ひきこもりの状態とは
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ひきこもりの状態とは

人間関係がしんどい

 

 

 

 

引きこもり状態の人は、共通して「人とどう付き合ったらいいのかわからない」「どのように生きたらいいのかわからない」と言います。

 

 

 

 

人に気を使い、いやなときでも「ノー」というのが下手で、人間関係がしんどいのです。

 

 

 

 

「こんなことを言うと、相手を傷つけるのではないか、相手は腹を立てるのではないか、自分のことを嫌いになるのではないか」などとあれこれ考えて、言いたいこともいわずに言わずに押さえ込んで、悶々とし続けます。

 

 

 

 

いつも「人が自分のことをどう見ているか」を気にして、「親などの周囲の人々の期待に合わさねば」とがんばり、義務的に、いわば「良い子ロボット」を演じ、しだいにそれに耐えられなくなって、人との関係をとる方法を見失うのです。

 

 

 

 

いぜれにしても、「人間関係がうまくできない」と思うので、「どうしたらよいか」と考え始めます。

 

 

 

 

「今度はこんな接し方をしよう」などと、あれこれ考えるのです。しかし、十分すぎるほど考えていても、実際の場面では頭が真っ白になって、何を言ったらよいかわからなくなってしまいます。

 

 

 

 

しかも、まじめでプライドが高いので、自分で自分の対応を「そんな言い方ではだめだ」と評価しますので、よけいに話せなくなってしまいます。

 

 

 

 

その後、いつまでも「相手が気を悪くしたのではないか」と考え、混乱し、パニック状態になることもあります。

 

 

 

 

その結果、両親との関係を含む周囲の人間関係に対して心を閉ざしてしまいます。

 

 

 

 

 

まるで、すべての人間は、自分にいやな圧力を加える危険な存在と思い込んでいるかのようです。

 

 

 

 

その危険に対する恐怖から、自己防衛的に心を閉ざして、関係を持つことを避けようとします。

 

 

 

 

つまり、ひきこもりとは、心を閉ざして人間関係を避けて自室にこもる状態であり、状態が回復してくると、心を開いて人間関係の中に再び入ることができるようになります。

 

 

 

 

現実の人間関係には相手に対する距離感、たとえば「この人には近づいてもよい」「この人にはもう少し距離を置いたほうがよい」といった感覚や、相手が今何を考え、どんな感情を持っているのかを連続的に感じて、同時に自分の思考や感情の動きを捉えつつ、自分の言葉や態度を変えていくような「バランス感覚」が求められます。

 

 

 

 

頭のなかでいくら考えてシミュレーションしても、他人はそのとおりに動きません。

 

 

 

 

自分の思考や感情ですら、思った通りには働きませんから、それらを捉えて瞬時に対応するには、直感や感性の働きが重要になります。

 

 

 

 

繊細で傷つきやすいためにひずんでしまった感性では、その働きがうまくできません。

 

 

 

 

 

ひきこもりの人の人間関係の難しさには、このような背景があると思われます。

 

 

 

 

いずれにしても、わたしたちは人間関係のなかで生きています。その人間関係がうまくいかなければ、うまく生きていけないということになってしまいます。

 

 

 

 

他人を思いやるゆとりがなくなる

 

 

 

 

ひきこもった状態にあるときは、ストレスが過剰にたまっていますから、自発性も低下しています。

 

 

 

 

気力も衰えていますから、「やらねば」と思ってもやる気が出ません。カウンセリングでも、予約を取ったあと、「その日時にちゃんと行かねば」と考え続けるために、徐々に「本当にちゃんと行けるだろうか」と不安になり、そのせいでしんどくなる人がいます。

 

 

 

 

来所の前夜は「眠れなかった」という人も大勢います。実際、行く時間が迫ってくると不安が強まり、行けなくなることがあります。

 

 

 

 

そうなるといけなかったことで、自分を責めてまた落ち込んでしまいます。しかも「いけない」と電話で連絡することを困難に感じてしまいます。

 

 

 

 

なぜならカウンセラーが不機嫌になることを恐れるからです。つまり、元気な人にとっては何でもないことが、ひきこもりの人にとってはとても難しい問題になるのです。

 

 

 

 

わたしは、カウンセリングの予約は、「当日どうしてもしんどければ変更してもよい」ということにしていますが、これはそのためです。

 

