ひきこもり・ニートと社会性
ひきこもりやニートの状態から社会参加に向かう過程を、わたしはそれぞれの到達年齢のところで思春期の課題に挑戦していくことだと考えてきました。それはわたしが思春期を次のような人たちと同様に理解しているからです。思春期は、疾風怒濤の時代といわれるにふさわしく、人間として自立するための訓練期なのかもしれません。(尾木直樹「思春期ばんざい」)
「思春期、それは変化の時代」として、その変わっていく面を三方面から説明する人もいます。1、からだつき(子ども時代のからだつきや顔つきが変わっていく)、2、こころ(子どもらしいこころが変わっていく)、3、性格(さびしいような、誇らしいような)。(村瀬幸浩「思春期を生きるー中学生のからだとこころ」
思春期は大きな峠です。それは子ども時代に別れを告げ、おとなの世界へ入っていく峠です。子ども時代にも小さな峠がいくつかあり、子どもはそれらをひとつひとつ超えながら、人間的自立への一歩一歩を築いてくるように思えます。思春期はその課程で身につけたものを試される、総仕上げの時代と言えましょう。(高垣忠一郎「思春期の心理」)
思春期が、人間の成長・発達にとって、とても重要な内容であることがわかります。J・ルソーはそれを人間の「第二の誕生」と言っているほどです。
ところが、思春期の全体像が必ずしもこのようには理解されていないと思うことが何度かありました。わたしにとって、それらは外形の平板な理解のように思えました。辞書で思春期の説明を読むとこうなっています。「からだが成長し、、ものに感じやすくなり、とくに異性に対する関心が強くなる年頃」
国語辞典のなかではていねいな表現をしているほうだと思います。しかし、先ほど引用した著者たちのとらえる思春期の表現と比べると、非常に狭いものです。
これに類する理解を、わたしは外形を平板に理解したものだと感じてきたのです。辞書的な表現によれば、要するに、子どもから男になる、女になるということでしょう。
そしてその後に成人になるわけです。思春期とははたしてそれだけの時期でしょうか。思春期には、対人コミュニケーションの広がり、社会性を獲得し自立する時期の意味があり、それがこの辞書的な説明にはかけていると思います。
わたしが思春期の課題という場合、身体的範囲の成長を超えたものを考えています。先に紹介した三人の著者の考え方と同じ範囲で思春期を位置付けているのです。
わたしは同じ国語辞典の中で、別の表現を見つけました。「社会性」の項目です。
1、集団を作り、そのなかで生活しようとする性質。
2、社会生活の中で、めいめいが、いかに生きるべきかという問題について考えさせる傾向。
3、個人・家庭の殻を破り、広く社会の出来事全般に目を開く知的傾向。
4、個人や特定の組織の枠にとらわれず、社会全般に広くかかわること。
こちらのほうが、むしろわたしの考える思春期の課題、成長・発達の課題として言わんとする内容をより多く伝えています。わたしが思春期の課題、「思春期を通して身につけていくもの」と想定した内容を、この「社会性」をキーワードにいくつか表現してみます。
互いに重複するところもありますが、箇条書きにしてみます。
1、人と人との関係がとれる状態にあること。ある社会集団(年齢・世代・男女・地域・職業そのほかの体験履歴の共通性でグループとしてとらえられるもので、必ずしも意識されているわけではない)において、自分の意思を通しながら(あるいは維持しながら)、妥協でき、折り合いをつける力があること。
2、社会生活上の規範、約束事を理解し、実行できること。またそれらを相対化してとらえ、別の形で表現する方法、程度、タイミングなどを判断でき、また実行できること。
3、自分の意思を、ほかの人との関係(間合い)を考えながら表示し、その内容に伴う妨げとなる要素を取り除いたり、譲り合ったり、あるいは促進できる要素を取り入れたり、ほかの人と協力するなどして選択、判断ができ、おおむね実行できること。
4、子ども時代を超えた年齢に達したとき、仕事、学習、習俗、習慣を含めた社会生活の場面において、一定の社会集団から許容範囲と認められる考え方、行動様式がとれること。広義の社会常識を身につけていること。
5、ある社会集団において、考え方、意見、振る舞い、表現方法が異なっていても、おおむね許容される範囲での表現をする第三者に対して、その人を社会集団の構成員として認め、共存者、あるいは競合者、さらには敵対者として位置づける度量があること。この敵対者が他害的な性質をもたないのであれば、排除する対象者ではなく、変容の対象者として考え、受け入れられること。
