ひきこもりの親子関係の問題
ひきこもりになった子どもの態度として、たとえば、学校に行けないことについて、「自分が悪い」と自分を責め続ける人と、「自分も悪いが、親の育て方も悪かった」と自分も親も責める人と、「こうなったのは全部親のせい」と全面的に親を責める人がいます。
そのうち、全面的に親を責める人が数としては圧倒的に多いように感じます。親に対して、言葉で非難したり暴力をふるったりするのは、全面的に親を責めるタイプの人です。
しかし、どのケースであっても、親子関係が良好なケースはなく、親に対して心を閉ざし、なかには何年も親との接触を拒否している人もいます。
ひきこもっている人はみな、「親から愛されている」という実感を欠いているという感じがします。ひきこもり状態にあった若者が起こした凶悪事件を振り返っても同じように感じます。
あくまで報道で知る限りですが、当事者は共通して親の愛の実感をもたず、「自分は親から嫌われている。自分なんか、親から見捨てられている」というふうに思い込んでいます。親に対して怒りや憎しみなどを溜めている彼らにとっては、親は味方ではなく敵です。
また、自己否定感や被害者意識が強く、「自分の存在を、親も社会も認めてくれなかった。自分が苦しんできたのは親や社会のせい」と思っているようです。ですから、「親や社会は自分の敵であり、悪であるから、悪をやっつけることは社会正義である」という、価値感の倒錯が生じてしまうのです。
さらに、自分を認めることができないから、誰かに認めてもらうことで自分を認めようとしているように思えます。自己顕示的で、犯罪行為によって社会の注目を集めることで自分を認め、英雄視されようとしているかのようです。
突き詰めれば、外面的には仲のよい親子に見える場合も含めて、ひきこもりの背景には親子の信頼関係づくりがうまくできていないという問題があると思います。
関東自立就労支援センターに相談に来たある相談者は、「親は一度も自分をほめたことがなく、叱るばかりです。自分なんか生まれてこなければよかったとずっと思い、苦しんできました。だから、自殺するか、両親を殺したいと思っています」と言った女性がいました。
また同様に、自殺か両親の殺害を望む言葉を口にした男性は、「凶悪な犯罪を犯した犯人の気持ちがとてもよくわかります」と言いました。
では、ひきこもりの人に共通する「親子関係の問題」というのは、いったいどのようなものなのでしょうか。それを、人間関係の3種類から見たいと思います。わたしは、人間関係は「信頼関係」「信用関係」「不信関係」の3つの類型に大きく分けられると考えています。
「人間」関係の類型ですから、これは当然、親子にも当てはまります。それぞれの類型の説明は、以下のとおりです。
〇信頼関係
2人以上の人間の間で、親しく協調的で、相互に心を開く関係が成り立ち、相互理解が深まっていくと信頼関係にいたります。信頼している人と一緒にいると、リラックスできます。つまり、信頼関係はリラックス型の人間関係です。
信頼関係は、無条件の愛で結ばれた無条件の関係です。ですから、信頼関係を裏切ることはできません。子育てがうまくいっている親子間には、この信頼関係があります。
〇信用関係
信用関係は、条件付の人間関係で、ギブ・アンド・テイクを求める取引関係です。「一定の条件を満たすなら付き合います。でもその条件をみたさないなら、付き合いませんよ」という関係です。
仕事上の取引関係はこの典型です。労働条件の提示と採用試験から始まる職場の人間関係もこの関係が基本になります。信用関係は経済社会には欠かせませんが、この関係はプレッシャーのある、ストレスが生じがちな関係でもあります。
なぜなら、信用関係を保つには、お互いに相手の求める条件を満たし続けなければならないからです。信用関係を保つための条件は、条件の難易度が高まるほど、また条件を満たすことを厳格に求められるほど、ストレスの程度は強くなり、ストレス型の人間関係になります。
もしも、自分の人間関係がすべて信用関係だとしたら、その人の生活は非常に生きづらいものになるでしょう。
恋愛関係において、「愛が憎しみに変わる」といわれることがあります。その場合の愛は、信頼関係を育む無条件の愛ではなく、執着愛であり、この信用関係に関わるものだったのでしょう。ですから、相手に期待していたことが裏切られると、それが憎しみに変わってしまうのです。
〇不信関係
崩壊した人間関係であり、強いストレス型の人間関係です。この関係にある相手と一緒にいると緊張してしまいます。不信が強くなると、「顔を見るのもいや」だし、「声を聞くのもいや」になります。
子どもを虐待する親は、人間不信が強く、子どもが親の期待どおりやらないと逆上するのではないかと考えられます。
限られた特定の人間関係だけが不信関係である程度なら、それほど生活に支障はありませんが、不信関係が広がるほど生活しにくくなります。
ひきこもりは、ほとんどすべての人との間で、不信関係になっている状態です。このような3つの関係を、わたしたちはさまざまな他人と結ぶのですが、そのときの人間関係の作り方の基盤に、親子関係があると考えられます。
なぜなら、子どもにとって親子関係は、もっとも身近な最初の人間関係であり、そこからもっとも多く人間関係を学ぶからです。
子どもにとって親は最大の庇護者で、幼いときほど親は神のような絶対者であり、その後も子どもは親が人間の代表者であるかのように感じて成長します。
子どもは、親との人間関係から人間というものを理解し、他人に対してどのように接するべきか判断する手がかりを、親の態度や親との会話から学んでいきます。
たとえば、親が子どもに暖かく接するなら、子どもは「人間というものは、人に対して暖かい気持ちをもつものだ」と思うでしょうし、意見が異なるときも話し合うことで解決できるという見通しを持つでしょう。
逆に、親がいつも子どもをしかりつけたり体罰をしていたりしたら、子どもは「人は他人を力で押さえつける、怖い存在だ」と思います。そして、人は気に入らないことがあるとすぐに攻撃してくるものだと思うので、他人と接することが非常に緊張を強いるものになります。
子どもの人間観を左右するほどの大きな影響を、親は子どもに与えるのです。なかでも重要なのは、親子の間で信頼関係が成り立っているかどうかです。
信頼関係ではなく信用関係のとどまる親子関係は、とても多いとわたしは見ています。親子の信頼関係があると、子どもは思春期以降、次第に親離れして、精神的な自立に向かうようになりますが、信頼関係がないと親離れしにくくなります。
なぜなら子どもは、満たされなかった親の愛を求め続けるからです。ここでいう「親離れ」は、「ひとり暮らしをさせる」といった外見的なことではなく、精神的な意味です。
子どもは、幼いときほど親なしには生きられない状態にありますから、親の愛を求め、親に依存します。ひきこもりの場合は、親の愛の実感をもてない不満のなかで、親不信を持ちながら経済面や生活面での親に対する依存が続くという難しさがあります。
反抗期が自立のための自己主張の表れであるなら、ひきこもりの人に反抗期が見られないのもよくわかります。子どもは親の愛を求めることが自然です。親の愛の実感が持てず、親に心を閉ざして親を拒否しながらも潜在意識では親の愛を求めており、そのことで親離れできないのですから、自立のための反抗もないのです。
逆に言うと、反抗期の反抗は親子関係がよいから見られる反応であり、その反抗によって親のほうも子育てを見直し、さらに信頼関係を深めることができます。
つまり、子どもは反抗によって精神的自立へ向かうことができるのです。子ども(成人を含む)のひきこもりという症状が、反抗期における「反抗」に代わるものであり、その発症によって反抗期に入ったと見ることもできます。
ある既婚の40代の女性が、それまでずっと母親の顔色を気にし、がんばって母親の期待に合わせてきたものの、とうとうしんどくなり、症状を発症しました。
そのことで母親の期待どおりにできなくなり、「やっと反抗期になりました」とのべたことがあります。信頼関係という精神的なきずなが作られていない家族は、いわば「仮面家族」です。
仮面家族は、精神的には崩壊していますが、外から見るとちゃんとした家族に見えるので、社会では問題のない家族として通用しています。
しかし、ひきこもりや犯罪など、子どもの問題行動が表れやすい家族なのです。家族の役割には、衣食住などを満たす物質面・経済面と精神面の両面があります。
この両面を満たせる家庭が、家族に幸福を感じさせることのできる家庭です。また、信頼型家族の特徴のひとつは、家族相互間で「ありがとう」「ごめんね」が自然にいえることです。
仮面家族は、物質面・経済面を満たすことしか眼中にありません。「信頼関係をつくる」という家族の精神的なきずなづくりをかるんじたためにできてしまった家族です。
よい子ロボット化する子ども
子どもと親の関係のなかで、子どもは弱者です。子どもは親の無条件の愛を求めるとともに、親に見放されることに最大の恐怖を感じているので、親に気に入ってもらい、愛してもらうために必死です。
