「勝ち組教育」と家庭内暴力
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「勝ち組教育」と家庭内暴力

 

「お前は人間のクズだ」そう叫んで親を罵倒しては殴る子どもが、じつは被害者であるということが珍しくないのが、家庭内暴力の現実です。

 

 

 

 

「このままでは子どもに殺される!助けてください!」そうやって助けを求めてくる親が、実は加害者であるというケースが大半なのも家庭内暴力の現実です。

 

 

 

 

「えっ、そんなばかなことがあるのか?」と思われる方も多くいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

 

実際、子どもからのひどい暴力に耐え、なかには自殺未遂にまで追い込まれている親御さんを「加害者」呼ばわりするのは、わたしも辛いものがあります。

 

 

 

 

しかしそれでも、ある時期から、子どもにとって親が自分の人生を阻む存在になっていることは、残念ながら間違いのない事実です。

 

 

 

 

親が子どもの生きる力を、結果として奪ってしまっているのは、否めない事実なのです。

 

 

 

 

では、親はなぜ、そうしてしまうのでしょうか?ひきこもり自立支援センターに相談に来る親御さんたちは、みなさん子ども想いの方ばかりです。

 

 

 

 

「こんな子どもはもうどうでもいい」暴力をふるわれていても、そのように思っているご両親なんてひとりもいません。

 

 

 

 

むしろ、「助けてください!」と言ってくるときも、自分のことではなく、子どものことを思っている親御さんがほとんどです。

 

 

 

 

「この子を、なんとかこの状態から助けてください!」藁にもすがるような思いで、みなさん相談にいらっしゃるのです。

 

 

 

 

そんな親御さんが、子どもの嫌がることをあえてするはずがありません。子どものために良かれと思ってしてきたことが、結果的には子どもを苦しめ、親を「加害者」にさせているだけなのです。

 

 

 

 

ここに、この問題の複雑さがあります。「自分より幸せになるのは許せない」「子どもには不幸な人生を歩んでほしい」

 

 

 

 

そんなふうに思っている親なんていません。どの親も、子どもに幸せな人生を歩んでほしいと思っています。

 

 

 

 

よかれと思って、「こうなるのが幸せだ、この子のためだ」と思う道を、子どもに歩ませようとしているだけです。

 

 

 

 

それで、小さいころからいくつも習い事をさせたり、お受験をさせたり、「いい学校、いい会社」に入れるように「勉強しろ」と小言を言ったりするのです。

 

 

 

 

しかし、その道にそって途中まで行った子どもたちが、いま親に反旗を翻しています。

 

 

 

 

ニートやひきこもりになったり、親に暴力をふるったりしているのです。だとすれば、問題の根本は、「その道」あるいは「それをよかれと思って強いたこと」にあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

わたしたち親や大人が考えなければいけないことは、親子の問題もさることながら、「その道」それ自体ではないでしょうか。

 

 

 

 

親は、子どもを思いやる気持ちから、「その道」をすすめたにすぎません。なにも、ニートになるよう、家庭内暴力をふるう子どもになるよう、わざわざ「その道」を歩ませたわけでは当然ありません。

 

 

 

 

にもかかわらず、「その道」からはずれてしまった若者が、いまニートになったり家庭内暴力をふるったりしています。

 

 

 

 

ならば、やはり「その道」そのもの、あるいは「その道だけをすすめてきたこと」に問題がある、と考えるのが自然ではないでしょうか。

 

 

 

 

たしかに、「その道」をすすめてきた親は、子どもにとっては「加害者」かもしれません。

 

 

 

 

だけど見方をかえれば親自身もある意味、「その道」にだまされた「被害者」とも言えるのです。

 

 

 

 

「その道」の先にどんな結果が待ち構えているかを、親は予測できなかっただけです。

 

 

 

 

子どもが幸せになると信じてすすめただけなのです。子どもを家庭内暴力に駆り立てる本当の「加害者」、すなわち家庭内暴力の本当の原因は、親ではなく、「その道」なのだとわたしは思っています。

 

 

 

 

では、いったい「その道」とは何でしょうか。これまでの事例を通して、すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、それは「いい学校、いい会社」に向かって進む道、すなわち「勝ち組」に向かう一本道です。

 

 

 

 

「勉強ができるか、できないか」という一本のものさしで人間の価値をはかり、子どもを「勝ち組」にすること以外の選択肢を持たない教育、すなわち「勝ち組教育」のことです。

 

 

 

 

そんな「勝ち組教育」こそが、これまで語ってきた家庭内暴力を生み出した張本人です。

 

 

 

 

親と子を無情にも暴力で引き裂いた、本当の「犯人」なのではないでしょうか。

 

 

 

 

前述した通り、ひきこもり自立支援センターに相談に来る親御さんは、非常に教育熱心な方ばかりです。

 

 

 

 

それにいまは親に暴力をふるっている若者たちも、かつては有名進学校の生徒だったり、成績がクラスで一番、学年で一番といった「輝かしいキャリア」を持つ子が珍しくありません。

 

 

 

 

親御さんは一生懸命、子どもをそこまで導いてきたのです。そのために「友だち親子」になって、子どもを誘導してきた親御さんだっています。

 

 

 

 

しかし親御さんは、子どもを「勝ち組」にしようとするあまり、いい偏差値をとること以外の力を、子どもにつけるのを忘れてしまったのではないでしょうか。

 

 

 

 

その結果、子どもたちの生きる力が奪われ、そのことでいま、親は子どもたちから暴力をふるわれているのではないでしょうか。

 

 

 

 

それがわたしの見方です。いってみれば、親は、子どもたちから復讐されているのです。

 

 

 

 

