ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と人とかかわる力
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ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と人とかかわる力

人間は幼児期からの成長過程を通して、この対人コミュニケーション能力の土台となる、取捨選択を伴う人間関係の感知能力を発達させていきます。

 

 

 

 

乳幼児期の母子関係、それ以降の家族の中の親密な人とのつながり、友達同士のやりとりなどが、この発達を支えています。

 

 

 

 

とくに思春期以降は、行動力と社会性の広がりによって、それまで積み上げてきた認識や識別能力が加速的に成長します。

 

 

 

 

電車にたとえれば思春期以降は各駅停車、それ以降は急行、特急のようなものです。成長に伴って、一人の学生、一人の社会人として、初対面の細かな経歴を知らない人とも付き合っていけるようになります。

 

 

 

 

これが通常の対人コミュニケーション能力の発達状態です。個人差はありますし、このような能力が備わっていても相性や対人的好き嫌いが消失するわけではありません。

 

 

 

 

この能力の延長、あるいは一部として他人との共存のしかたや友好関係、親密とは言えない対人関係の場合の対処のしかた、別れ方などを安定的に築き、実現することができます。

 

 

 

 

思春期以降、成人になってからも、「対人関係が苦手」「対人コミュニケーションがとれない」という人がいます。

 

 

 

 

とくに、ひきこもりやニートの人に共通しています。ひきこもりやニートの人このような状態は、この対人関係の感知能力の未成熟、未発達によるものだと考えられます。

 

 

 

 

特徴的なのは、ひきこもりやニートの人たちはこの五感や第六感の感度が鈍いのではなく、逆に鋭く優れていることです。

 

 

 

 

優れている、高性能であるがゆえにうまくいかないように思えます。わたしはそれを、「相手の心の雰囲気がわかる」と表現しています。

 

 

 

 

相手の心の雰囲気がわかると、自分のほうが相手を気づかい、配慮し、あるいは萎縮してしまうのです。

 

 

 

 

 

そのために、相手の表現、表情、主張を受け入れる、あるいは逆に拒絶する判断がうまくできないのです。

 

 

 

 

場合によって、程度によって、内容によって、相手によって、対応を変化させなければならないのですが、その変化のさせ方、変える程度の調節ができません。

 

 

 

 

強制されているわけではないのに、自分の必要性や自己規制の範囲を超えて相手の発することを受け入れてしまい、そのことを後悔します。

 

 

 

 

あるいは、逆に必要なものを拒絶してしまいます。このように取捨選択がうまくできなくなります。わたしがひきこもりやニートの人たちをみて実感するのは、このような取捨選択の際の意欲不足やエネルギー低状態です。

 

 

 

 

ひきこもりの人たちにある程度かかわりますと、彼らの行動の少なさ、意思表示の乏しさに気づくはずです。

 

 

 

 

取捨選択がうまく自動的に作動しない体験を重ねたことが、意欲不足の形で表れ、自己防衛を図っているのかもしれません。

 

 

 

 

ひきこもりの人たちは、成人になっていても、対人関係では思春期以前、あるいはそこから部分的に歩みを進めている段階にあります。

 

 

 

 

この状態から、対人関係の自動的な感知能力を成長させ、対人コミュニケーション能力を身につけ、人間関係を築いていくことが、ひいては社会参加へつながるのです。

 

 

 

 

それは、ひと言でいうと、「自立への道」です。思春期は出産による第一の誕生に次ぐ、人間としての「第二の誕生」の時期です。

 

 

 

 

いま二十代であっても三十代であっても、この第二の誕生の課題である自立をめざすのです。二十代のある男性は、「親に代わって、自分で自分を育てなおす」と言いました。

 

 

 

 

十代に始まる思春期の課題に二十代、三十代を迎えた成人が、「修行」を積み重ねて取り組んでいくこと、これがひきこもりから社会参加につながる通常の道筋です。

 

 

 

 

ひきこもりについて、家族(親)は、学齢期の子どもであれば、学校(高校などの受け入れ校)を、二十歳以上であれば働きやすい職場の情報や働けるようになるための方法を求めて相談に来ます。

 

 

 

 

