さまざまな「ひきこもり」のケース
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さまざまな「ひきこもり」のケース

 

 

 

実際に外側から見て明らかなひきこもりにはいる以前に、心理的にはすでに何年も前からひきこもっていた、と語る人がいます。

 

 

 

 

自分のなかに何か違和感のようなものが生じ、それが少しずつ積み重なって巨大な塊になるまでの時間がそれにあたるのかもしれません

 

 

 

 

ここでは、青年期にあたる年代の子どもたちを中心に、ひきこもりからみえるものについて、考えてみることにします。

 

 

 

 

そのために前半でひとつのケースを描き、後半では他のケースもあわせながら、そこに現れているものについて語っていくことにします。

 

 

 

 

そのケースは、ひきこもって以降、自分の力だけで何とか解決していこうとしながらも、それがうまくいかず、親に助けを求め、問題を解決していった4年間ひきこもっている状態を呈していた高志君のケースです。

 

 

 

 

ケース1  高志くんの場合「もう死にたい」

 

 

 

 

「息子が死にたい、死にたい・・・・でも死ねない、と電話で言ってくるのです。どうしたらいいでしょうか」・・・・はじめて当支援センターを訪れ、面接室の椅子に座るなり、高志君の母親が口にしたのは、この言葉でした。

 

 

 

 

母親によると、高志君がひきこもりの生活に入ったのは4年前です。高校を卒業して大学に入ってしばらくしてのことでした。

 

 

 

 

当初は、「その大学に合わない。だから浪人して別の大学に行こうと思う」という彼の言葉を信じて、自宅浪人というかたちに切り替えたのですが、そのままずるずると自分の部屋にひきこもり、翌年大学を受験することはありませんでした。

 

 

 

 

彼はそのとき、その大学を退学したい、と希望したのですが、両親はどうなるかわからないからと、彼には内緒で休学の手続きをとりました。

 

 

 

 

昼間は父親は会社へ、母親は週の半分ほどパートの仕事に出かけていたため、2人とも朝、高志君の顔を見るということはあまりなく、昼間も彼が何をしているのかは、わかりません。

 

 

 

 

昼食用にと置いておくおくこづかいがなくなっていることから、自分でコンビ二などで買って食べているようでした。

 

 

 

 

夕食は、最初のうちは呼ぶと自室から出てきて、母親と一緒に食べたりもしていたのですが、いつのころからか、呼んでも返事はなくなりました。

 

 

 

 

そこで彼の分だけ食卓の上に置いておく、それを夜中、家族が寝静まってから彼が食べます。

 

 

 

 

彼の生活は、夜起きていて朝方に寝る、という昼夜が逆転したかたちになっていきました。

 

 

 

 

両親は2人とも、もともとおしゃべりなほうではなく、必要なことだけを話すタイプです。

 

 

 

 

彼は、幼いころは母親の後を追いかけながらよくしゃべっていたということですが、ひきこもりに入ったころからは、必要最低限のことだけを単発的にいう、というように変わり、親子の間に会話はほとんどなくなっていました。

 

 

 

 

彼が何を考えているのか、何をしているのか、親にはまったくわかりません。ただ時折もれ聞こえてくる音から推測するに、夜中、自室でテレビを見たりCDを聴いたりしているようです。

 

 

 

 

また時にはうめき声や、低く押し殺した声で、「ちくしょー」という声も聞こえてきます。

 

 

 

 

それを聞くと苦しんでいるのだろう、とは思います。はれものにさわるように、彼を刺激しないように、ということだけを考え、静かな家はいっそう静かになりました。

 

 

 

 

いえ、静かというよりも、自由に話したり行動したりするのではない、たとえばくしゃみひとつするのにも、どこかで気を使いながら・・・・・という、不自然な空気に包まれた生活になっていきました。

 

 

 

 

彼は家族がいる間は、できるだけ誰とも顔を合わせないようにしているようで、トイレにもあまり出てきません。

 

 

 

 

こんな生活がよいはずはない・・・・とは思う、でも家族としてどうしたらいいかわからないという状況が続いています。

 

 

 

 

父親も母親もともに、早く立ち直ってほしい、と念じながら毎日を過ごしてきました。

 

 

 

 

結局大学を辞めて2年後、彼は一校だけ、自宅から遠方にある大学を受けて合格し、下宿するために家を出ました。

 

 

 

 

両親は、彼がやっと立ち直ったとほっとしました。ところが、そこでもふたたび、彼がせっかく入った大学にほとんど行かないまま、ひきこもりの生活になっていた、ということを両親は1年ほどたって、休学の手続きをとってほしい、という彼からの電話での要請によって、はじめて聞かされたのでした。

 

 

 

 

両親はそれまで、「来るな」という彼の言葉をそのままに受け止め、学費と生活費は送るけれども、下宿を訪ねたことはなかったそうです。

 

 

 

 

そしてその電話をしてきたあとから、彼はときどき夜、家に電話をかけてきて、ぽつぽつと母親に話をするようになったのです。

 

 

 

 

「僕は人が怖い。でも孤独にも弱い。どうしたらいいか、わからない・・・・また大学に入ったのは、自分で何とかやり直しをしたいと思ったから。

 

 

 

 

母さんはそんな俺の気持ちをわかっていたか」というもので、親をなじるのです。

 

 

 

 

「心配してるっていったって、そんなの口だけ。いったい何をしてくれたっていうんだ。

 

 

 

 

俺が苦しんでいたとき、何もしてくれなかったじゃないか・・・・」等々です。

 

 

 

 

最初のうち母親は、夜な夜なかかってくる電話、しかも一度話が始まると綿々と2、3時間は続く「淋しいよ、つらいよ・・・」という訴えと親非難の話に辟易しながらも、「しっかりしなさい」と励ましたり、「いい加減にしなさい」と叱責したり、頭にきて電話を切ってしまったりしていました。

 

 

 

 

その年の夏のころの話です。「みんながうきうきして楽しそうにしているこの間、俺がどんだけさびしい思いをしたか、お前らにわかるか!」と言いました。

 

 

 

 

「そんなに苦しいんなら、もう大学をやめて、こっち(家)に帰ってきたら」と母親が言うと、「何とか出直そうと思って、やっと出てきたんだ。それをどう思っているんだ。家に今戻ったって、何も変わらない。そんなことをするくらいなら、死んだほうがましだ!」と言いました。

 

 

 

 

そんな生活がさらに1年ほど続き、最近特に「死にたい」という言葉が多くなってきて数日来、電話がかからなくなってきました。

 

 

 

 

それで、心配してこちらから電話をかけるとコードを抜いてしまっていて、つながりません。

 

 

 

 

かかってきた一番最近の電話では、母親が、「そっちに行こうか」と言ったら、「来るな!」と思い切り怒鳴られて切られてしまいました。

 

 

 

 

自分はどうしたらいいのだろうか・・・・と悩んでいました。わたしが母親に出会ったのは、このときでした。

 

 

 

 

わたしはこのとき、彼のひきこもりが何によって起こったのか、家族との関係はどうなっているのか、父親はどう考えているのか・・・・などについては、まったくわかっていませんでした。

 

 

 

 

また、それをきちんと聞く時間的ゆとりもありませんでした。そのときのわたしは彼が今、危険な状態であり、何とかこれに対処しなければ、ということだけを考えていました。

 

 

 

 

もちろん「死にたい」ということが、「実際の死」とすぐにつながるというわけではありません。

 

 

 

 

しかし、死ということに直結しなかったとしても、この事態を親がどう対処するかで、今後のこの家族の方向性が決まるだろうと考えていました。

 

 

 

 

そこでわたしは母親に、「息子さんのことをわたしはまだ、よくわかっていません。

 

