ひきこもりになるきっかけとしての不登校
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ひきこもりになるきっかけとしての不登校

ひきこもり問題を語るときに、ひきこもりになる直接のきっかけとして、不登校とのかかわりを無視するわけにはいきません。

 

 

 

 

わたしたちの調査でも、ひきこもり状態に入っていくきっかけとして、不登校がもっとも多いという結果が出ています。

 

 

 

 

不登校とひきこもり状態は、かなり連続しているのでしょうか。もしそうであるなら、現在たまたま学校に行っていない子どもを持つ家族は、またあらたな心配の種が増えてしまうことになります。

 

 

 

 

学校へ行けない子は、一生ろくに社会生活も送れないのではないか、そのように案ずる家族も、実際少なくありません。

 

 

 

 

たしかにひきこもり状態のきっかけとしては、不登校が多いように見えます。しかし不登校とひきこもり状態の因果関係をいうためには、むしろ不登校の子どもたちが、どのくらいひきこもったままになるか、という調査のほうが重要です。

 

 

 

 

こちらについては、「登校拒否の予後」研究などでずいぶんデータが集まっています。

 

 

 

 

その結果をみる限りでは、不登校全体から見て、「ひきこもり」状態にまでいたる事例は、それほど多くはないという印象があります。

 

 

 

 

不登校事例の大部分はこのような長期化をまぬがれうるわけです。それが事実といっていいでしょう。

 

 

 

 

ですから、「学校に行かないこと」をすぐにひきこもりに結びつけて考える必要はありません。

 

 

 

 

しかし、一部の事例がこのような深刻な状態にいたっているということもまた「臨床的」事実ではあります。

 

 

 

 

この事実を無視しすぎても、誤った対応に結びつく可能性がないとはいえません。

 

 

 

 

「不登校」を問題視しすぎる必要はありません。しかしまた「今の教育制度においては、まともな感受性を持つ子なら不登校にならないはずがない、不登校こそが子どものあるべき真の姿」といった、ほとんど全面賛美に近いような擁護にも問題がないとはいえません。

 

 

 

 

こうした立場は、不登校児に肩入れしすぎるあまり、しばしばある種の鈍感さの原因となりやすいです。

 

 

 

 

また不登校の問題を政治的な問題に重ねすぎるため、治療的な視点が締め出されてしまいがちです。

 

 

 

 

「不登校は病気じゃない」というスローガンが、その典型です。もちろん、すべての不登校が治療を必要とするわけではありません。

 

 

 

 

しかし一部の不登校が、何らかの治療的対応によって救われるということも事実なのです。

 

 

 

 

さきのスローガンが、「すべての不登校が病気とはいえない」という穏当なものでしたら、わたしたちも完全に賛同できるのですが。

 

 

 

 

「不登校」自体はすでに実現として、もはや誰もが身近に経験していることです。不登校児のなかにも、大検などをどんどん受けて進路を選択できる子もいれば、そのままひきこもってしまう子もいます。

 

 

 

 

つまり不登校児を賛美しすぎることは、ことなったかたちの差別化につながってしまうのではないでしょうか。TSU86_hunnwari500_TP_V1

 

 

 

 

見事に自立し、社会参加を果たした不登校児の「エリート」たちの影には、焦りを感じつつも社会に踏み出すことのできない、膨大な数のもと不登校児たちがいるような気がします。

 

 

 

 

そして、ひきこもりは対社会の関係において、現代における「抗生剤以前の結核」のような位置にあるのではないかと考えています。

 

 

 

 

すこし詳しく説明しますと、「ひきこもり」も「かつての結核」も、(1)なんらかの消耗体験(後にショックや疲労感が長く続くような体験)に引き続いて起こります。

 

 

 

 

また(2)治療というよりは環境調整と「養生」的対応が必要になります。

 

 

 

 

(3)対社会的には、いわれのない誤解や偏見が直接、回復の経過に影響することがあります。

 

 

 

 

(4)かなりの程度、家族などの周囲を巻き込みます。これは主として(3)によるためでもあります。

 

 

 

 

(5)就労可能に見えて就労できないということから、つねに世間からの暗黙の非難にさらされます。

 

 

 

 

しかしこうした類比が正しいものであるなら、そこには何らかの治療論や症候論のヒントが秘められているかもしれません。

 

 

 

 

もっとも心の問題であるだけに、抗生剤の登場にあたるような、速くて確実な治療法を期待することは難しそうですが。

 

 

 

 

不登校は、かつては登校拒否などと呼ばれて社会問題化した経緯があります。

 

 

 

 

しかし全国で10万人ともいわれるほど増加し、また日常化してくると、もはやそれを単に病的とみなす意見も説得力を失います。

 

 

 

 

少子化の傾向にさからうようなこの数量的増加は、不登校が社会病理の直接的な反映であったことを証明するものでしょう。

 

 

 

 

通常の精神疾患であるなら、こうした極端な増加はむしろ起こりにくいものです。また一部の神経症が戦時下では減少するといわれるように、社会病理は必ずしも精神病理に直接に反映するものではありません。

 

 

 

 

さて、ひきこもり自立支援センターの調査では、ひきこもり事例の中でこれまでに不登校を経験した人の割合は90%を超えていました。

 

 

 

 

この数字だけ見るなら、たしかにかなり高率といえるでしょう。しかしこのことだけから、単純に不登校とひきこもりを関係づけるのは誤りです。

 

 

 

 

不登校自体はそのかなりの部分が、なんらかの形で復学や就職などの社会参加を果たしていきます。

 

 

 

 

しかし関連性がまったくないかといえば、もちろんそうともいえません。不登校の一部が長期化して、ひきこもりへと移行することも厳然たる事実だからです。

 

 

 

 