しかし、本当に復讐されるべきは親ではありません。それが子どもにとって幸せなのだと勘違いさせ、親をそんな行動に駆り立てた社会の価値観、すなわち「勝ち組教育」こそが、真に復讐されるべき対象なのです。

 

 

 

 

この「勝ち組教育」は、30年前に「金属バット殺人事件」が起こったころから、すでに問題視されていました。

 

 

 

 

子どもの親殺しの真因は、「社会を取り巻く受験教育、能力主義的な価値観にある」と、そのころから指摘されていたのです。

 

 

 

 

しかしそれが、30年経っても、後の世代に学ばれないまま、現在に至ってしまいました。

 

 

 

 

しかも、この30年の間に、事態はいっそう深刻になっています。「一億総中流時代」から「格差社会」になり、「子どもをニート・ひきこもりといった負け組みにしてはいけない」という親の危機感は、いっそう強くなっています。

 

 

 

 

いまのゴールは、かつての「いい学校、いい会社」からさらに狭くなっていて、「勝ち組」そのものです。

 

 

 

 

「いい学校、いい会社」に入っても、「勝ち組」になれるとは限らないからです。

 

 

 

 

かつてより目標は狭くなり、その分、競争率も高くなっています。その熾烈な争いのなかに、子どもたちは幼少期から放りこまれていきます。

 

 

 

 

そしてほとんどの親御さんは、この「勝ち組教育」こそが家庭内暴力の根源であるということに、まるで気がついていないのです。

 

 

 

 

「東大受験に成功した家族」「こうすれば必ず受かる!我が家のお受験必勝法」通勤電車の中吊り広告に、いまや季節を問わず「受験モノ」が載るようになりました。

 

 

 

 

あのビジネス雑誌の「プレジデント」がファミリー向けのお受験応援雑誌「プレジデントファミリーを創刊し、売り上げは好調だといいます。

 

 

 

 

東京都心部では、私立中学校への受験者は、4人に1人と言われるほどの過熱ぶりです。

 

 

 

 

就学前からの学習塾、それも0歳からの学習塾まで、誕生する時代です。30年前に比べて格差社会が進行し、「勝ち組」の幅が狭まる中、親はなんとか子どもを「勝ち組」にしよう、「負け組」にしないようにと必死です。

 

 

 

 

わたしがここで、「勝ち組教育が家庭内暴力を生み出す本当の原因です」と言ったところで、もはやとめることのできない状況が、すでに社会を覆っています。

 

 

 

 

先日もある新聞で、子どもの受験にかける親の過熱ぶりを報じていました。見出しを見て、わたしは思わず目を疑ったほどです。

 

 

 

 

そこにはこう書かれていました。「お父さんに家庭教師」。中学受験指導で有名な家庭教師が、子どもだけでなく、父親の受験相談にのっているというのです。

 

 

 

 

子どもを受験に向けてどう動機付けするか、生活をどう管理するか、はたまた日常会話をどうすればいいかについてまで、先生がアドバイスしています。

 

 

 

 

いったい、どうなっているのでしょう。「そこまで受験のプロに依存するとは」と思わず失笑してしまったのですが、もはや笑い事では済まされないところまできています。

 

 

 

 

同じ新聞に、大手進学塾が保護者向けの「コーチング講座」を始めたという話も載っていました。

 

 

 

 

子どものやる気を高める接し方を親に教えて、注目を集めているというのです。

 

 

 

 

いまの子どもたちは、ますます巧妙に、そして確実に、親の敷いたレールに乗せられることになります。

 

 

 

 

子どもたちを巧みに「勝ち組教育」へ誘う道は、社会のいたるところに用意されているのです。

 

 

 

 

とりわけ、最近の特徴として感じるのが「お受験パパ」の急増です。「A中学は偏差値55、B中学は65、C学院は60ですよね」

 

 

 

 

子どもの受験する学校について話をしているとき、近隣の中学校の偏差値をすらすら言い出した父親がいて、びっくりしました。

 

 

 

 

彼は、私立中学100校の偏差値を、全部覚えていたのです。30年前に、わたしが静岡で学習塾を開いていたころは、受験といえば、母親が中心でした。

 

 

 

 

わたしの元同級生の父親が、自分の子どもをわたしの塾に預けに来ることもありましたが、そのときもどこか「恥ずかしながら」という感じがありました。

 

 

 

 

「俺は賛成じゃないんだけど、女房がねえ・・・・・」そんな感じでワンクッション置いて、受験に関わっていたのです。

 

 

 

 

だけど今は違うようです。父親が子どもの受験に、堂々とかかわる時代です。100校の偏差値を丸暗記したあの父親が、さほど珍しくはない時代になりました。

 

 

 

 

男性向けビジネス誌がお受験応援雑誌を創刊したことも、その流れを象徴してはいないでしょうか。

 

 

 

 

「子どもたちを、将来どうすれば勝ち組にできるか」雑誌はそれを指南するために、いま企業で成功している社員はどんな家庭で育ったか、就職に有利なのはどんな大学か、親はどんな態度で子どもに接すればいいかなどについて、じつに説得力をもって書かれています。

 

 

 

 

こういう雑誌を読むと、サラリーマンのお父さんが、ますます「勝ち組教育」にのめり込む気持ちはよくわかります。

 

 

 

 

父親の育児参加は、いまもって日本社会の課題ですから、母親にとっても、これはありがたいことなのかもしれません。

 

 

 

 

しかも父親は、子どもをのせるのも上手です。母親のように、感情で誘導したりはしません。

 

 

 

 

「将来、自分で会社を起こすときに役立つから、これを勉強しといたほうがいいぞ」

 

 

 

 

たとえばそうやって子どもを納得させながら、母親より論理的に「勝ち組教育」をすすめていくのです。

 

 

 

 

なかには、子どもと一緒に「受験戦略」を立てる父親だっています。子どもは、「そうか、それならやってみるか」と、喜んで乗ります。

 