 

 

 

ただ、これまでお母さんに電話で訴えていた気持ちは、まさに彼の今の気持ちそのものだろうと思うのです。

 

 

 

 

彼が今、お母さんに伝えたいのは、本気で自分が死にたいと思っているくらい、つらいということなのではないでしょうか。

 

 

 

 

彼が二度目の大学で再起を図ろうとしたのだとしたら、それに彼は失敗しています。

 

 

 

 

どれほどの挫折感か、わたしたちには計り知れないほどのものではないでしょうか。

 

 

 

 

今までの彼は親に内緒にし、自分ひとりで抱えてきていました。ここ一年、お母さんに電話で心情を訴えるようになっています。

 

 

 

 

今度は「死ぬ」といって電話のコードを引き抜いたりもしています。少しずつ、お母さんに近づいてきているようにわたしには思えます。

 

 

 

 

ここが勝負のときです。もしもうまくいけば、このメッセージがこれからの彼との関わりの糸口になってくれるように思えます。

 

 

 

 

親として彼の訴えにどう対応してくれるか、というギリギリの問いかけを彼がしているように感じます。

 

 

 

 

ここをはずしたら、彼は死を選ばなかったとしても、ふたたびひとりきりのひきこもりに戻ってしまうかもしれません。

 

 

 

 

そのためには、今日にでも、無理なら明日一番で、彼のアパートに行くことではないでしょうか。

 

 

 

 

できれば電話で、それでつながらなければ、時代錯誤のようだけれども、電報を打ってから出かけられるといい、と思います」と伝えました。

 

 

 

 

母親は、わたしの言葉に消極的でした。「あの子は来るな、来ても部屋には入れないといっているのです」

 

 

 

 

わたしは、「そうです。わたしも彼がすぐに部屋に入れてくれるとは思っていません。

 

 

 

 

きっとお母さんを締め出すでしょう。ですからお母さんも、近くに宿をとって、数日かかるくらいのつもりの覚悟で行ってください。

 

 

 

 

毎日必ず訪ね、ドアの外から声をかけてください。彼の好きなものをコンビ二で買って、ドアのノブにかけておいてもいいでしょう。

 

 

 

 

しばらくいて、それから明日また〇〇時に来るからと声をかけてから帰り、その決めた時間に訪ねるようにしてください。

 

 

 

 

これを繰り返してください。おそらく、彼はそうやって、お母さんがどれだけ自分のために無駄な時間を使ってくれるか、それをためすと思います。

 

 

 

 

心配している、ということを身体で、目に見える行動で表現してください。彼が来るな、来ても入れないと言っているのは、それでも来てくれるか、それでも俺のことを心配してくれるかというギリギリの問いかけのようにわたしには聞こえるから」と言いました。

 

 

 

 

それでも母親は、あまり納得がいかないようでした。「わたしも忙しいのです。すぐには仕事の調整がつきません。

 

 

 

 

来週になったら休暇がとれるかもしれないけれども・・・・」と言います。わたしはこれを聞いて「まだ、ちょっとよくわかっておられないようだ」と、ちょっとがっかりしました。

 

 

 

 

すぐに出向くのと、来週行くのでは、天と地ほどに差があります。来週行っても、緊急対応にはなりません。

 

 

 

 

そこでわたしは次のように、もう一押ししました。「わたしが電話や電報で、といったのは、せっかくお母さんが行くのであれば、彼に会うまでの間に、自殺を図られるといけないから、それをくいとめるためです。

 

 

 

 

お母さんが自分のことを考えていて、もうすぐここに来てくれるというイメージで、彼を支えたいのです。

 

 

 

 

彼のひとりぼっちで心細い心のなかに、自分を心配してくれるお母さんのイメージを育てたいのです。

 

 

 

 

もしここでお母さんに仕事を優先されたら、どう弁明しても、彼よりも仕事を大事にしたことになります。

 

 

 

 

どんな場合にも例外というものが、つまり急な用事ということはあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

何を置いても自分のために駆けつけてくれるお母さん・・・・それだけが今の彼を支えるのではないか・・・・という気がします。

 

 

 

 

もしもお母さんがそれに応えなければ、彼は本当に死ぬかもしれません。彼が死んでからでは、遅すぎるのではないでしょうか。

 

 

 

 

わたしには、非常に危険な状態にあるように思えます」と脅すような残酷なことを母親に伝えました。

 

 

 

 

母親はそれでも「仕事何とかできるかな・・・」とつぶやいていましたが、最後に、「あの子のアパートのカギを実は持っているのですが、それを使って入ってもいいでしょうか」と言いました。

 

 

 

 

わたしは、「まず、初日は待ってください。強引に入るには、準備段階が必要です。

 

 

 

 

まずは彼にお母さんをほかさせてあげて、ドア越しの対話からはじめてください。それが必要です。

 

 

 

 

そしてカギを使うときは、ごめんね、どうしても心配だから入るよと一言声をかけてから入ってください。

 

 

 

 

暴力をふるわれるかもしれない、叫ばれるかもしれません。でも、何もしないでこのまま・・・・ということのほうが事態は悪いとわたしは思います。

 

 

 

 

そしてこちらに戻られるときには、そうしても心配だから、必ず毎日、電話にだけは出るように、という話ができるといいですね」

 

 

 

 

と伝え、お別れしました。それから1ヶ月ほどして、お母さんはひきこもり自立支援センターに来所されました。

 

 

 

 

「夫とも相談して、あれからすぐにあの子のアパートに行きました。先生に言われたようにしました。

 

 

 

 

初日は会ってくれませんでした。二日目もだめでした。それぞれ1時間くらいは部屋の前にいました。三日目は怖かったのですが、勇気を奮ってカギを開けて部屋に入りました。

 

 

 

 

彼は部屋の隅にうずくまっていました。わたしは玄関の壁際に立って、そばらくそこにいました。

 

 

 

 

最初のうち、彼は不満そうでした。わたしも正直に言うと、怖かったです。でも腹を決めて、ぽつぽつと話しているうちに、しだいに彼もほぐれてきて、話し出してくれました。

 

 

 

 

「このままじゃ生きていけない。人間が恐ろしい。人間がいる限り、自分は外へは出られない。

 

 

 

 

夜コンビニに行くだけで精一杯だ。家を出たのは、これ以上家にいてもどうにもならないと思ったから。

 

 

 

 

東京で失敗した分、ここでやり直したかった。賭けたんだ。でも・・・・。もう大学を辞める。このままじゃあ、行けないもの。

 

 

 

 

絶対に後悔しないから、やめる手続きをとってくれ。病院に行って治療を受ける。そして、よくなったら働くよ。

 

 

 

 

しっかりと病院にも通いたい。きちんと治したい」と言いました。ですのでわたしは、どういう病院があるか、東京に戻ったらすぐに探してみると伝えました。

 

 

 

 

彼には以前、生活必需品を買うようにとお金を渡してあったのですが、みるとあまり揃えていません。

 

 

 

 

「電子レンジくらいあったほうが便利じゃないの?」と言ったところ、「そうだね」と返してきました。

 

 

 

 

そこでわたしがその日のうちに電気屋さんに言って、届けてもらいました」ここまで聞いてわたしは、まずはよかったと思いました。

 

 

 

 

病院に行きたいと言ったり、電子レンジを買おうと言うことは、生きようとする気持ちが少しは出てきた証拠です。

 

 

 

 

母親は「帰ったら、野菜や缶詰などを宅配便で送るから、ということと、自分から夜九時ごろに電話をかけるから、必ず出るように」と言って、東京に戻っていきました。

 

 

 

 