必死ですから、親の本音、親の期待をキャッチするのも上手で、そうやって捉えた親の期待に合わせて、親にとっての「よい子」を演じようとします。
こうして、親の期待にコントロールされる「よい子ロボット」ができあがります。よい子ロボットの要素はほとんどの子どもにありますが、親の無条件の愛を実感できない子どもにより強く生じます。
なぜなら、親の期待に応えることが、親に愛される条件だと思うからです。しかし、どんなに子どもががんばっても、親は子どもがよい子の演技をしていることに気づかず、「子育てがうまくできているから、子どもがよい子になっている」と思っているので、親は従来の子育てを見直すことはなく、子どもが望む無条件の愛は得られません。
子どもは不満と親に対する怒りや憎しみを溜め続け、被害者意識を持つようになります。また、よい子を演じるには、子どもはよい子と反対の自分を抑圧し、自分がやりたいかどうかよりも人の期待に合わせる事にウエイトをおきます。
しかしそれをがんばってやろうとするので、行動が義務的になり、生きている実感を得にくくなります。さらに、抑圧によって表現を否定されたエネルギーは、強いストレスになります。
なかにはよい子を演じるのが下手な子どももいます。その場合、子どもは自信を失ったり、親にとって手のかかることをすることで親に関心を向けてもらおうとしたりします。
いぜれにしても、親子関係は人間関係の基盤ですから、親に対してよい子を演じようとする子どもは、親以外の人に対しても、よい子をがんばって演じることで自分を認めてもらおうとします。
しかし、親への不信が他者への不信につながりますから、このような子どもは相手に心を開きにくいのです。また、相手の期待に沿っているかどうかもわかりませんから、相手が自分を認めてくれているかどうかがわかりません。
そのため、人に気を遣い、いやなときでも「ノー」と言えず、対人緊張、対人恐怖が強まります。また、周囲の人の期待に義務的に合わせる生活はストレスを増やしますから、さらに人間関係はつらくなり、やがて人間関係を避けるようになり、ひきこもり状態にいたります。
現れ方の違いはあるとしても、こうしたことがひきこもりの基本型です。親が子どもに無条件の愛を伝えなければ、親子関係は信用関係や不信関係になります。
信用関係と不信関係において人を有利にさせるのは、その人が持つ「力」です。これは単純な腕力だけではなく、脅しや蔑みなどの言葉の力、高圧的な態度、財力や知力の振りかざしなど、他人を支配するときに使えるあらゆるもののことです。
ですから、信用関係や不信関係のなかでは、人は、「力支配」に陥りがちなのです。条件付きの愛で子どもに接する親もまた、子どもを力支配しがちです。特に「親の期待に子どもが従うことが、子どものためになる」という思い込みに、「子どもを甘やかしてはいけない」という信念や「恐怖を与えてでも従わせるべきだ」という信念が結びつくと、強い力支配になります。
そうでなくても、親は子どもに対して強者ですから、親の言葉は子どもには絶対的なものとして伝わりやすいのです。親が「子どもを甘やかしてはいけない」と思っていると、子どものプラス面を認めたり、ほめたりすることを手抜きします。
また、親の期待を通して子どもを見ますから、そのレベルに達していない子どものマイナス面をなくすことこそが大事だと思います。そして、「子どもがしなかったこと、できなかったこと」などのマイナス面ばかり探し出し、子どものためにマイナス面をなくさなければと叱り、体罰を加えることもあります。
あるエリートの父親は、朝、子どもに「おはよう」と挨拶して、子どもが挨拶を返すまで子どもをにらみ続けていました。子どもは恐ろしくて挨拶する気になれないのですが、挨拶をしないと父親は子どもを叱り、時には叩きます。
母親はうつ状態で、子どものうち男の子を除く3人の姉妹も、それぞれ症状がありひきこもり的になっていたというケースがありました。実は、不登校になる子どもの父親が、子どもをどなったり、体罰を与えたりする厳しい父親であるケースはかなり多いのです。
ひきこもってしまった人は、生活も対人関係のルールもめちゃくちゃになってしまっていることが多いので、「基本的なしつけもできていない」と見られがちですが、事実は逆です。
幼いころからマナーやルールを守るように親からやかましく言われて、本人も「守らなければいけない」とがんばりすぎた人がとても多いのです。
もちろん親が子どもの理解力の程度に合わせて社会のルールを教えることは必要です。それは二次的には学校の役割でもありますが、やはり一時的には親が担う役割でしょう。
しかし、それを教えるときに、力支配の論理ー「未熟な子どもには言って聞かせてもわからない。感情的になってもいいから強くしかって、ときには体罰でわからせることも必要だ」という主張が必ずあります。
子どもが恐怖から社会のルールを守ったり、親が望むような生き方を選んだりしても、それは親の意向に子どもを屈服させただけです。子どもが納得して自発的に行動するのとは違います。子どもを恐怖に突き落とすと、子どもは泣いて謝るでしょう。
「これからは、お父さんとお母さんの言うとおりにする」というかもしれません。そうして泣いて謝る子どもを親が許してあげれば、その子どもを含めた家族に親の権威を感じさせ、親は満足かもしれません。
しかしその結果、子どもは「がんばって親や親以外の人に認められるようにしなければならない」という考えにしばられるようになり、人間関係を結ぶなかで、「親や他人が自分をどう思うか」ということが判断基準になります。
ときおり、子ども自身が、自分に無関心な親に対して「もっとしかってほしい」と思うことがあります。それは「しかるくらいの関心を自分に向けてほしい」ということであって、けっして「恐怖で支配してほしい」のではありません。
さらに子どもは親との人間関係から人間観や対人関係を学びますから、力支配で子育てをする親からは、緊張をともなう対人関係しか学べません。
「いや、体罰はしていないし、しつけるときも子どもと話し合っている」という親もいます。しかしながら、そのときの話し合いは、本当に親子が対等に向き合い、互いに心を開いて話し合われているのでしょうか。
「こうすべきなのだ」という親の結論を、一方的に伝えてはいないでしょうか。あるいは、恐怖で力支配するのとは違って、モノを買い与えるなどで子どもを喜ばせようとする親はどうでしょうか。
子どもが求めていないときまで親が子どものために何かしたり、子どもの気を引こうとしたりするのは、過保護・過干渉です。これは甘えを受け入れるのとは違って一種の強制であり、恐怖で行う力支配とは異なる方法での支配といえるでしょう。
子どもにも当然モノは必要ですが、子どもも「パンのみで生きる存在」ではありません。子どもが親に本当に求めるのは、親の無条件の愛が自分に注がれることです。ひきこもりの人が、「モノを買ってもらうのはうれしかったが、それだけでは満たされなかった」と話すことがあります。
物質的に満たされていても、親の愛を実感できていない子どもは、「自分は不幸」だと感じてしまうのです。親が子どものマイナス面を力支配で矯正ばかりしていると、子どもは「親は自分のことが可愛くない」「親は自分のことを嫌っている」と思います。
子どもは、「親が自分のためを思ってマイナス面を指摘してくれている」などとは思いません。親の愛を実感できず、親によって自分の存在が否定されたように感じて自己否定感を持ちます。
自己否定感とは、「自分は生きる価値のないだめな人間」「生まれてこなければよかった」などと思うことです。親が子どものマイナス面ばかり指摘すると、子どもは自分で自分を認めることができなくなります。
自己否定感をもちながら生きる人生は、暗く、つらいものです。自分を認めることができないと、人に認められることによって自分を認めようとするので、さらに人の期待に応えようとします。
それはさらにストレスを強める生き方であり、悪循環に過ぎません。これに対して、自己肯定感は「自分は生きている価値があり、自分はこのままでいいのだ」と思えることです。
自己肯定感と自己否定感は、そのどちらをもつかでわたしたちの生き方が方向づけられるほど重要な生き方の土台になります。子どもが自己肯定感を持っていれば、子育ては成功したといってもいいくらいです。
子どもは、両親から自分がまるごと受け入れられているような愛を実感すると、自己肯定感を持つことができます。したがって、「子どもを甘やかせてはいけない。子どもを厳しく育てなければいけない」という子育ての方針は、自己肯定感にはマイナスです。逆に多くの場合、その考えは子どもに自己否定感のほうをもたせてしまうことになるでしょう。
人間は、そもそも支配関係を指向しやすいものです。大矢浩史氏は「心を癒す救急箱」(カルキセンタージャパン)で、「世の中を見てみると、夫婦関係、親子関係のなかで、必ずと言っていいほど支配という感情が小さなひび割れに流れ込み、人間関係に大きな亀裂を作り出します。(中略)心のなかを見てみると、「相手を支配したい」「相手から支配されたくない」という想いからそれが始まっているのが分かります」と述べています。