 

 

 

あるいは、たとえ心の中ではどこか違和感を感じていても、父親の言っていることが論理的に間違っているとは思えないから、拒否できないし、逃げられません。

 

 

 

 

そうして、子どもはうまく誘導されていくのです。いま「お受験パパ」について言及しましたが、現在と30年前とでは、母親についても変わったな、と思うことがあります。

 

 

 

 

雑誌のお受験特集に写真入りで出ているお母さんの顔を見ていると、同じ子どもでも、有名中学校に合格する子は、そうでない子よりもかわいいと思っている気がしてなりません。

 

 

 

 

合格しない子に対しては、「愛のランク」が3段階くらい下がる・・・・今のお母さんには、心のどこかにそんな気持ちが潜んでいるように感じられてならないのです。

 

 

 

 

ひと昔前の母親は、どこか違っていました。「不肖の息子ほどかわいい」そんな、どこか母性幻想のようなところがあったと思います。

 

 

 

 

ですが、最近は違います。まわりの母親たちを何人も見ていると、有名中学校に合格する子には、そうでない子に比べて愛が違うような気がしてなりません。

 

 

 

 

「いい学校に入った子が、かわいい子」「レベルの低い学校に入った子は、レベルの低い子」もちろん言葉にはしませんが、心の奥底には、そんな気持ちあるように見えてならないのです。

 

 

 

 

「母親のまなざし」も、残念ながら「勝ち組教育」の影響を強く受けています。

 

 

 

 

「今度のテスト、50番にさがっちゃった」「もう今日は疲れたから、塾に行きたくない」

 

 

 

 

そんなことを子どもが言うと、口では「いいのよ、別に行かなくても」と言いながらも、悲しみのまなざしを投げかけてしまいます。

 

 

 

 

それを繰り返されたら、子どもだってたまったものではありません。でも、それはけっして母親個人のせいではありません。

 

 

 

 

「子どもを幸せにしたい」という母親の愛情までもが、「勝ち組教育」にからめとられている、というだけなのです。

 

 

 

 

「うちは中学受験なんてしないから」「どこの高校だって入ってくれればいいよ」だからうちは「勝ち組教育」とは無縁だ、と思っている親御さんもいるかもしれません。

 

 

 

 

しかし、そういう親御さんには、尋ねてみたいと思います。「本当にどこの高校でもいいと、心の底から思っていますか?

 

 

 

 

できれば少しでも偏差値の高い学校がいいとは思っていませんか?」たとえば通っている中学校で、次のように勧められたらどうでしょう。

 

 

 

 

「お子さんは、もうひとつ高いレベルの学校を目指せますよ」もしそういわれたら、親御さんはどうするでしょうか。

 

 

 

 

迷わず、ワンランク上の学校を受験させはしないでしょうか。「偏差値の高い学校は、落ち着いた子が多いから、安心して子どもを預けられる」

 

 

 

 

そう思っている親御さんも、けっして少なくないと思います。しかし、そういう考えかた自体が、じつはもう「勝ち組教育」の影響を受けているのです。

 

 

 

 

「偏差値が高い学校=いい学校」という考え方が、頭のどこかにあるはずです。わたしは「偏差値が高い学校」と「いい学校」というのは、けっしてイコールではないと思っています。

 

 

 

 

その子にとって、いい学校、悪い学校があるだけです。もっと言えば、その子の成長にとって、いまの学校がいいか、悪いか・・・・それだけのことだと思っています。

 

 

 

 

いずれにせよ、ここでご理解いたたぎたいのは、今の日本の学校に子どもを通わせている限り、多かれ少なかれ、すべての親御さんは、「勝ち組教育」の影響を受けているということです。

 

 

 

 

今の日本で、「勝ち組教育」と無縁でいることはできません。だからこそ、「うちは勝ち組教育とは関係ない」とは思ってほしくないのです。

 

 

 

 

「勝ち組教育」から逃れることはできません。しかし、その「勝ち組教育」のいったいどこが問題なのか・・・そう考えることから、すべてが始まるのです。

 

 

 

 

それを認めないのは、たんなる現実逃避か、問題の先送りにすぎないとわたしは思います。

 

 

 

 

少し話がそれますが、この「わが子を勝ち組にしたい」という親の気持ちは、現代では勉強や就職だけに留まらず、子どもの生活のあらゆる面に及んでいます。

 

 

 

 

いまや「勝ち組路線」は、勉強や就職といった枠を超えて、子どもたちやわたしたちの日常のあらゆる分野にまで浸透しています。

 

 

 

 

ピアノや水泳といった習い事のレベルでも、あるいは、結婚や出産といった日常生活のレベルでも、「勝ち組」「負け組」という言葉が頻繁に使われます。

 

 

 

 

「勉強はできなくてもいいよ」そう口にする親御さんでも、やはりなんらかの分野では、子どもに「勝ち組」になってほしいと思っているのです。

 

 

 

 

「とにかく平凡で、ごくごく普通の子に育ってほしい」と心のそこから思っている親御さんなんて、ほとんどいません。

 

 

 

 

だから今の子どもたちにとっては、「友だち作り」ひとつをとっても「勝ち組」「負け組」というわけ方がなされてしまうようです。

 

 

 

 

「お子さんに、友だちできた?と聞くのはやめてください」たとえばわたしの娘が、孫の幼稚園の入園式に出たときに、若いお母さんたちに向かって園長先生が、そんなことを言われたそうです。

 

 

 

 

子どもにはそれぞれ個性があるため、まわりの子となじみ易い子もいれば、他人と打ち解けるまでに時間のかかる子も当然います。

 

 

 

 

