ひきこもり・ニートの生の声
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ひきこもり・ニートの生の声

「ひきこもっているうちに、僕は若者と呼ばれる年齢を通り越してしまいました。もう人生の大半は過ぎて、残りの人生もわずかです。体力と気力の衰えを感じます。

 

 

 

 

「つまらない人生だった・・・・。そう総括しなければならないのは、つらいことですけれど、まぎれもない事実として、僕のひきこもり人生は、つまらない痛恨の人生でした。残すべきものも、残すべき相手も、ありません。」

 

 

 

 

「相手と対等に付き合えるのかなって思って・・・・。友人と二人でSF映画を見たんですけど、僕は、のどがカラカラでした。俺なんかと一緒にいて楽しいのかなって思っちゃうんですよ。うれしいのに、自分に自信がなくて・・・・」

 

 

 

 

「社会へ出なきゃいけない。なのに目的がない。それが精神的につらかった。モラトリアムかもしれません。親は卒業してくれると思っていたようですが、僕のほうはこの先どうしよう、親に説明できないと切羽詰っていました。卒業できないっていうことも、親には卒業式の日まで言えませんでした。」

 

 

 

 

「親元を離れれば、のびのびできるだろうという期待がありました。親と同居していると、母親が精神的に押さえつけてくるし、自立できないっていう不安があって・・・・」

 

 

 

 

「僕の場合、親との間で普通のコミュニケーションをもてなかったことがひきこもりになった要因じゃないか、と思います。あるべき反抗期もなかったですし・・・。でも親を責めたことはありません。人から甘えだ、怠けだと言われれば、そのとおりだとも思います。体は健康なんですから・・・・。でも、社会に出るには、精神的な壁があるんです。それを甘えだと言われてしまうと・・・。」

 

 

 

 

「親に期待することはなかった・・・・ないです。むしろ僕は、精神的に親を切り捨てて、自立を果たしたい」

 

 

 

 

「心の中の虚無感が強いんです。十一年も無為徒食をしてしまいましたし・・・。うちの親にとって、子どもは兄一人で十分なんじゃないか、なんで俺を生んだのかなって考えたり、十代で死んでたら、みんなに悼まれてたのになって考えたり・・・・。親に感謝する理由が見つけられないんです。ここまで生きてきた意味が、見つからない・・・・。」

 

 

 

 

「どうせまた母に、またしょうもないこと言ってと言われるの、分かってますから・・・・・。」

 

 

 

 

「人と対等に付き合うということができなくなっていました。いつも緊張をしているせいで、日曜は気疲れでグッタリしてしまって・・・・。」

 

 

 

 

「心地よいはずだったひきこもりが、実際には、ひどく居心地の悪い世界につながっていて、袋小路か迷路のように、脱出不能になっていました。」

 

 

 

 

「僕は現役で大学へ入学しました。でも三年間で消耗して辞めました。やり直そうとして再入学したんですけど、人付き合いができなくて・・・。」

 

 

 

 

「人と出会うことに行き詰っているときに、関東自立就労支援センターに巡り合いました。自分が変われるかどうかはわからないですかど、外に出てきてよかったと思います。」

 

 

 

 

「ひきこもっている最中、一人で繰り返すことは、自己批判であり、自己嫌悪であり、自己破壊でした。自分で自分をずたずたにしてしまう感じでした。」

 

 

 

 

「ひきこもったことで、ちっぽけで虚弱な人間が、自分自身と社会を相手に果てしなく格闘しなくてはならなくなりました。逃避をしたはずなのに、逃げ場がないんです。」

 

 

 

 

「コンビニとか本屋なら一人で過ごせるけど、職場では上司や同僚との付き合いがありますよね。集団のなかに入っていく自信がないんです。僕は人から話しかけられただけで、うまく答えなきゃと焦って、ドキドキしてしまいます。長年こういう状態が続いてしまったことで、変化を起こすこと、それ自体への恐怖も生まれてきました。」

 

 

 

 

「親元にいられなくて家を飛び出しただけですから、考えてみると東京にいても何もできませんでした。親は怖かったけれど、実家に帰るしかなくて・・・・。親にどうするつもりなんだ!と言われましたけど、答えようがありませんでした。目標が、なかったですから。」

 

 

 

 

「大学へは行くのが当たり前っていう感じで、行こうっていう気はありませんでした。将来の夢なんかまったくなかったですから。」

 

 

 

 

「父とは、小学生のころに将棋をさしたっていう記憶しかないです。三、四回かな。」

 

 

 

 

「僕は学校の成績がずっと悪かったんです。母親は勉強にうるさくて、社会科で八十点を取れても、ほかが四十点だと、なに、この点数は!って怒られたり・・・・。悪いほうばかり、言われていたような気がします。兄は僕より、勉強ができていたのでよけいに・・・・。」

 

 

 

 