不登校もまた、さまざまな状態と要因をはらむ多義的な名前です。ひとくくりにして扱うことが乱暴であるのは、ひきこもりの場合と同じことです。

 

 

 

 

しかしまた「ひきこもり」の群と「不登校」の群とが重なる部分が少なからずありうるという推測も、けっして無視されるべきではないでしょう。

 

 

 

 

さて、ひきこもり自立支援センターの調査では、不登校を経験したもののうち、3ヶ月以上の持続的不登校が86%占めていました。

 

 

 

 

このことからも、不登校が長期化し、そのままひきこもり状態にいたる事例が多いことが推測されます。

 

 

 

 

ひきこもりの特徴として、一度でもまとまった期間の就労などといった社会参加を経験した事例が少ない、ということがあります。

 

 

 

 

これは、ひきこもりが一種の「未熟さ」と結びついていることから説明できるでしょう。

 

 

 

 

ひきこもり状況は、必ず思春期からの問題を引きずるかたちで生じてきます。PPU_ocyanomizuekimae_TP_V1

 

 

 

 

つまり、ある程度の社会的な成熟を経た後には、こうしたひきこもり状況はほとんど起こりません。少なくともわたしたちはそのような事例を知りません。

 

 

 

 

不登校の子どもをもつ親たちの一部に、「うちの子も長期のひきこもりになるのではないか」という不安が見られます。

 

 

 

 

 

ひきこもる人たちのなかには、不登校の経験をもつ人ももたない人もいるのが実情です。それでは不登校からひきこもりに移行する人は、どれくらいの割合でいるのでしょうか。

 

 

 

 

精神科医などによって過去に不登校の追跡調査がいくつか試みられているので、結果を参考としてみてみましょう。

 

 

 

 

精神科医の斉藤万比古氏は論文「不登校だった子どもたちのその後」で、1960年代から80年代までに行われた不登校の追跡調査10件を取り上げ、考察しています。

 

 

 

 

それによりますと、調査ごとに適応の判断基準や対象となる年齢幅などにばらつきはあるものの、その後の社会適応が不良だとされるグループは12%から44%までの数字になっていました。

 

 

 

 

まとめとして氏は、「数年以上の長い経過でみていると、不登校の子どもの半数以上(おそらく7割強ほど)は社会的に良好な適応を示すようになりますが、一部(2割強ほど)には社会的適応の難しい不安な状態にとどまるものがあるとの「おおまかな見通し」を記しています。

 

 

 

 

もちろん「社会適応が不良」とされたグループには統合失調症と診断された人も含まれているうえ、全員がひきこもり状態にあるとは限りません。

 

 

 

 

それにしても2割強という数字は小さくありませんが、ここでもうひとつ注意すべきことは、これらの追跡調査の対象になった不登校児・生徒は主に精神科で診断を受けたり入院したりしていた不登校児・生徒たちだということです。

 

 

 

 

つまり不登校のなかでも、もともと比較的重い心の悩みを抱えていた子どもたちを対象とした調査だといえるでしょう。

 

 

 

 

医療でない領域での調査としては、高知市教育研究所による不登校児・生徒への追跡調査があります。雑誌「健康教室」増刊号(99年2月)に掲載された同研究所の上村国之氏の報告によれば、調査が行われたのが94年で、過去に同研究所を相談に訪れた235人の子どもについて、それぞれ「自立できている者」の割合を調べたところ、結果はどの年代でも80%代後半から90%前後までの範囲の子どもが自立できていました。

 

 

 

 

 

つまり、不登校の子どもの9割近くが自立していたことにTります。ただし中学卒業時にどのような状態だったかに分けてみたところ、「(卒業時)学校に復帰していた」グループと「研究所への通所指導だった」グループでは自立していた者がそれぞれ96%、95%だったのに対して、「家庭への訪問指導」だったグループは69%にとどまっていました。

 

 

 

 

(いずれも卒業後1~5年目の平均値)。訪問指導だったグループに限ってみますと、平均で3割程度が自立できていませんでした。

 

 

 

 

ちなみにこの調査での自立の定義は「家族以外の第三者とコミュニケーションをとることができる。また、自宅以外の場所へ外出することができ、いきいきと社会人または学生として生活している状態」であり、「自立できていない人」のかなりの部分はひきこもり状態にあるだろうと推測できます。

 

 

 

 

上村氏は「この調査の結果が出て以来、子どもの状態によっては「ゆっくり待つ」ことが「自立」から遠ざけてしまう場合があると考えるようになりました」と書いています。

 

 

 

 

学校が悪いのだから学校には行かなくていい、と言える親は増えてきました。しかしその言葉を単純に延長させて「社会が悪いのだから社会に出なくてもいい」と言える親はほとんどいません。

 

 

 

 

この国の世論の大勢は不登校を許容したように見えますが、それもある意味では、「成人したら働く」ということが暗黙の了解のように前提とされていたのです。

 

 

 

 

不登校からひきこもりに移行した人の一部から「わたしの直面している問題は、今も昔も同じなのに」という言葉を聞くことがあります。

 

 

 

 

不登校とひきこもりに通底して本人の前に現れる問題とは、ある種の葛藤であろうとわたしは思います。

 

 

 

 

直感的に語ることが許されるならば、それは社会の規範意識にかかわる葛藤であり、その根底にあるのはおそらく、禁欲的で勤勉な労働を美徳とする価値観だろうと思います。

 

 

 

 

社会参加や社会的活動をしていないことをひきこもりの定義に含める場合が多いのですが、その場合に人々が思い浮かべる社会参加や社会的活動とは事実上、就労のことです。

 

 

 

 

ひきこもりの当事者や家族に聞いても多くの場合、罪悪感は就労していないという一点から生まれているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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