることはできないと思えるからです。では、親友づくりにつながるコミュニケーションとは重点の異なる「社会生活のうえで必要なコミュニケーション」を考えてみましょう。

 

 

 

 

問題を明確にするために、親友づくりにつながるコミュニケーションとは切り離して考えますが、土台では共通する面があるはずです。

 

 

 

 

ひきこもりの状態からの出口を目指すときに大切になる「社会生活のうえで必要な対人コミュニケーション」には、つぎの2つがあります。

 

 

 

 

1、特定の問題(テーマ)に関して、専門的、またはマニアックともいえる意見交換ができること・・・ピアノ、音楽、古典文学、映画、宗教、マンガ、アニメーション、プラモデル、ファッション、化粧品、健康法、工芸、パソコン、テレビドラマ、宇宙、野球やサッカー等のスポーツなど。

 

 

 

 

2、特定の業務(仕事)を進めていくうえで、必要なことの質問、報告、連絡、相談、意見交換ができる。

 

 

 

 

このほかにも、いくつかのかたちがあるかもしれません。1に間しては、共通する話題から入る、それをみつけるまでが大変という事情があるとしても、というオーソドックスなことです。

 

 

 

 

2に関していえば、これは通常の仕事に就いている人に求められる条件であって、対人関係に不安をもつ人のものではないように見えます。

 

 

 

 

それをあえてここにあげたのは、対人関係に不安がある、対人コミュニケーションの継続がつらいという状態の人であっても、これに限定して業務上のつきあいをしていく方法を提示できると考えているからです。

 

 

 

 

たとえば、レストランのウェイター、ウェイトレスは、お客さんにたいしては、この2の対応が求められますが、それ以外のプライベートな情報交換をする対人コミュニケーションは基本的には求められません。

 

 

 

 

しかし、同じ食堂やレストランでともに働く人との関係では、そうはいかないように思えます。しかし、本当にそうなのでしょうか。

 

 

 

 

本当に、ともに働く人との関係では、2のような業務に徹したコミュニケーションだけではやっていけないのでしょうか。

 

 

 

 

現実に、わたしがさきほど紹介した町の診療所の医師は、そうしていました。個人的なコミュニケーションをとることは、同じ職場で働き続けるための絶対条件ではないのです。

 

 

 

 

レストランにおけるウェイター、ウェイトレスとお客さんのような関係を、同僚との関係で続けてもいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

もちろん、同僚間の関係を接客業的にする必要はありません。そうではなくて、業務を通じた関係にするのです。

 

 

 

 

じつは、企業などは大きければ大きいほど、ほかの部局との関係ではそうせざるをえず、そうなっているものです。

 

 

 

 

大企業では、自分の課以外の人と仕事以外で口を利いたことがないという社員は、珍しくありません。これをより狭い範囲、職場内において実行するように、発想を転換するのです。

 

 

 

 

じつは、このような社会人はすでに満ち溢れているのです。そうであってはいけないと考え、そのために「社会参加できない」「対人コミュニケーションがとれない」と悩んでしまうのが、ひきこもり傾向の人のひとつの特徴です。

 

 

 

 

それに苦しまなければなんでもないことを、苦痛に感じているわけです。わたしは以前、「複数の友人を持つこと」をひきこもりからの脱出の中間目標としてきました。

 

 

 

 

それを、「社会生活上などで設定された事柄、あるいは特定のテーマについて、報告、連絡、相談、意見交換できるコミュニケーションの力をつける」というものに変える発想を得たのは、次のようなことがあったからでした。

 

 

 

 

20代後半のK君は、働き始めてから3ヶ月以上になりますが、職場で同僚と雑談することもなく、一緒に食事をしたこともないと言います。

 

 

 

 

 

K君はこれでいいのか、これではだめではないか、このまま仕事を続けていけるのか、仕事をやめざるをえないのか、複雑な気持ちでいました。

 

 

 

 

仕事上のことでいろいろわからないことがあっても、うまく誰かに聞きだすことができず、仕事上の能率がよくないと実感していたのです。

 

 

 

 

そんな話を聞いていたころに、大下祐樹という方と話をする機会がありました。大下さんは、「僕には昔から友達はいません」と言うのです。

 

 

 

 

「友達とあまり意味のない雑談的な話をするよりも、友でなくてもいきなり本筋の話ができる人のほうがいい」とも言っていました。

 

 

 

 

たしかに友達でなければ、雑談するわけでもないのに、横に座っているのは難しく、テーマを設けた議論とか、仕事上の話などの実のある話を進めるしかありません。

 

 

 

 

そういう意味で、大下さんの話には、わたしの経験からもうねずけることがあると思いました。K君が、今の状態に不満足感、不安感があるかぎりにおいて、雑談にはいっていけないこと、対人コミュニケーションの力が不足していることは、K君にとって乗り越えていくべきテーマだとは思います。

 

 

 

 

しかし、大下さんの話を聞いて、その乗りこえていく方法は、ひとつではないかもしれないと考えるようになったのです。

 

 

 

 

コミュニケーションの力を高め、雑談にもはいっていけるようになることはひとつの方法でしょうが、それだけではないように思えたのです。

 

 

 

 

 

たとえば、わたしはまったくお酒が飲めないため、酒の席のコミュニケーションは苦手ですが、酒席でのコミュニケーションを可能にするのは飲酒できるようになることが唯一の方法ではない、ということと同じではないでしょうか。

 

 

 

 

大下さんの話からすると、友達ができることと、対人コミュニケーションの力がつくこととは、同一の範囲のこととか合同体ではなさそうです。

 

 

 

 

かなり重複する部分はあっても、やはり2つの違う局面でしょう。大下さんの場合は、友達はいない(できない?)けれども、対人コミュニケーションの力はあるからです。

 

 

 

 

言い換えると、友達関係における雑談はできないけれども、友達関係以外のテーマのある話はできるのです。

 

 

 

 

大下さんは、それを自分にとって好条件であるとも考えていました。K君のような場合でも、仕事上のコミュニケーションがとれれば前進できますし、それが努力目標になると思ったのです。

 

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