 

 

 

自分のしんどさでせいいっぱいになり、「自分がいやと感じることから、自分を守る」のが最大の関心事になります。

 

 

 

 

そうなると、(もともと優しい人がとても多いのですが)、人のことを思いやるゆとりが失われ、言動が自己中心的になります。

 

 

 

 

被害者意識が強くなりがちで、ものごとを悪く取り、時には被害妄想的になることもあります。

 

 

 

 

たとえば、親や社会に対して自ら心を閉ざしているにもかかわらず、「助けを求めているのに、誰も助けてくれない」と親や社会を責めることもあります。

 

 

 

 

突発的に目立つ行動に出ることがある

 

 

 

 

ひきこもりの人は、近所の人の目を気にしています。自分の生活を近所の人に知られることを恐れ続けています。

 

 

 

 

なぜなら、こんな生活をしていることが知れたら、「だめな人間」とマイナス評価されるからです。

 

 

 

 

マイナス評価されることでプライドが傷つき、プライドが傷つくことで自分の存在価値が傷つくことを恐れているのです。

 

 

 

 

そのため、息をひそめるような感じで毎日を過ごしています。昼間でもカーテンを閉めて、暗い中で過ごしたり、夜も電気をつけないでいたりすることがあります。

 

 

 

 

その一方で、つらくなり感情が揺れて興奮状態になりますと、大声でどなったり、ものを投げたり、床を足でドンドンと踏み鳴らしたり、壁をたたいて穴をあけたり、犬や猫などのペットを殴ったりけったりします。

 

 

 

 

壁に自分の頭をぶつけたり、刃物で自分を傷つけたり、家族に暴力を振るったりすることもあります。

 

 

 

 

かつてカウンセリングに来られていた方の息子さんは、興奮状態になるとマンションの非常ベルを鳴らしていました。

 

 

 

 

しかし、あとになって状態が落ち着いてくると、「この騒ぎで近所の人は自分のことをどう思ったか」を気にし続けるのです。

 

 

 

 

また、ひきこもりの人は、音に敏感になることがあります。隣家の音などにこだわるようになると、さらに被害者意識が強くなって、「わざとうるさくしている」「当て付けにやっている」などと思い、反感を持つことがあります。

 

 

 

 

隣家に聞こえるように自宅の壁やドアをドンドンと叩いたり、「うるさい」とどなったりすることもあります。

 

 

 

 

なかには鉄パイプを持って、隣家に殴りこんだ人もいました。また別のケースでは、ひきこもりの人がアパートの隣室の住人に文句を言いに行ったら、隣家の人も被害者意識の強い人で、逆上して包丁を向けられたということがありました。

 

 

 

 

ひきこもりの生活に納得してはいない

 

 

 

 

このように、ひきこもりの生活を送っている人は、「家の居心地がよいからひきこもり生活を続けている」わけではありません。

 

 

 

 

「こんな生活、したくてしているんじゃない」ということは、ひきこもりの人から共通して聞かれることです。

 

 

 

 

学校や職場や社会、また家庭においても、どこにも自分の居場所がないという苦しみのなかで、唯一自室だけが少し息のつける居場所、最後の避難場所になっているのです。

 

 

 

 

経済面、物質面は完全に親に依存して肉体の生存は維持していますが、精神的には人生を投げているような状態です。

 

 

 

 

ひきこもる生活を続けることは肩身の狭いことであり、自分の奥に納得できない気持ちがあります。

 

 

 

 

そして、精神的なむなしさを常に感じています。ひきこもりの人は人間関係で挫折し、倒れたまま、「立ち上がるべきか、立ち上がるべきでないか」を考え続けています。

 

 

 

 

「今までちゃんとやらねばとがんばってきたが、しんどくなっただけだった。無理に社会の人間関係のなかでやっていこうとしても、自分なんか受け入れてもらえないし、いやなことを押し付けられ、今よりもっとしんどくなるのではないか。

 

 

 

 

それなら、今の生活はつらいが、このままひきこもりを続けるほうがましだ」と考え、ひきこもり生活を続けることを選択します。

 

 

 

 

そして、そうした生活が習慣化する中で、「このままでも何とか生きていける」という目先の消極的な安心感と、「このままでは何もよくならないままではないか」という将来への不安感が心の中で交錯し続けているのです。