すぐに友だちができる子もいれば、そうでない子もいます。しかし今のお母さんは、子どもに友だちができたかどうかを非常に気にしているため、ついつい「友だちできた?」と迫るように子どもに聞いてしまうのです。

 

 

 

 

もちろん子どもを心配してのことですが、「友だちができない子はだめな子よ」と言わんばかりのそんな問い詰めは、かえって子どもを追い詰めてしまいます。

 

 

 

 

すでに幼稚園でも、「友だちの多い、少ない」が子どもの価値を決めるような見方があるというのです。

 

 

 

 

「友だち偏差値」という言葉もあるそうですが、幼稚園での友だちづくりの段階から、いまの子どもたちは早くも、「勝ち組」「負け組」という選別にさらされてしまうのです。

 

 

 

 

もちろん、そんな見方を作り出しているのは、親自身です。幼稚園児が望んでそうしているはずがありません。

 

 

 

 

親がそうするのは、子どもを大切に思う気持ちからでしょう。しかしそれ以外にも、「子どもを勝ち組にすることで、自分も勝ち組になりたい」

 

 

 

 

「子どもが負け組になったら、自分も負け組になってしまう」というような気持ちが、どこかにあるからだと思います。(特に母親には、その傾向が強いような気がします)。

 

 

 

 

「友だちづくり」でいうと、現に友だちの多い子どもの母親は、いつも母親仲間の輪の中で楽しそうにしているそうです。

 

 

 

 

その一方、友だちの少ない母親は、いつもしょぼんとして小さくなっていたり、みんなの輪の中にうまく入れません。

 

 

 

 

子どもを取り巻くあらゆる環境が、「勝ち組」「負け組」というモノサシで二分されています。

 

 

 

 

そして、子どもを持つ親も、そんな子どもに応じて「勝ち組」「負け組」に選別される仕組みが世の中にあるのです。

 

 

 

 

みなさんのまわりでも、思い当たる節はないでしょうか。「勝ち組」というとき、それは基本的には勉強や就職といった「勝ち組教育」を指しています。

 

 

 

 

しかし、「勝ち組」という発想それ自体は、勉強や就職に留まらず、子どもを取り巻くあらゆる分野に浸透しているということだけは、くれぐれも肝に銘じてほしいと思います。

 

 

 

 

「親が子を勝ち組にしたいと思うなんて、当然じゃないか」いまさら「勝ち組教育」をとやかく言うのはおかしい、と思う方もいるかもしれません。

 

 

 

 

しかしわたしは今の状況はきわめて危険だと思います。親が子どもを「勝ち組教育」に走らせれば、あとでとんでもないしっぺ返しがくるかもしれないのです。

 

 

 

 

ひとつ、ある事例をご紹介しましょう。1年ほど前、あるお母さんが相談に見えました。

 

 

 

 

相談内容は、16歳の息子、和夫さんのことでした。彼は中学1年から丸3年ひきこもっていて、家ではひどい暴力をふるっていたようです。

 

 

 

 

母親の顔を殴っては歯を折り、父親の顔を殴っては顔の骨を折りました。2歳年下の弟にも暴力をふるい、体を殴ってぼこぼこにする・・・・・。

 

 

 

 

あまりにも暴力が激しいため、危険を感じた母親と弟は、家を出たほどだといいます。

 

 

 

 

ひきこもり自立支援センターに相談にいらしたときも、母親と弟は和夫さんとは別居状態でした。

 

 

 

 

彼は父親と二人で暮らしている、ということでした。和夫さんも、もともとはおとなしく、勉強がよくできる子だったといいます。

 

 

 

 

父親がとても教育熱心な方で、「勉強のできる子」にしたいと思い、乳幼児の頃から和夫さんを学習塾に入れました(おもちゃを使って、学習能力を高めるという塾です)。

 

 

 

 

その後、小学生になると、今度は息子を有名中学進学塾に入れました。息子は両親に言われるままに勉学に励み、小学校5年生のときには、成績が全国で10番以内に入ったほど、優秀だったといいます。

 

 

 

 

まさにそれは、「勝ち組」への順調なすべり出しでした。「公立中学は荒れているから、私立中学を受験したほうがいい」

 

 

 

 

成績もよかったため、やがて両親は本人にそうすすめました。だけど、息子は友だちと同じ公立中学に行きたいと言い張ったので、仕方なく公立中学に行かせたといいます。

 

 

 

 

中学1年の夏休みのことでした。運動部の練習から運動着が破れた状態で帰ってきた彼は、それっきり学校に行かなくなりました。

 

 

 

 

何があったのかは、本人が何も話さないのでまったくわかりません。仲間内でのいじめがあったのかもしれません。

 

 

 

 

このときから、彼は家にひきこもるようになってしまったのです。それからおよそ1年後のことです。

 

 

 

 

和夫さんは、先ほどのような激しい家庭内暴力をふるうようになっていました。その頃には、彼はもうおとなしい子どもではなく、親を奴隷化し、暴力をふるう子どもになっていたのです。

 

 

 

 

そして始末の悪いことに、成績がよかった頃の自分にいつまでもしがみついていました。

 

 

 

 

「俺は本当はできるんだ!人より頭がいいんだ!」そう言って、いつも他人を見下しているのです。

 

 

 

 

部屋にこもってゲームばかりしている彼を見て、母親が何かしようと誘っても、「そんな意味もないこと俺ができるか!ばかばかしい!」

 

 

 

 

と相手にしません。昔のプライドが邪魔して、自由に行動できないのです。彼の頭の中には、「勝ち組」を目指す以外の道が、まったくありませんでした。

 

 

 

 

「勉強のできる子にしたい」という父親の想いが、完全に体の中に刷り込まれていたのです。

 

 

 

 

こんな和夫さんのように、「勝ち組教育」でずっときた子どもは、一度つまずくとなかなか再出発できません。

 

