ひきこもりの生態と哲学
ひきこもりの青年たちが誰しも「哲学している」ように見えるのは、次のような事情によります。
すなわち、彼らは、社会生活を営むうえで重要な2つの要素である「仕事」と「人間関係」をその実在のもっとも根底的な層で拒絶しているからこそ、しかも、生きることそのものを拒否していないからこそ、彼らの心を占める唯一の関心事は自然なかたちで「生きること」それ自体になります。
彼らは、すでに人生の不適格者、敗者であることを自認してしまっているのだから、いかに自分の適性を見つけるか、いかにそれを武器として世間的な評価を得るか等々、これから人生に乗り出そうとする健全な若者が抱くはずの願望は、その体から剥がれ落ちてしまっています。
では、そのとき真摯な「問い」として、彼らに何が残っているのでしょうか?「いかに生きるべきか?」という問いではなく、その一段下に位置する、「生きるとはどういうことだろう?」という問いです。
「どうせいつか死んでしまうのに、なんで生きているのか、生きていかなければいけないのか?」「ぼく(わたし)は、なんで生まれてきたのだろう?」「なんで苦しみあえいで生き、そして死ななければならないのだろう?」という問いです。
彼らは日々、いや刻々こうした問いを体につきたてて生きています。こうした問いが、彼らの体の奥深くまで食い込み、血を流れせ、叫び声を上げさせます。ここまでは、たぶんひきこもりの若者一般に共通なことです。ひきこもりに限りません。
犯罪者として独房にぶち込まれたり、心から愛する者が死んだり、ガンで余命1年と宣告されたり、交通事故にあい、回復不可能な重傷を負ったり・・・・人間とは、追い詰められ、そしてその解決がさしあたり見出せないと、必ずこうした問いにからめとられるのです。
それが、人間の偉大なところなのです。ですが、大部分のひきこもる若者たちは、この問いに留まることができません。ここに留まることは、あまりにもきつくあまりにも虚しいからです。こうした問いは、正しい答えが足元にごろんと転がっているわけではありません。
問えば問うほど、五里夢中になってしまいます。毎晩こう問いつつ眠りにつくとしても、しだいにぐるぐる回りしている自分に気づきます。
そのうち、答えを求める態度がしだいに希薄化し、それとともに・・・・残酷なことに・・・・問いそのものも薄汚れた看板のような貧相な姿をさらすようになります。
問いは根本的であり、人間の尊厳を示すほどの輝きを持っています。ですが、実際のところ、こうした問いは、問いを発する者がほかの面で社会的に評価されない限り、世間では一顧の価値もないものとみなされます。
現代日本で、日々こうした問いにのみかかずらって生きているホームレスの男が「哲学者」であるとは誰も信じないでしょう。樽に住む乞食哲人ディオゲネスの評判を聞き知ってアレクサンダー大王が召抱えようとしたという逸話がありますが、そのように、いつかホームレスの男に東大の哲学科教授への招聘の声がかかることはないでしょう。
彼は単なる「変人」として、あるいは人間的魅力があれば、ホームレス仲間から「哲学者」というあだ名をもらって、しばらく生き、そして死ぬだけでしょう。
問いに単に留まること、おまじないのように「どうせ死んでしまうのに、なんで生きるのか?」という問いを繰り返していることは、実は問いを放棄することなのです。
問いにほんとうの意味で留まるには「力」が必要であり、しかもおそるべき強固な「力」(具体的にどういう力かはあとで説明する)が必要です。
ひきこもっているほとんどの青年は、先に述べたぐるぐる回りが始まると、これにこだわりつつも、どうにかしてそこから抜け出したいと願います。ここで、ある男には問いをひとまず傍らに置き、からだに鞭打って「ほかのこと」に眼を向けようとします。
ですが、求人情報誌を手にしても、専門学校案内を手にしても、そこには恐るべき現実的な世界がひろがっているのです。人間が死ぬことがないかのような、世の中には理不尽なことがないかのような、そして、すべての人が特殊技能を身につけて社会に貢献することが唯一の正しい生き方であるかのような薄っぺらな記事ばかりです。
そこで彼らはうんざりしてしまいます。さしあたり英会話学校に行って英語力をつけようか?いや、もっと目標を高く持って、法科大学院を受験し、ゆくゆくは弁護士になろうか?
