ひきこもりの脆弱性
社会からひきこもり、あるいは社会に出て行く前に足踏みしている若者たちと接していると、彼らのやさしさともか弱さとも、線の細さとも、言葉ではどうにも表現しきれないほどの傷つきやすさ(脆弱性)を感じます。
ストレスを受けたときの耐性が極端に弱く、そこから立ち直ることが難しい、と言ってもよいかもしれません。社会のなかで生きるということは、人との関係を持つ、人との関係のなかに入るということを意味します。
人との関係は、自分の心を何倍も豊かにしてくれることもある一方、傷つくことも起こります。二人の他人が出会うのですから、わかりあうためには手探りの過程を通らなければなりません。
そこで心ならずも傷つけあうということは大なり小なり、必ず起こることであるといってもいいでしょう。ズレることを体験し、小さな傷、大きな傷を受けながら、それをお互いの間で分かち合い、話し合うことによって理解し合っていくのです。
つまり微妙に調整し、修正しあう無数の体験を繰り返すなかで、深い、かけがえのない、この世で唯一無二の緊密な関係性が育っていきます。
関係というものは、うれしさや喜びばかりでなく、つらい体験や哀しい体験をも共有しあうことを通して「つくっていく」ものであり、最初から「ある」ものではありません。
親と子、家族、そして夫婦の関係はすべてはじめからできあがったものがあるのではなく、個々人が相互に努力し、心理的な血を流しながら育て、その結果として親子に、夫婦に、家族になっていくのだとわたしは考えています。
ではその、子どもたちの関係性の育ちを阻んでいるものはなんでしょうか。ひとつは世代を超えてわたしたちのなかに受け継がれている「関係性の障害の特異性」の問題であると考えています。
そして時代の激動のなかで、わたしたち大人が話を聞くこと、話しかけることが下手になったために、子どもたちが対話する関係を持たないまま、うまく育たないままに社会に出て行かなければならない、ということもあるように思います。
そして三つ目の問題は、大人や親たちが「子どもを守ろう」とする姿勢にあると、わたしは考えています。自分が苦労して成長した人は、子どもにだけは同じような思いをさせたくないと考えます。
そのため、できるだけ子どもに負荷を与えないようにしよう、苦労のないストレスの少ない環境を整えてあげようとしがちです。もちろん、その気持ちはわからないわけではありません。でも、それは間違っています。
生きていく限り、ストレスを受けないで育つということはありえません。危険のない、安全な環境で育った子どもは、安全であることが当たり前、楽をしてきた子どもは楽であることが当たり前になります。
してもいない失敗から学んだり、危険をうまくかわしたり、苦しみを乗り越えていく力など、守り抜かれた環境のなかで育つはずがないのです。
もちろん、傷ついたりストレスを受ければ心が痛みます。その痛みを自分ひとりで抱え、耐え、あるいはないことにするのではなく、親や友人との間で心のふれあいを通し、痛みを分かち合います。
傷を受け、それが癒されるという両方の体験をもつことによって、人はしなやかさを身につけ、弾力性のある豊かな自分になっていく、といってもいいでしょう。
それが人間としての心理的成長であり、心理的変容の過程です。人には自己治癒の力が備わっていると言ったのはC・G・ユングですが、人は本来、癒される能力を持っています。
逆説的な言い方になりますが、自己治癒の力や癒される能力が発揮されるためには、まず、傷を受けることが不可欠なのです。
酷な言い方になりますが、幼いころに親が自分の子どもによかれと思い、安全第一に考え、かばうことを繰り返した結果、子どもたちが小さな傷を受け、それを修復していくという、貴重な体験をする機会を大人たちが奪っているように思います。
小さな傷を修復することができずに大きな傷に立ち向かうことなど、できるはずはありません。ストレスを受けないままに子どもが心理的に成長していくことなど、ありえません。
わたしたちは「ストレス=悪いもの」と決め付け、それを取り除くことばかりに懸命になってしまっているところはないでしょうか。しかしなぜ、そんな当たり前のことを忘れてしまい、親が子どもを「傷つくこと」から遠ざけようとしているのでしょうか。