「もともと僕には、集団や学校になじめないところがありました。ただ、苦しくなったときに家庭に緊急避難できなかったことが・・・・。」

 

 

 

 

「母親は、怠けだと思ったんでしょうね。すぐ僕を内科の病院に連れて行って、どこも悪くなんかないじゃない!だったらもっとしっかりしなさいって言いました。それを聞いて僕は、体の不調は認めてくれても、心の不調は認めてくれないんだな。もう、つらくとも、親には相談できない。一人で持ちこたえるしかないんだって、覚悟を決めたんです。」

 

 

 

 

「親は、僕が大学でゆがんでしまったと思っているようです。でも僕は、問題の根っこは家庭にあると思っています。」

 

 

 

 

「父は仕事、子育ては母、です。まじめで実直な両親でしたから、僕はずっといい子でいなきゃというプレッシャーを感じていました。」

 

 

 

 

「僕自身は小さいころから、わりと内向的で、一人遊びが好きな子どもでした。つもマイペースで本を読んだり絵を描いたり・・・・・。幼稚園では、友達が仲間で鬼ごっこをしているのを見ても、うらやましいとは思いませんでした。」

 

 

 

 

「近所の人に見られるのも嫌ですし・・・・。だって、平日に大人が出歩いていたら、変に思われますよね。それになぜか、外に出ようという気力も沸いてこないんです。」

 

 

 

 

「人と話をしようとすると、どういう単語を出したらいいのかって頭の中がグルグル回りだして、その場から逃げ出したくなるんです。歩くことをしらない赤ん坊がどっちの足から前に出せば歩けるんだろうっておびえ悩んでいる感じと似ているような・・・・。」

 

 

 

 

「うちの両親は、勉強の成績とかで僕を追い詰めたくせに、僕がいちばん助けてほしいと思ったときには、冷たくはねつけた・・・・。そう思えてきたんです。でも、そういった感情を実際に親に伝えたことは、まだ一度もありません。」

 

 

 

 

「親戚からA君はいい子だねと言われるたびに内心、この期待は裏切れないなっていうプレッシャーを感じていました。そのうち、悪いことをして人に怒られることが、どんどん怖くなっていきました。その恐怖を避けるために、人を喜ばせて満足させようって考える性格になっていきました・・・・・。そんな気がします。」

 

 

 

 

「一生懸命勉強したのは、ただ親に認めてほしかったからです。水準の高い人間にならなきゃ、親は喜んでくれないんだと思っていました。」

 

 

 

 

「一度目がさめても起きても苦しむだけだと思って、また寝てしまうことが多かったんです。布団をかぶって、うめいたり、ぐったりと寝ていたり・・・・。頭のなかはこんなふうになっちゃって親にどう説明したらいいんだろうっていう悩みでいっぱいでした。」

 

 

 

 

「一人暮らしをしていたあの当時、アパートの部屋を出るのは、月に一回か二回でした。それもやむをえず、食べ物を買うときだけです。」

 

 

 

 

「東京大学へ入学して立派な人間になるという親の望みと、なんとかけ離れた自分になってしまったのだろう・・・・。」

 

 

 

 

「友達がいないと低く見られるんだ、と思いました。でも、自分にはいなかった。自分は恥ずかしい人間なんじゃないかって思えてきたんです。それからは友達を作って、クラスで頼られるような人間にならなきゃだめだと考えるようになりました。」

 

 

 

 

「中学二年のとき、自分の気持ちを曲げてまで人のなかにいて、なんになるんだろうと思ったんです。でも、親にそんな弱音はいえませんでしたから、表面を取り繕うために、学校へはなんとか通い続けました。」

 

 

 

 

「でも結局、みんな裏目、裏目に出て・・・・。心の中では抵抗を感じながら僕なりに人当たりのいい人の真似をしたんです。でも、それは偽りだったし、ぎこちなくてからかいの対象になったり、無視されたりするだけでした・・・。ピエロみたいでした・・・。」

 

 

 

 

「人の話に、自分を合わせてみました。でも、自分が自分でないような気がして・・・・。」

 

 

 

 

「父と母の要求、昔からすごく高いんです。」

 

 

 

 

「夢もない。進路もわからない。就職を考えようとすると、心に歯止めがかかってしまう感じでした。それでいて、親に説明もできない・・・・。すべてがごまかしきれなくなって、心が爆発してアパートの部屋に逃げ込みました。」

 

 

 

 

「親との決定的な対立を避けて、自分で一歩ひいた感じです・・・。あのとき、自分を殺しました。そうすることで僕は、なんとか学校に通っていた気がします。自立心を殺して・・・・。そうでないと、学校に通えない、生きていけないような気がしました。あのときから、人生における夢とか、持ったことはありません。」

 

 

 

 