子どもは親の所有物ではありません。にもかかわらず、親は子どもを支配しがちであること、そしてそれは危険なことであることを認識することが、親にはまず必要です。
そして、親の期待や理想を子どもが自分の理想とするかどうかは、完全に子どもの意思に委ねることがとても大事なことです。
子どもにどう伝わっているのかに関心を持つ
親は、自分の接し方が子どもにどう伝わっているかについて、とても無関心です。
ひきこもりの人の子どものころの話を、親と本人の双方から聞くと、親が思っていたのとはまったく違う受け止め方を子どもがしていたということが、とてもよくあります。
30代になった人が、「わたしは小さいころから両親にほめられたことは一度もありません。叱られてばかりでした。だから、自分なんか親の厄介者であり、親に嫌われており、生まれてこないほうがよかったと思っていた。そのことでずっと苦しみ、両親を憎んできました」といったことがあります。
このように、親が「子どものことが心配で」言い続けたことを、子どもは「親はずっとうるさく自分に押し付けていた」と捉えていたりします。
あるいは、親が子どものことを思って叱ったつもりだったのに、子どもは、「親は自分のことを嫌っている」と受け取っていたりします。
子どもは「親が自分のことをどう思っているのか」に最大の関心を払い、親の本音を読み取ります。一方、親は「子どもはたぶんこう思っているだろう」という程度の見方をします。
子どもの気持ちをキャッチするのが下手で、想像できなくなると、「子どもが何を思っているかわからない」と、理解することをあきらめてしまいがちです。
愛は表現され伝わることで初めて、子どもは愛されていると実感します。「親の対応が子どもにどう伝わっているか」にまで関心を向けるのが、親の愛だといえるでしょう。
子どもが親の対応をどのように感じているのかについて、親はもっと敏感になる必要があるのです。子どもは、意識的にせよ、無意識的にせよ、親の無条件の愛を求めています。「親は本当に自分のことを愛してくれているかどうか」について、子どもは最大限の関心を向けます。
子どもの最大の願いは親に愛されることであり、子どもの最大の恐怖は親に見捨てられることです。それは昔も今も変わりません。無条件の愛を親に求めるのは、子どものわがままではなく、きわめて自然なことです。
この子どもが求める無条件の愛に、親が応えられている状態が、信頼関係ができている状態です。無条件の愛などというと、ものすごく崇高な人間でないともてないように聞こえますが、実はシンプルなものです。
条件付きの人間関係である信頼関係と比較すると、わかりやすいかもしれません。たとえば、親は子どもに対していろいろな期待をします。「勉強ができる子になって、いい大学にいってほしい」とか、「スポーツが得意になってほしい」とかです。
そうしたエリート志向の期待でなくても、明朗さとか礼儀正しさとか快活さとか、態度や性格に関してもいろいろと期待します。親が自分なりの理想をもつのは自由ですし、それを子どもに語ることがあってもいいですが、実はそれは親のエゴなのです。
それでも親はつい、その期待を子どもに押し付けてしまうのです。親の押し付けは、ひどい場合は、親が自分の見栄のために子どもに期待するケースがあります。
しかし、それよりも多いのは、「親の期待に子どもを従わせることが、子どものためになる」と親が思い込んでいるケースです。「子どものためだから」と信じているために、絶対的な態度で子どもに押し付けてしまい、独善的な期待のために、親は子どもをあるがままに受け入れることができません。
なかには、「養っているのは親だから、子どもはその期待にしたがって当然」と思っている人もいるかもしれません。これは、ギブ・アンド・テイクの関係、取引の関係である信用関係そのものです。
「期待に沿う子どもであれば愛する」という条件付の愛は、取引であって愛ではありません。また、子どもを親の期待に従わせようとする親のエゴを、わたしは「執着愛」と呼んでいますが、この執着愛が無条件の愛ではないのは当然です。
親の執着愛は、親子の「相互依存」に転じることもあります。両親が離婚して、母親と同居していた大学生の女性のケースで、母親が娘のすべてをコントロールすることに執着していたことがありました。
娘さんはそれがしんどいのですが、母親の言いなりになるととてもやさしくしてくれるので、母親に反発しながらも、母親依存から抜け出すことができなくなっていました。
母親は「娘を自分の意向どおりにコントロールすることが愛だ」と思い込んでいたのです。無条件の愛は、「自然をすばらしいと感じているとき」「動物を可愛いと感じているとき」に感じる気持ちに近いかもしれません。
それが自分に何かを与えてくれるから愛を感じるのではなく(実際には人間は自然からあらゆるものを与えられていますが)、存在そのものを受け入れ、暖かい気持ちになっている状態です。
あるいは、生まれて間もない赤ん坊を抱いて心から慈しむ気持ちになったことがあれば、その気持ちのことだといってもいいでしょう。それが無条件の愛です。
自分はどのように育てられたのか
なぜ自分がひきこもらざるを得なかったのか、を自分のなかで問いつめていった子どもたちはしばしばひきこもりを続けていく過程で、親との関係性を振り返るようになります。
そして「こう育てられたから、自分がこうなった」「親がおおいうふうにしたから・・・・」と、親に文句を言うようになります。
この、子どもからの「自分はどのように育てられたのか」という問題提起は、しばいに親をして、自分自身の親との関係への振り返りへといざなっていきます。
それは、子どもが「母さんは、どういうふうに育てられたの?」「父さんの父さんは、どういう人だったの?」と子どもから問いかけれらることによってはじまることもありますし、子どもに自分の育て方を問われた親が、自分の育ち方へと自ら連想を進ませることによっても起こります。
つまり、問題となっている親と子の関係と、その関係性のルーツになっている親自身の親との関係性が同時に問われるのです。ここでは、そのような動きを示したひとつのケースから、ひきこもりの背後にあるものについて考えてみましょう。
もし、推定50万人とも100万人ともいわれるほど多くの子どもたちがひきこもっているのだとしたら、それだけ多くの子どもたちがひきこもらざるを得ない状況が、わが国のなかにある、ということでしょう。
であるならば、ただ個々の問題が50万も100万もある、ということではなく、個を超えて存在する共通要因があると考えるほうが自然かもしれません。
高校三年の夏にひきこもりにはいった娘の貴子さんのことで、母親の妙子さんが相談に来たのは、彼女がそういう状態になってから半年ほどたってからのことでした。
妙子さんは五十代の後半です。「わたしはこれまでずっと、あなたたちの思うとおりにしてきたと娘に言われました・・・・」と、やや斜め下に視線を落とし、淡々とした口調で語り始めます。
「人間関係がうまくいかない。人とつながりたい。でも、そうしていったらいいのか、わたしのはわからない。それはあなたたちのせいだ、と娘は言うのです」
その語る口調は重く、まなざしは暗く、娘さんの言葉が相当に応えていることが、その姿からよくわかりました。頭に白いものが、混じっているのも、娘さんのことで急に増えたのではないかと思えたほどです。
わたしと妙子さんは、こうして出会いました。貴子さんは先の言葉を母親に投げつけて以降、ずっと自分の部屋にひきこもり、母親をはじめ家族とのコミュニケーションの一切を絶っていました。
わたしと妙子さんの主なやりとりは、最初のうちは彼女が日常、貴子さんとどのように接していくか、ということでした。妙子さんは、この時期の親としては当然のことですが、学校のことがとても心配でした。
また彼女は、雨戸を閉め切っているけれども、暑いのにクーラーはないし、布団もほせません。健康に悪い、食べ物もちゃんとバランスをとって食べていないので身体によくない・・・・と。
また、休みの日数がかさんできて、このままだと卒業が危うい、と担任から知らせがはいったので、それを部屋のドア越しに伝えたとき、彼女は何も返事をしませんでした。
「あの娘は眠っていて、聞いていなかったのではないかしら?」と妙子さんは言います。さらに「出席日数が足りないと卒業できない、ということをあの娘がもしも知らないでいて、卒業できなくなったらかわいそう、何か伝えないと」と、そわそわしています。
確かに母親の推測を間違っている、と断定する根拠はどこにもありません。でもこのときわたしは貴子さんは、聞いていて返事をしなかったのではないか、という気がしていました。
また、出席日数が足りないと卒業できない、という現実をまったく知らないということは考えにくいように思われました。しかし、彼女の言うことのみ一理あります。そこでわたしは言いました。
「お母さんの心配は、親としてもっともなことです。でも彼女は今、お母さんからの直接の声かけには応えないようにしているような気がします。
