ひきこもりと希望と労働と価値観の多様化
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ひきこもりと希望と労働と価値観の多様化

日本には希望だけがない、この言葉は、村上龍氏の『希望の国のエクソダス』という本のなかで、不登校の子供たちが日本の現状を指して、「この国にはなんでもあるが、希望だけがない」と語り、やがて自分たちの国家を作っていく物語の引用です。

 

 

 

 

これは、ひきこもりの人の実感でもあると思います。それでは、日本を脱出すれば問題が一気に解決するかというと、そんなことはありえません。

 

 

 

 

ひきこもりの人はどうして自分がひきこもってしまったのかわからないのですから、国外でもまた、ひきこもるかもしれません。

 

 

 

 

では、どうすればいいのでしょうか。ひきこもりの人は現状からの劇的な改善を望んでいることが多いのですが、そんなことはけっして起こりません。

 

 

 

 

わたしたちは日々生活していくなかで、将来に自分が望む自己実現が困難であると思っていても、それこそ、それなりの楽しみを見つけて生きています。

 

 

 

 

たとえば、この仕事が終われば旅行に行けるとか、働きながら資格を取るために勉強してキャリアアップを励みにがんばるなど、とりあえずの目標を設定しながら生きているわけです。

 

 

 

 

もっと小さなこと、今日は彼女とデートするとか、楽しみにしているテレビ番組があるとかでも、わたしたちは励みにできるのです。

 

 

 

 

しかしながら、ひきこもりの人にとっては、このことが理解不能になってしまうのです。ささやかなことが、実際生きていくうえではこのうえなく重要なことであるはずなのに、ひきこもりの人にとっては「この国には希望だけがない」という漠然とした感覚が、ありありとした圧倒的な現実として差し迫っているのです。

 

 

 

 

だからこそ、彼らは現状を打破するために一足飛びの高邁な理想を描かずにはいられないのではないでしょうか。

 

 

 

 

なぜ、生きなければならないのか

 

 

 

 

この問いは哲学的な問題であり、容易に答えることはできません。ただ、わたしとしては「単に生き続けなければならない」などという意見には賛同することはできません。

 

 

 

 

おそらく世の中には、生きているよりも死んだほうが楽だと思えることもあるのでしょうし、場合によっては死ぬ権利も容認すべきだと思っています。

 

 

 

 

しかし、ひきこもりの人に関しては死ぬべきではないと考えています。

 

 

 

 

なぜなら、ひきこもりの人はひきこもっていて外界との接触を断っている間に、絶望感や虚無感に支配されるようになるからです。

 

 

 

 

つまり、ひきこもりという心が弱っている状態のために絶望し、自殺願望が生じるのです。

 

 

 

 

あるひきこもりの人は、ひきこもりの状態から脱出して、今ではアルバイトと趣味である釣りに忙しい毎日を送っていますが、彼もひきこもっている間は自分の現状に絶望し、自分を責め続け、何もしていない自分は社会での居場所がないと考えて、2度の自殺未遂(大量に薬を飲んだり、手首を5針も縫うほどのリストカット)を行いました。

 

 

 

 

でも、ひきこもりから脱出した今は、「ほんとうにあの時、死ななくてよかった」「あの時は、苦しくて仕方がなくて自殺しようとしたけれど、今はこれっぱっちも死にたいとは思わない」と語るまでに回復しています。

 

 

 

 

彼に見られるように、ことひきこもりの人に関しては、ひきこもりの絶望感による自殺をわたしたちは引き止める必要があると考えます。

 

 

 

 

ひきこもりの人は、ひきこもりから脱出したときには、自殺願望は消失し、死ななくて良かったと述懐するものです。

 

 

 

 

なぜ、働かなければならないのか

 

 

 

 

この問いも、一概に解答を論じるのは難しい問題です。ただし、働いてお金を得なければ、現代では生きていくのは難しいのではないでしょうか。

 

 

 

 

そして、お金だけでは幸福は得られないかもしれないけれども、不幸を遠ざけることはできるのではないでしょうか。

 

 

 

 

一般的に、ひきこもりの人の家庭環境はいわゆる中流と呼ばれる家庭が多く、かなり裕福な家庭も中にはあります。

 

 

 

 

ですから、金銭だけでは、ひきこもりを予防することはできません。

 

 

 

 

ひきこもりの人に関して言えば、彼らが「どうして働かなくてはいけないのか」という質問をすることはあまりありません。

 

 

 

 

というのも、彼らはそもそも外の世界と交流を持って対人関係を築くことが困難なのですから、働くということはずっと先の目標になるからです。

 

 

 

 

しかし、ひきこもりから脱出して、アルバイトをしたり、就職して働くことができるようになると、彼らの苦しみはかなり軽くなります。

 

 

 

 

あるひきこもりの人は電気量販店に就職して働けるようになってから、「今は、生きている実感があります。ほんとうに働けるようになってよかった」と話しています。

 

 

 

 

ひきこもりの人にとって、働くようになることがすべてではないのですが、ひきこもりから脱出して働けるようになった人は生きている実感を得られることが多いといえます。

 

 

 

 

もちろん、簡単にここまで到達するわけではないのですが、一つの目標として「働くこと」をとらえることはけっして無意味なことではありません。

 

 

 

 

価値観の多様化は影響を及ぼすのか

 

 

 

 

現代は、価値観が多様化した時代だとよく言われています。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。

 

 

 

 

価値観の多様さとは具体的にどのようなものがあるのでしょうか。これは、わたしが思うに、いろいろな生き方が社会的に許容されるようになったということだと思います。

 

 

 

 

しかし、生き方はさまざまになっても、人として生まれてきて、真の意味で成し遂げたいことは、わたしは自分自身の足跡、いいかえれば、自分の生きてきた証をこの世に残すことではないかと思っています。

 

 

 

 

自分自身しか成しえないことをして、この世に自分の軌跡を刻むという望みです。けれども、現代の日本において、これは非常に難しいといわざるをえません。

 

 

 

 

たとえ定職に就かずフリーターのままずっといたり、学校にも行かず毎日バンドで音楽ばかりしていたとしても、現代の日本ではけっして珍しいことではなく、そういう生き方もあるのかと世間的に受け入れられるかもしれません。

 

 

 

 

しかし、それだけでは自分の足跡を記すという、わたしが人間の本能的な望みであると考えるものには彼らは近づくことさえできません。

 

 

 

 

つまり、社会が成熟すればするほど、その社会の中で個人的な特異性を際立たせることは難しくなります。

 

 

 

 

現代の日本のように、あらゆる物資的なものがそろい、あらゆる価値観が許容される社会になればなるほど、個人は社会の中に埋没してしまうことになるのです。

 

 

 

 

価値観の多様化は、個人的な特性を社会の中に埋もれさせてしまうように働き、その結果として、個人的特殊性という自らの軌跡を描くことが難しくなり、個人的特殊性、つまり一般的に言ってしまえば個性は画一化してしまうとわたしは考えます。

 

 

 

 

現代は個性化の時代と言われながら、実際には画一化されているようにしか思えないのです。

 

 

 

 

そして、この画一化に乗り遅れた不器用な人たちがひきこもりの人たちではないでしょうか。

 

 

 

 

均質な日本の若者構造にひきこもりの人ははじき出され、行き場を失い、ひきこもってしまうのでしょう。

 

 

 

 

そして、だからこそひきこもりの人は個人的特殊性を得るために、一発逆転を夢見るのではないでしょうか。

 

 

 

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