 

 

 

それどころか、親はどこにもぶつけようのない子どものいら立ちの受け皿となって、激しい暴力の危険にさらされることになりがちです。

 

 

 

 

この母親の話を聞いていると、息子さんは本当に「勝ち組教育」の犠牲者だなと思えてなりません。

 

 

 

考えてもみてください。16歳の少年が、いまだに小学校5年のときにとった優秀な成績のすがりついているのです。

 

 

 

 

自分の存在価値を、いまだにそこにしか見出すことができないのです。なんとも悲しくて哀れな話ではないでしょうか。

 

 

 

 

かつて彼を熱心に教育していた父親は、息子の暴力に怯えてなす術なく、いまはオロオロするばかりだといいます。

 

 

 

 

むしろ今は母親のほうが、子どもを何とかしたいと必死になってがんばっています。

 

 

 

 

今、お子さんを「勝ち組教育」へ走らせているみなさん。この息子さんは、あしたのあなたの子どもの姿かもしれないのです。

 

 

 

 

そしてこの哀れな父親は、明日のあなたの姿かもしれないのです。誤解のないように申しておきますが、わたしはけっして中学受験自体を否定しているわけではありません。

 

 

 

 

わたし自身も、娘を大学までエスカレーター式の私立中学に入れています。わたしがここで問題にしているのは、「勝ち組になるしか生きる道はない」というように狭い一本道に子どもを追い込むような教育のありかたです。

 

 

 

 

その狭い価値観を、ここでは「勝ち組教育」という言葉に象徴させているのですが、「それがおかしい、危険である」と言っているのです。

 

 

 

 

「お前の進む道は、勝ち組しかないんだよ」そうやって、その道だけに子どもを追い込み、誘導することが問題なのであって、「勝ち組へ向かう道以外にも、いろいろな道、いろいろな人生があるんだな」と思える力が、子どもの中で育っていればいいのです。

 

 

 

 

子どもにそういう力があれば、たとえ一時的に「負け組」に転落しても、そこから這いあがることができます。

 

 

 

 

狭い一本道にこだわらずとも、多様な道の中から自分にあった道を探し、歩いていくことができるのです。

 

 

 

 

しかし現実問題として、勉強を最優先させるいまの「勝ち組教育」一辺倒でそんな若者が育てられるかというと、正直疑問です。

 

 

 

 

親子ともども「勝ち組教育」に洗脳されているため、つまずいたときに、それ以外の道を思い浮かべることも、選ぶこともできないのです。

 

 

 

 

仮に「勝ち組」以外の道を進んだとしても、「そういう自分は負け組だ」というコンプレックスと、絶えず闘わなければいけなくなります。

 

 

 

 

いずれにせよ、社会全体がここまで「勝ち組教育」「勝ち組路線」一辺倒でいいのかという思いを、わたしは強く抱いています。

 

 

 

 

ニートやひきこもりの若者は、自分たちを「負け組」だと思っているし、「正社員は勝ち組、アルバイトは負け組」と思っている親御さんも多いです。

 

 

 

 

どの親も、子どもたちが「勝ち組路線」からはずれて「負け組」にならないよう、いまはずれている子どもには「勝ち組路線」にふたたび戻れるよう、必死です。

 

 

 

 

そんな社会の価値観を、わたしは「勝ち組教育」という総称で呼んでいます。そしていまの社会全体が、「勝ち組教育」しか選択肢のないことに、強い危機感を抱いているのです。

 

 

 

 

では、「勝ち組教育」の、いったい何が問題なのでしょうか。何がそれほど危険なのでしょうか。

 

 

 

 

わたしはそれを、3つに整理して考えています。まずひとつ目は、「勝ち組教育」にこだわってしまうと、親が子どものありのままの姿を受け止めてあげられない、ということです。

 

 

 

 

本題に入る前に、それを考える材料となるエピソードがあるので、ご紹介しましょう。

 

 

 

 

わたしは四国のある中高一貫の私立の進学校の出身です。といっても高校2年でそこを中退していますから、厳密には卒業してはいないのですが、それでも同窓会にはいまでもよく顔を出します。

 

 

 

 

そこで最近見ていると、不思議な現象があるのです。「仕事うまくいっている?」「体の具合はどうだ?」久々にあった仲間です。

 

 

 

 

仲間内で近況を尋ねあうのは楽しいものですが、そこではなんとなく触れてはいけない、「暗黙のタブー」となっている話題があるのです。

 

 

 

 

それは、子どもの話です。じつは何年か前に、同窓会の席上で、ある国立大学の医学部の教授におさまっている同級生がこんな発言をして、みんなのひんしゅくを買ったことがあります。

 

 

 

 

「うちは親子で、入学試験は17連勝だ」その家庭は、本人は東大医学部の出身、奥さんは東大法学部、長女は慶応、長男は東大、次男は京大の、それぞれ医学部というエリート一家でした。

 

 

 

 

彼は正直にものを言う男だったので、本人はまったく悪びれずに普通に言ったつもりだったのですが、まわりから大ひんしゅくを買いました。

 

 

 

 

「みんな子どもで苦労しているんだから、ああいう話はやめとけよ」わたしがこっそり耳打ちをしたため、それ以降、彼も同窓会では子どもの話はしなくなりました。

 

 

 

 

しかし、なぜ子どもの話がタブーなのでしょうか。それは、こんな心情から来ていると思います。

 

 

 

 

わたしの通っていた学校は地元でも有名な進学校だったため、親である同級生たちは、医者になったり、教授になったり、会社経営者になったりと、エリートぞろいです。

 

 

 

 

そういう一角の地位を築いた人たちには、「自分の子どもが自分より下」という事実を認めたくなかったり、人前で言いたくないような雰囲気があるものです。

 

 

 