「中学のころは、高校受験のための家庭教師をつけられても、もう断ろうという気も起きないくらい無気力でした。強引に自分を抑えていたからでしょうか・・・。高校時代の成績は中の下で、親からはもっと勉強のできる子と付き合いなさいといわれていました。でも実際には友達というより知人という感じで付き合いも社交辞令のあいさつだけでした。そういう人間関係を、自分から受け入れていたんです。あきらめで・・・・。」

 

 

 

 

「最近は親のことも、ただのおじさん、おばさんだと思うしかないかなと感じています。さびしいですけど・・・。本当は、普通の親子の情みたいなの、作りたかったんですけど・・・。でももう、仕方がないかなって。」

 

 

 

 

「周りのみんなは野球とかのスポーツをしていましたから、女っぽいやつだって見られているんじゃないかって思っていました・・・。あのころの僕は、人とずれないためには、どうしたらいいかばかりを考えていた気がします。」

 

 

 

 

「仲間だけなら安心でした。責められないからです。でも大勢でソフトボールをしているときは、エラーしてへったくそとか馬鹿やろーとか言われてました。ずっと、また言われませんようにって祈ってばかりいたし、遊んでいてもぜんぜん楽しくありませんでした。だんだん誘われても、グループに入らないようになりました。」

 

 

 

 

「出来が悪いから、いつも怒られていましたね。この前、教えたじゃないか!って。僕は内心、家庭教師はやめてほしいと思っていましたけれど、親にはそうはいえませんでした。成績が悪かったし、母が怖かったし・・・。」

 

 

 

 

「いま考えてみると、緊張感の根っこは、小学五、六年生のときからあった気もします。男の先生が子どもにビンタをする人だったんです。おしゃべりしたり、そうじをさぼったりした子を・・・。とにかく、学校では教師ににらまれないよう、授業中は恥をかかないよう、親には勉強でしかられないようにって、ずっと緊張していた気がします。」

 

 

 

 

「親が僕のことをどう思っているのか、わかりませんが、もう関係を修復したいとは思いません。子どものころから、あいさつもなかった家庭ですし・・・。僕にも親への甘えはあったと思います。それもどうにか断ち切りたい。ただ、この年でどうすればいいのか・・・。」

 

 

 

 

「罪悪感からは、孤立感が生まれました。そこから不安感が生まれ、不安感は恐怖感へつながっていきました。そこには安住できないと分かって、外に出たい、何かしたいと思っても、身動きできないくらいに固く僕を縛りつけてきたものは、何よりこの恐怖感です。他人の目が、社会がとても怖い。満足に泳げないのに、暗い海を一人で沖へ泳ぎださなくてはならないときの感じ、といいますか・・・。理屈じゃない。ただ怖いんです。」

 

 

 

 

「ひきこもりという行為そのものが、孤立性のものですから、徒党を組んで社会的な発言権を確保するということは難しいでしょう。また、もし幸運にもひきこもりから脱して社会復帰できた人がいたとしても、その人はきっと、もう普通の人と何ら変わらないでしょうね。ただ一点、ひきこもりに対して暖かい視点をもつことを除いては・・・・。」

 

 

 

 

「両親が評価してくれるのはいい成績だけだったし、友達もいないわたしに残されたのは、勉強だけだったからです。」

 

 

 

 

「自分の部屋が最後の逃げ場であり、砦です。」

 

 

 

 

「自分でもこのままじゃだめだとわかっているんですけど、アルバイトに就くたび、人間関係に疲れて寝込んでしまう繰り返しなんです。どうしたらいいのか・・・・。」

 

 

 

 

「周りの人が、みんな楽しそうに見えました。お願いして仲間にいれてもらうのはかっこ悪いから、孤立してみたんだけど、精神的にきつかったです。やっぱり相変わらず、みんながうらやましくて、たまらないから・・・。」

 

 

 

 

「人に命じるなんてこと、就職前はなかったんです。人は人、わたしはわたしと、線を引いてきましたから・・・。そのせいでしょうか、命令しても相手が言うことを聞かないと、とても強いストレスを感じていました。」

 

 

 

 

「人間らしくなりたいと思ったんです。大学へ行って、人と触れ合って、働いて家庭を持つ、みんなと同じになりたかった。大検がそのきっかけになるんじゃないかと思いました。」

 

 

 

 

「心の本音は誰とも会いたくない、人と接触したくない、です。なにを恥ずかしいことをやっているんだ、社会人は毎日しっかり働くのが当たり前なんだと叱る理性とのはざまで、葛藤しています。自分がこれほど無気力になれるとは思ってもみませんでした。しかも、それが何年も続くとは・・・。」

 

 

 

 

「親の気配のないところで生活するのは、わたしにとって何よりの救い、安らぎです。同居していたころは、親がふすまを開ける音にビクッと肩を震わせ、おびえていたのですが、今はそんな恐怖はありません。」

 

 

 

 

「親と別居後もしばらくは、母親にいじめられる夢を頻繁に見て、自分が叫ぶ声で目覚めていましたが、それもようやく消えました。」

 