宅配便は届く時間がわかれば、気持ちを整えて出てみるとのことでした。それ以降、彼は毎日電話に出るようになっているとのことです。

 

 

 

 

「先生にああいわれたときは、どうしてそんな無茶なことを言うんだろう、ひどいな、と思いました。

 

 

 

 

でもあの子がこのままじゃ生きていけない、なんて思っていたなんて・・・・あの子は自分は人間じゃないかもしれないなんて言うんです。

 

 

 

 

人間は気持ちが汚い。誰も信じられない・・・・と言っていました。そんなことを思って苦しんでいたなんて、親のわたしはぜんぜん気づきもしませんでした。

 

 

 

 

夫はまだ、わがままだ、としか言いません。でもわたしは少しあの子のことがわかってきた気がします。

 

 

 

 

「母さんが来てくれなければ、本気で死のうと思っていた」と言われ、帰るときには「ありがとう」と言われたのです。

 

 

 

 

高志とこんなに長い会話をしたのは、そして長い時間をかけて話をしたのは、何年ぶりだったことでしょう」と母親は語られました。

 

 

 

 

もちろんこれで話が終わったわけではなく、ここから高志君親子の歩みがはじまったのでした。

 

 

 

 

最初のうち、母親は、彼が小学校から高校まで、ずっと元気印の子で、友だちも多くて、何の問題もなく明るく元気にやっていたと語っていました。

 

 

 

 

だから「あの子に限って大丈夫なはずだ」と母親は思っていました。でも、以降の約束した九時コールのときに、高校のときに部活動でうまくいかずに挫折を味わい、みじめな気持ちになったこと、そこからガラガラと何かが崩れていったこと、それからあとは、何がどうということはわからないが、だんだん人が怖くなっていったこと・・・・などのことが語られました。

 

 

 

 

一方、母親は、彼に頼まれたようにすぐに、彼の住んでいるところから近くに総合病院があり、そこに精神科があるということを調べ、連絡先を彼に教えたそうです。

 

 

 

 

実はこの話を聞いて、わたしは少し心配になりました。彼は、人が怖いと言っています。

 

 

 

 

母親に探してくれ、と頼んだのは「自分をきちんと受け入れてくれるところを探してくれ」という意味だったのではないか、とわたしには聞こえました。

 

 

 

 

「まだ彼が行っていないのであれば、お母さんが最初に行って、先生とコンタクトを取ってから彼をそこに行かせたほうがよいように思うけれども」とお伝えしたのですが、「あの子は病院に早く行って早く治りたいと言っているので」と、わたしが感じた不安については、今ひとつピンときていないようでした。

 

 

 

 

でも、次の面接のときに「先生、たいへんなことが起こりました」と言ってきました。

 

 

 

 

母親の探した病院を受診したところ、いろいろ話をした挙げ句、「そんなことでわざわざなんでこんな遠くまで来たのか」と担当の先生に言われた。

 

 

 

 

だから母さんの言うことは信じられない、どんなに自分が勇気を振り絞って行ったと思っているんだ」と電話口でさんざんに言われたということでした。

 

 

 

 

わたしが気にしていたことが、起こったのでした。実際にその担当の先生がどういわれたのか、あるいはどういう意図で言われたのかはわかりません。

 

 

 

 

彼の受け止め方が、極端だったのかもしれません。ただ、これと似たようなことはしばしば起こります。

 

 

 

 

ひきこもりの子どもたちは、「はじめて」の場面、「はじめて」の対人関係が極度に苦手です。

 

 

 

 

もしも行くとしても、高志君の場合と同様に、もてる限りのありとあらゆる勇気を振り絞り、ない元気を総結集させてやっとの思いで出かけます。

 

 

 

 

本人のそこにかける思いが熱ければ熱いほど、窓口の対応、担当の先生のひと言ひと言、看護師さんの態度まで、そのちょっとしたことでも傷つきやすくなっているのです。

 

 

 

 

ただでさえ鋭敏な神経が異様なまでに研ぎ澄まされた状態になっている、といってもよいでしょう。

 

 

 

 

何気ない言い方やしぐさで「自分はばかにされた」「あしらわれた」と思い込み、二度と、そこに行かないということは多いのです。

 

 

 

 

悪いことに、一度そういう体験をすると、「また」傷つくことを恐れて、別の援助機関を探すという行動がなかなか起こらなくなる、という副次的な影響も生じます。

 

 

 

 

こういう場合には、慎重さが必要です。先にわたしが伝えたように、誰かが橋渡しのようなかたちであらかじめ受診し、本人のあらましを伝えることが役立ちます。

 

 

 

 

そして親が「この先生はうちの子にはあわないかもしれない」と思えば、別のところを探せばいいのです。相性というものは、必ずあるのですから。

 

 

 

 

そしてまた、親が最初に出向いていると、その援助機関の雰囲気やシステムについて、子どもに伝えておけるため、「はじめて」という緊張感を少しやわらげることができます。

 

 

 

 

母親は息子の「早く」という、語られた言葉だけをそのまま、真正面から受け止めたために、「怖い」という語られなかった気持ちのほうを落としてしまったのでした。

 

 

 

 

つまり親が援助機関を捜す場合に大切なことは、有名な先生を見つけようとするのではなく、「うちの子にあう先生」「うちの子の話にしっかりと、きちんと耳を傾けてくれる先生」を探すということです。

 

 

 

 

よく有名な物書きや知名度の高い先生なら間違いない、あるいは大きな病院なら間違いない、と思っている人が多いのですが、それは間違いです。

 

 

 

 

自分の足をつかい、自分の目と耳、その他の感覚すべてで実際に確かめて、無理なく通える範囲で、「うちの子の先生探し」をするといいのです。

 

 

 

 

彼はそれ以降も「死ぬ」という言葉を使って、胸のうちの苦しさを訴えました。母親はとにかくしっかりと電話の話に耳を傾け、病院の件については思慮が足りなかったと詫び、次の病院に関しては、母親が実際に足を運び、探すことを約束しました。

 

 

 

 

彼は「もう、あんな思いは二度といやだ。もう病院には絶対に行かない」と言ったということで、母親は「無駄になるかもしれない。しばらく、様子を見たほうがよいのではないか」と聞いてきました。

 

 

 

 

わたしは、「確かに今、彼がすぐに次の病院に行けるかどうかは、わかりません。でもやはり、彼が自分で直接行くというのは難しいでしょう。

 

 

 

 

彼が再びその気になったときにお母さんが動き始めても、そこですぐに受診できるというものでもないと思います。

 

 

 

 

いくつかはじごをするとなると、案外時間がかかるものです。ですから、そのときのためにお母さんのほうは今、すぐに用意しておくほうがいいのです。

 

 

 

 

それは、ただ病院につなぐという意味だけではなく、お母さんが自分のために、すぐに動いてくれたという事実が彼にとって大切なのです。

 

 

 

 

それは自分のことを親が真剣に考えてくれている、ということの証になるのではないでしょうか」と伝えました。

 

 

 

 

それを受けて母親は、いくつかの病院を訪ね、「この先生なら」と思える先生に出会いました。

 

 

 

 

だからといって、もちろん彼がそこで大丈夫、という保証はどこにもありません。

 

 

 

 

しかしそこから先は、彼がその先生との間で、試行錯誤を繰り返すしかありません。

 

 

 

 

もちろんこういうプロセス自体を、本来は彼が自分でやれるようになることが目標です。

 

 

 

 

しかしそれは遠くの目標であり、はじめは手助けが必要です。ちなみに、何でもかんでも最初から親が手助けし、あまりに子どもの肩代わりばかりしていると、子どもの依存欲求だけを高めてしまい、自分でやろうとする気持ちを遠ざけてしまうという心配が起こってきます。