これらは今の段階のわたしの到達点を示すもので、より深い理解に達したとき、より整理されたかたちで表現できるようになるだろうと思っています。
いまは、わたしが到達したところの「社会性」に沿って、問題を考えていきます。社会性を獲得することによって、人間は社会生活上・職業上、それぞれの地域社会や社会集団のなかでの対人関係を築くことができます。
そして、社会性を高めることによって、他人との関係や社会集団のなかで、より円滑により自在に自分を表現することができるのです。
社会性が身につかないでいる、その背景を考えてみましょう。これをつきつめていくと日常的には指示的・命令的環境のなかで成長したこと、自分の意思、気分、感情が大切にされてこなかった成長・発達過程につきあたります。
社会性を身につけるためには、人間として尊重され、意思、感情、力量を認められ、その意思表示を受け入れられる経験が欠かせないのです。
この点で失敗経験、あるいはリスクのあることへの接近も重要だと思います。成長過程における親や大人の指示(先回りや親が良かれと思うレールに乗せる方式)は、失敗の回避と安全第一になりやすく、それは子どもにとっての経験不足と経験不足の土台になります。
このとき、親は自分が身につけた社会的規範(それはしばしば固定的な思い込みで、親自身が一度も到達したことのない理想像であったり、俗に言う世間体にすぎなかったりする)の範囲内で、その範囲内に向かうように仕向けています。
子どもが本来もっている人間としての自然な可能性を伸ばそうとするよりも、親が大切だと思うことを子どものなかに植え付け、育てようとする、と言い換えることもできるでしょう。子育てでもっとも重要なことは、人間として意思表示できる力を育てることですが、親は往々にしてこの点に無自覚であるように思います。
それは親世代にとっての「時代の精神」とでもいうべきものです。そこにズレが生じ、広がっていくのです。親が大切だと思っていること、それはじつは時代の制約を持つものです。それは単純に単一のものではなく、ある時代に生きる人々がそれぞれの理解において獲得したものです。
絶対的なものではなく、相対的なものです。そもそも社会性自体も社会常識も時間とともに変化します。とくに社会常識は固定的なものではなく、それを相対化していく能力、表現していく力も社会性の一部です。これがなければ、閉鎖的な保守主義に傾き、進歩や変化への否定感や恐怖感が強まり、ついには対応できなくなることがあるからです。
親の思いや願いを子どもに伝えよう、子どものなかに育てようとすることの全体が無用なわけではありません。それがゆがみをもたらし、子どもの成長を停滞させていると一方的に考えているわけでもありません。
ただ、それらは子どもにとって二次的、派生的な要素であるとするバランス感覚が必要なのです。一次的、原則的には子どものなかから芽生えてくるものを育て、伸ばすことが必要です。そのうえに、二次的、派生的なものが加わっていくのです。子ども(人間)が本来的にもっているものをいかに伸ばすのか。
それをたとえば「個性の尊重」ということばで表しても支障はないでしょう。親の考える理想と離れていても、親はあわてることはないし、失望することもないのです。
しかし、親の願う方向ではなかったために、いやほとんど同じだったのに、わずかなズレを訂正され続けた人たちを見ると、そこには、子育てにおける子ども(人間)尊重の欠如があります。
たとえば、子どもの学力についてもそうでしょう。社会生活に必要な基礎的な力があり、狭義の学力とは別の力が発揮できれば、社会に通用するという認識があってもいいはずです。
学力(というよりは学歴)を求め、それを最高の基準にして人間を判断していく風潮に親世代は巻き込まれてきましたが、わが子に向かっては自らがその風潮の代弁者になっています。そして、人間を総合的に評価をする力が弱くなり、学力(または学歴)に偏った評価しかできなくなっているように思います。
このような環境、家族だけでなく、学校や友人関係などを含む生育過程のあれこれ・・・で育った子どもは、一方ではそのような価値観がしみついた人間として育ちやすく、他方ではそれについていけずに苦しむ人間になりやすいのです。
親の願い、期待についていけない人のなかには、別に大切なものを見つけ出し、そこに突き進む人がいます。親はどうであれ自分は自分である、というかたちでの自立です。親はその過程で子どもから学ぶことも多いはずです。