 

 

 

 

否定的思考・否定的感情に支配される

 

 

 

 

ひきこもりの人が持つ「否定的思考」には、自己中心的な思考、排他的な思考、自分または人を責めるような思考、被害者意識的な思考、「ねばならない」思考、後ろ向きの思考、暗い思考、絶望的な思考などがあります。

 

 

 

 

問題解決にいたる「創造的思考」とは異なり、否定的思考は心に浮かぶあぶくのような雑念です。

 

 

 

 

考えてもどうにもならないのですが、ついつい考えてしまい、あっという間に何年も経過してしまいます。

 

 

 

 

一方、「否定的感情」は、不安、恐怖、怒り、憎しみ、ねたみ、恨み、不信感、絶望感などを指します。

 

 

 

 

これら否定的思考と否定的感情は、互いに影響し合い、強めあいます。否定的に考えることによって否定的感情が強まり、否定的感情が強まることによって否定的思考が強まります。

 

 

 

 

よって、否定的思考は問題解決に役立たないだけでなく、逆に問題を複雑にし、さらに否定的な状況を引き寄せていきます。

 

 

 

 

ひきこもりの人に限らず、ストレスが増えると誰でも心に浮かぶのは否定的なことばかりになります。

 

 

 

 

被害者意識や「自分はだめな人間」「何をやってもうまくいくわけはない」「社会は自分なんか受け入れてくれるわけがない」といった否定的な考えが浮かびます。

 

 

 

 

同時に、否定的な感情も表れやすくなります。ひきこもりの状態になりますと、こうした否定的な思考・感情はより強くなります。

 

 

 

 

ほかにも過去にいやだったことを繰り返し思い出して、「あのとき、あんなひどい目にあわされた」などと考えたり、「将来もよくならないに違いない」などと考えたり、否定的なことばかりを考え続けます。

 

 

 

 

否定的感情の中核になっているのは、「恐怖」だと考えられます。自分の安全を妨害する危険が生じると、「安全が損なわれるのではないか」と感じ、まず「不安」が生じます。

 

 

 

 

さらにその危険が具体化し強まると、危険の接近を警告する「恐怖」が生じます。

 

 

 

 

危険度が大きく、危険が切迫するほど、恐怖は大きくなります。この恐怖は生命の安全装置として、人間に基本的に備わっているものですから、ストレッサーとしても強大です。

 

 

 

 

そのため恐怖は、ストレス反応を引き起こす要因の中核になるのです。生命の安全装置としての恐怖は、たとえば、車が自分のほうに向かってスピードを出して走ってくれば、恐怖を感じて、それによって車を避け、生命を危険から守ります。

 

 

 

 

そして通常、このような恐怖はその場面が過ぎ去れば消えて、もとの状態に戻ります。

 

 

 

 

これは健康的な反応です。それに対して、「またそんな危険に遭うのではないか」と考え、恐怖を持ち続けることは不健康な反応といえます。

 

 

 

 

ひきこもりの人は、否定的思考によって、恐怖が主観のなかで強められ、どんどん拡大され、妄想化していくことがあります。

 

 

 

 

そのため、客観的には危険でない状態まで危険と感じてしまいます。危険をキャッチする受信機が過敏になり、情報をゆがめてキャッチし、恐怖の感情を引き起こすのです。

 

 

 

 

不安になる材料がないときでも、「いつかまた不安になるのではないか」と考え、将来起こりうる不安に対する恐怖をもつことさえあります。

 

 

 

 

不安や恐怖の感情は人に対しても起こります。人を信じられなくなり、親不信、自己不信などの人間不信に陥ります。

 

 

 

 

人間不信があると、不信という自分の主観が他人に投影されるので、「他人も自分に不信を持っている」と思ってしまい、無意識に他人の中に不信の種を探そうとします。

 

 

 

 

いわば、不信という色眼鏡を通してすべての人を見てしまい、しかも色眼鏡をかけいていることに本人は気づいていません。

 

 

 

 

不信という否定的思考は、不信感という否定的感情と連動します。人間不信が強くなるほど、人に対して身構えますから、対人緊張は強くなります。

 

 

 

 

また、恐怖を刺激されるほど、恐怖を感じさせられたことについて感じる「怒り」や「憎しみ」が強くなります。

 

 

 

 