ですから、別の手段を考えてはどうでしょうか。たとえばダイニング・テーブルに、その事実だけを簡単に書いたメモを置いておくとか(彼女は夜中、つくってある食事をとるためにキッチンには出入りしていました)・・・」
妙子さんは、さっそくそうしてみるといいました。さらに別の心配の件に関してわたしは、「雨戸を開ける、あるいはバランスよく食べるということは、お母さんとしては確かに気になることでしょう。
でも、冷たい言い方になりますが、今彼女が訴えたいのは、お母さんが悩んでいるそれらのこととは別のことです。彼女からすれば、お母さんの心配は枝葉の部分です。お母さんの心配は、彼女とずれているように感じるのですが」と話しました。
さて、次の面接のときのことです。「あの娘が見たのかどうかわからないのです。上に置いておいたメモが床にあっただけなので」よくきいてみると、テーブルに置いた自分のメモが朝、下に落ちていたとのことです。そこでわたしは、
「彼女は見て、そして落としたのではないでしょうか?見なければ、メモは動かないでしょう。そしてもし、そうだとしたら、それが彼女の返事です。もっとざっくばらんな言い方をするならば、「うるさい!(そんなこと、どうでもいい。あるいはわかっている)という意味ではないでしょうか。
この、テーブルの上のメモ書きは、これからのコミュニケーションの手段として使えそうな気がします」と伝えました。
妙子さんはわたしの「彼女が落とした、それが答え」という言葉に、今ひとつピンとこなかったようですが、ただ下に落ちていたのではなく、落としたのかもしれないという意味の読み取りについては、ちょっと頭にひっかかったようでした。
わたしは必要最小限の伝えなければならない情報については、こういうかたちで伝えられるかもしれないと、ひそかに感じ取っていました。
が、そのときの妙子さんの主な関心事は、やはり期末試験のことや行事など学校のことでした。数ヶ月したある夜、彼女の部屋からすすり泣きが聞こえてきました。耳を澄ませると、「助けて、助けて」という悲しそうな声も聞こえます。
そして「わかってないのよ。ずっとわたし我慢してきたのよ・・・・」と言っていました。その声は、妙子さんがこれまで聞いたことがないような悲しい響きで、このときはじめて、何が何だかはよくわからないけれども、娘が本当に苦しんでいるんだと思ったそうです。
例の母親によるテーブルのメモ書きは、できるだけ感情をいれずに簡単な事実記載だけにとどめ、彼女がひきこもりながらも最小限の必要な情報を得ることができるようにと助言し、妙子さんはそれを続けていました。
そうしたところ、学校関係のことや母親が仕事で遅くなる、ということが書いてある場合には下に落ちており、それ以外の場合には、テーブルの上に置いたままになっているというように、どうやら区別されているらしい、ということがわかってきました。
やはり、メモを落とすか置いておくかという行動で、自分の返事を送ってくれていたのでした。これはもう立派なコミュニケーションです。言葉を交わすことだけが、対話ではないのです。
それからも夜中にときどき、彼女は自分の部屋でどんどんと机を叩き、時にはしくしく泣いている様子です。あるとき「もうやだ、もうやだ」とあまりに悲しそうな声が漏れてくるので、妙子さんが思わずドアの外から「お母さんにできることがあったら、言ってね」と声をかけました。
そうしたところ、「あっちに行って」といわれてしまいました。でも、その声の響きには拒否的な勢いはなく、しばらくして泣き声はおさまりました。
妙子さんの言葉が、彼女の心にはいったようでした。結局、母親からのメモ書きから自分で判断したのでしょう。三月末の卒業式の直前に突然、彼女は母親に黙って自分で退学届けを出しに高校へ行きました。
それはひきこもってから初めて、約十ヶ月ぶりの外出でした。そしてたったひと言、「学校辞めたから」と台所仕事をしていた母親の背中に、はじめて生の言葉を投げかけました。
そのとき妙子さんは、貴子さんが直接声をかけてくれたことがうれしかったので、ついつい「そう。いいのよ。で、これからどうするの?」と尋ねました。
でも、貴子さんはそのまま黙って自分の部屋に戻ってしまいました。これはまだ、言葉でのやりとりをするのは早い、ということを意味しているとわたしには思え、「焦らないように」と妙子さんに伝えました。
それ以降も貴子さんは、相変わらずひきこもったままですが、一年ほどたつと、ときどき「今晩の夕食は何?」など、ぶっきらぼうではありますが、ひと言話しかけるようになりました。
わたしは妙子さんに、ひとつの文章をできるだけ短く、あっさりと答えるほうがよいと伝えてあったので、「肉じゃがよ」などと返していました。
一問一答のやりとりが増えてくると、彼女は黙って部屋から出てきて、母親といっしょに食卓で食べるようになりました。もちろんまだ、会話はありませんでしたが。でもやはり、妙子さんはちょっと回復してきた娘との関係がうれしくてたまりません。
そのうれしさから、あるときちょっとしたトラブルが起こりました。貴子さんは、ときどき洗濯物を出し、妙子さんが洗って彼女の部屋の前に置いておく、というようになっていました。
そのころには、ときどきコンビ二や本屋に出かけるようになっており、ちょうど貴子さんが外出していたときです。妙子さんは彼女の部屋に入り、タンスを見たとたん、タンスの中にその洗濯物を入れてしまったのでした。
貴子さんは帰宅してそのことを知るやいなや、母親に向かって「どうしてそう勝手なことをするの。どうして人の心に土足で入ってくるの。わたしは、自分で決めて自分で入れたいの。いい気にならないで!
ちょっとは変わったと思っていたのに、ちっとも変わっていない!」と怒鳴り、以降しばらく口をきかなくなるということが起こりました。
妙子さんはそのとき、「貴子の言っていることがわからない。せっかく親切にしてやったのに」と混乱してしまい、腹をたてながら面接に訪れました。
でも、彼女がひきこもってからしてきたことは、一般的によかれと思うこと、母親がよいと思うことをではなく、貴子さんが自分の考えで自分のペースで自分の生活をつくっていくということに他なりません。
ただ洗濯物をタンスに入れるというなんでもない行為も、彼女のペースを乱したという点では大きな出来事です。貴子さんにとって、それは「母親に仕切られ、母親に侵入される」体験になるのです。
わたしとの話でそのことに気づいた妙子さんは、「ごめんなさい、お母さんいい気になってしまっていた」とメモを書きました。
やっと戻った親子関係がまた悪くなってしまったことに、妙子さんは「取り返しのつかないことをしてしまった」と悔いていましたが、わたしは「一直線によくなるのではなく、生きつ戻りつしていけばよいのです。
一度回復したところまではまもなく戻りますから」と伝えました。そしてしばらくしてから、単純な会話をするところまで関係は戻りました。
そして夜、母親がリビングにいるときに出てきて、少しずつ小さいころの話を語るようになりました。その内容は、自分はずっと我慢してきた、さびしかった、甘えたことがなかった。わがままを言ったこともなく、親の思うとおりに生きてきた。それに何かを伝えたくてもお母さんはちゃんと聞いてくれなかったと・・・・。
自分はこれからどう生きていったらよいのかということを迷って悩んでいたのに、布団を干せだの、部屋の空気を入れ替えろだの、栄養が足りないとか、学校をどうするのか、というようなことばかり言っていた。
わたしにはそんなことはどうでもよかった。いつも的外れ。自分はこれまで勉強ばかりしてきた。でもそれは、ただ勉強するということに逃げてきただけ。人との関係をしっかりと育てるということをしてこなかった。
友だちとの関係のことで悩んでちょっと話しても、お母さんは忙しくしていて、気にもとめてくれなかった・・・。妙子さんはあるとき、次のように語りました。「あの娘は、小さいころからわがままを言ったことがない子でした。夫は企業戦士で、帰りはいつも真夜中でした。
わたしは働いていたので、彼女が生まれるとすぐに保育園にいれ、帰りが遅くなるときには、近所のおばさんに保育園に迎えに行ってもらって、その後その人の家で世話をしてもらうという、二重保育のようなことをしていました。
そして小学校入学後は、学童保育に入れて、働いてきました。家事に忙しく過ごしてきました。あの子は集団にばかりいれられてきたけれども、結局人になじめませんでした。二重保育のおばさんもいやだった。
学童保育も行きたくなかった・・・・・というのですが、わたしは当時、ぜんぜん気づきませんでした。あの子はとても楽しそうに見えたのです」しかし、このような生活になっていたのには理由がありました。
まだ貴子さんが生まれて間もないころ、貴子さんの父親が過労から病気になり、働くことができなくなりました。退院後、リハビリのための病院通いがはじまりました。妙子さんは病院に仕事に非常に忙しくなりました。
また、貴子さんには三歳上に姉がいましたが、彼女は幼いころから喘息持ちで身体が弱く、とくに幼いころはしょっしゅう夜中に救急車で病院に運び込まれていました。