その一方で、親の期待にこたえられないことを挫折体験と感じ、自らしずんでいく人もいます。もちろん、しずんだところから新たな生き方を探る可能性もあります。
ひきこもりからの「生還」とはそのようなものでしょう。このように別の価値(別の進路)を見つけ出して進める人、「生還」できる人と、なかなか社会に入っていけない多くの人との分かれ道はなんでしょうか。
たぶん、どのような環境であれ、それを自覚し、それと折り合いをつけ、進んでいける精神力があるかどうかが、いちばん大きな違いになると思います。しかし、それだけが唯一の要素で、それがあれば「生還」できると位置づけるのは正しくないでしょう。
環境そのものの全体を変えるさまざまな方策が必要です。身近な人間である家族をはじめとして、友人関係、学校、地域社会、そして社会全体が、その環境として問われていくことになります。
親にとって直接できるのは、子どもを認め、ほめることです。親が大切に思うこと、世間的な価値観、少なくともそれらのうち親がもっとも重視してきた評価基準とはいったんはなれ、ひとりの人間として子どもを見る視点をもつことです。
そうすれば、子どもは生活・生存のなかでいろいろな姿形を表現しますから、それぞれの面を受けとめ、受け入れ、あるいはおもしろがり、共感し、協力し、子どもに教えてもらったり、分担したりしていくことができるでしょう。
これらが「ほめる系」に属するいろいろな方法です。わたしは、日本において人間関係を苦手とする若い人が多くなっている背景として、子どもが「~できた」から、「~をした」から、「いい子」だ、というほめ方が広がっている点に注目しています。これは、いわば「条件付き評価」です。逆にいえば、普通に元気であることが大人から認められる基準になっていないのです。
子ども・若者のなかには大人・親から「認めてもらっていない」状態が広がり、「いい子」になろうとして自分の心の奥にある伸びる芽をつぶしてきた苦しみやその結果としての無気力感が満ちている人が大勢います。ほめることは、家族だけでなく、学校でも会社でも地域でも、社会のいろいろな場面で、それぞれの状況に応じて必要なのだと思います。
他人の子をしかること以上に優先したいことです。少なくともこれは、子どもの社会性を育てる基盤条件になります。指示的方法にも依存的方法にも偏らない、ものごとの決め方・進め方の前提がここにあるからです。わたしは指示的方法がどのような場面でも不要である、と言っているのではありません。
子どもは、自分がそう受け止められることによって、他社にもそれを求め、そのように構えていく精神、姿勢が育てられ、強められていきます。それは自分との違いを認め、また認められる関係をつくることです。社会性にはそのような面があります。
ここまで、社会性を身につけることを思春期の課題として述べてきました。しかし、思春期の課題、ということばで示される範囲は大きな塊です。
多様性があり、しかも全体の輪郭もつかみにくいものです。思春期の課題を、アイデンティティの確立ということばで表す人もいます。また、自分探し、自己発見、自己実現、あるいは進路決定や仕事探しという形で取り組む姿を思い浮かべる人もいるでしょう。
自信をつける、生きている実感をつかむという面を意識しているひともいます。 身体科学的な表現で、成熟というのもあるでしょう。もっと違った表現もあるに違いありません。わたしは「学力+オリジナル体験の獲得」というテーマで、この課題を考えていた時期がありました。
このように多様で多面的な内容と捉え方があるのは、この課題が多様な面をもっており、人それぞれによってこの課題との接点、出会い方、取り組み方法、それに関心の持ち方や意識のしかたが違うからだと思います。たとえば、「アイデンティティの獲得」というのは、わたし自身がどうにもすっきりと納得のできない概念なのです。
自己同一性というのがその日本語訳ですが、文化的になじまないからでしょう。それでもある局面で、そのような概念もありだと思うことがあります。どのキーワードがより納得できるのかは、その人の経験や性格や好みや問題意識によるのかもしれません。
それと同様に、この課題に取り組む方法も、人さまざまにならざるをえません。ですから、ほとんど大部分の人は無意識に、あるいはより部分的・個人的なテーマを追求するかたちで、この課題の全体に挑んでいます。