一瞬、彼の胸の鼓動は高まります。重く垂れ込めた雲の間から陽光がきらめき、すっきりした青空が広がっていくような気がします。ですが、こうした精神の高揚もつかの間、やがて、彼は「でもそのあとは?」と考えてしまいます。
英語ができる者なんか、はいて捨てるほどいます。よくよく考えてみれば、弁護士としての仕事にはまったく興味がありません。だいたい自分は弁も立たず、人前に出るのもいやなのだから、弁護士に向いているはずがないじゃないか。
というわけで、あっという間に(何もしないうちに)彼は転倒してしまうのです。彼は、こうして新たなピストン運動にいそしむことになります。ある日ふっと自分の部屋のなかで「希望」を持ち、自分ひとりでそれをかきたてて、やがてそれをもみ消します。
彼は、そうしながら、自分が自己欺瞞の虫に食いつくされていることを知っています。世間に出る「希望」を持つときは、突如現実的になります。そしてありったけの狡さでもっとも効率的な成功を企てます。
あるいは、人聞きのいい学校、人聞きのいい職場、人聞きのいい収入等々、念入りに世間体を考えます。そして、その「希望」が萎んでしまったとたんに、急遽やはり自分は人生の根本的な問いにかまけているから、人生の理不尽を知ってしまったから、世間に出られないのだ、という言い訳がむくむくと頭をもたげてきます。
長い間、こうしたピストン運動を繰り返しているうちに、どんなに鈍感な人でも自分の欺瞞性に気づくようになります。そして、ここから、自分のうちにとぐろを巻く欺瞞性との陰湿でくたびれはてる闘いが開始されるのです。
ほとんどのひきこもる青年が、このピストン運動に留まり続けるのに対して、きわめて少数でありますが、まさにここである種の青年は「哲学」へ向かう道を見出します。
これまで記述すたぐるぐる回りやピストン運動は、それ自体哲学ではありません。哲学の土地を確保したたけの段階です。まさに、この土地に哲学の木は育つのですから。ですが、ほとんどの者は、そこを耕すことすらしません。
この土地を耕すこと、、それはいかなることなのでしょうか?「たまたま地上に生まれて、もうすぐ死んでいかねばならない」という理不尽は誰でも考えることです。
ですが、この身も凍るような残酷な事態を、ほとんどの者は徹底的に追求しません。ごく少数の者だけが、ここから哲学を開始します。その者を「あなた」としておきましょう。
あなたはすべてを洗いざらい吟味して、この問いに真正面から向き合い、この問いが広げる視野を正確に測定し、その視野の広大さに圧倒されつつも、厳密で抽象的な概念の積み重ねによってのみ、そこを踏査できること、その全貌をとらえることができることを悟ります。
これが、先ほどほのめかした「力」です。われわれが投げ込まれている根源的な理不尽と精緻な概念という武器との「つながり」をからだ全体で実感できるとき、あなたは哲学に進むでしょう。
あなたは、先の問いの手前に、二千年以上の人類の知的遺産があること、こうした問いを問いつつ生き、そして死んでいった人々がいることを知ります。
そのことにあなたは感動します。もはやあなたは、「純粋理性批判」であろうと、「精神現象学」であろうと、「論理哲学論考」であろうと、それらがいかに難しくても、怯むことはないでしょう。
もっと単純に言ってみましょう。もしあなたが難解な哲学書に挑むとき、たとえその内容がさしあたりまるでわからなくても、ますますあなたの「うち」に力が充満してくるなら、あなたは哲学的な人です。
こうした厳密で抽象的な概念の向こう側に、なぜいつも「いま」なのか、なぜわたしはいつも「ひとり」なのか、「善い」とはいかなることか、などの単純な問いを見抜き、そのことにわくわくする人は、文句なく哲学的です。