怒りや憎しみは、攻撃的な感情です。それらをため続けると、いずれ発散せざるを得なくなります。

 

 

 

 

その発散は暴力になることが多いのです。暴力はしばしば親などの家族に向かいます。

 

 

 

 

親に対して、「おまえらのせいでこうなった」と避難します。男性でも女性でも、ひきこもりには家庭内暴力が多く発生します。(もちろん全員が暴力を振るうわけではありません)

 

 

 

 

暴力が無関係の第三者に向けられることもまれにあります。ひきこもりの人による凶悪犯罪は、その最悪の結末といえるでしょう。

 

 

 

 

このとき、否定的思考は「自分の苦しい状態が続くようになったのは、親や社会が悪いからだ。だから、親や社会は自分の敵だ。

 

 

 

 

そんな連中を殺すことは正義の実行になる。やつらを殺せ」というようなことをささやきます。

 

 

 

 

そして、今までにためてきた怒りや憎しみなどの否定的感情が、その火に油を注ぎ、「人間はみな、自分の敵」という思い込みを生みます。

 

 

 

 

否定的感情が外ではなく内側に向かうと、殺意が自分に向けられることがあります。

 

 

 

 

「どうせ自分は無価値な人間だから、生まれてこなければよかった」「死んだほうがましだ」という強い自己否定感がつのってくるのです。

 

 

 

 

否定的思考は「こんな苦しみを続けることはもう無理だよ。死んだら楽になれるよ」と語りかけてきます。

 

 

 

 

人生経験を積んだ人でも、この心の声にだまされて自殺してしまう人がいます。たとえそこまでいかなくても、こうした自己否定の苦しみは、ひきこもりの人に共通しています。

 

 

 

 

「ちゃんとしたことができない、自分はだめな人間だ」というつらい自己否定感に常にしばられているのです。

 

 

 

 

このように、ストレスが強いと否定的思考が強くなり、否定的な感情が出てきます。

 

 

 

 

否定的感情は、不安・恐怖にせよ、怒り・憎しみにせよ、自己否定感にせよ、それらを抱くこと自体がまたストレスを強めてしまいます。

 

 

 

 

つまり、ひきこもるのは強いストレッサーに対する反応の結果ですが、そうやって引きこもることでまた新たなストレッサーが生じるのです。

 

 

 

 

そうしてさらに心を閉ざすという反応が強化され、悪循環になります。なかには否定的なことを考え続け、否定的な生き方をしていても、社会的には一見適応した生活をしている人がいます。

 

 

 

 

たとえば、カウンセリングしてみると明らかに心を閉ざしているのですが、自室にこもるのではなく、逆に外をうろうろせずにはいられないという人がいました。

 

 

 

 

こういう人は、周囲からは「行動的な人」と思われているかもしれません。もしひきこもっていたら一日も生きていけない境遇にあれば、生活の糧を得るためには外に出ていかないと仕方がありません。

 

 

 

 

そういう人は、ひきこもって当たり前というような否定的な状態を抱えながら働いています。

 

 

 

 

この場合、働くことによって適応能力が高まり、状態がよくなったというよりは、ひきこもりすれすれの否定的な状態が依然として続いているケースが多いと思われます。

 

 

 

 

また、わたしが少年期を生きた戦時体制のような時代だと、家にひきこもって学校に行かないなどというようなことをすれば、「非国民」のレッテルを貼られて本人も家族も社会から排除されてしまいましたので、ひきこもりは容易にできることではありませんでした。

 

 

 

 

その点から言えば、ひきこもる人は、ひきこもることのできる社会的・経済的環境にあるといえるでしょう。

 

 

 

 

しかし、だからといって、ひきこもりの人が恵まれた環境に甘えて、怠けて生きているということではありません。

 

 

 

 

本人にとっては、もっとも強いレベルの「否定的な生き方」をせざるを得ない、たいへんつらい状態であることは間違いないのです。

 

 

 

 

結局、ひきこもりとは何でしょうか。外見的な見方でいえば、「心を閉ざして現実の人間関係を避け、自室にこもる状態である」といえるでしょう。

 

 

 

 

また、内面にも着目して説明しますと、「ひきこもりとは、人間関係を避け、個々の症状を含みながらも、否定的な生き方によるひずみが明確になった包括的なストレス過剰状態である」というのがわたしの定義です。

 

 

 

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