相談の場で少し話が進むと、やがて友達がいない、人とかかわれない、対人関係が苦手、という話に移ってきます。

 

 

 

 

また、対人恐怖があるとか、電車にのれないなどの事情も出てきます。

 

 

 

 

相談する側(親)としては、「対人関係が苦手なようなんですが、どうすればいいのでしょうか。」という話は抽象的で、最初は相談しづらいようです。

 

 

 

 

それに比べて、受け入れてくれる学校や仕事のできる職場なら、とりあえず情報という答えを得やすいと考えているのかもしれません。

 

 

 

 

しかし、相談を受ける側としては(たぶんわたしだけに限らないでしょうが)、そういう学校だったら通えるのだろうか、そういう職場なら務まるのだろうか・・・・という心配があります。

 

 

 

 

学校や職場の情報など、相談者から問われていること以上に、いま当事者が直面している他者とかかわる力をどのように作るのかを先行するべきだという思いもあります。

 

 

 

 

年齢を超えて、不登校やひきこもり、ニートの人に共通していることは、性格的なことです。やさしい、おとなしい、まじめ、几帳面、正直、素直、内向的、細かい、考え深い、神経質、内気・・・・。

 

 

 

 

こうして並べていくと、たいがいのことが当てはまってしまいます。まとめて「繊細な人」と表しましょう。

 

 

 

 

これらを性格として固定的にみていいのかどうかは、必ずしも自信がありません。結果として日常生活でそうなった、ということかもしれません。

 

 

 

 

ただ、このような「繊細な人」が、ひきこもりや不登校の人に多くいることは確かです。

 

 

 

 

犯罪報道などで、ひきこもりの人の生活行動と結び付けられることがありますが、こういう人たちが犯罪にかかわる比率はむしろ相当に低いと思います。

 

 

 

 

ひきこもりの増加は、犯罪発生率を下げるのに作用していても、逆ではありません。なぜ繊細な人がひきこもりになっているのでしょうか?

 

 

 

 

(繊細な人がひきこもりになる、というのではなく、ひきこもりの人に繊細な人が多いという意味です)。

 

 

 

 

これには、いろいろな背景や事情があり、一律に判断できることではありません。ただ、わたしが特に気になるのは、意図的に意識的にその課題に取り組んできたら、ひきこもりという事態は避けられただろうと思える一群の事例があることです。

 

 

 

 

その課題とは、「人とかかわること」です。逆に言えばこの人たちは「人とのかかわりを避けてきた」ようなのです。

 

 

 

 

ひきこもりの本人が意識してきたのかどうかは別として、「人とのかかわりを避けてきた」ことが要因となって、ひきこもりになっているのではないかと思える人が少なくありません。

 

 

 

 

本人にすれば、あるいは親にすれば、それは性格的なものであって、積極的に人に声をかけるようなタイプではなかった、と思えるだけのことかもしれません。

 

 

 

 

人とかかわる機会を避け続けてきたことと、繊細さとは、じつは底流でつながりやすい面があります。それが後天的な人とのかかわりを少なくしているように思えます。

 

 

 

 

人とかかわる機会とは、考え方の違う人、発想の違う人と出会う機会でもあります。それは意見の違いや、さらには言い争いやけんかをする機会かもしれません。

 

 

 

 

繊細な人たちは、言い争いやけんかを避けたいのです。そのような言い争いやけんかを避けるための最良の方法は、人とかかわる機会を少なくすることです。

 

 

 

 

学校の休み時間にトイレに行ってすごしたり、机で一人で読書をする(自分の世界に入る)というのはそのよく見かける方法です。

 

 

 

 

学校がいちばん学校らしいのは、授業中よりもむしろこの休み時間なのですが、これらの方法で、人とのかかわりを回避してきた人が繊細な人たちのなかには多くいます。

 

 

 

 

人とかかわることは、ある種めんどうなことです。ああでもない、こうでもないという「不毛の話し合い」を長々と続けなくてはなりません。

 

 

 

 

その後にたどりついたのは、ちっぽけで単純なこと、そんなことなら、はじめから一言二言ですむことではなかったのか、と思える程度のことかもしれません。

 

 

 

 