 

子どもが自分と同じか、自分よりも出世していれば、先ほどのひんしゅくを買った同級生にように話したいと思うかもしれません。

 

 

 

 

だけどそうでなければ、隠したい気持ちがあります。「できの悪い子は、自分の子どもと思いたくない」そんな自分勝手な父親の想いがあるのです。

 

 

 

 

すると、どうなるでしょう。最初に話したように、親はありのままの子どもを受け入れられなくなります。

 

 

 

 

結局、わたしの同級生のような学歴エリートは、自分自身が突き進んできた道を、どこかで子どもにも期待しています。

 

 

 

 

「いい高校、いい大学」を出て、「いい仕事」につく道を、心のどこかで期待しているものです。

 

 

 

 

だけど、親が優秀だからといって、子どもも同じようになるとは限りません。どこかでつまずいてしまう子どもも出てきます。

 

 

 

 

すると親は、自分が歩んだ道をうまく歩けない子どもに、心のどこかで失望してしまうのです。

 

 

 

 

「勉強ができなくてもいいじゃないか」と割り切ることが、なかなかできません。子どもをありのまま受け入れることができないのです。

 

 

 

 

「お父さんだって、なんとかここまできたのに、なぜお前はできないんだ?」もちろん言葉にはしないけれど、ことあるごとにそんな目線で子どもを見てしまいます。

 

 

 

 

子どもは、そういう親のまなざしには、じつに敏感です。「勉強ができない俺のことなんて、どうせどうでもいいと思ってるんだろ」

 

 

 

 

そんなふうに受け取って、親に対して心を閉ざしていきます。そして、心のなかに鬱屈したものを溜めこんでいきます。

 

 

 

 

それがあるとき、激しい暴力となって親にむかっても、けっして不思議ではありません。

 

 

 

 

親に受容されている感覚がなければ、子どもは親の顔色をうかがいながら、親に受け入れられるような道を歩こうと努力するか、もうあきらめて親に心を閉ざすか、どちらかしかなくなります。

 

 

 

 

そのいずれにしても、子どもはゆがんだ成長の過程をたどることになります。

 

 

 

 

そして彼らは心の中に、少しずつ、でも確実に、やがて爆発するかもしれない「マグマ」を溜めこんでいくのです。

 

 

 

 

「勝ち組教育」が危険な2つ目の理由は、かなりの確率でそれが破綻するということです。

 

 

 

 

「勝ち組教育」がうまくいく家庭、うまくいっている間は、問題は何も起こりません。

 

 

 

 

しかし今の世の中では、半分以上は「勝ち組」にはなれません。冷静に考えれば、「勝ち組」に残れるのは、同世代のほんの一握りと言っていいでしょう。

 

 

 

 

「いい大学、いい会社」路線をたどれたとしても、入った一流企業の中で同期争いに勝ち抜き、出世していける若者なんて、ほんのごく一部です。

 

 

 

 

要するに、「勝ち組教育」を進む家族の大多数が、いずれその路線では破綻するのです。

 

 

 

 

その破綻は何も、成績が下がった、高校に不合格だったという、「勝ち組教育」に直接関わることだけで起こるとは限りません。

 

 

 

 

たとえば先ほどの16歳の和夫さんのように、人間関係でつまずいて学校に行けなくなることだってあります。

 

 

 

 

職場やバイト先で、まわりの人とうまくいかなくなったというのも、破綻のきっかけになります。

 

 

 

 

あるいは、無事に一流器量に就職しても、突然のリストラや人事異動など、何がきっかけで破綻を迎えるかはわかりません。

 

 

 

 

一般に「勝ち組教育」一直線で勉強ばかりしていたような子どもは、視野が狭く、精神的にひ弱に育ちがちです。

 

 

 

 

ですから、ささいなことでつまずきやすいのです。そのとき、そうやって育った子どもたちは、「学校に行けなくなった」あるいは「職場に行けなくなった」ということ自体に、大きなストレスを感じてしまいます。

 

 

 

 

それだけで、「自分は負け組に転落してしまった」と思ってしまうのです。だから、一度でもどこかでつまずくと、その子の「勝ち組路線」は破綻してしまいます。

 

 

 

 

それくらい、「勝ち組路線」というのは、もろいものなのです。しかも、「勝ち組路線」できてしまった子どもは、「勉強ができる」というプライドを強く持っているため、うまくいかなくなったときに、「別の道」を探すことがなかなかできません。

 

 

 

 

そうするうちに、本人は行き詰るしかなくなるのです。そうやって「勝ち組路線」が崩壊したとき、家庭内暴力の危険は一気に高まります。

 

 

 

 

これまでひきこもり自立支援センターのホームページで紹介してきた、激しい家庭内暴力をふるう若者たちのほとんどが、小・中学校では成績もよく、何の問題もなく過ごしてきた若者です。

 

 

 

 

親御さんも教育熱心で、無意識に「勝ち組教育」を信じてすすめてきた方ばかりです。

 

 

 

 

しかし、いったん進む道に行き詰まり、未来が見えなくなってしまうと、若者たちの苛立ちは家庭という「密室」の中で、その原因をつくった親に向かいます。

 

 

 

 

親を奴隷化し、激しい暴力となってあらわれるわけです。殴ったところで解決のしようのない、だけど殴らずにはいられない暴力が、そのとき始まってしまうのです。

 

 

 

 

先ほど「お受験パパ」の急増を指摘しましたが、それが危険な理由もここにあります。

 

 

 

 

「お受験パパ」も、「勝ち組教育」がうまくいっている間はいいのです。だけど、うまくいかなくなったら、どうでしょう。

 

 

 

 

成績ががくんと落ちたり、入学試験に不合格になったとき、子どもの抱え込むストレスは、母親ひとりが受験に関わっていた頃以上に大きなものになります。

 