この問題の裏には、ただ親だからという親心からだけではなく、親自身の傷つくことへの恐れが関係しているとわたしは感じています。親にとっては、子どもが傷つことは親が傷つくことと同じです。だから耐えられないのです。つまり、親自身が傷つきたくないのです。だから「子どものために」という名目のもとに、ひそかに自分を守ってしまっているのです。
そこにはすり替えがあり、ごまかしがあるのです。もしもわたしたちが子どもたちの傷つきやすさを問題にし、子どもたちの耐性を育て、精神的なたくましさを身につけさせていこうとするのであるならば、わたしたち大人がまず、傷つくこと、傷つけられることに対する自らの恐れを自覚し、しっかりと傷つきをひき受けていこうとする心理的な構えを持つことが必要でしょう。
それは言ってみれば、先の、傷つきの二重構造を意識化すること、つまり自覚して、自分の傷つきと子どもの傷つきをしっかり区別して考えるようにすることであとわたしは考えています。
さて、わたしたちは日々ストレスを受け、傷ついたときに何とかそれを乗り越え、たち直っていくことができる、そんな自分にささやかながら意味や価値を見出していくことができます。
それが生きていく力を持つ、ということであり、自分に自信が持てる、あるいは自分で自分を守ることができる、ということなのではないでしょうか。人生とは、自分で決めていくものです。そして闘って勝ったり負けたりしながら自分を育てていくものです。
ただ過剰に守られたなかで生きてきても、そこに自分の存在意義を見出すことは難しいでしょう。とはいえ、人はひきこもってもよいし、社会に出てもよいのです。長期的にひきこもっている子どもたちが、もしも自分で主体的に選択し、そういう状態を維持しているのであるならば、彼らに社会的関係をめぐる苦しみはないか、あっても少ないはずです。
ところが、彼らの多くは苦しんでいるように見えます。それは、社会的に見て、ひきこもりが望ましい状態ではないから、ということだけではなく、それ以上に、すでにそれが本人の本意ではなくなっているからではないでしょうか。
もう少し、具体的に言うならば、最初は自分の意思でひきこもりにはいるため、それは必然性を持った目的的・主体的な行為です。ところがひきこもっている間に、今度は人とかかわりをもっていないことが重荷となって、社会のなかに戻りにくくなってしまう、ということが起こります。
そうなると、本人のなかに戻りたいのに戻れないという葛藤が生まれます。ひと言でいうならば、「こんなはずじゃなかった!」ということです。
この言い方の中に、すべてが含まれていると思います。このような場合、納得もいかないし、覚悟もつきません。つまり本人はとうてい受け入れられないのです。ひきこもり状態になった彼らに援助が必要とされるのは、このようになったときです。
つまり、すべてのひきこもりの人々が援助の対象になるのではなく、本人が「困った」「はまった」「まずい」と感じたその瞬間から、援助が必要になるのだろうとわたしは考えています。
光元和憲氏は、「自分が人に関われただけ、自分が自分とうまく関わることができる」(2000年度教育心理学会準備委員会シンポジウム~破壊された関係性・その起源と修復の可能性を探る~における発言から)と語っています。長期的にひきこもっている人は、しばしばその十分な時間を、自己分析や状況の把握やその理解のために用います。
そのために彼らの物事を見る目は深く厳しく、確かです。彼らと話していると、その鋭い洞察力と豊かな内省力に驚かされることがしばしばです。しかしその一方で、彼らが果たして自分とうまく関われているかというと、どうもそうでもなさそうです。
彼らは確かに見事な分析力をもってはいるのだけれども、どこか現実感覚に欠けています。現実を生きていないために(社会に出ていないために)バランスが極端に悪いのです。
彼らの話は理屈はその通り、でも社会的常識が圧倒的にたりていないので、何か手ごたえがありません。うわってらで何か変で、どこかおかしいです。生きるということは内的に生き、かつ外的世界をも生きることです。