 

 

 

 

しかし高志君はそうではなく、あくまでも「自分で」やろうとしています。彼は親に甘えるということを極力避けています。

 

 

 

 

「自分で自分で」といっているその気持ちは大切ですが、実際にはまだ難しいです。

 

 

 

 

それを真に受けるのは「本人のがんばろうとする気持ちに安乗りしている」ことになってしまう危険があるのです。

 

 

 

 

わたしたちには、言われた言葉だけでなく、その奥に秘められている思いのほうも想像して対応するセンスが求められているのです。

 

 

 

 

さて、それから数ヶ月ののち、彼は親の見つけた病院に通い始めました。どこは電車で15分ほどの距離にあるところでした。

 

 

 

 

しかし今の彼は、下宿から駅までバス、、ついで電車とい行程をこなすのは難しいと思われました。

 

 

 

 

わたしは母親に、「彼は自分からはおそらく要求しないでしょうが、最初からバスと電車をつかうのは、それだけで緊張してしまうでしょう。

 

 

 

 

病院通いが軌道に乗るまで、しばらく出費がかさむけれども、タクシーを使っていいということを提案してみてはどうでしょうか」と話しました。

 

 

 

 

ちなみに、彼は最初はタクシーを使っていっていたのですが、数ヶ月たつと、地下鉄を使って行けるようになり、そのまた半年後には自転車があるといい、ということで自転車を買って通院するようになりました。

 

 

 

 

このようにただ病院に通うという過程も、スモールステップで一歩一歩進めるのがコツです。

 

 

 

 

もしも最初のタクシーの費用を惜しんで歩いて行け、と言っていたら、彼はその病院にも行けなかったかもしれません。

 

 

 

 

ひいては自転車で外出する、という奇跡に近いことも起こらなかったかもしれません。

 

 

 

 

最初のうち、父親は母親同様、何がなんだかさっぱりわかりませんでした。父親は50代、一生懸命に家族のために働いてきました。

 

 

 

 

子どもが大学に行かずにひきこもったときも、別に大学に行きたくないのなら、働けばよいと考えていました。

 

 

 

 

ですからすぎに働かない彼を、父親は理解できず、単なる怠け、わがままとしか捉えていませんでした。

 

 

 

 

ですから母親が電話で対応し、駄々をこねられて困らせれているような様子を見て、母親のことを心配しては、「僕が出ようか」と母親に言ったりもしていました。

 

 

 

 

父親は息子のことを放り出していたのではなく、ただ高志君が父親と話をすることを避けていたので、母親に任せていたのでした。

 

 

 

 

とはいえ、毎晩息子からかかってくる電話は、けっして穏やかな内容ばかりではありませんでした。

 

 

 

 

電話口から怒鳴る声が聞こえてくることもあります。時折、息子のところに母親が通うのも、気になってきました。

 

 

 

 

そこであるとき父親が思いつめて、「いつまでえも親がお金を出しているから、彼は甘えているのではないだろうか。

 

 

 

 

これまで自分たちは、保護しすぎたのではないだろうか。経済的な支援を断ったらどうだろう」と、母親に言ったということが、面接のなかで母親から語られました。

 

 

 

 

確かに経済的な支援を絶つ、というやり方はあります。しかしそれを「あるとき突然、明日からそうする」と宣言されては、子どもはどうしたらよいのか、途方にくれるだけです。

 

 

 

 

経済的な援助を打ち切れば働くようになる、ということではありません。前進させるためには、ある程度(半年なり一年なり、あるいはもっと長期)の時間幅をもたせ、しっかりと本人と話をしておくことが必要です。

 

 

 

 

あるとき彼は、「自分が大学に行っていれば授業料として払った、半期分の数十万円を使わせてくれないか」と言ってきました。

 

 

 

 

「ただし、それをどのように使うかはいえないし、もしもそれで失敗したら死ぬ」と言いました。

 

 

 

 

父親はこのときふたたび、とにかく全額渡し、それで経済的支援を完全に打ち切るというのはどうだろうと言っていました。

 

 

 

 

これを聞いてわたしは、高志君が思慮深く考えて、というよりも、一か八かの挑戦をしようとしているように思え、あまり賛成する気持ちになりませんでした。

 

 

 

 

とはいえ、彼が大きなお金を要求してきたことは、これまで一度もなく、今回が初めてのことです。

 

 

 

 

それを大事にしたいという気持ちも起こります。そこで、そのかたちですぐに出すのではなく、本人と話をして、たとえば五万でも十万円でも、まとまったお金を渡して、その後少しずつ相談していく、というようにしたらよいのではないか、というアイデアを出しました。

 

 

 

 

彼らが動こうとするとき、しばしばこのように「うまくいけば吉、失敗したら死」のように短絡的に考えがちです。

 

 

 

 

そしてそのプレッシャーのために結局のところ失敗してしまう、ということが起こります。

 

 

 

 

彼らに必要なのは、少しずつ、徐々に成功と失敗を繰り返していくプロセスです。

 

 

 

 

それをこのお金という提案を使ってやってみることができないか、とわたしは考えたのでした。

 

 

 

 

またしばらくして、彼はパソコンがほしい、と言ってきました。病院で偶然知り合った人と友だちになり、メール交換をしたくなったからのようでした。

 

 

 

 

ちなみに、父親はコンピューター関係には詳しいようです。苦しいという自分の気持ちを父親に語ることは難しくても、コンピューター関係の話ならできそうです。

 

 

 

 

この件に関して、父親と電話でやりとりしていくうちに、父親自身、はじめて息子と何年かぶりに言葉を交わし、彼の気持ちが少しわかったようでした。

 

 

 

 

電話を切るとき、父親が彼に、「焦らずにじっくりやれよ」と声をかけていたと母親が話していました。

 

 

 

 

とはいえ、どうしてもついついがんばれコールになってしまうときもあり、そんなときには、彼はあとで母親に対して荒れていました。

 

 

 

 

そんなやり取りをしながら三年ほどたったあるとき、彼のアパートに母親だけでなく、父親もはじめて出向きました。

 

 

 

 

そのとき父親が彼に、「自分たち夫婦は学歴はないけれども、身体を動かすことができる。好きとか嫌いではなく汗を流して働いてきた。

 

 

 

 

お前に対しても、汗を流して働くことが一番だと思っている」と話しました。そうしたところ、「何でそれを今までちゃんと言ってくれなかったんだ」と言いました。

 

 

 

 

思えばそういう話をじっくりとしたことは、確かに今までなかったとのことでした。

 

 

 

 

それから彼は、やっぱり大学を受験する、いや働く、を繰り返し悩みながらも、運転免許を取得し、とりあえず汗を流して働くアルバイトを探し、やり始めました。

 

 

 

 

もちろん、人とのかかわることへの怖さは、まだ持っています。いえ、それが完全になくなることが目標ではありません。

 

 

 

 

そういう自分を抱え、そういう自分が過度に無理することなく生活できるようにしていくこと、そしてその自分の活動範囲を広げ、友達を少しずつ増やしていくことが当面の目標です。

 

 

 

 

せっかく決めても、アルバイトが長続きしないこともありました。わたしはそれを「自分にあう仕事探し」の時期と捉えるとよい、と母親にも高志君にも伝え、三日でやめたときは「三日は三日の得」と伝えました。

 

 

 

 

そして彼は、何回も仕事を変えながら、自分に合う仕事とその環境を探していきました。

 

 

 

 

大学を中退した高志君は、自分で自分を何とか立て直そうと親元を離れ、再度、別の大学での生活に挑戦しました。

 

 

 

 

しかし、自宅でひきこもっていた自分を強引に外の世界に移したその生活のなかで、彼はますます「人が怖い」と感じるようになり、アパートから出ることができなくなっていきました。