たとえば、部活動における苦しみと達成感の経験、文化祭や体育祭の準備への熱中と試行錯誤による感動体験、受験勉強の苦しさとその到達による満足感、仕事を続ける努力のなかでのおもしろさの発見、貧しい環境のなかでの家族の協力、障害者へのボランテイア活動のなかでの人間の発見などです。
全国を自転車旅行したり、四国八十八箇所の巡礼をしたりするのも、このなかに入るように思います。日常生活に耐えながらひとつの目標を決め、地道に取り組む人もいます。
これらには一見、これといった共通性がないように思えます。あるとすれば「悩みを突き抜けて歓喜に至る」というベートーベンの第九交響曲の主題でもあるこの歌詞(シラーの詩)が当てはまる気がします。単に楽しい、うれしいという体験ではありません。この思春期から自立へ向かう課題は、それだけでは手にすることはできません。
苦しみがある、わからないことだらけ、困難がある、難敵がいる・・・・そんななかで、小さな成果を見つけ、気を取り直して粘ってこの時期を突き抜ける魂の闘いなくしては、本物のたのしさ、充実感を手にすることができないように思います。
この困難に立ち向かうのに必要なものがあります。それは、エネルギーと勇気が必要です。それを生み出すものは、周囲の人、とくに家族の愛情と友人の支え、協力です。そのような周囲の人の支えがあるからこそ、この困難を前にして、苦悩のなかにあって、耐え、忍び、粘り、もがきながら前に進めるのです。
ここでも、愛情の過剰は愛情不足と同じになることに留意してください。ひきこもり状態を経験した人には、このままではだめになるという危機感が動機(エネルギーや勇気の源泉)になる人もいます。生活上の困難や親への反発が動機と思える人もいます。それらは悪いことではありません。少なくとも最悪ではありません。
社会性、または社会的な力は暗記的方法で身につけることはできません。人と人との間の実体験を重ねるなかで、心身に記憶されていき、機会に応じて自己表現できる力になります。
社会を知識や情報として教えること、学ぶことが社会性を身につけることではありません。その部分もありますが、その前提は、このように自分を生かす、生かされる体験を重ねることにあります。
この培われた前提のうえに実社会を見聞きし、そして雑然とした人々(ある友人は猥雑な世界)を通して、実物の社会をより多様に自分の感覚に取り入れながら社会性を身につけていきます。
知識や情報として整理されたもの、教科書的に描かれる社会は二次情報であり、人が感覚として捕らえる実社会を補足する役割をもつものにすぎません。
親や教師や周囲の大人から教え込まれる社会、教科書を通して学ぶ社会は、子どもにとっては二次的な情報です。これを指示・命令型で子どもに植え付けるかたちでは、社会性の獲得はできません。その場における一次情報とは、指示・命令型で教える教師や親や大人の人物そのもの、人物そのものからの体験です。
教科書などは、猥雑で混沌とした社会を化粧しセットしたかたちで提示するもので、一次情報としての役割は消滅しています。学校で指導力のあるベテラン教師よりも、力を空回りさせながら生徒にぶつかる若い全力投球型の教師が子どもたちに人気があるのは、その若い教師自体の一次情報的役割が大きいからではないかとさえ思えます。
子ども(人間)は、なによりもまず一次情報から学びます。生きた人間、自然や社会の実物から学びます。二次情報は整理されていて、効率的な学びの対象として取り扱いやすいために、それに依存しがちです。しかし、取り扱いが難しい一次情報、つまり生身の人間と自然と社会から学ぶ条件や環境をこそ重視しなくてはならないのです。
子ども(人間)を育てる立場にある親や教師や大人の役割はそこにあると思います。効率重視の二次情報である教科書式の教育は、それが一次情報の土台の上に置かれない限り、子どもの成長を傷つけたり、ゆがめたりするとわたしには思えます。
書物に書かれている社会や自然のあらゆることは、実在する社会や自然から得られたものです。その実物、実在を離れた部分を書物から知識として効率的に吸収した人たちは、ある時点で前に進めなくなります。
知識の開拓者としても前には進めないのです。もし、実物の人間とつきあうことなくして人とかかわる力を身につけたと錯覚しているならば、また錯覚していなくても実際の人間との関係が成長期に途切れているのならば、自分自身の存在を正常に維持しえなくなるという危機に直面します。
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