そんなあわただしい生活にやっと少しばかり落ち着きが戻ったのは、貴子さんが中学生になったころでした。「考えてみれば、確かにわたしはあの子のために時間を使っていないのです。あの子は、ずっと嫌がらずに父親の世話をしてくれ、わたしが夜中、上の娘に付き添って病院に行くときも、なんともいわずに留守番をしてくれていました。
とにかく手のかからない子でした。てきぱきと対処してくれていたので、てっきりそれでいいんだ、と思っていました。いい娘をしていたんですね。「わ本当に馬鹿な親だったのね。あなたの寂しさをわたしはちっともきづいていなかった」とあの子に言ったら、「そんな簡単に言わないでよ」と言い返されてしまいました。
本当に無念でなりません。あの子が自分の話を聞いてくれない、母さんは自分勝手に都合よく聞いてしまう、というのもあまりに忙しかったからです。
そんなにさびしい思いをしていたなんて、わたしは考えてもみませんでした。わたしはただ、働かないわけにはいきませんでした。でも、それでいちばん大事な娘の気持ちをないがしろにすることになっていたなんて・・・・。
あの子はわたしのことを押しつけがましく、鈍感で無神経だといいます。土足で人の心の中に踏み込んでくるとも言います。ただただ走りぬいてきたなかで、わたしは心というものを置き去りにしてきてしまったのかもしれません。
あの子は今、あのころしたかった駄々をこねているのですね。思えば反抗期もありませんでした。やっとあの子の順番になった、ということなのだと思います。この前、あの子は「みんな少しずつ悪く影響したのね」「母さんを責めているんじゃないよと言ってくれました」
と語る母親の口調に、どこかほっとしたような雰囲気が感じられました。それは貴子さんがひきこもってすでに二年ほどたったころの会話でした。
そんなある日の母娘の会話です。「母さんはわたしに甘えさせてくれなかった。いつも厳しくそそり立った壁だった」と貴子さんは言います。
「たしかにね。あなたには、いつも厳しかったと思う。でもその壁のうしろには緑の野原があったと思うけれども、きっと隠れて見えなかったのね」と母親は言います。
「母さんは、父親の役割もしてこなければならなかったから」これを聞いて「緑の野原も少しはあったと思うよ」と貴子さんが答えてくれたと、妙子さんが心からうれしそうに語っていました。
ひきこもって三年目の会話です。それまで家族のなかで、母親を必死に支えてきた貴子さんはひきこもり、母親に文句を言うことで、やっと「自分をしっかり見て」と母親に伝えることができたのでした。
あるときは、こんな会話もありました。「どうやって人の間にはいっていったらいいんだろう?それがわからない」と娘が言います。「自分から話しかけてみたら?ひと言いえると楽になれると思うの」と母親が言います。
「その人のいやな部分を見つけたら、いってもいいのかな?」と娘が言います。「無理しないで、いっていいんじゃないかしら。無理してつきあっていくと、結局相手も自分も傷つくんじゃないかしら?」と母親が言います。
貴子さんは母親を相手に、対人場面での行動の予行演習をしているようでした。このように少しずつ会話ができるようになってきたのですが、ときどきコミュニケーションがずれることも起こっていました。
貴子さんは母親に、「ちゃんと聞いてくれない」と訴えていましたが、わたし流に言うと、妙子さんはきちんと言葉で言われたことであればわかるのですが、言葉ではない非言語的なメッセージを受け止めるとこが実に苦手です。
先のテーブルの下に落ちたメモがそのよい一例です。彼女はその後、大検(大学入学資格検定試験)を受けようとしたり、専門学校に行こうとしたりと少しずつ社会とのかかわりを再開させていったのですが、そのつど、同じようなコミュニケーションのずれが起こっていました。
彼女がひきこもる際に語ったこと、「母さんはわたしの言うことを聞いてくれたことがない」ということの意味は、貴子さんが言葉ではなく言葉以外のかたちで表現したものを母親がすくいとってくれなかった、ということなのではないかとわたしは思うようになっていました。
「どうしてそんなに言葉になったものしか、拾いあげることができないのだろう?」という疑問が、わたしと妙子さんの間で話の中心になっていきました。
もちろん日常のあわただしさのなかで、すぐにわかる語り言葉がコミュニケーションの手段として選ばれた、ということはあったのでしょう。
しかし、それだけではなさそうでした。娘から問われていくうちに、母親は自分の育ちのほうに目を向けるようになっていくのでした。
ひきこもってから三年ほどたったあるとき、貴子さんが母親に、「〇○家(妙子さんの実家)ってどういう家だったの」と問うようになってきました。
妙子さんによると、彼女の家は地方の農家です。貧しかったので、朝から晩まで必死に働いていました。自分は七人きょうだいの上から二番目です。姉が身体が弱かったために、自分が中心になってきょうだいの面倒を見ていました。
「親に頼るとか甘えるという子ども時代というものは、わたしにはありませんでした。その父が病気で五十代の半ばに死にました。身体を酷使したからだと思うのです。亡くなったときは、本当に悲しかったです。
一方、母親はお嬢様育ちです。子どもがそのまま大人になったような人で、精神的に自立していませんでした。父はわたしたち子どもたちにはやさしい人でしたが、母との関係は悪かったです。しょっちゅう口げんかが絶えない夫婦でした。
母は子どもを守るというよりも、何かあると自分が不安になってパニックを起こしてしまうのです。だから、大事な話は母にはできません。わたしはほとんど、人に相談することなく自分で解決してきました。
でも、そのことが母にわかると、「みんなでわたしをのけ者にして。死んでやる」といって、騒ぐのでした。子どもが頼ることができないというよりも、わたしたちのほうが母に寄りかかられてしまうのです。
でもわたしは、貴子が学校に行かなくなったとき、ただただ「そのこと」ばかり心配で、余裕がなくなっていました。それで、あの子の気持ちをじっくりと考えることができませんでした。鈍感で他人の気持ちをまったく考えない、それが母だと思ってきたのに、自分も同じことをしていました。
あの子はわたしが侵入する、というのですが、相手のことを考えず、自分の思いだけで行動してしまうのですね。相手のことを考えて、という点がわたしには欠けているのです。あれほどいやがっていたのに、わたしは母の資質をそっくり受け継いでいるようです。
そんなこと、これまで考えてもみませんでしたが・・・・。わたしは仕事を見つけ、それを機に早く家を出たのですが、結婚は遅くまでしませんでした。そういう両親を見て育ったので、自分が家族をつくるということに自信が持てなかったからです。
家から逃れるための仕事でした。結局、三十歳を過ぎてから同じ職場の人と結婚したのですが・・・・。わたしはそういう母親との関係の問題を胸の奥にしまったまま、夫に語ることもなく、これまで生きてきました。
わたし自身は、それで生きられたのです。でも、貴子がその母親との関係を見ることを、わたしに突きつけてきました。母と自分が和解しないまま、自分が母親として娘との関係性を育むことはできないということなのでしょう。
あの子が持っている「人とうまく関われない」というテーマは、わたし自身の若いころからのテーマでもありました。でも仮面をかびり、外側だけとりつくろい、わたしはごまかして何とか生きてきました。
でもあの子にはそれができません。いえ、きっと、そうしたくはないのでしょう。あの子と人との関係を取り戻すためには、そうしてもわたしが親との関係をもう一度見つめなおし、和解する必要があるのだ・・・・あの子がしきりにわたしの親とのことを聞いてくるようになって、やっとそのことに気づきました。
でもその母も、もうすっかり老いています。これまでの親不孝を、母がまだ生きているうちに、これから少し取り戻したいと思っています。
あの子がこんなことにならなかったら、わたしと母との問題にふたをしたまま、ずっと生きていくことになったでしょう。そう考えると、あの子がこういう問題を起こしてわたしに親との関係を行き直すきっかけを与えてくれたのかもしれません」
このように、妙子さんの自分の過去を振り返る過程は、娘の貴子からの問いかけに触発され、それに応えるかたちで進みました。身体の弱い長女や父親を支え、甘えることなく育った彼女は、どこか貴子さんの姿と重なります。
そして彼女は娘と一緒に、未整理のままになっていた、自分の母親に対する甘えられなかった自分、さびしく頼れなくて、でも、そのまま関係を切るかたちで成人した自分の親との関係を見つめなおしていきました。
そして、その過程にあわせるように、貴子さんは、高校卒業の証明にはなりませんが、大検を受けて合格し、自分の行きたい専門学校に入学しては辞め、別のところに行ってはちょっと様子を見て・・・・ということを何回か繰り返し、アルバイトをしてみたり、ボランティアとして働くことによって人と関わる世界とつながりを回復させつつあります。