 

 

 

「わたしは、母の夢の小道具でした。母にとってわたしの進む学校を決めることは、カーテンの生地を選ぶのと同じ、心弾む楽しみだったようです。」

 

 

 

 

「人と話そうとするたびに受け入れてもらえるだろうかという緊張感でいっぱいになるのです。自分に自信が持てなくて、どうして他人の輪に入っていけるでしょう。」

 

 

 

 

「びくびくしながら優等生でいるより、失敗したり迷ったりしながら、自分の生きる道を見つけたかった。」

 

 

 

 

「十六歳で、ネジが切れたように、普通の生活ができなくなりました。父との関係が原因だろうという直感はありましたが、当時は理解してくれる人もいなかったので、ひきこもることしかできませんでした。」

 

 

 

 

「他人の純粋な友情など、信じはしませんでした。なにしろ、親子間の愛情さえ、不確かなものだったのですから。」

 

 

 

 

「わたしは今、本当は誰にも会いたくなくて、部屋に一人でいたいなって、いつも思います。つらいのに、親とか先生とか友達なんかに心配かけたくなくていつも大丈夫だよって笑ってました。小学校4年のときのいじめからずっと、そうしていました。そんなことをしているうちに、今はもう疲れ果ててしまって、誰にも会いたくありません。」

 

 

 

 

「親の顔を見るだけでも、親への怒りが増幅されて、ストレスが高まってしまう状態でした。」

 

 

 

 

「僕は二十六、七歳で人生に乗り遅れたから、もうついていけないと思っていました。でも、三十歳を過ぎても、追いつこうとがんばっている人がいた。あの人たちに比べたら、自分は何なんだと思いました。」

 

 

 

 

「僕は結局、父の口からは訓示しか聞けませんでした。ただでさえ会話が少ないのに・・・・。本当は、コンプレックスとか失敗とか挫折とかの話を聞きたかったです。できることなら、僕がまだ中学生だったころに・・・。」

 

 

 

 

「ただ一言、人間が生きるうえで何が大切なのか、を教えてほしかったです。本当に心の底から、学校の勉強や大学が大事だと思っているのかどうか。人間関係とか、人への思いやりとかは必要ないのか・・・。死ぬまでに一度、父に聞いてみたいことです。」

 

 

 

 

「僕はスポーツも何もできませんでしたから、ずっと、他人の邪魔にならないようにしてきました。誰にも相手にされないと思っていましたから、逆に、友達がすごくほしかった。でも、友人関係に自信がなくて・・・。」

 

 

 

 

「・・・自分が他人を裏切るんじゃないかって、恐れる気持ちもあるものですから・・・。一人でいれば、誰も傷つけない。自分も、傷つかないですからね・・・・。」

 

 

 

 

「望みがかなうなら、大学へ復帰したいですけど・・・。仕事についても限界があるし・・・。本当に、受験勉強は楽ですからね。それだけすれば、いいんですから・・・。」

 

 

 

 

「僕は、大学のレベルを下げたつもりだったのに、実際は周りの人間に勝てなかった。ナルシスト的な人生を捨てなきゃいけないと悟ることが、つらい。それが今です。」

 

 

 

 

「自分より年下の人が大学くらい行けるよなって話しているのを耳にすると、自分はなぜ?っていうところに引き戻されていました。それが解決できずに、今に・・・・。」

 

 

 

 

「学生時代から、体が小さいというハンディがあって、スポーツが苦手だったんです。体育の授業でも、先生の目の届かないところで、周りからお前そこに座ってろといわれて、集団行動に参加させてもらえなかったりしました。」

 

 

 

 

「僕は、高校まで行かせてもらって、でも大学受験を失敗して結局は入れなくて・・・。家庭内でも、ごたごたがあったので、家を離れて専門学校へ入りまして、その後、就職しました。転職しながら何年かは自活しました。でも大学へ行けなかったという思いが、いつもいつも頭の中にあって・・・・。」

 

 

 

 

「目標も、やる気もなくなった状態で、高校を出たせいか、大学や社会に不安を感じました。親は、ただ勉強しなかったから大学に落ちたと言うだけでしたけど。」

 

 

 

 

「今まで生きてきて、うれしかったことは片手ぐらいしかないですけど、高校へ受かったのは正直、うれしかったです。おじいちゃんに電話したら、泣いて喜んでくれて・・・。でも親は、あっそうと言うだけでした。受験前に早く寝なさいとかこれを食べなさいとか細かく指示して、僕がそれに応じないとお前は親の愛情が分からないのか!とまで言った割には、いざ合格したとなると親は、うれしさを表してくれませんでした。この先また、うれしいことがあるだろうから、そのときまで取っておくっていう言葉、今でも覚えています。」

 

 

 

 