 

 

 

 

「人間が恐ろしい。人間がいる限り、自分は外に出られない」という高志君のこの言葉だけから推測すると、それは対人恐怖症の人の訴えに似ています。

 

 

 

 

しかし彼は母親への電話で、「どうやって人と関わったらよいのか、僕にはわからないんだ」と、人と関わる怖さゆえのかかわりのもてなさを嘆いています。

 

 

 

 

簡単にいうと、対人恐怖症は、自分が対人場面で緊張や不安を感じ、その結果として人から嫌がられるのではないかと恐れて苦悩し、人との関係を避けようとする神経症であるのに対し、ひきこもっている若者は、それ以前の「人との関わりがもてない」という苦しみを抱えているようにわたしは感じています。

 

 

 

 

同じように人を避けるのでも、人との関わり方そのものが「わからない」というのが、ひきこもりです。

 

 

 

 

高志君の場合、表現としては、対人恐怖症的な訴えではありますが、その底に、より深い意味での関係性の障害が潜んでいるようにわたしには思えました。

 

 

 

 

高志君は高校時代に友人関係でつまずいたということを、ひきこもりの直接的なきっかけとして語っています。

 

 

 

 

しかし、それまでの友人関係を聞いていくと、人とけんかしたり仲良くしたりしながら、関係を育てていく、という体験が少なかったことに気づきます。

 

 

 

 

彼はいつも、誰かと一緒にいたことで何となく仲間に入り、何となく楽しい、というような友だち付き合いや、積極的に仲間をつくったり、けんかしたあとでそのもつれを直していったり、というような体験はないようでした。

 

 

 

 

そして高校時代の部活動の折に、ある人から、自分の欠点を辛らつに指摘され、徹底的に批判されたことから、彼のなかの何かがガラガラと音を立てて崩れていき、立ち直れないほどに打ちのめされてしまった、ということのようでした。

 

 

 

 

この、大学に入学したものの、そこからひきこもりにはいった良子さんの場合も同様でした。

 

 

 

 

彼女は高校生までの間は、勉強ができ、成績が良いということだけで、クラスのなかである位置をしめることができました。

 

 

 

 

「勉強がよくできる」ということが、その他のことに関する免罪符になるということは、しばしばあることです。

 

 

 

 

彼女は勉強はよくできたので、友人や先生からそれなりの信頼感を勝ち得てはいたのでしょう。

 

 

 

 

高校まではそれでよかったのです。ただ、大学に入学し、これからはがり勉をやめて学生生活を楽しもうとしていた良子さんは、そのときはじめて自分がどのように人との関係のなかに入っていったらよいのか、わからない自分を見出し、途方にくれてしまいました。

 

 

 

 

部活に入ってみてもクラスのなかでも、うまく友だちをつくることができません。なじめず、とけこめず、次第に自分に自信を失っていきました。

 

 

 

 

それまでの彼女は、いってみれば勉強だけ、それ以外のことは何もしていません。「誰かと遊びに行きというようなことは時間の無駄。そんな暇があったら、英単語の一つでも覚えたほうが、数式の一つでも解いたほうが効率的。

 

 

 

 

友人関係で他の人のことを一緒に悩んだり、おしゃべりをして時間が過ぎるなんて愚かなこと」と考え、彼女は、友人との関係をきちんと育む、ということをしてきていませんでした。

 

 

 

 

友だちとのかかわりは、楽しいことばかりではなく、誤解されたり傷つけられたりもするし、いやなことも起こります。

 

 

 

 

でもその傷を癒してくれるのも、関係そのものです。うまく自分の言いたかったことが伝わらずにもつれたり、窮屈になったり、誤解したりされたり、あるいは意地悪をしてしまったりされたりしながら、それをひとつひとつ解決していく体験の積み重ねが、人と「ともにある」という喜びの気持ちを育て、ゆたかな人とのかかわりのなかで生きていくことを可能にさせます。

 

 

 

 

高志君も良子さんも、しっかりと人との関係をつくるという体験をしてこないままに成長し、あるところで自分の対人関係の難しさに直面し、人と関わるということに対して恐れを抱くようになったと思われました。

 

 

 

 

大学を中退し、社会に出てからひきこもるようになった真一君も高志君と同様、人と関わることへの不安や怖さを訴えていました。

 

 

 

 

「孤独。置いていかれることへの、いいようのない不安。そして人と関わることへの恐れ。

 

 

 

 

人に何かを言われたことで動けなくなる自分。人にどう見られているかでぶれてしまう弱い自分・・・・」

 

 

 

 

彼もまた高志君と同様、人との関係を求めながらも傷つくことを恐れ、そのために自分に対する強烈な頼りなさを抱き、そして何もできないことに自分への幻滅を深めていきました。

 

 

 

 

真一君の自分への幻滅をわたしなりに理解しようとすると、次のようになります。

 

 

 

 

彼の人間観察の目はしっかりしたものですし、彼は相手の人となりを明快に分析し、批判することは実に優れています。

 

 

 

 

しかし、それは自分ひとりの世界、あくまでも頭の中だけでのことです。でも、家族以外の誰かに何かを指摘されたり問われると、その場では情けないくらい何もいえません。

 

 

 

 

まるで頭がフリーズして(固まって)しまうのです。すぐに応答できないのは、まずは相手がどういう意図や意向でそれを言っているのかを裏読みし、さまざまに考えをめぐらせるため、テンポがずれてしまうということがあります。

 

 

 

 

またそれ以外にも、自分が返答すると相手がそれをどのように受け止め、応じるかということばかりが気になるため、ということのようでした。

 

 

 

 

だから「その場」では何も応答できず、動けないのです。そして家に戻って、相手が目の前からいなくなったところで頭を働かせ、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と怒りとともに相手の言ったことの矛盾や問題点を、家族を相手に論破しまくります。

 

 

 

 

しかし、家族を相手にそんなことをしてみたところで、どうにもなるものでもありません。

 

 

 

 

彼は自分の鋭い人間観察の目や分析のメスを、相手との生きた関係のなかでまったくつかうことができないのです。

 

 

 

 

せめて家族を相手に、そのメスをふりまくるだけです。そんな自分に幻滅感を抱いたとしても、それは無理からぬことでしょう。

 

 

 

 

こういうかたちでひきこもっていることに圧倒的な負い目を感じつつ、しかもどうすればいいのかということが頭ではわかっていても、いまさらそこに踏み出していくことに二の足を踏んでしまいます・・・・。

 

 

 

 

ここに、ひきこもりからの脱却を難しくさせているからくりを、見ることができます。

 

 

 

 

何かが起こったとき、「人に問い返してみる」というのも、「生きたかたちで人との関係をつむぐ」行為のなかにはいります。

 

 

 

 

ひきこもりにはいる子どもたちは、たいていの場合、相手に問い返してみるということが苦手です。

 

 

 

 

傷つくことが怖い、だから問えない。問えないがために真実がわからない。だからどんどん、相手の対応を自分勝手に悪いものへと変質させていき、「相手は自分にいやがらせをしているに違いない」「自分を馬鹿だと思っているに違いない」と被害的に捉えるようになっていくことが多いのです。

 

 

 

 

たとえば中学生くらいのとき、いつも一緒に行動しているグループに、教室移動の際に自分だけ置いていかれたとしましょう。

 

 

 

 

そのとき「どうしてわたしを置いて行っちゃったの?」と彼らに聞くことができれば、何か答えが返ってくるでしょう。

 

 

 

 

もしかしたら、そこにいたメンバー間でたまたま話が盛り上がってしまい、うっかり忘れられてしまったのかもしれません。

 