内的・外的世界の両方とつながることによって、はじめてその人は全体性を持ちます。社会との関わりを持たずに内的世界だけを生きていても、自分の半分しか生きていません。
そしてその半分をしっかりと生きるのは、そこにただとどまるためではありません。それがもう半分の、人とのかかわりの世界とつながるという仕事にひき継がれることによって、はじめて全体としてのいのちを得るといえるのです。
半分だけを徹底的に生きても、何かうまくいかない、充足感がないと感じる若者たちの欠損感は、それだけで自分が納得できるということではない、ということの証のように思われてきます。
人とのかかわりの世界を生きることに裏打ちされてこそ、せっかく行った内面への探求が意味あるものになり、人とだけでなく、自分ともっとうまく関わることができるようになるのです。
さて、外側からストレスを受けたときに子どもがくじけ、つぶれてしまわないためには、子ども自身のなかに「関係性に対する信頼感」のようなものが必要です。
ひきこもりにはいる若者たちには、それがありません。ではその関係性に対する信頼感とはいったい、どのようにしてつくられていくのでしょうか。
そして、もしそれがない場合、どのように育てなおしていけばよいのでしょうか。親が子どもに関わるとき、どのような場合でも、そうすることがわが子のためによいことだ、と思ってするものでしょう。
親子の関係ほど単純で、かつ、複雑なものはないようです。問題をこじらせるのは、理屈ではなく、情愛の世界です。親と子の関係がねじれを起こしたとき、それは子どもの精神を破壊してしまうほどに悪しきものに変質していきます。
繰り返しますが、「親だから、自分の子どものことはよくわかっている」というのは錯覚です。もう少していねいにいえば、「親だからこそ、見えない部分もある」ということであり、そのことに親が無自覚である場合、問題が起こるのです。
関東自立就労支援センターに来ていたO君が以前言っていたことを思い出しました。彼は、母親が自分によかれと思ってさせられてきたことにずっと合わせてきたら、燃え尽きてしまったと語っていました。
では親は、子どものために何もしないほうがよいのでしょうか?あるいは、自分のしていることが子どもに良いのか悪いのか、どこでどう判断したらよいのでしょうか。
生まれたばかりの赤ちゃんは、自分が何をしたいのか、何はしたくないのかは自分ではよくわかりません。どんな遊びが好きそうなのか、どんなときうれしそうなのか、どんな食べ物や飲み物が好みなのか、今、何がしてほしいことなのか?・・・・すべてはまず親が「ためしにやってみる」ことからはじまります。
赤ちゃんがもし笑っていたら、「とっても気持ちいいよ」あるいは「もっともっと続けて」のサインです。逆に怒っていれば、「やだよ、こんなの!」のサインです。このとき、赤ちゃんの出す表情やしぐさや雰囲気といった、全身から出される非言語的なメッセージが手がかりのすべてです。
そして、さまざまな感情を表現することで、赤ちゃんたちは、社会との関係をつくっていきます。つまり、感情が他者とつながるための「つなぎの役割」を果たしているのです。
この「好き」や「嫌い」、あるいは「うれしい」や「悲しい」といった感情は、赤ちゃんが人に関わってもらうことによって、はじめて明確になってくるものです。
ここにただ泣いている赤ちゃんがいたとしましょう。お母さんはおしめが濡れて気持ちが悪くて泣いているのか、抱っこしてほしいのか、あるいはお腹がすいたからなのか・・・・いくら聞いたとしても、言葉で答えは返ってきません。
ですから、いろいろとためしてみながら。赤ちゃんが何をしてほしいのか、つまり、なぜ泣いているのかを一生懸命に探っていきます。そして、もしも抱っこしたことで泣いていた赤ちゃんがニコッと微笑んだら、「これだったんだ」とその泣く意味がわかります。
それは親がわかるだけでなく、赤ちゃん自身、関わってもらってはじめて自分が何をしてほしかったかがわかるのです。さらに、赤ちゃんの微笑を見たお母さんが、うれしさのおすそわけで一緒に喜んでくれることにとって、それが「うれしい」という体験だと知るのです。