「大学に落ちたころは、心の中に親に、ああしてほしかったのにという思いは強くありました。でも今は、親にああだこうだといっても、結局は自分で対人関係を作っていかなければ立ち直れないんだと思います。親から見れば子どもではあるけれども、もう親が助けられる範囲からは年齢的に離れていると思いますし・・・。」

 

 

 

 

「結局、親とはある程度距離をとっても、もっと親密な関係を友達なり恋人なりに見つけていかなきゃいけないんだろうと思います。親ばかり見ていると、どうしても依存心が出てしまうし、社会には復帰できない気がします。」

 

 

 

 

「親は家庭が暗いのはお前のせいだと言います。僕も、僕みたいなばい菌が入ったから、家が腐ったのかなと思います。」

 

 

 

 

「一人でいると、自分がどういう人間なのかも分からなくて、落ち込んでいきます。一人ぼっちは、本当によくないと思います。」

 

 

 

 

「わたしはいじめられるのがいやだから遅刻をしていたのに、親は怠けだとしか思っていなかったんです。訴えてはいたんですけれど、何も伝わってはいませんでした。」

 

 

 

 

「学校でいじめられたことは、ひきこもってしまったことと関係していると思います。」

 

 

 

 

「先生にいじめのことを言ってもダメだったら、自殺するしかないと思います。僕も相談したんですけど、あとでチクったなって言われて、余計にひどくなりましたから。」

 

 

 

 

「僕の悩みは、人と話が続かないことです。」

 

 

 

 

「このままひきこもりの生活を続けていたら、気が変になってしまうと思いました。でも、すぐに就職して社会にかかわっていく自信はまったくありませんでした。」

 

 

 

 

「仲のよい家族・・・・でも・・・・この息苦しさは、なんだろう。」

 

 

 

 

「自分を根っこで否定しているんです。中学のとき、自分の感情を抑えつけちゃった気がします。本当の思いを、表に出さないように・・・。」

 

 

 

 

「普通の安定した生活ができるようになりたいです。支えてくれた友達もいなくなってしまったし。買い物に行っても緊張のあまり、やりとりができない状態なので。もう二十歳だし、あせっています。」

 

 

 

 

「もう二年以上、ずっと家にいます。・・・・中学では、いやがらせがあったり、ずっと仲のよかった人たちがいきなり冷たくなってたり、とてもつらいことがいろいろあって・・・・。思ってもみなかったのですが、周りから見るとわたしは普通の人とは違って見えるらしく・・・・、あんたって変、とか言われてきました・・・。」

 

 

 

 

「外に出るのが怖いです。とても怖い。死にたくなるくらい怖い。わたしはこの怖さを冷静に見つめながら、外に出て行く方法を知りません。だんだんボロボロになっていく気がします。」

 

 

 

 

「ひきこもりを始めて、もうすぐ六年になろうとしています。外出することができなくなって、一番戸惑ったのは自分自身でした。それまでは割りと人前で何かをするのが好きだったからです。」

 

 

 

 

「街を歩いて、人に蹴っ飛ばされるようなことでもいいから、経験したい。そんな焦りがあります。」

 

 

 

 

「十年近くひきこもりを続けて、何もしてこなかったという途方のなさにめまいを覚えます。」

 

 

 

 

「いちばんつらいのは、朝、眠りから覚めても今日一日、何もすることがない、どこへも行くところがない、だれもしゃべる相手がいない、ということです。」

 

 

 

 

「よい成績を取ったときと親の言いなりになったときしか、ほめてくれず、親にとってのよい子という条件つきでしか、わたしを愛そうとしなかった。そんな親に、恨む気持ちをかかえています。顔も見たくないのです。にもかかわらず、愛された自覚がない分、親の愛に飢え、愛されたいと願っています。」

 

 

 

 

「社会にはでたいです。普通に働きたいと思います。でも、もしうまくできて、また母が、さすがはわたしの子どもだと喜ぶ様子を想像すると、怖くて足がすくんでしまいます。飲み込まれるような恐怖です。わたしの達成感も満足感も横取りされて、母のものになってしまうのです。」

 

 

 

 

「いい大人が昼間にぶらぶらしていては、近所の人に変に思われて恥ずかしいです。」

 

 

 

 

「働いていないことがばれるといやなので、親戚が遊びに来たとしてもずっと自分の部屋に隠れています。」

 

 

 

 

「今、何をしているのかと聞かれるのがいやなので、知り合いからの電話には出られません。」

 

 

 

 

「母親がもし死んだり怪我したりしたら、自分はどうやって生きていけばいいのかわかりません。」

 

 

 

 

「親には受験で勝つようにと育てられました。僕自身もはたらくことは学ばず、大学がすべてでした。でもその大学の中で、人付き合いの悪い人間として疎外されてしまいました。」

 

 

 

 

「思えば小学校のころから、社会に違和感がありました。大学に受かったときも、うれしくはなかったです。」

 

 

 

 