 

 

 

先にもう行ってしまったと勘違いされたのかもしれません。あるいは、ちょっと意地悪をされて置いてきぼりにされたのかもしれません。

 

 

 

 

ただ「置いていかれる」としても、理由は複数考えられます。しかしその理由はたいていの場合、「あってないようなもの」でしょう。

 

 

 

 

いろいろなことが起こるのが、人と人との関係です。時にはほったらかしにされ、時には大事にされ、と、時宜に応じてくるくると変わるのが生きた関係です。

 

 

 

 

しかし、彼らはこのように弾力的に考えることが身についていません。「もしもうっかりして、何となく忘れられたにだとしたら、それが一番傷つくこと。だって、それだけ自分が重要な存在ではない、という証拠だもの」と言われそうです。

 

 

 

 

彼らは概して高いプライドを持っていますが、それは地に足がついたしっかりとしたプライドではなく、極端な自信のなさを裏側に秘めた、実に危うげなプライドです。

 

 

 

 

誰かに何かを言われたりされたりすると、すぐに木っ端微塵になってしまいます。

 

 

 

 

このように、ことさらに自分の存在意義や価値を他者との関係のなかに強く求める背後には、その子どものなかに「関係性に対する不信感や不安感」があり、その奥に「自分に対する自信のなさ」があるようにわたしは感じています。

 

 

 

 

高志君が母親との対話を回復させていった契機になったのは、「死ぬ」という脅しでした。自分が今、体験している苦しみから抜け出す可能性が見えてこないとき、人はしばしば死を考えます。

 

 

 

 

しかし、彼らは絶望して死を選択しようとしているのではありません。今まさに味わっている、地獄のような苦しみから逃れたい、でもこのままでは逃れられそうにない、何も変わらないのなら死んだほうがまし・・・・・と、変わることに一縷の望みを託して「死にたい」という言葉が発せられるのです。

 

 

 

 

変わりたいから、「死にたい」という言葉が発せられるのです。「死にたい」と親に言うとき、子どもは自分を人質にとって、親を脅しています。

 

 

 

 

それは、そういえば相手は真剣になってくれるのではないかという気持ちがあって、はじめてできる行為です。

 

 

 

 

つまらない言い方をするならば、親に愛されていると思えていない子どもは、「自殺する」という言葉を使うことなど、怖くてできません。

 

 

 

 

これは親の愛情をためす、一か八かの行為といえるのかもしれません。みんながみんなそう、というわけではありませんが、「自殺する」という言葉を語らずに実行してしまう子どもたちのなかには、親から心理的に完全に離れてしまっている子どもたち、あるいは親と根っこのところでつながっていると実感できない人たちがいます。

 

 

 

 

「死にたい」という言葉が語られるのは、「できることなら死なずに助かりたい、助けて」というサインでしょう。

 

 

 

 

関わりへの希求性が、そこにはあります。ですからまず、子どもが「死にたい」という言葉を発したときには、親はあわててください。

 

 

 

 

その実際の行為は、置いてある常備薬をまるごと飲んだり、かみそりで手首を切ったり、あるいは親の目の前で首に縄をかけてみたり、屋上に上ってみたり・・・・とさまざまです。

 

 

 

 

もしも親が気づいたら、どのような場合でも「なかったこと」にしないでください。

 

 

 

 

表立って騒いだり、「何て馬鹿なことを、二度とするんじゃありません」と叱責することがよいとは限りません。

 

 

 

 

それはただ、一方的に親の気持ちを押しつけることでしかなく、子どもの気持ちは置いてきぼりになってしまいます。

 

 

 

 

「なかったことにしない」というのは、完全に黙殺してしまわない、ということです。

 

 

 

 

気づいているのに知らん顔というのは、子どもにとって不気味でしょう。「親は自分が死んでもかまわないのか?」と思うほど、さびしく心もとないことはありません。

 

 

 

 

そんなふうに思ったら、いっそう気持ちはくじけ、弱ってしまいます。日々のかかわりのなかで親が、たとえば「身体を大事にね」とすれ違いざまに言ってみたり、「気づいたことがあります。聞きたいけど、あえて直接聞くことは止めます。

 

 

 

 

くれぐれも自分を大事にしてください」あるいは「ヤケをおこさないで」というようなメッセージを、メモ書きなどによって発信すれば、子どもの「やったこと」の意味が親子の間で共有されるでしょう。

 

 

 

 

そしてそこから、何がそれほどまでに本人を「死にたい」と考えさせているのか、何が変われば生きていけるのか・・・・それをいつの日か子どもと話し合うことができたら・・・・・・と、わたしは考えています。

 

 

 

 

高志君の場合同様、対話はしばしばそこから始まるのです。そういう意味では、危機は事態を変えていくためのチャンスなのです。

 

 

 

 

長期化したひきこもりの青年が、家から離れてアパートでのひとり暮らしをするという場合がしばしばあります。

 

 

 

 

それはその子どもがひきこもりから抜け出せたから、というよりもむしろ、社会的なリハビリテーションを兼ねてのひとり暮らし、というような意味のようにわたしは理解しています。

 

 

 

 

ですから、アルバイトができるようになっている、という場合もあれば、状態がよければ、保健所や民間団体のデイケアのようなところに行っている、ということもあります。

 

 

 

 

しかし状態が悪い場合には、やはり外出が困難になり、毎日の買出しすらできなくなります。

 

 

 

 

健介君の場合、高校を卒業してひきこもりはじめ、二十六歳のときに、家からすぐ近くのアパートに移りました。

 

 

 

 

そして病院に通い、デイケアに参加し・・・・・少しずつ社会との接点を回復していきました。

 

 

 

 

両親は最初のうちは、何がなんだかわからずにいました。やがて、「ひきこもりの子どもの親の会」に参加したり、勉強会にも出席しました。

 

 

 

 

頭では「そういう子どもも、自分の息子だけでなく社会にはたくさんいるんだ」とわかるようにはなったものの、やっぱり「どうしても自分には理解できないのです」と父親は言います。

 

 

 

 

「十年前には普通になってほしい、としか思っていなかったけれども、もうそうは思わない、彼なりの人生が送れればよい、と今では思うようになっています」と。

 

 

 

 

今、両親が困っていることが一つあります。それは、彼の調子が悪いときの対応に関してです。

 

 

 

 

具体的に言うと、両親は二人とも働いているので、日中は家には誰もいません。ですから、調子が良いときには、ときどき昼間家に来て、休んでいくのだそうです。

 

 

 

 

たとえば、新聞が散らかっているとか、洗濯物が置いてあったり、つくり置きしておいた食べ物がなくなっていたり・・・・・とその形跡があるときはよいのだけれども、アパートに閉じこもり完全にひきこもりに入っているときには、生きているのか死んでいるのか、その確認が取れない、というのです。

 

 

 

 

調子が良いときには、電話でのやりとりもできるのですが、不調になるとアパートの電話のコードを抜いてしまっているので、電話がかかりません。

 

 

 

 

また電話で「死にたい」と繰り返し言われるようなときに、「死なないで」というと、「俺みたいに親父のスネをいつまでもかじって、何も長続きしないようなやつは、生きていたってなんにもならない」とか「この状態で生きていろと言うのか!」と絡まれるだけで、これを言われると、言葉に詰まってしまうのだといいます。

 

 

 

 

そういうときにはアパートまで行っても、なかには入れてくれませんし、外でワイワイというのも変ですし・・・・いっそのこと、そのときはそのとき(死んだときは死んだとき)と覚悟をして放っておいたほうがよいのだろうかという相談が持ち込まれました。

 

 

 

 

わたしはそれに対して、「ご両親が本気でそう思っておられるのであれば、それでもよいのかもしれません。

 