どんなに激しく悩んでも、どんなに真剣に思索しても、どんなに大量の本を読んでも、哲学の扉が開かれるわけではありません。その扉は、厳密で抽象的な概念によってのみ世界を知りうる、と心の底から確信した人にのみ開かれます。
そして、こうした人は驚くほど少ないのです。しかも、哲学を続けることは、それを開始することにまさって難しいのです。次にこれを語ることにしましょう。あなたがひきこもっているあなたの部屋のなかで、頭がしびれるほど思索を続けているとしましょう。
考えが考えを呼び、気がついていれば、また考えているとしましょう。さらに、哲学の古典や解説書をひもとくと、心臓がことこと音を立てて鳴り出すほど興奮するとしましょう。
あなたには、哲学の適性があるといっていいでしょう。ですが、ここにとどまっていては、あなたは哲学の木を育成し、それに実を成らすことはことできないでしょう。
あなたは、同じように哲学の適性がある他人とコミュニケーションをしなければなりません。まず、あなたは哲学書を「正確に読む」訓練をしなければなりません。哲学書は、断じてひとりで読めるものではありません。
たとえ、あなたが「純粋理性批判」をすらすら読めてしまうかのように思ったとしても、99%、いやほぼ100%誤解でしょう。あなたはただ文字を追っただけなのであり、それを「読んだ」のではありません。それほど、哲学書を正確に読み解くのは難しいのです。
哲学書をいい加減に読むほど危険なことはありません。あなたは、何も読まないよりももっと哲学から遠ざかるでしょう。では、哲学書を正確に読む技術はどのようにしたら身につくのでしょうか?インターネットで同士に呼びかけてもいいでしょう。
ですが、やはり究極的には対人コミュニケーションが不可欠です。ある人のまなざしや息づかいから、あなたは傲慢を、ごまかしを、自信のなさを・・・・・眼前のからだを通して学ぶことができるからです。
そういう場所はどこにあるのでしょうか?方々にあります。カルチャーセンターに通ってもいいです。大学の研究生になってもいいです。勇気があれば、教授に直接会いに行って、演習に出る許可を求めてもいいです。
あるいは、人づてに聞いて信頼できる読書会を訪れてもいいです。とにかく、本物の哲学書を本物の哲学(研究)者の指導のもとに読む訓練をしなければなりません。
しかも、それをかなり長く続けなければなりません。人によって違いますが、最低3年は必要であるように思います。これに並行して、哲学を続けるために必須不可欠なのは、哲学的議論を実行することです。哲学的議論とは、たとえば「なぜいつもいまであって、別のいまなのか」という哲学的問いに対する自分自身の考えを厳密に言語化することです。
それも、ひとりではすこぶる危険です。ある程度ひとりでノートをつけ続けてもいいのですが、しばらく哲学ノートがたまったら、信頼できる哲学の先輩に見てもらうこと、あるいはそのノートを携えて信頼できる哲学の専門家と議論することが必要です。
あなたは、おそらく(相手が誠実な哲学者であれば)完膚なきまでに粉砕されるでしょう。そこであきらめてしまえば、あなたは哲学をしないほうがいいです。ほとんど自殺したくなるほどの虚しい気持ちを抱えて、あなたは自分の部屋に戻ります。
これまで書き溜めた思考のクズを眺めて、もしやこれは「議論哲学論考」のような天才的思索の結果なのではないか、というはかない思いは炎天下のアイスクリームのように溶けてしまいました。ここ数年、命を懸けて一心に考えてきたこと、これはいったいなんだったのだろう?