「今となっては、自分のプライドを捨てられなかったことが、つらいです。妥協点があれば、いいんですが・・・・。プライドと自尊心が評価されない現実に、もがいています。」

 

 

 

 

「友達をどう作るのか、どう社会生活ができるのか。それが見当たりません。福祉施設の人にアルバイトの機会がないかどうか聞いたりしていますが・・・時間が惜しいです。」

 

 

 

 

「父は、男として僕を受け止める壁にはなってくれませんでした。やさしかったけど、規範を教えてはくれなかった。ときには父親として、それはいかんといってほしかった。そんなふうに思うことがあります。」

 

 

 

 

「採用面接のとき、履歴書に空白があると、何をしていたんだって突っ込まれるじゃないですか。ひきこもっていた時期を、どう説明すればいいのか・・・。」

 

 

 

 

「僕は人間関係がうまくできないってわかっていたから、肉体労働を選んでいたのに、仕事って結局、どれも人間関係で・・・・。やっぱり対人関係の勉強をして力をつけないと・・・・。」

 

 

 

 

「母にバイトに行くと、わたしから人に話しかけられないから、逆に人から過去の高校中退のことを根掘り葉掘り聞かれちゃうんだと言うんですけど、母はじゃあ答えなきゃいいじゃないと言うだけで・・・。ああ、やっぱり言っても無駄だったって思っちゃうんです。でも、親に理解してほしいという気持ちは、あきらめきれなくて・・・。」

 

 

 

 

「父母には気の毒なことをしていると思いますから・・・。ふつうの家庭なら子どもはとっくに自立をしているはずなのに・・・。」

 

 

 

 

「親にいちばん言ってほしくないのは、そんな調子で、将来どうするつもりだっていう言葉です。自分でも、今のままじゃだめだって分かっているのに、動けないのが現実だから・・・。だから申し訳ないけれど、親にも変わってほしいと思います。一人じゃ荷が重いから、少し肩代わりをしてほしいんです。」

 

 

 

 

「友達を作れないんです・・・・なぜでしょうね。」

 

 

 

 

「たとえば、今日学校で、こんなことがあったよっていう当たり前の会話がしたかった。でも母はいつも、忙しいからまた後でって・・・・。もしそれがあったら、もう少しいい方向に進めたんじゃないかなって、そういうふうにも思います。」

 

 

 

 

「わたしが言うのは申し訳ないのですけど、両親は二人ともずっと年中無休で働きづめで、人生をぜんぜん楽しんでいないように見えてしまうんです。わたしには、仕事しかないような人生は、耐えられそうにないんです。」

 

 

 

 

「このまま世の中から取り残されると思うと、怖くてたまりません。」

 

 

 

 

「焦ったり、不安が高まってきたり・・・・。部屋にいると、精神的に追い詰められるだけ、という感じでした。」

 

 

 

 

「ずっと勉強がんばってるの?と聞かれていたので、がんばってると答えていました。けれど、一度でも学校は楽しいの?っていう聞き方をしてくれたら、もしかしたら、本当のことがいえたかもしれないと思います。・・・聞いてほしかった。」

 

 

 

 

「悩みで勉強など手につかなくなって、高校二年からは、授業はスッカラカンでした。毎日、何をするために学校にきているのかわからない状態で、ただ足を運んでいる感じでした。でも、親や教師に友達がいないんですなんて悩みを言えるわけもなくて・・・・。」

 

 

 

 

「僕は、反抗期がなかったんで・・・・。思春期のころは、周りの子たちが暴れたり親にバカヤローと言ったりしているという話を聞いて、優越感がありました。自分は大人なんだって、あざ笑っていたんです。」

 

 

 

 

「焦る親の気持ちはわかるんですが・・・・。僕はまだ、親に介入してほしくないんです。心配してくれているのは、痛いほどわかるんですが・・・。親が作った道で、僕は生きるから・・・。親に反対するわけじゃないから・・・。」

 

 

 

 

「僕は、人間としての付き合い方を教えられてこなかったし、それを勉強もしませんでした。車輪を落としちゃった飛行機みたいです。いけるところまで行って、胴体着陸するしかない。燃料も八分目まで使っちゃったけれど・・・。」

 

 

 

 

「高校までは、成績が悪いと好きな本を捨てられました。二十代まで好きなことはしていません。親は、昔は般若のように教育熱心だったのに、今は家庭菜園をしたり、カラオケをしたりしています。今さら自分たちだけ変わって、卑怯じゃないかと思います。今、親からは就職しろ、結婚したら?怠け者といわれています。」

 

 

 

 

「お前が暗いのにわたしたちだけ明るくするわけにはいかないだろうと親は言いますけど、自分のことだけでも大変なのに、僕のせいで親まで暗くなっちゃうのは・・・。そうなると自分の問題なのか、親の問題なのか、分からなくなってくるんです。僕がいなければ、家族は明るくなれるのかとも思っちゃいますし・・・。」