 

 

 

そこに至るまでの力の入れ具合が強ければ強いほど、「勝ち組教育」のコースからはずれてしまったときのダメージは大きくなります。

 

 

 

 

父と母が二人してその道を熱心にすすめると、うまくいかなくなったときに家の中には、子どもの「逃げ場」がなくなってしまうのです。

 

 

 

 

両親そろって「勝ち組路線」を子どもに迫る親御さんは、子どもが感じるストレスやプレッシャーを、きちんと考えてみたことはあるのでしょうか。

 

 

 

 

それに、「勝ち組教育」が破綻したときに問題になるのは、何も子どもだけではありません。

 

 

 

 

日本の父親、とくにサラリーマンの父親は、挫折に弱いという印象が、わたしにはあります。

 

 

 

 

子どもがニートやひきこもり、あるいは家庭内暴力をふるい始めたとき、母親以上にオロオロする父親は、けっして珍しくありません。

 

 

 

 

子どもが受験に失敗すると、子育てそのものから逃げてしまう父親が少なくないのです。

 

 

 

 

母親はそれほど簡単には逃げ出さないため、子どもの受験の失敗によって、今度は夫婦の距離が広がってしまう・・・・そんな家庭を、わたしはこれまでいくつも見てきました。

 

 

 

 

もちろん、子どもが「勝ち組」であり続けられれば、問題はないのでしょう。しかし、いずれ「勝ち組路線」が崩壊したときの代償を考えると、いまのような「お受験パパ」が増えるのは、やはり危険と言わざるを得ないというのが正直なところです。

 

 

 

 

「勝ち組教育」が危険な三つ目の理由を説明する前に、その布石として、まずは「いかにわたしたちが勝ち組教育から抜け出せないか」といった話をしたいと思います。

 

 

 

 

ニートや家庭内暴力の家庭を見ていていつも思うのは、家庭内で親子同士が対立しているように見えながらも、二人がとらわれている価値観が、じつはまったく同じだということです。

 

 

 

 

わたしが学生だった1960年頃は、親と子では、違う価値観を抱いていたように思います。

 

 

 

 

安保反対闘争に揺れる時代の空気の中で、わたしたち若者の世代は、自然と社会主義的な思想に目覚めていったものです。

 

 

 

 

わたしだけが特別そうというのではなく、「反体制」というのがあの時代の若者の自然な姿でした。

 

 

 

 

だけど、父親の世代は違いました。彼らは戦争体験を経て、政治不信を抱いてもなお、国は変えられない、旧態依然とした秩序のある社会を守ろうとしていたのです。

 

 

 

 

わたしたちの時代では、そのように親子の間で価値観がまったく対立していました。

 

 

 

 

だから、わたしなどは父親と論争したところで、「目覚めていないから仕方がない」くらいに考えていました。

 

 

 

 

当時の親は、まだ学歴的にも中卒が多かったので、「そんな難しい理屈はわからん」と、親もどこか謙虚だったように思います。

 

 

 

 

また、そんな親子の価値観の対立を、わたしたちの世代は社会のせいにすることもできました。

 

 

 

 

苛立ちを外の社会にぶつけることもできたし、「親の考え方は間違っている」と諦めることもできたのです。

 

 

 

 

ところが、今の親子は違います。学歴的にもハイレベルな親御さんが多く、基本的なところで、親子が同じ価値観を抱いているのです。

 

 

 

 

ひきこもり自立支援センターに相談にいらっしゃる親御さんの話を聞いたり、若者の話を聞いていても、みんな基本的には同じ価値観に染められています。

 

 

 

 

「やっぱり大学くらいは出なくては」「バイトではなく、正社員として働かなくては」

 

 

 

 

親子共々、そういう発想しかありません。「勝ち組路線」一色に染めつくされているのです。

 

 

 

 

「いい学校、いい会社に行かなければ、勝ち組になれない。それができない自分は負け組だ。

 

 

 

 

なんとか大学に戻ったり、正社員で働くことで勝ち組に戻りたい」親子そろって、そんな「勝ち組至上主義」とでも呼ぶべきような価値観しか持っていないのです。

 

 

 

 

親子でいろいろ対立しているように見えながらも、根底の価値観はまったく同じなのです。

 

 

 

 

だから、親子の間で価値観が対立していたとき以上に、面倒なのです。違う価値観なら、お互い相容れなくても、ぶつかりあうことも可能ですが、同じ価値観の中で対立しているから、親子でぶつかりあうことさえできないのです。

 

 

 

 

それほど、今の親子は強烈に「勝ち組路線」にとらわれています。だから「勝ち組路線」がうまくいかなくなっても、親子共々その価値観から抜け出せず、「勝ち組路線」に戻ろう、戻ろう、とばかりしているのです。

 

 

 

 

高校を中退したら、なんとか定時制の高校にでも再入学と思っているし、ひきこもっている子なら、「とりあえずバイトから始めて、いずれは正社員に」と親子共々思っています。

 

 

 

 

一本のラインが確固としてあり、そこからはずれた自分は「負け組」で、なんとかそこに戻ろう、戻ろうとしているのです。

 

 

 

 

「勝ち組教育」でずっと来たため、挫折してもなお、親も子「勝ち組」をめざす価値観を捨てられません。

 

 

 

 

それ以外の道が見えないのです。たとえば、ひきこもり自立支援センターにも、ひきこもってもなお、「東大合格」しか頭にない若者が時々はいってきます。

 

 

 

 

そんな彼らは、こちらがいくら仕事体験や社会体験を提案しても、「そんなことには意味がない」とまったくとりあいません。

 

 

 

 

そして少しでも自分の状態がよくなると、「東大に合格しないことには、自分の人生は開けない」と、東大受験を目指して退寮していきます。

 