「前はああいったのに、今度はこうだ」「言うこととやることが違う」というすりかえや裏切りと思える経験もたくさんします。

 

 

 

 

じつは繊細な人は、このような点にとくに敏感で、許せない気持ちになることが多いのです。

 

 

 

 

かかわりを続けていけば、「口ではああいっていたが、案外やさしかった」とか「この点では意見が違うが、おもしろいところがある」という場面も生まれるのに、それに出会う機会をも自分で少なくしています。

 

 

 

 

よいわれるように、小さい子ども同士は、全力でぶつかり合いのけんかをした後、とても仲のよい友達になることがあります。

 

 

 

 

それは、ぶつかりあいのけんかによって、よい人間学習をし、相手を認め合う関係ができたからです。

 

 

 

 

人間は、小さなときからこのような人とのかかわり方をいろいろな場面で体験し、成長していきます。

 

 

 

 

けんかになって絶交することもあるでしょうし、そのうえで仲直りをすることもあります。その過程のひとつをみると、無駄であると思えたり、たいしたことがないと思えるでしょう。

 

 

 

 

しかし人は、その全過程を通して、人間にかかわる力、人との距離のとり方、間のとり方、争いのしかた、仲直りのしかたを、感覚的・実質的に身につけていくのです。

 

 

 

 

その多くは親の知らない、関与できないところで体験していきます。

 

 

 

 

不毛であったり、無駄であったりする数々の人との付き合いを経ることで、人間を学んでいきます。それが人とかかわる力、社会性を身につけることになります。

 

 

 

 

このようなめんどうを避けて、言いたいことを文書にするよう要求する人(子ども)がいます。裏切りやすりかえを経験した、ことばを重視する合理派の人に多いようです。

 

 

 

 

そこには、人とのめんどうな関係を避ける面と、人の本音・本心とことばの違いがわかってしまう感性の鋭さがあります。

 

 

 

 

このめんどうな人づきあいの過程には、人間関係をつくる力を育てる秘密がひそんでいます。それをごく簡単にまとめれば、こうなります。

 

 

 

 

「自分の意思を伝えながら、相手の意思を受け止められ、(読み取る、感じる)、お互いに認め合う」人間関係の姿、しかたを会得することです。

 

 

 

 

人づきあいでの大切なポイントは2つです。

 

 

 

 

1、字分を主張(表現)しなければ、相手には自分の考え方や感じ方が伝わらない「自己表現」

 

 

 

 

2、人は意見や考え方などが違って当然で、それを尊重しなくてはならない「相互尊重」

 

 

 

 

たぶん、繊細で感性豊かなひきこもり傾向の人は、ことば以外の表情やしぐさで相手の意思を読み取れることがあり、そのために自分の意思もことばはなくても伝わると過大に考え、1と2をしないままでいることもあるかもしれません。

 

 

 

 

もしかしたら、自己主張をしたためにつらい思いをした、自分は相手を尊重したのに相手からは軽んじられた、というような経験があるかもしれません。

 

 

 

 

この1と2を両立させるには、技術的なノウハウがあります。正しいと思うこと、自分の考え方を一方的に主張するだけでは、人との関係は築くことはできません。

 

 

 

 

相手の言い分を聞き、自分とは同じではなくても納得のできることがあれば、それを認めていくことが大切です。

 

 

 

 

相手が間違いや事実誤認をしていれば、それを正していくエネルギーも求められます。意見が違い、自分は納得できないのに相手は納得することもあります。

 

 

 

 

それをそのままにしておくことも、相手と自分を尊重するひとつのしかたです。意見を同じにするとか、一致させることが目標ではありません。

 

 

 

 

そうなる場合もあるし、そうならない場合もあります。そうならないときは認め合い、折り合いをつける方法をみつけるのです。

 

 

 

 

この折り合うところが技術であり、力です。一見、高度なノウハウとみえるかもしれませんが、小さなころから自然に身についていくものです。

 

 

 

 

その間に慣れていき、無意識にやっているものです。なかにはそれを意識的に楽しんでいる人たちも少なからずいます。

 

 

 

 