 

 

 

でももし、息子さんに未練があるのであれば、後悔しないように、あがいたほうがよいのではないでしょうか。

 

 

 

 

俺なんか死んだほうが、親父たちにもいいだろうと言われて平気でしょうか?(という問いに、ご両親は首を横に振ります)もし本当にどうでもよいのなら、どうしてそんな年齢になった子どものアパート代と月々の生活費を出しているのでしょうか?(両親はうなずいています)

 

 

 

 

息子さんが絡んでくるのは、そういうコミュニケーションしかできないからです。だとすれば、彼にまず、しっかり文句を言わせてあげて、次にこっちも言いたい文句をしっかり言うことです。

 

 

 

 

一方的なのはよくありません。また不調のときには、電話に出るのはしんどいでしょう、そういうときの約束事を調子のよいときに決めておくとよいのではないでしょうか。

 

 

 

 

たとえば、電話をある時刻に三回鳴らす、それに対して向こうからも電話のベル音だけ、たとえば三回鳴らして返してきたら、それが「生きている」という合図です。

 

 

 

 

決まった時間に無理だというのなら、アパートに夕方必ず電気をつけ、朝は消しておくというような合図もあるかもしれません。

 

 

 

 

夕方にコンビ二で何かを買いだしてきて、アパートのドアのノブか前に置いておき、あとで見に行って、彼が取り込んでいれば生きている証拠とか・・・・。

 

 

 

 

いずれにしろ、何かとりきめをしておいたらよいし、それがうまくいかなければ、次のアイデアを親子で一緒に考えていくとよいのではないでしょうか」とお伝えしました。

 

 

 

 

どうでもよくないのならば、そのように行動してください。そうでないと、「どうでもよい」と勘違いされてしまいます。

 

 

 

 

「悔いが残らない」ということは難しいとしても、できるだけ後悔が少ないようにありたいものです。

 

 

 

 

ケース1の高志君は小学生のころからずっと、成績も比較的よく、友だちともよく遊ぶ子どもで、特に親が心配することはありませんでした。

 

 

 

 

母の日にはいつも、おこづかいをためて赤いカーネーションをプレゼントしてくれる、親思いの優しい子でした。

 

 

 

 

そんなこれにはじめてかげりがみえるようになったのは、高校2年生のころです。

 

 

 

 

部活で友人とうまくいかなくなって、悩んでいたことがあるのは、母親もちょっとだけ本人から聞いて知っていました。

 

 

 

 

でも、当時彼が相当悩んでいて、母親に相談したとき、「そんなこと、気にしなければいいじゃない」と軽く言ったということは、こうなって彼から聞かされるまで、まったく覚えていなかったそうです。

 

 

 

 

その言葉を聞いたとき、彼は「あー、母さんに話しても無駄だ、わかってくれない」と思い、愕然となったそうです。

 

 

 

 

それからの彼は、これまでの自分と母親との関係を振り返ってみました。ひきこもりにはいった子どもたちには、たっぷりとした時間があります。

 

 

 

 

その時間はしばしば、それまでの自分と友人や家族との関係を振り返るために使われます。高志君の場合もそうでした。

 

 

 

 

よく考えると、「自分は母親の話をよく聞くけれども、果たして僕の話をしっかり聞いてくれていただろうか?」

 

 

 

 

「母さんは本当に僕のことをわかっているのだろうか?」と疑問がわいてきました。

 

 

 

 

母親の頭のなかには、「母親自身が描いた高志」がいるようで、それに合致する話は受け入れてくれるけれども、それに合わない話は聞いてくれていないようだ・・・・母親の頭のなかに母親独自のフィルターがあり、彼の話を知らず知らずのうちに選別している・・・・だから母親の描いている「明るく元気な高志君」に都合の悪い話は聞いてくれません。

 

 

 

 

だからちぐはぐな助言になってしまう・・・・。これまでの母親との関係は、果たしてどういうものだったのか?

 

 

 

 

考えていくとだんだんわけがわからなくなっていったそうです。そのときから、彼が「死にたい」という言葉を皮切りに、「これまで〇〇されて、いやだった」など、苦情を母親に電話で綿々と語るようになるまでの4年間、彼は内奥の思いを母親に打ち明けることはありませんでした。

 

 

 

 

家を出たのも、「これは自分の問題」と捉え、自分ひとりで解決しようとしてきたことなのでしょう。

 

 

 

 

その努力は大切です。しかしそれでは解決できなかったときに、彼はついに、母親にそして両親に救いを求めたのでした。

 

 

 

 

そして母親との関係性、父親との関係性を修復していくことが、それを契機にはじまったのでした。

 

 

 

 

さて高志君がひきこもりにはいったのは、大学に合格してからしばらくたってからです。

 

 

 

 

高志君と同様に、大学に入ってからあるいは大学院にはいってから、突然「ひきこもり」になる子どもは多くいます。

 

 

 

 

その場合、いちばん単純に考えると、「その大学(大学院)が合わなかったから」ということになります。

 

 

 

 

しかしそういう理由で長期的なひきこもりにはいる子どもは、むしろ少ないのではないでしょうか。

 

 

 

 

というのも、もしも大学が希望通りではなかったとして、それがいわゆる不登校の要因になっているのであれば、大学受験をしなおせばよいわけなのですから。

 

 

 

 

大学院に入って三年目、就職を目前に突然自室にひきこもり、まったく家族と会話をしなくなったのは恵一君です。

 

 

 

 

数年たってからはじめて「お母さん、僕もう疲れちゃった。燃え尽きちゃったよ」「頼むから、もう少し僕のペースで休ませて」と言ってきました。

 

 

 

 

彼によると、自分はごく親しい、数人の友だちと遊ぶのはいやではないけれども、基本的にはひとりで静かに家で本を読んだり、プラモデルをつくるのが好きな子どもでした。

 

 

 

 

でも母親は、外でみんなと泥んこになって遊ぶほうがいいに違いないと、彼を小学生のころからボーイスカウトに入れました。

 

 

 

 

勉強をというよりも、友人関係をたくさんつくるのが恵一君にはよいと思い、塾にも行かせ、ピアノも習わせ・・・・忙しい一週間をずっと過ごさせてきました。

 

 

 

 

彼はやさしい子どもでした。母親が彼のために、よかれと思ってやっているのだということをよくわかっていましたし、彼は母親が大好きでした。

 

 

 

 

でも、母親の願いに合わせることにとうとう疲れ切ってしまった、というのがその弁です。

 

 

 

 

もちろん、いくら性格的にやさしいからといってただ黙々と親の提供した環境にあわせ、自分が社会に出る直前に燃え尽きたというかたちでこもらざるを得なかったという彼にも問題があります。

 

 

 

 

いっぽう、親は「子どもは外で元気に友だちと遊ぶものだ」という思い込みといっても、自分の望みといってもよいような考えにしばられ、目の前の恵一君の持ち味について、じっくりと考えることがなかったのだと、こうなってはじめて気づきました。

 

 

 

 

このケースもまた、母親の描いた子ども像を、実際の子どもに当てはめようとし、子どももまたそれを引き受けて成長してきた、というところが高志君の場合と共通しています。

 

 

 

 

彼が十分休みたい、というまでにひきこもってから二年の歳月が必要で、さらに休みながら自分と親とのそれまでの関係について考え、両親とも十分に話し合うことが、それ以降数年かけて行われました。

 

 

 

 

それは父親の退職という経済的な限界間際まで続き、「できれば、ずっとこうして休んでいたいけれども・・・・・」という言葉を残して、週数回のアルバイトをするようになりました。

 

 

 

 