 

 

 

 

「親以外の人間と話さないでいると、おかしくなってしまうそうで、同世代の人と会える機会がほしかったんです。関東自立就労支援センターに来て、人の話を聞いてみて、人それぞれなんだなと実感しました。違う悩みがいろいろあるんだなと・・・。あと、人に話を聞いてもらえることで、あっ信用されたんだとも思えました。」

 

 

 

 

「友達づきあいって、本当に難しくて・・・。わたしもひきこもって友達を拒絶していました。でも、ある一人の人に初めて悩みを打ち明けられたとき、分かってくれる人もいるんだと思えました。たった一人に話せたことで、友達関係を信頼できるようになって、親や社会との関係が少しずつ開けてきました。」

 

 

 

 

「学校でいじめにあっていたときは、誰も助けてくれなかったんです。みんな、見てみぬふりでした。机に向かって、勉強しているふりをしていました。」

 

 

 

 

「小さいころから、母はいつもわたしに勉強しなさいと言いました。だからわたしは、勉強をさぼったことはありません。小学校のころは、よいと書かれている通知表が当たり前になっていました。百点をとっても、親は当たり前という顔をしていました。なのに、わたしより成績の悪い弟がたまに九十点を取ると、親はよくできたといいました。わたしはずっと、成績を落とさないよう、がんばるしかないんだと思っていました。」

 

 

 

 

「安心できたことは、それまで僕と付き合ってきた人間が、僕に利用価値がないと分かったとたん、手のひらを返していったことです。他人のそういう卑怯なところを見ると、安心しました。そういうもんだ、人間なんて、化けの皮がはがれたなって・・・・。他人の好意があると、かえって落ち着かないです。」

 

 

 

 

「希望や信頼を前提として、人と付き合うことに自信が持てません。」

 

 

 

 

「人が怖くなって、予備校は二日で辞めてしまいました・・・・それからは何もかも怖くなって、人が歩いてくるのだけでも怖くなってしまって、外に出られなくなりました。外に出ると、学校の人に会ってしまって何か言われたりすると、何日か寝ているといった状態です。」

 

 

 

 

「母からさあ、がんばって!と背中を押されるたびに、わたしは深くひきこもりました。でも、母は最近、少しずつ変わってきました。母は、一生ひきこもってもいいといってくれました。わたしはとても救われました。生きていることが、何か意味のあることのような気がしました。自然と少しずつ、外へ出られるようになりました。」

 

 

 

 

「こんな生活をしているのは、世界中で自分だけだと思っていました。」

 

 

 

 

「何かやらなきゃいけない、という焦りがあったときには、動き出せなかった。そういう思いが薄れてきたとき、外に出られるようになりました。」

 

 

 

 

「小さいころは、僕は体が小さいからスポーツもできないんだし、我慢しなくちゃいけないと思っていたんです。でも、高校くらいから、お前は何をやっているんだ、誰にも相手にされないじゃないかという気持ちに変わっていって・・・・。」

 

 

 

 

「小学校のとき、クラスの席替えで、自分の悪い点がパッと自分に見えてしまい、自信がなくなってしまいました。なんで、自分は空気が読めなくて、こんなに人と話せないのか。あの時以来、ずっと悩むようになってしまいました。」

 

 

 

 

「こんな死んだような生活を毎日送っているのなら、いっそのこと不登校になって、本当に精神が壊れちゃえば助かるのに・・・・。」

 

 

 

 

「部屋にひきこもってボーっとしている僕のことが気持ち悪くて、家にいたくなかったのだろうと思います。妹は当時、家に帰りたくないと言っていました。」

 

 

 

 

「学生のころから、いつも漠然とした疲れがあったんです。だから、友人やバイト先の同僚にも、君は覇気がない、いつもフラフラしているねなどと言われていました。」

 

 

 

 

「下の妹弟は皆、とても優秀でした。僕だけ勉強が得意ではなく、成績も悪くて、親からずいぶんしかられていました。僕は、あまり大事にされていませんでした。そして、中学生のとき、学習塾でしごきを受けてから人間が変わってしまったんです。」

 

 

 

 

「当時はなぜ、ひきこもりになってしまったのかまったくわかりませんでした。病気という認識はなかったんです。ただなんとなく、自分は元気がないんだとか、引っ込み思案で、踏み出す勇気がないんだとか、性格が暗いのかなと思っていました。」

 

 

 

 

「一人でいるのは平気なので、退屈とかさびしいとかはなかったです。テレビはもともと好きではなかったし、ゲームもやりませんでした。だって、ゲームとかってすごく前向きじゃないですか、経験値稼いだり。そんな建設的なことはとてもできませんでしたね。ただ寝ているだけ。いくらでも眠れるし、目が覚めると天井の模様ばかり眺めていました。」

 

 

 

 