それはまるで、母と娘が一緒に自分の行き方のルーツを見直し、人との関係性をとり戻そうとする歩みのようにわたしには感じられました。この母娘は、ぎこちないながらも、「一緒に考え、相談しあう」ようになっています。
もちろんまだ、妙子さんが踏み外し、貴子さんをリードしてしまおうとすることもあるのですが、そういうときには貴子さんに怒られ、それに気づいて改める、というように関係の修復が早くなっています。
妙子さんのケースは、ひきこもりという現象が、単に子どものわがままで起こっているとか、親の育て方が悪かったから、というような単純なことではなく、親と子の関係性のなかで起こっていることを示しています。
わたし自身、大勢のひきこもりの子どもを抱える家族と心理面接というかたちで出会っていますが、この母娘の間で起こったことと同じことがしばしば生じる、という体験を持っています。
それはつまり、子どものひきこもりが、単に子どもの個人的な問題ではなく、親と子の関係性に、そしてささに一世代前の、親自身の親との関係性の問題にまでさかのぼるテーマを含んでいる、ということです(もちろんそれは、さらに一世代前の関係性の問題へとさかのぼっていきます)。
そして親子がその問題に直面していくと、親が自分の行き方をみつめなおし、欠けていた部分を補っていくことと、子どもが社会のなかでの人間関係にふたたびはいっていくということが、同時並行的に起こるのです。
わたしはこの現時地に立ち会っていくなかで、しだいに現代の若者たちのひきこもりの背後に、親世代の生き方、育ち方の問題が深く影響をおよぼしていると考えるようになりました。
そしてそれは、敗戦を機に生じた母性の質の変容という問題と密接に関わっている、と考えるようになっています。そこで以下に、この問題についてのわたしなりの仮説を提示することにしましょう。
綾子さんの母親、幸子さんの場合
「わたしは自分の母に、しっかりと抱きとめてもらったという体験がありません。でも、それは時代(第二次世界大戦中)のせいもあるし、仕方のないことだと切り捨て、あきらめて生きてきました。
夫とも、とことん関係を煮詰めていくというのではなく、不満なことがあっても目をつぶってきました。心の寂しさは、仕事や趣味のなかでまぎらわせてきました。夫は夫で、仕事をしていくなかで発散させていたようです。
自分たち夫婦はそれでよかったのです。子育てもそれなりに一生懸命やってきたつもりです。ところが娘は自分が親元を巣立ち、結婚する年齢にきて、わたしの生き方のどこかにごまかしを感じるのでしょう。
これでもか、これでもかとわたしを揺さぶってきます。はじめのうちわたしは、この問題を娘自身の問題としてしか捉えていませんでした。
ところが娘は「母さんはどうやって生きてきたのか」と問うてきます。それはまるで、「それでは、わたしは巣立てない。わたしの存在の基盤はお父さんとお母さんなのよ。
ちゃんと向き合って。」と娘が訴えているようなのです。だから今ここで、わたしと夫との関係、さらにはわたし自身の母親との関係を振り返り、それらを自分の心のなかに納めなおしていかなければと思うのです、
それしか娘を救う手立てはないのではないか・・・・と。母もたいへんな人生を送ってきたようです。でもやはり、母のことを思い出すとき、わたしはふわっとしたあたたかい、やさしい気持ちになれないのです。
わたしが発したサインをキャッチしてくれず、逆に娘であるわたしのほうが常に母から何かを要求されていました。わたしが母にとってよいことをしていれば、母は満足でした。でも望まないようなことをすると、サーッと冷たくなりました。
それはまるで、心のシャッターをいっぺんに降ろされ、わたしひとりが取り残されてしまった、そんな感じでした。言葉での非難こそありませんでしたが、その母の態度は、わたしの心を凍りつかせました。
そんな母を見たくなかったのでしょう。わたしは結局母の理想のいい娘を演じ続けてきてしまいました。だからわたしは、自分に何かが欠けているという気持ちを、どうしても捨てることができません。
結局わたしは、自分が母親にまるごと受け止めてもらえたと感じられないから、自分をありのままに受け入れられない、だから娘も、自分自身の生を肯定できないのではないか、と・・・・」
これはひきこもりを続け、社会に出てもなお、自分自身をしっかりと地に根づかせることができずに苦悩している綾子さんの母親である幸子さんが、面接のなかでわたしに語った言葉です。
「わたしはあの子がひきこもって以降、一生懸命に話を聞き、できることはしてきたつもりでした。でも一番肝心なことが欠けていたのです。わたしはいつも、あの子の話を聞きながらどこか心の隅で、あなたはいったい、いつまでお母さんの手をわずらわせるの。
いい加減に巣立ってちょうだいという気持ちを持っていました。耐えさせられていることに、どこかでうんざりしていたんです。そしてその感情を、あたかもないことのようにして、わたしは娘を受け止めるふりをしてきました。
わたしはここ(関東自立就労支援センター)で先生にずっと、話を聞いていただきました。人が人に支えられる、抱えられるということがどういうことなのかということを、ここで味わってきたように思います。
これは自分にとって、まったく新しい体験でした。そしてそれはまた、受けとめきれない感情にどのように対応していくか、ということへの模索でもあったように思うのです。
先生はわたしが混乱し、先生に信頼できない気持ちを持ったときには必ず、何が不信な気持ちを起こさせたのかを一緒にていねいにみつめる、ごまかさず、逃げださず、本気になってその由来を考えていってくれました。
しっかりと自分を見つめること、わかったふりをしないこと、疲れたときには一時的に投げ出してもいいからまた関わっていく、ということをわたしは学びました。
結局はあの子に対しても、してあげられないこと、わかってあげられないことのほうがずっと多いのだろうとは思うのです。でもそれは親のペースで押しつけていくのではなく、あくまでもあの子のペースで受けとめていけるように見守ることが、親のなすべきことなのではないかと考えるようになってきました。
そうしたら不思議と娘に対してもまた、自然にふるまえるようになりました。それと同時に、あの子のことが重荷ではなくなっている自分がいました。
そして自分がそういう気持ちになってきたら、娘のほうでも落ち着いてきたのです。あの子は今、試行錯誤しながら、自分の道を探しつつあります。それは世の中で常識といわれている生き方、つまり毎日九時から五時まで働くということとは違う、あの子なりの生き方の模索です」
このように、子どもに自分の行き方を突きつけられた親たちが逃げ出さず、その問題に直面していくと、突き当たるテーマがあります。
それはわが子の心の発達に影響を及ぼしている親である自分自身の育ち方、育てられ方に根ざした「関係性の希薄さに対する、根源的な不安」といってもよいようなものです。
そしてその不安が子どもに伝わり、悪しき影響を及ぼしていると彼女たちは考えるようになっていきます。程度の差はあるにしろ、女性の心のなかには、そのような根こそぎ感(関係の根ができていない感覚)、空虚感とでもよべるような心の中心軸の欠損感、自信のなさがあるのではないでしょうか。
そしてそれが世代を超えて受け継がれ、今の日本の親と子をとり巻いている病理の源にあるのではないかとわたしは考えるようになっています。
わたしはそれを、敗戦によって生じた母性の質の変容と捉えています。そこで、この問題を次に取り上げることにしましょう。
影の部分の生き直し
わたしは戦後の生まれです。戦争や原爆のことを語れる人が少なくなっている今、戦争はわたしたちの記憶から遠のきつつあります。
敗戦後、日本は経済を発展させることによって立ち直ろうと必死になってきました。それが幸せを得るパスポートだと信じて。そして確かにわたしたちの生活の質は向上し、一応の物質的な豊かさを手に入れることができました。
ところがその現実とは裏腹に、次第に心の貧しさ、人と人との対話する関係の喪失が顕在化しつつあるように思います。
戦後半世紀以上が経過した今、あらためて振り返ってみると、わたしたちの社会は敗戦という現実を境にそれまで自分たちを支えてきた価値観を、強引に百八十度転換させられました。
それまで正しいと信じてきたことは、間違いだったと突然宣告され、何を信じたらよいのか、わけのわからない方向喪失状態のなかに放り出されました。
それはいわば、わたしたち日本人がみな、心の中心軸を失ったといっていいほどの大きな精神的な衝撃だったといえるのではないでしょうか。
問題なのは、それが次世代を担う子どもたちに深刻な影響を与えているということです。その意味で、「心の戦後」は今、始まったばかりなのかもしれません。さて、何かを優先させれば、必然的に何かが犠牲になります。
優先されたものは光を浴び、落とされたものは影の部分になります。どこに光があてられ、何が闇のなかに葬られるかには、それぞれの時代の動きが影響します。