このように関係とは、さまざまな感情を覚知させ、そしてそれを確かなものにさせるというはたらきをもっているといえるのです。わたしたちはこのように通常、赤ちゃんを相手にしているときには、彼らからの非言語的なメッセージを読み取るために、自分自身の勘をフル回転ではたらかせて関わっていきます。
親は「やってみて、あたりをつける」のです。つまりまず、親が決めてから子どものその場での過ごし方を観察し、よい表情をしていて楽しそうだったり、目が輝いていきいきしているようであれば、、「とりあえずは、その選択でよいだろう」と考えるし、ちょっとみて、ちょっと遊んでもすぐに手放してしまったり、つまらなそうだったり、他のものを見ていたりすると、「ああ、はずれた」と考えます。
そして次の課題に関しても、同様のことを行って・・・・・ということを無数に繰り返して、「うちの子は、こういうことが好きなのだろう」とか「こういう性格で、こういう持ち味を持っているんだ」と理解していくのでしょう。
ですから、オギャーと生まれて言葉を自由に使えるようになるまでの間、親と子は子どもの出す感情を手がかりに、非言語的なコミュニケーションの世界を泳ぎながら対話をしているといってよいのです。
この場合、親と子にはそれぞれしなければならない役回りがあります。親は「そのときどきの子どもの反応をしっかりとみる」ことであり、子どもの側には、「しっかりと自分の感情を表現する」ということが課されています。
親が子どもの反応を読み取り、適切に対応してくれると、子どもも自分の意図を正確に読み取ってもらえたうれしさが強化因になりますので、もっとわかってもらうおうと、いっそうがんばって反応を返しています。
そうすると、子どもの反応は相手に読み取りやすくなっていきます。このように、親と子の双方が、自分の役割をしっかりと行っていくと、母子の間の相互作用が活性化していきます。
このように本来、親子関係は相互的なものであり、母親が子どもの意向をくみとって一方的に育てる、というようなものではありません。もしも、子どもが母親から示されたことに対して、あまりうれしくないのに、うれしそうな顔をしていたら、親はそれを読み誤ってしまうでしょう。
しばしば親からの押しつけによって、子どもが自分らしく育つことを阻まれる、ということが言われますが、先のような場合、どっちが悪いということは一概には言えないのです。
では、ひきこもりやニートになってしまった人たちは、赤ちゃんのころから自分を殺して我慢し続けてきたのでしょうか。わたしはそれは違うと思うのです。子どもにとって、親の喜ぶ顔はうれしいものです。
おそらく半分はうれしかった、そして、あとの半分がいやだった、ということなのではないでしょうか。子どものうれしそうな顔は、親にとっては何よりも励みになります。だから、うれしさは正しく捉えられるのです。
ただそのとき、子どものうれしさが全体の半分だったとしたら、さまざまなやりとりのなかにその残り半分の「ノー(違うよ)」というサインも出てくるはずです。
しかし、それを出したら親はがっかりしてしまいます。だから子どもがそれをひいて、見せなくしてしまいます。だから、親に伝わりにくいのです。
またうれしそうな顔を見た親のほうも、安易に「これでよい」と錯覚してしまい、子どもの反応をまるごと読もうとしていく初期のころの注意深さや情熱を失い、次第に手抜きをしていくのかもしれません。
さらに子どもは、このようなやりとりのなかで「どうすれば親が喜ぶか」をしっかりと学習していきます。親孝行な子どもほど、それをしがちです。それがまた親に勘違いをさせてしまいます。
そして次第に親に「これでよい」と安心させ、子どもも親の望むことだけ反応するようになっていきます。親は、子どもの出すメッセージをあらためて読もうとはしなくなります。このようにして、悪い循環経路が完成していくのです。
「うちの子はこういう子だ」と親が子どもを一応捉えても、それで全部をわかった気になってしまわずに、時宜に応じて「今はどうなのだろうか?」と考える余裕をもてると、その行き違いがどこかで微妙に調整されていくのではないでしょうか。
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