ひきこもりの自己肯定感
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ひきこもりの自己肯定感

ひきこもりやニート、スネップ、不登校の子どもたちは、自己肯定感の低い人がたくさんいます。

 

 

 

 

自己を否定し、絶望の淵に立たされた人間が再び生きる希望をつかむためには、何が支えになるのでしょうか。

 

 

 

 

学歴?財産?それとも名誉でしょうか。悲痛な思いにかられて訪ねてくる若者たちとめぐり合うたびに、そんなものはなんら救いの足しにはならないと実感させられます。

 

 

 

 

彼らを支えうるのは、ただひとつ、自己肯定感です。そして、その自己肯定感を育てるのは、「こんな自分でも頼りにしてくれる」「かけがえのない存在として心をくだいてくれる」そんな自分を必要としてくれる人との出会いがひきこもりから抜け出すきっかけになります。

 

 

 

 

「子どものとき、夜道を一人歩きするのは怖かったのに、大人になると平気になるでしょう。

 

 

 

 

あれは、大丈夫だという体験を積んでいるから歩けるようになるんですよね。だから、その日までは親についてきてほしいんです。

 

 

 

 

いつも親に守られて育っていると、自分を守ることができなくなるという不安もありますから、ぼく自身も親から離れなくてはと思います。

 

 

 

 

でも、突然に見放されたりすると驚きますよね。このことが両親にはなかなか理解してもらえませんでした。

 

 

 

 

いくら20歳を過ぎても、人間関係に自信のない僕には、、職場は恐怖の館でした。

 

 

 

 

とにかく20歳に向かうにつれて、こんな自分なんか生きていても仕方ないんじゃないかと思うようになり、焦りと苛立ちで、遅すぎた家庭内暴力もしました。

 

 

 

 

友達はひとりもいないし、さびしかったんです。だから、こんな役たたずの僕を慕ってくれる少女が現れたときは、すごくうれしかったです。

 

 

 

 

相手がいくら小学生とはいえ、他人から信頼されているんだと思うと、心が新しくなってくる自分に気がつきました」

 

 

 

 

昭義さん(仮名・22歳)は、新年を迎え、新たな気持ちで家庭訪問したわたしにこう話すと、「なぜか心が落ち着いてきました」と言って何度もうなずきました。

 

 

 

 

大柄な体を揺さぶりながら席を立つ昭義さんの言葉づかいには、心の広がりが感じられました。

 

 

 

 

彼はやんちゃんでユーモアのある少年だったといいます。父親は3人のスタッフを抱える会計事務所を営み、母親は総務・経理を手伝っていました。

 

 

 

 

母親のもう一つの仕事は、几帳面すぎる父親と、そのために気持ちを害しトラブルが絶えないスタッフをなだめることでした。

 

 

 

 

父親は家でも「税理士」そのままで、何事につけ、1+1=2でないと気が済まず、けわしい顔つきになることが多かったようです。

 

 

 

 

「父はあいまいな返事をするとひどく怒鳴り、勉強や帰宅時間についても、約束より30秒でも遅れると、時計を僕の顔に寄せつけてしかりつけるんです。

 

 

 

 

でも、自分が遅れたときは、言い訳で家族の不満を押し切ってしまいます。そんな気まぐれで神経質な父にぼくはいつもおびえ、なるべく気にさわらないように立ち振る舞っていました。

 

 

 

 

それがいつのころからか、他人の目(評価)を気にするようになり、素直な感情が出せない子どもへと変わっていきました」

 

 

 

 

昭義さんはやりきれない表情で、これまでを振り返ってくれました。彼は中学生になると学級委員に選ばれました。

 

 

 

 

その夜、父親から訓示を受けました。「学級委員は信頼の証だ。誇りを持って先生や友達の期待にこたえてほしい。

 

 

 

勉強が第一、余裕があったらクラブ活動で遊んでもいいが」昭義さんは何かすっきりしない気持ちもあって母親の発言を期待しましたが、母親はなんら口をはさむことはありませんでした。

 

 

 

 

自分の意見に異を唱えられると感情を高ぶらせる父親に対し、なるべくことを荒立てまいとする母親の気持ちは、昭義さんにもわかっていました。

 

 

 

 

「2年になってからはクラブ活動をしたかったけれども、またクラス委員にされてしまったんです。

 

 

 

 

ぼくはみんなの手本になろうと努めましたが、推薦した誰もが協力してくれず、人間関係に疲れていきました。

 

 

 

 

でも、僕は両親に心配をかけたくないので、家では元気に学校での楽しい作り話をしていました」

 

 

 

 

このころから「やんちゃでユーモアのある」昭義さんは消え、「暗い性格の男」になっていきました。

 

 

 

 

「3年生には神経が張り詰めるような中で迎えました。僕は今度こそ委員にならないようにと短冊に墨書きし、仏壇の掛け字の脇に置いて線香をあげ、手を合わせました」

 

 

 

 

ところが、昭義さんの願いはかなえられず、今度も断りきれませんでした。

 

 

 

 

「自分が断ると、誰かが僕の犠牲になり、うらまれると思ったんです。3年になると高校受験もあり、優秀なやつほど余裕がないと思って・・・・。

 

 

 

 

そんなことから、人間関係ってほんとうにむずかしいなあって思っていたときでした。

 

 

 

 

クラス対抗試合にまじめに取り組まなかったということで、男子生徒に担任のゲンコツが見舞われたんです。

 

 

 

 