「機械相手よりも人間相手のほうがいい」というのは、そこに何かをみいだしている人でしょう。この人とのかかわり方をどのように感じるかは、人によって違います。

 

 

 

 

その過程をめんどうくさいこととして避けたまま成長してくると、結局、人間関係が苦手ということを「もって生まれた性格」のように感じてしまうのです。

 

 

 

 

しかし本当は、この人とかかわる力は、後天的な要素が大部分を占めています。人とかかわる力は、人とかかわるなかで培われていきます。

 

 

 

 

「人間関係が苦手」だという自己認識を持っていると、その自己認識のためにより人とのかかわりを避けるようになり、よりいっそう「人間関係が苦手」になっていくのです。

 

 

 

 

では、いま15歳になった、20歳になった、25歳になった、30歳を超えた人で、ひきこもりの人はどうすればいいのでしょうか。

 

 

 

 

どうすればこの人とかかわる力が身につくのでしょうか。人とかかわる場面に入り、経験を重ねていくしかないと思います。

 

 

 

 

その方法は人によって違うのでしょうが、基本的にみにつける内容は同じです。方法が違うのは、年齢や男女差、対人関係のそれまでの経験が、一人ひとり違っているのですから、当然のことです。

 

 

 

 

とくに20代後半から30代になった人には、「短期間で社会参加したい、働けるようになりたい」と思う人も多くいると思います。(当事者にも親にも)

 

 

 

 

しかし、焦りは逆効果です。たしかに、30代で短期間で仕事についた人も実際にいます。その例を参考に「わたしも短期間で」と求める人に出会うことがありますが、多くは賛成しかねます。

 

 

 

 

着実に基盤を作り、その基盤を充実させるなかで、少し高い目標を自分なりに設定し、挑戦してみるのがいいと思います。

 

 

 

 

ここで、「人とかかわる力」という社会参加の基盤づくりにかかわるいくつかのポイントをあげておきましょう。

 

 

 

 

1、特効薬はない

 

 

 

 

人とかかわる力は、人とかかわっていく過程のなかでしか獲得できません。人とかかわる力を向上させる薬は残念ながらありません。

 

 

 

 

人間関係づくりをテーマにする専門書を何冊読破しても、実際の人間関係は一歩も前進しません。カウンセラーのところに行ったり、○○療法を受けることは、跳び箱の踏み切り板の役割をするものですが、跳び箱自体(人とかかわる力をつけること)ではありません。

 

 

 

 

2、ハードルの低い場から

 

 

 

 

会社や学校は、対人関係を基礎からつくる場としては、ひきこもりの人には一般的に壁が高く、抵抗感や恐怖感のある場所です。

 

 

 

 

それ以前に、対人関係を徐々に作り出す、訓練の場が必要です。スポーツにたとえると、基礎訓練や公式戦の前の練習試合という位置づけです。

 

 

 

 

3、居場所・行き場所をどこに求めるか

 

 

 

 

対人関係の練習試合や練習の場とは、対人関係が苦手であるその状態を受け止めてくれる人(できれば複数)のいるところです。

 

 

 

 

たとえば、フリースクール、フリースペース、適応指導教室、カウンセリングルーム、教育相談室などがこれに該当します。

 

 

 

 

ただし、ひきこもりの程度や本人の性向、嗜好によっては、必ずしも人間関係をつくりやすい場所とはなりません。

 

 

 

 

そこに、どのような対人関係の改善を求める人がいるのかにも左右されます。カウンセリングルームや教育相談室であっても、そういう場とは考えられないところもあります。

 

 

 

 

高卒認定予備校、通信制高校サポート校、定時制高校などは、同級生に似た体験の人がいること、また教職員の対応がうまいことから、行きやすいと感じる人もいます。

 

 

 

 

また、趣味や文化・スポーツサークルや応援団、アイドルのファンクラブなども、人によっては行きやすく、人間関係を作りやすい場になることがあります。

 

 

 

 

4、まずはアルバイトから

 

 

 

 

社会参加の初歩・・・いわば練習試合に相当するものに挑戦してみるといいでしょう。特に短期のアルバイトはいいと思います。

 

 

 

 