あなたは打ちのめされます。涙さえ出てくるかもしれません。ですが、あなたが本当に哲学的であるなら、地面にたたきつけられるようなこうした体験から数日が経つと、「まてよ、彼の言ったあのことはおかしいぞ、やっぱり自分は正しいのだ」という思いがむくむくと芽をだしてくるに違いありません。
あなたは、今度は絶対に負けないようにがっちりと武装して議論に挑みます。・・・・ですが、また、あなたは地面に転がされ、ほとんど足蹴にされます。そしてあなたはまた挑みます。あなたはまた地面にたたきつけられます。そのうち、あなたは彼から、あなたを認める言葉を聞くようになります。
彼が誠実であれば、いつか「あなたのほうが正しい」という言葉が表明されるでしょう。もちろんあなたは、あなたはただ一人の師と格闘するだけではありません。多くの先輩と同じように格闘しなければなりません。
それはいつまでも続くあきれるほど長い議論です。こうして、あなたの哲学は鍛えられるのです。これ以外の方法で哲学を続けていくことはできないと、わたしは思っています。
以上の長い辛い道をたどることと、会社に入って新製品の開発をすることや社員の給与の査定をすることは絶対に両立しません。だから、あなたが本当の意味で哲学を続けたいのなら、定職についてはならないし、正社員になってはなりません。
アルバイト、臨時雇用、契約社員など、組織に過度に縛られないもの、責任の負担が少ないもの、いつでも辞められるものを選んだほうがいいです。
仕事は金を稼ぐだけと割り切ります。そして、ぎりぎりの生活のうちで哲学に邁進するのです。これを十年続ければ、あなたは立派な哲学者になれるでしょう。もちろん、あなたはこれによって大学の哲学科の教授になれるわけではありません。
論文や著書を刊行できるわけでもありません。つまり、「哲学」でメシが食えるわけではありません。ですが、あなたは正真正銘の哲学者です。
ここまでくれば、あなたはいわゆる大学の哲学教師のなかにも、真の意味で哲学している者が驚くほど少ないことを知るでしょう。そして、彼らの書く論文や著書のよしあしがくっきりとわかるでしょう。あなたは、自然なかたちで多くの哲学研究に不満を持ちます。
場合によっては、「もう自分が書くしかない」と思うかもしれません。この段階に至ったなら、あなたは気の済むまでひきこもっていいのです。むしろ、哲学の肥沃な土壌を手にし、そこにみごとな木を茂らせるには、ひきこもることが積極的に必要であるとさえ言えます。
外界から完全に閉じこもり、哲学的生活に明け暮れます。だが、あなたはすでに多くの同士との交流を通じて確固としたネットワークを築いています。
あなたは、必要なときだけ、研究会に、授業に、読書会に出ればいいのです。あとは心ゆくまでひきこもっていればいいのです。ひきこもりながら、あなたには為すべきことが山のようにあるのですから・・・・。
こうして、ひきこもりの青年がもし心の底から哲学をしたいなら、いったんは世間に出なければなりません。そして、他人の評価に自分をさらして自分の哲学的思考を徹底的に鍛えなければなりません。
それを成し遂げたとき、その後のひきこもりは、たぶん「楽しい」ものになるように思います。わたしは身をもってこのことを実践している青年たちを・・・数人ですが・・・見てきた経験に基づいてここに書いています。
最後にその一例を挙げておきます。Hさんは、ひきこもっていたわけではありませんが、大学を出て塾の教師を十年続けた結果、慶応大学の哲学科の大学院に入り、いまは(あと4年で完成する予定の)博士論文を準備しています。
彼の生涯のテーマは、「一とは何か?」です。なぜ、われわれはすべての事象に関して、(一メートル、一個、一人、一粒、一秒、一度、等々)それぞれ違った仕方で、「一」と定めることができるのか?
この単純きわまる問いを抱いて、彼は大学院を受験し、この問いを解決しようとして修士論文を書き、博士論文を書く計画を立て、そして、その後生きている限りこの問いを追求しようとしています。
彼はもう30代の中ごろです。いつも、「哲学ができるだけで、幸せです」とはればれとした表情で語ります。哲学にあまりにも夢中なので、文字通り食べることを「忘れてしまう」と言います。
なるほど、とても痩せています。この前、ある研究会のあとで、アルコールに頬をわずかに紅潮させて、次のように話してくれました。「僕は人より遅れていて、はじめから負け組ですから気は楽です。ただずっと哲学ができれば、それだけでいいのです。そうすれば、僕は自分の考え方が正しいと確信していますから、誰もわかってくれなくても、笑って死ねます」
わたしは彼の言葉にいたく感動しました。哲学という営みの理想的なかたちを見たような気がしました。自分の濁りきった哲学に対する姿勢を恥じ、からだの中心を痛みがキーンと貫き、ですが同時にやわらかい喜びも伴って、「そうだ、こうでなければならない」と確信したのです。
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