そして時代の変遷に伴い、価値観もまた変わります。そしてかつて影の部分として横に置かれていたものに光が当てられ、価値を持つようになります。
それは自然の摂理です。わたしは現代の子どもたちの「存在を賭けたひきこもり」の背後に、このような親の世代が生きてこなかった「影の部分の生き直し」というテーマがあるように感じています。
ただ、以下に描くのは、あくまでもわたしの経験から得られたひとつの仮説にすぎないことはお断りしておきます。戦後の混乱期を生きた人たちを、仮に第一世代と呼びましょう。彼らは、戦後の復興の担い手です。
混乱した世の中で家族が生き延びるためには、それまでもっていた価値観をいかに早く切り替えていけるかが勝負だったといっても過言ではないでしょう。
流れに乗り遅れたら貧しさと飢えが待っており、それは人生の敗北を意味していました。この時代には、人々が効率よく生産性をあげて豊かになるということと、国の経済の復興ということが密接な関係を持っていました。
自分たちが豊かになることと、日本が経済大国になることは、イコールの関係でしたそしてわたしたちの親世代のがんばりによって、わたしたちは経済的な豊かさを手に入れることができました。
しかしこの過程で、明らかに成果が目に見えるもののみが評価の対象となり、価値あるものとみなされるようになっていきました。逆に言えば、すぐに効果がないことや目に見えないものは価値がないか、あっても低いものとみなされるようになりました。
この一目で成果が見えるものへの偏った価値観は、この時代以降、深くわたしたちのなかに浸透し、定着していったと考えられます。それによって古くからわたしたちになじみの深かった、目には見えない「察する心」が徐々に失われていったのではないでしょうか。
外から明らかにみえるものだけに価値を置くという偏りが起こったことには、自分の目を内側に向けないように、という無意識的な工夫も関与していたのではないかとわたしは考えています。
というのも、もしも自分の内面に目を向けてしまい、「果たしてこれでよいのか」と考えてしまったら、先に進むことはできません。この時代はとにかく「心の葛藤はともかくも(置いておき))、一歩でも先へ、前へ進むこと」が成功への秘訣です。
立ち止まって考えたら遅れをとってしまいます。それはすなわち、人生の敗北を意味していたといっても過言ではなかったと思います。
この時代に自分たちが生き残るためだけでなく、次代を担う子どもたちを育てなくてはならなかったのが、当時の母親たちでした。わたしたちはおそらく、みえないところで古来から脈々と血のなかに受け継いでいる、日本的な心性や知恵に支えられて生きています。
しかしそれらに頼ることは、すでにその時代の母親たちには許されません。なぜって、敗戦によってこれまでの日本の考え方は、まとめて全部「間違ったもの、よくないもの」になってしまったからです。
何を信じたらよいのか戸惑い、模索しながら、しかし生き抜くために古いものはとにかく捨てて、新しい欧米の価値観をどんどん取り入れ、過剰適応しながら母親たちは子どもを育てていったのではないでしょうか。
もちろん、このような意識的・無意識的な知恵は、第一世代の人々がとった、最良の適応の工夫だったに違いありません。しかし迷いや悩み、あるいは方向喪失感や疑いなど、すべてをないものとして断ち切った心は、どこか不自然で全体性を欠いたものになります。
すべての不条理やおかしさ、問題として捉えるべきものを断ち切った心、すなわち分裂した心に育てられた子どもたちは、「何か足りない、何かかけている」という欠損感を抱いて成長していきます。
このようにして母親が子どもを育てていく過程で、母親の心のなかに秘められていた心の分裂によってもたらされた全体性の欠如、いわば「心の中心軸の欠損感」が、子育てを通じて子どもたちに深く静かに引き継がれていくことになったのではないかとわたしは考えています。
このように、分裂された心のままに第一世代の親が子どもを育てたことで、第二世代にあたる子どもたちは、全体性を欠いた心を受けて成長し、彼らは「何か違う、何か変、あるいは何かが欠けている」という感じを抱いて大人になりました。
この第二世代は、現代の五十代から六十代の女性たちです。何かが足りない、何かが変だと心のどこかで感じながら成長すると、心のなかにはそれを補償しようとする無意識的な動きが起こります。
欠けた心は、それ自身でまるくなろうとします。つまり、全体性を取り戻そうとするのです。そこで彼女たちが母親となって子どもを育てることになったとき、彼女たちの心はまるで、自分のその欠けて飢えた部分を補おうとするかのような動きをしました。
それが、子育てへの過剰なまでののめりこみです。第二世代の母親たちは、子どもとの関にある意味できわめて濃厚な情緒的な関係を育てていきました。
日本中あちこちで見られた、加熱する受験戦争に涙ぐましいほどに一致団結して臨む母子の姿は、美しいというよりも哀しく憐れでさえありました。
これは、母子の一体性の象徴的な姿だったといえるでしょう。母親は子どものために良かれと思うことは、無理をしてでもかなえようと一生懸命でした。
それははたから見ると自己犠牲、でも本人たちにとってはむしろ喜びだったのかもしれません。しかし、その子どもへののめりこみのなかには、これまで描いてきたろうな自分自身の親との関係における葛藤、すなわち関係性への飢えの問題が含まれていました。
ですから、それは健全なかたちでの親と子の関係性の発達ではありません。親自身の欠損の補いであり、厳しい言い方をすると、、親の自己満足のためののめりこみです。
母親が「相手のことを考えるのではなく、自分の気持ちで」のめりこみ、「自分がよいと思ったことをおしつける」・・・・・そういうかたちで子どもの心に侵襲してしまったのです。
そのようにして育ったのが、三十代から四十代にいり、第三世代の人たちです。幼少期に侵襲を受けすぎた人は、そのままだと「また」知らないうちに侵入されてしまうのではないか、という恐れから、人との間に距離をもとうとします。
それは彼らからすれば、油断していたらまたわからないうちに自分のなかに誰かに入り込まれてしまう、居座られてしまうからという、いわば自衛本能にもとづいた行動のように感じられます。
そう考えていくと、第三世代以降の現代を生きる子どもたちが、人とのかかわりを求めながらも、傷つくことを恐れてかかわりを避けようとしているのは、この侵入とも侵襲ともいえる、外界からのかかわりに対する自己回避、自己防衛という意味が含まれているのではないだろうか、と思えてくるのです。
そして自分の心の欠損感から、子どもたちを過剰に守ろうとした第二世代の母親たちは、子どもが傷つく機会を遠ざけてしまい、その結果、心ならずも挫折から立ち直る経験、傷つきを修復していく力を育てる機会をも奪ってしまったように思います。
このようにわたしは、敗戦という契機によってもたらされた心の全体性の欠損、心の中心軸の欠損が、現代の女性たちの心のなかに受け継がれ、子育ての過程でさまざまな問題を生じさせているように考えています。
今、子育ての不安を訴える母親が多いのは、女性が母親になったときにはじめて、それまで気づかないうちにもたされ、育てていた心の欠損感という傷に触れるからではないでしょうか。
その一方で、全体性を欠いた不安定な心に育てられながらも、かたちの上では「きちんと」育てられているかのように見える子どもの心は、いっそう全体性を欠くことになります。
しかし本人たちは、そのアンバランスが何によるものなのか、わかりません。わたしはその自分の「何とも言えないわけのわからなさ」に触れたとき、子どもたちがひきこもるのではないか、と考えているのです。
これなで書いてきたことは、親の育ち方、育てられ方が子どもの精神的な発達に影響を及ぼすという「世代間伝達」と呼ばれている考え方です。
虐待を受けて育った子どもが親になり、子育てにたずさわるようになると、自分の子どもにだけはそうはすまい、と思いながらも、知らず知らずのうちにわが子を虐待してしまう、ということが起こることは、今ではかなり知られるようになっています。
「されたことが繰り返される」という世代間伝達の悲劇です。近年、虐待だけでなく、多くの問題が世代を超えて伝達されたものである、という事実が明らかになり、心理治療の場面ではこのひそやかに受け継がれるものを、どのように食い止め、その負の連鎖を断ち切るかが大きなテーマとなってきています。
この世代間伝達という考え方では、単に子どもが悪い、あるいは親が悪い、と捉えるのではなく、親と子の関係性に焦点が当てられています。
それは大きな視点の移動であり、それによってわたしたちの視野は大きく広がりました。しかし、これまでの世代間伝達の考え方は、主に親側の問題を重視しています。わたしはこれに対して、ふたたび子どもの側の問題をも問うていくことの必要性を感じるようになっています。
この問題は、ひきこもりにおける親と子の関係性を考える際にも有用だと思いますので、ここに素描してみましょう。虐待という言葉はそれ自体むごく、残酷なイメージを連想させます。この訳語のもとになったのはabuseという英語です。