「大学院への進学が頓挫してしまって、夢も何もかもみんなふっ飛んでしまった。どうしたらいいのかわからなくなって、将来が見えなくなってしまったんです。自分には、仕事を続けたり、人間関係を保っていったりする、社会的な能力が足りませんでした。」

 

 

 

 

「二十七歳にもなれば、周りは皆、働いています。自分だけが働いていない。恥ずかしくて顔を合わせなれなかったです。仕事も何もうまくいかない自分にも、絶望していました。」

 

 

 

 

「すっかりダメ人間の自分がいる。こんなダメな自分を友人に見せるのは耐えられませんでした。」

 

 

 

 

「外に出ると緊張してしまうんですよね。変なふうに思われているのではないかと、つい人目が気になっちゃって、萎縮しちゃうんです。」

 

 

 

 

「僕は、働かなければと思ってがんばって働きました。ただ、しんどい思いをしてもう働くのは嫌だ、と思って休んでいるうちにひきこもってしまいました。そして、ひきこもっている間に、さらに自分を追い詰めてしまいました。当たり前のものをひとつひとつ壊していき、一生懸命自分なりに一から積み上げようとしました。しかし、結果的に何もわからなくなってしまったんです。」

 

 

 

 

「僕の場合は、プライドの高さが自分を追い込んで、結局プライドを傷つけられたときに、自分はおかしいんじゃないかと自己否定に陥って、一気にひきこもりました。」

 

 

 

 

「病気で休んでいるのだから、仕方ないと半分は思っていました。あとの半分は、何もできないのが情けない、という気持ちでいっぱいでしたね。」

 

 

 

 

「やはり、仕事をしていないと肩身が狭いというか、何で仕事ができないんだろうって、自分で自分を責めてしまうんですよね。いま、振り返れば、具合が悪かったので気持ちばかり焦ってしまって、体が動かなかったんじゃないかと思います。」

 

 

 

 

「親も今では、すぐに働けみたいなことは言わなくなりました。穏やかな進歩を願っているようです。昔、厳しくあたったことを反省もしているみたいですし。」

 

 

 

 

「ひきこもりはみな、特別な人たちなのかなと、ずっと思っていました。でも、関東自立就労支援センターに来てみると、彼らはいたって普通の人たちだったんです。本当にひきこもりなのか、と疑問に思ったほどです。」

 

 

 

 

「僕としては、学校に通うだけで精一杯でした。それ以上、家に帰って勉強するのは無理だったんです。でも、父親はそれを許してくれませんでした。」

 

 

 

 

「大学のときに、うつ病に罹っていることがわかると、先輩などの周りから馬鹿呼ばわりされたんです。だから、サークルも辞めてしまいました。」

 

 

 

 

「もう一度、大学院に進学使用と思ったのは、自分は学生生活を満足に送ることができなかったという負い目があったからです。もう一度、学校に通って、青春を謳歌したいという気持ちがありました。その一方で、将来、研究の仕事をしてみたいという希望もありました。」

 

 

 

 

「テレビで、ニートの青年が働いたら負けかなと思っていると発言し、そのキャプチャーだけがネット上で貼られていって、ニートやひきこもりはこういう奴らなんだ、モラトリアムを楽しむろくでなしだ、というイメージで語られていましたね。」

 

 

 

 

「今から考えれば、職場でストレスが多かったのかもしれません。上司は、できないようなことを言って、無茶振りをしました。言われたとおりにできないと、すぐに怒鳴ったり、切れたりして感情の起伏が激しかったです。そんな環境がいやになり、ノイローゼになりました。」

 

 

 

 

「ひきこもっていたときは、自分を責めていたような気がしますね。仕事ができなくなってしまったことが、みっともないとか、みんな働いているのになんで僕だけ、ダメになっちゃったんだろうとか・・・・。いろんな思いが頭をよぎりました。」

 

 

 

 

「生きていればいいかな(笑)。生きていく上に、人の目とか、世間体とかは関係ありません。そのうち、楽しいこともあるだろう、そう思ったら気持ちが楽になりました。」

 

 

 

 

「ひきこもるということは、自分にとって、必要な行為であったことは間違いないと思っています。ただ、社会から外れて10年くらい経って、あまりに長くひきこもり続けたなという反省がありますね。できれば、2~3年で済ませたかったと思っています。」

 

 

 

 

「仕事をがんばって探しても、結局、基本的にはこれまでのキャリア(経歴)で切られるんですね。」

 

 

 

 

「若いころにはひきこもりの正当性を主張しようと考えたこともあります。でも、負け犬の遠吠えだという思いはぬぐえませんでした。悲しいことに、ほかの誰でもなく自分自身が、ひきこもりを肯定していないんです。社会から逃げ出してひきこもりをしている人間は、ひきこもりからすら、逃げ出したいのです。それでも現実には、だれも僕にお前は不要な存在だとは言いませんでした。言っていたのは、僕自身です」

 

 

 

 

 

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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援