ひきこもりにはいった子どもは、しばしば、昼と夜の生活が逆転します。この昼夜逆転になった生活を子どもがはじめると、「夜遅くまで起きているから、朝起きられないんだ」といい、睡眠薬でも与えて強引に夜寝させて一気に直したい、と相談にこられる親御さんがいます。

 

 

 

 

確かに夜遅くまで起きているから、朝起きることができない、というのは事実でしょう。

 

 

 

 

しかしそれは、朝起きていたくないから眠ることにしている、とい本人なりの生活を営んでいくための工夫であることが多いという実感をわたしは持っています。

 

 

 

 

ひきこもりに入った子どもにとって、朝から昼にかけて、つまり社会が活発に動いているときは、生活音があちこちで響き渡っており、心が落ち着くことができません。

 

 

 

 

本当は本人もまた、そのなかで活動していたいし、活動していなければならない時間帯です。

 

 

 

 

すべきことをしていない、サボっているという感覚はまっとうに起こります。それ以上に強いのは、したいことができない苦しさでしょう。

 

 

 

 

そんな昼間に比べて、夜も深くなっていき、みんなが部屋にはいる、あるいは寝静まってシーンとしてくると、やっと心に穏やかさが戻ってきます。

 

 

 

 

夜中は日中に比べて人の往来が少ないので、外に出ても人に会わなくてすみます。彼らにとって、夜は気を使わずに安心できる時間帯なのです。

 

 

 

 

このように考えていくと、昼夜逆転は、ひきこもった子どもたちがその自分の苦しさを緩和させるために編み出した工夫といえるのではないかとわたしは理解しています。

 

 

 

 

このようなメカニズムで昼夜が逆転しているような場合、睡眠薬でというのはほとんど効果がありません。

 

 

 

 

本人が心から望んで夜眠りたいと思っているのでなければ、薬は効くものではないからです。

 

 

 

 

多くの場合、外で働いて夜遅く帰ってくる親にとっては、朝、いつまでも起きてこずにブラブラとしていたり、居間で長々と寝そべってテレビやゲームにこうじている姿は、ただ怠けているようにしか映りません。

 

 

 

 

しかしそのようにしていても、彼らは心から楽しんではいません。今の苦しさから逃れるために一時しのぎをしているだけなのです。

 

 

 

 

であるならば、その一時しのぎを「せめて」よい時間にしたいものです。子どもに居心地のよい空間をつくるために、親が日中、家を空けるというようにする場合もあります。

 

 

 

 

もしそうするとしたら、そのことを何らかの方法でひきこもっている当人に伝えることが大切でしょう。

 

 

 

 

そうでなければ、彼らは「親ばかり好き勝手なことをして、いい気なものだ」とせっかくの親の意図を誤解しかねません。

 

 

 

 

対話する関係の喪失とは、「自分の意図を相手にきちんと伝えないで行う」ことからも生じます。

 

 

 

 

わたしは高志君の病院探しをするにあたって、まず母親自身が病院に行って相談してみるように、と助言しています。

 

 

 

 

わたしたち援助専門家はしばしば、知り合いから、「どこかよいところ(治療機関)はないでしょうか」と訪ねられます。

 

 

 

 

「よくわからないから教えてください。どこへでも行きます・・・・」と。多くの場合、わたしは残酷なようですが、「よくわかりません。ご自分の家から近いところに直接行ってみて、相談してみたらよいのではないでしょうか」とお答えしています。

 

 

 

 

「ひきこもりの専門家に診てもらいたいから探している」ということをしばしば耳にします。

 

 

 

 

しかし果たして、ひきこもりの専門家というような人がいるのでしょうか?はたまたいたとして、たとえばとても通えないような遠方から新幹線や飛行機を使って来られる方もおられます。

 

 

 

 

しかし、もしひきこもりの相談をするのであれば、その個々の子どもの状態は実にさまざまです。

 

 

 

 

「こうしたらよい」というようなマニュアルがあるわけではなく、ひとつひとつ、「どういう場合にはどうしたらよい、それがだめだったらこうしたらよい・・・」という、まさに無限大に近い試行錯誤の連続です。

 

 

 

 

きめ細やかな対応が不可欠です。その意味でも、遠距離治療に多大なお金と時間を費やすのではなく、近くによい援助専門家を見つけていく工夫をすべきだろうとわたしは考えています。

 

 

 

 

心理臨床の仕事は、相談に訪れる人とわたしたち援助専門家との「関係性」によって成り立ちます。

 

 

 

 

もしもわたしがその家族にとって、よい援助者になったとするならば、わたしが優れた援助専門家だからではなく、その家族との関係でたまたまよい援助者になれたにすぎません。

 

 

 

 

うまく援助者として機能しえなかったケースも、正直いってわたしはたくさん持っています。

 

 

 

 

繰り返しになりますが、どこかの「よい援助専門家がいる」のではなく、一緒にしぬいていった結果、その人が「よい援助専門家になっていく」にすぎません。

 

 

 

 

高志君のケースで書いた「うちの子の先生探し」とは、そういうことです。ちなみに高志君尾の場合、当然予測できたことですが、母親は当初からわたしに彼のカウンセリングをしてほしいと望んでいましたし、高志君も同様の願いを持っていました。

 

 

 

 

しかし「近くで探すこと」と「援助者の手は多いほうがいい」という理由で、わたしははっきりと断り、「彼の担当者探し」の協力をしたのでした。

 

 

 

 

らだ、やみくもに引き受けるだけが支援者の役割ではありません。「断る」こともまた、治療的である場合があるのです。

 

 

 

 

もしもガンの治療であれば、経験豊かな医師がいたり、最新の医療設備があるということなどが重要な病院選びの手がかりになると思います。

 

 

 

 

しかし、ひきこもりの治療はガンの治療とは違います。知識がなくても、意欲のある援助専門家であれば、その家族と本人から学び、そこから勉強いていくはずです。

 

 

 

 

日本の心理臨床は、無名だけれども、骨身を惜しまずに対応してくれる、多くの現場の援助責任者によって支えられているのです。

 

 

 

 

ですから、真剣に自分たちの話に耳を傾けてくれる人を、まずは親が捜してください。

 

 

 

 

そしてもしうまく話が伝わらないようであれば、支援機関を変えてください。まずが「ドクター・ショッピング」をするのです。

 

 

 

 

これには相当のエネルギーが必要です。それを最初からひきこもった子どもがするのは難しいと思います。

 

 

 

 

わたしは高志君の病院探しに関しては、まず母親にそのルートをつけてほしいと依頼しました。

 

 

 

 

それは先にも書きましたが、まずは本人が難しいことを親が肩代わりして助ける、ということがひとつの意図であり、もうひとつには、将来本人がそういう模索をしていくためのモデルを提供するという意図からです。

 

 

 

 

わたしですら「一発でよい病院を当てよう」と思うものです。わたしたちは、いくつもの場所に自分たちの足を運び、直接目で見て確かめて決めていくということが苦手です。

 

 

 

 

ところが、現実を生きていくということは試行錯誤の繰り返しです。よい出会いもあれば、そうではない出会いもあります。

 

 

 

 

思いがけず・・・・ということもとても多くあるでしょう。ひきこもりという回り道をしたところから社会へと戻っていくためには、そこからもたくさんの試行錯誤が必要になります。

 

 

 

 

でも、それはやっぱり怖いものです。とはいえ、できるだけ安全に失敗しないように・・・・・と考えたら、いつまでたっても動くことはできません。

 

 

 

 

人生は失敗の連続です。「失敗から学びながら前に進んでいこう」と子どもたちが思えるようになるためにも、親がまずそれを実をもって実行することが必要なのではないか、とわたしは考えています。

 

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