主任クラス(現場責任者)に、人間関係づくりがうまい人や、人のすぐれた点を評価する目をもつ人がいれば、そこに行くことで、自信を持つことができるようになるかもしれません。

 

 

 

 

そういう人との出会いを求めて、いろいろなアルバイトを経験していくのもひとつの挑戦です。

 

 

 

 

5、「資格を取ってから」は問題の先送り

 

 

 

 

アルバイトや就職活動を勧めると、「資格を取ってから」という人がいます。資格はあることにこしたことはありませんが、アルバイトをしながら資格取得をめざせばいいのです。

 

 

 

 

「資格をとってから」というのでは、いまの最大のテーマである人間関係作りの練習を、後回しにすることになります。

 

 

 

 

資格を取る勉強自体が、人間関係づくりの場になる、そのような類のものがあればいいとは思います。

 

 

 

 

 

6、さまざまな対応方法をつくる

 

 

 

 

居場所以外の対応方法も考えなくてはいけません。家庭訪問活動や宿泊施設がそうですし、文通やメールなどの通信手段もその端緒にできると思います。

 

 

 

 

ほかにもさまざまな対応方法が考えられると思います。

 

 

 

 

人間関係をつくる練習の場、練習試合に、少し勇気を出して参加することから、人とかかわる力をつくる作業は始まります。

 

 

 

 

だれでもはじめは慣れないのですから、うまくいくとはかぎりません。多くの居場所は、ひきこもりの人たちを受け入れようとしています。

 

 

 

 

うまくいきそうにない、自分には合わないと思ったら、二度とそこに行かなければいいのです。ただ、場の設定者として、言わせてもらうならば、「場慣れ」するだけの時間は必要な気がします。

 

 

 

 

受け入れるとは、自分の話すことを受け止めてもらえることです。責めたり、弁明を求めたりするのでは、受け入れることにはなりません。

 

 

 

 

まだ話せる時期ではないのであれば、話さなくてもよい、という空気があるというのも受け入れ先の条件の一つかもしれません。

 

 

 

 

そこに集まってくる人の多くは、たぶんいくぶんは似た経験の持ち主です。自分と似た経験の話を聞くと、自分の体験を違った形で見直したり、評価しなおしたりする機会にもなるでしょう。

 

 

 

 

それを繰り返していくうちに、やがて自分の話ができるようになるでしょう。共通の興味や関心をもつ人がみつかり、一緒にどこか別の場所に出かける人ができるようにもなっていきます。

 

 

 

 

居場所におけるこれらの体験こそ、人間関係をつくる基盤になります。人とかかわる力が少しずつできていく、ということです。

 

 

 

 

このようなことをある程度重ねたら、復学(再入学)したり、恋人さがしをしたり、思い切って就職活動に踏み切ってみる、そういう飛躍の機会をうかがうのもいいでしょう。

 

 

 

 

友人ができてくれば、そのようなエネルギーや意欲がわいてくるものです。人とかかわる力を着実に身に着けないまま、急いで学校への復帰や資格取得をめざしても、目標に到達した時点で、対人コミュニケーション能力の欠如にとまどう可能性が高いと思います。

 

 

 

 

まさに「急がば回れ」です。人とかかわる力を着実に積み重ね、その上ではじめて思い切った挑戦が生きてくるのだと思います。

 

 

 

 

このような動きをしていけば、そこにいるいろいろな人たちから教わる、学ぶことがあります。先生のような特定の人はいなくてもいいのです。

 

 

 

 

自分と同じ立場で、その場に一緒にいる人たちから学べるのです。動きや行動のない座学的な人間関係の学習は、ほとんど何も生み出しません。

 

 

 

 

人とかかわる力は、教えて実につけさせることはできません。しかし、人から学ぶことはできる、教わることはできるのです。

 

 

 

 

そういう意味で、ひきこもりの人には、なによりも「動いてみること」が前提として必要です。理屈ではわかっているが、実際にはできない、という人もいるでしょう。

 

 

 

 

いや、ひきこもりのきわめて重要な特色のひとつがそれです。そこから抜け出すには練習が必要です。その際、練習には失敗がつきものであること、失敗をむしろ歓迎し、失敗するために練習するくらいの気持ちで取り組むしかないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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