親密な人間関係において、一方が他方を不適切にあるいは不公平に扱っている状態を意味する、ごく日常的な用語であると西澤哲氏は指摘し、したがってchild abuseとは、親が自分自身の欲求の満足を求めて子どもと関わるときに生じる、子どもの乱用というようなニュアンスのものになると述べています。(子どものトラウマ・講談社現代新書)。
そこでいわれている内実は、親から子どもへの不適切なはたらきかけという意味になり、「親から子へ」という一方的な動きがイメージされます。
しかし虐待をめぐる心理治療にたずさわっていると、それだけではすまされないものを実感します。いわゆる虐待という行為が、親が子どもに不適切に関わることによって起こることは確かでしょう。
虐待を受け続けた子どもは、強くかつ頻繁に、親との間で否定的な関係を育みます。親の自分に対するかかわりは一貫せず、やさしかったり、きびしかったりします。すべてが親の気分しだいなのです。
理由は特になにもありません。ゆえに、子どもにはわけがわかりません。またいつ怒鳴られるのか、殴られるのか、と子どもは常にびくびくしています。
そして、おどおどしたこのような子どもの態度は、親の神経を逆なでします。このような日々が続くと、相手が自分に向ける肯定的な感情に気づくことよりもむしろ、ささやかではあっても、自分に向ける否定的な感情への感度のほうが高くなるものです。
また万が一、自分に向けられる肯定的な感情に少しでも気を許して蹴飛ばされたら、よけいに子どもは傷ついてしまいます。それなら気づかないほうがましです。子どもは用心深く、猜疑的になっていきます。
しかし、こんな子どもは可愛くありません。さらには、このようなかかわりのパターンは、次第に積極的に、相手のなかに自分に対する否定的な気持ちを誘発させ、つくりあげるまでになっていきます。
それがまた引き金になり、親から子どもへの不適切な関わりが生じるのです。このように虐待を受けた子どもは、知らず知らずのうちに親の神経を逆なでし、ひそかに虐待を誘発するメカニズムを発達させ、熟達させていきます。
つまり、最初は親から誘発された行為であっても、いつの間にか子から親へ、という逆の流れが生じ、互いに虐待を誘発しあう相互的な負の関係がつくりあげられていくのではないか、とわたしは考えています。
また最近の子どもたちを見ていると、生来的に気難しさを備えて誕生したのではないか、と感じられるケースにしばしば出会います。
きわめて扱いにくく、気難しい気質をもった子どもたちです。母親によると、赤ちゃんのころから笑顔を見せてくれたことがなく、いつもぐずり、どのようにあやしても泣きやみません。
自分が疲れはてれば寝てくれるのだけれども、その眠りは浅く、またすぐに起きては泣くのです。何年も続くこのような繰り返しのなかで、母親は疲れきっていきます・・・・・。
どのように一生懸命に関わり、子どもにとってよい環境をつくろうと努力しても、それに応えようとしてくれず、いわば親の「元気を削ぐ」子どもたちは確かにいます。
母親のあたたかく接しようとする心が実りません。しだいに母親たちは敗北感や挫折感を抱き、子どもが泣いていても放っておいたり、扱いが乱暴になっていきます。
子どもに受けた仕打ちをそのまま返し、それにまた子どもも呼応して・・・・と意地悪の連鎖が生まれていくのです。この場合、むしろ子どもの側から虐待の誘発がなされていきます。彼らは世代間伝達のケースとは異なり、親が自分が虐待を受けて育った歴史を持っているわけではありません。
「まるで、子どもにいじめられているようだ」とは彼女たちの弁です。わたしは最近、親の側が抱える世代間伝達の悲劇によって生じる虐待や、アルコール依存などによって、親が子どもを不適切に扱って生じる虐待だけでなく、このように子どもによって誘発されて生じる虐待もまた、増えてきているように思っています。
ひきこもりに入る子どもたちは、気難しさを備え、虐待を誘発をするというよりもむしろ、乳幼児期にはおとなしく、親の言うことをきく「良い子」だった、ということをよく聞きます。
「良い子」であるというのは、自分の気持ちを見せず、親がよかれと思うことをそっくりそのまま受け取っていくために、親の読み違いが起こりやすくなる、という側面を持っています。
そういうことが起こる場合、子どもが気持ちを隠すということもあるでしょうが、それだけでなく、自分の気持ちがわからないから親の言うことに素直にしたがってしまう、ということもあるように感じます。
また、ひきこもりの場合も虐待の場合も「されたこと」のほうが多く問われますが、実際には、「されなかった」受難(つまり、してもらえなかったことの苦しみ)を考えるという視点をもってその現象を捉えることも必要でしょう。
とにかく、このように考えていくと、現代の親子関係をめぐる問題は、関係性の障害という世代間伝達のテーマを抱えた親と、自らが関係性の障害を引き起こす要素を内包して誕生した子どもが、いかに互いに悪しき関係性をではなく、良質の関係性を育んでいく方向性に切り替えていけるか、ということに集約されるといってもよいのかもしれません。
「片言程度の会話能力しかもたず、しかも単身の外国生活であるため、まわりに日本語で対話する相手をほとんど持てない毎日、自分の内部にわいてくる細かな思いつきや気づきは、渦状の自問自答として保存され醗酵していった。
そうした気づきの中で最大のものは、閉ざされた自問自答の世界を持つことの大切さであlちた・・・・言葉の途切れたところに確かな沈黙があるのではなく、豊かな沈黙を基盤として豊かな言葉がある。
確かな自閉を基盤にして確かな関係がある、と思うようになった」(発想の航跡・岩崎学術出版社)と神田橋條冶氏は描いています。わたしたちは本来、誰でも自分ひとりの世界を持っているはずです。「自閉の世界」といってもよいでしょう。
個として守られた自分だけの世界があるから、わたしたちはそれを足場として、他者と健全な関係性の世界をつくっていくことができるのです。
ところが先に描いたように、過剰で不適切な親による、中途半端なのめりこみの世界のなかで育った結果、子どもたちの心のなかには健康な「ひとりの世界」が育っていません。
彼らは常に「望みをかなえてくれる、他者をあてにする二人の世界」の住人です。わたしたちは傷ついたとき、「ひとりの世界」にこもることによってエネルギーを補い、ふたたび関係性の世界に戻っていきます。
そう考えていくと、今の子どもたちには自分を守る「ひとりの世界」そのものが育っていないのです。第四世代にあたる最近の十代の子どもたちを見ていると、彼らは第三世代よりもいっそう、受身的であることに気づきます。
彼ら自ら外界に主体的に関わり、物事にチャレンジしていく意欲や自己発動性が乏しく、どこかで外界のほうが自分の望むように変わってくれることを待っている、そしてその期待がかなわないと被害者的になり、簡単に切れてしまう・・・・。
あまりに関係のなかに呪縛されてしまうと、言われたことをやっていればよい、ということになり、自分からの自己発動的な動きや主体性は、むしろ邪魔にさえなってしまうのかもしれません。
人は「ひとりの世界」のなかで自己と対話し、内なる関係性の世界を育んでいきます。わたしはひきこもりことによって、「ひとりの世界」を求めようとする子どもたちにある種、自然で健康な「いのち」の回復力を感じるのです。
しかしここでも、現代のOA機器の発達が微妙に影を落としています。それは携帯電話や電子メールによる、外界とのかかわり方です。
いえ、わたしはひきこもっている子どもたちが社会とのかかわりを回復していくとき、直接的なナマの関係ではない、間接的なパソコン通信が有益であることを知っています。
それは使い方によっては、実に強力な味方になります。しかしわたしはその有用性について、限定的に考えています。ひきこもりに入った子どもが、寂しさのあまり、百名にものぼるような「メル友」と何時間も電話していても、それは単なる寂しさを紛らわすためのせつな的満足しか生むことはありません。
たばこを吸い酒を飲んでいる瞬間は満足していても、それが恒常的な満足感につながっていくのではなく、嗜癖化していくメカニズムと同じです。
刹那的な満足はいっそう、そうでないひとりの時間を孤独にさせてしまうのです。ですからそれは結局のところ、「ひとりの世界」を育むことにはならないのです。
ひきこもっている間、子どもたちは周囲から見ると、本当に何もしていないようにしか見えません。テレビを見たりコンピューターゲームをしたり、CDを聞いたり・・・・それでよいのです。
よく、何もしていないのなら時間がもったいないから本を読め、とか勉強しろ、と親御さんたちは言われますが、このような目にみえることではないものに対して、彼はエネルギーのすべてを注ぎ込んでいるのです。
それはしばしば、外から見ると、「何もしていない」「怠けている」ようにしか、見えません。しかしそれこそまさに、自分育てをしている時間なのです。
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