担任は教室の片隅に生徒を一列に並べると、ひとり一回ずつ頭を殴りました。でも僕には職務怠慢ということで2回目の制裁が加えられたんです。

 

 

 

 

委員を押しつけられたうえに、さらに2回も制裁されたことに、僕は耐えられませんでした。

 

 

 

 

僕は卒業までの日数を数え、高校生活を夢見て、何一つ楽しい思いでもなかった中学生活に必死で耐えました」

 

 

 

 

ひきこもるきっかけの一つに「報われなさ」があります。そして、そのくやしさを「いい子」ほど口にすることはなく、察してほしいと願いつつ、むなしさをかみしめ、関係から身を引いていきます。

 

 

 

 

それが弱々しさに見えることもあります。高校は志望どおりの進学校に入学しました。

 

 

 

 

しかし、思い描いていたようにはいきませんでした。「勉強はとてもハードでした。

 

 

 

 

特進クラスの並でない宿題の量についていけず、夏休み前あたりから一日にひとことも話さない日が続きました。

 

 

 

 

マンガばかり読み、冗談を飛ばしている友達がテストでは上位にいたり、現実は期待とはうらはらで、中学のつらい日の延長でした。

 

 

 

 

ゆとりがなくなり、不安ばかりが強くなりました。そして、父親に似た完全主義的性格がわざわいして、勉強のスピードを遅らせました。

 

 

 

 

弁当ものどを通らなくなり、夜は眠りにつくこともできず、夜中に母親を起こして、「なんでもいいから話してくれ」と頼んだこともありました」

 

 

 

 

昭義さんにはさらに不幸が続きました。眠れずに服用していた睡眠薬のせいで、英語の時間に深く寝込んでしまったのです。

 

 

 

 

「やる気のない邪魔者は、教室から出て行きなさい」先生は昭義さんの頭上で低く抑えた声で言いました。

 

 

 

 

授業後、昭義さんは先生に事情を説明しようとしました。しかし、睡眠薬服用の件で誤解を招きそうな気がしたので、言いそびれてしまいました。

 

 

 

 

そんな昭義さんに対する先生の声は、冷たいものでした。「屈辱、絶望感、怒り、落胆、いろいろないきさつが、雨あられのように降ってきました」

 

 

 

 

翌日、ベットから体を起こすことができず、学校を休みました。そして、そのまま休み続けました。

 

 

 

 

「どうしてぼくだけこんな不幸を背負わなければならないんだ。僕が何をしたというんだ。

 

 

 

 

もう誰も僕の気持ちをわかってくれない」そう思うと、心配して訪ねてきた担任や同級生に対しても、部屋の扉を開けることはできませんでした。

 

 

 

 

度重なる担任の復学への説得も徒労に終わり、昭義さんは16歳の秋に高校を中退してしまいました。

 

 

 

 

「友達のように要領よく立ち回れないのも、他人の気持ちばかり考えて自分の気持ちをうまく伝えられないのも、僕を勉強だけに押し込んだ父親のせいだ。

 

 

 

 

気まぐれな神経質に付き合わされた僕の16年間を返してくれ」突然、手にしていた湯飲み茶碗を、父親が座っていた脇のサイドボードに向けて投げつけました。

 

 

 

 

昭義さんは、この段階になってもなお標的(父親)をはずして投げる自分に、くやし涙が止まらなくなったといいます。

 

 

 

 

どこまでも「嫌われたくない性格」がひきこもらせたとも言います。一瞬ひるんだ父親でしたが、態勢を整えると大声を上げて昭義さんにのしかかりました。

 

 

 

 

母親は中学1年生の弟の目をおおったあと、2人の間にわって入り、昭義さんを力のかぎり抱きしめました。

 

 

 

 

18歳の春、同じ団地に住む幼馴染が大学へ進学しました。昭義さんはしだいに団地の人たちの自分への噂が気になりだし、耳をふさぎ、息を殺して、布団にくるまって暮らすようになりました。

 

 

 

 

やがて昭義さんは自らの狂気を感じるようになり、そして、20歳の誕生日を入院先の病院で迎えました。

 

 

 

 

意味もなく狂気に襲われることはないのです。「病院で20歳を祝ってもらったとき、もう僕には二度と青春を味わうことはできないと思いました。

 

 

 

 

今、事務所は両親だけでやっています。ぼくのせいで、父は社員に何もいえない頼りない社長になったようで、みんな辞めていきました。

 

 

 

 

僕は今も父と対話はないんですが、緊張はしなくなりました。最近、僕は誰かの役に立つ、頼りにされる人間になれたらいいのになと思うようになりました。

 

 

 

 

そんなとき、僕に救世主があらわれたんです」病院に面接に行ったとき、帰り仕度をするわたしに、昭義さんはつぶやきました。

 

 

 

 

「母親と通い続けた教会の日曜礼拝で知り合った小学生の女の子が、クリスマスに映画に誘ってくれたんです。

 

 

 

 

捨てる神あれば、拾う神ありですね」それから1年がたち、家庭訪問したときにわたしはふと思いました。

 

 

 

 

これまでわたしは、ひきこもる若者たちが小さな子や老人、障害者へのボランティア活動からコミュニケーションを復活する場面に何度も出会ってきました。

 

 

 

 

それは絶対に自分を必要としてくれる、その確かさが、かかわりの最初から保証されているからではないでしょうか。

 

 

 

 

言うまでもなく、これは、自己肯定感獲得の重要なひとつです。

 

 

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