 

 

 

うまくいかなくなったときに、子どもは「いままで、お前たちにだまされてきた」と言って親にあたるけれども、結局、目指す方向は親と同じです。

 

 

 

 

日本のロープがからまりあい、延々ともつれあったまま、同じ方向に伸びている・・・・・まさにそんな感じです。

 

 

 

 

これが、ひきこもり自立支援センターに来る親子の姿です。それは、ニートでもひきこもりでも家庭内暴力の親子でも、みんな同じです。

 

 

 

 

「卒業生はどうなっていますか?」面談のとき、こんな質問をされる親御さんが少なからずいらっしゃいます。

 

 

 

 

ひきこもり自立支援センターを出た若者たちが、その後、どれくらい正社員として働いているかを知りたいわけです。

 

 

 

 

いわば「勝ち組復帰率」を聞きたいわけです。その価値観こそが親子を苦しめてきた張本人なのに、それにまるで気づいていません。

 

 

 

 

しかし子どもの側も、なかなかこの価値観から抜け出せません。これは、若者にはまだ長い未来がありますから、その分、親の場合よりも痛手が大きいのです。

 

 

 

 

出口のない迷路は、ここから始まるのです。「勝ち組教育」の価値観から抜け出せなかった、ある若者の話をしましょう。

 

 

 

 

2年前、九州から上品なご夫婦が相談にみえました。25歳の次男、拓也さんの激しい家庭内暴力についての相談でした。

 

 

 

 

「こんなはずではなかったんです」わたしと同年代の父親は、わたしの目の前で、人目をはばからずに泣かれました。

 

 

 

 

その父親は、地元ではみんなに尊敬される善良なお医者さん、開業医です。

 

 

 

 

「どうしてこうなったのでしょうか?」父親はそうつぶやくと、まるで自分の人生が否定されたかのように、いつまでも、さめざめと泣かれていました。

 

 

 

 

この家族は医者の一家でした。拓也さんの兄は歯科医で、亡くなった祖父も医者でした。

 

 

 

 

こういう家庭に生まれると、生まれたその瞬間から、将来は医者になるのが宿命のようなところがあります。

 

 

 

 

この宿命が、拓也さんの成育にも大きく影響を及ぼしました。彼は中学3年までは、まったく問題のない子でした。

 

 

 

 

ところが高校を、家から通える地元の高校ではなく、他県にある全寮制の高校にしたところから、おかしくなってしまいました。

 

 

 

 

その高校は入学金が3000万円もする、大学医学部の付属高校でした。兄は歯科医です。

 

 

 

 

そのことに満足できない祖母が、弟はどうしても歯科医ではなく、祖父とおなじ医者にしたい、と強く主張したようです。

 

 

 

 

家族はそれに従い、この高校を選びました。しかし、拓也さんは挫折してしまいました。

 

 

 

 

学業面か、それとも精神的な面かはよくわかりませんが、彼は行き詰って、高校3年でその学校を退学してしまいました。

 

 

 

 

そして九州の実家に戻ると、激しい暴力が始まったのです。父親を殴る蹴るのほか、家の中のものをことごとく破壊していったといいます。

 

 

 

 

その暴力があまりにもひどいので、両親は彼を3ヶ月ほど精神病院に入院させました。

 

 

 

 

「病気ではありません」病院ではそう診断されましたが、ひきこもり自立支援センターに来る1年前まで、通院と投薬を続けていたようです。

 

 

 

 

精神安定剤で爆発する心を無理やり、抑え込んでいたのです。その間、拓也さんも何もしていなかったわけではありません。

 

 

 

 

高校は退学しても、医者に強いこだわりを持つ彼は、家で勉強して大検をとっていました。

 

 

 

 

そして彼は大阪で一人暮らしをはじめ、予備校に通いはじめました。ふたたび、医学部受験を目指したのです。そのとき彼は、24歳でした。

 

 

 

 

ところが精神のバランスを崩したせいか、異常に太りはじめました。身長170センチに体重が90キロもありました。

 

 

 

 

そのストレスのせいか、夏には一人暮らしをやめて自宅にいったん戻ったのですが、そこで父親への暴力がまた始まってしまったのです。

 

 

 

 

ご両親が相談に来たのは、ちょうどこの頃でした。「このままでは子どもはだめになります。なんとかしてください」

 

 

 

 

ご夫婦は、何度もそういって頭を下げられました。その後、わたしたちのスタッフが九州の自宅を訪ねたのですが、家の様子はそれはひどいものだったようです。

 

 

 

 

部屋の中には割れた植木鉢が転がっています。近くでまた一人暮らしをしている拓也さんが、時々やってきては外から石を投げるので、病院の待合室の窓ガラスはいつも割れたままです。

 

 

 

 

粉々になったガラスの破片が、部屋の中に散らばっています。まるで廃墟のようだったとスタッフは話してくれました。

 

 

 

 

いずれにしてもこのままでは危険だと思い、わたしたちは拓也さんを何度か訪問した後、ひきこもり自立支援センターの共同生活寮に来てもらうことにしたのです。

 

 

 

 

寮では同じような年代の若者と共同生活をしながら、ひきこもり自立支援センターのさまざまな活動に参加してもらいました。

 

 

 

 

レストランやIT事業、老人介護や保育に農業など、どれも一通りやってもらったのです。

 

 

 

 

しかし、何をやってもうまくいきませんでした。というのも、本人にやる気が一切見られないのです。

 

 

 

 

それもそのはずです。拓也さんの頭の中には「自分は医者になるんだ」という小さい頃からの刷り込みが、いまだに強くあったのです。

 

 

 

 

もう内心では99パーセントはあきらめていたけれど、残りの1パーセントではどうしてもあきらめきれない、そんな感じでした。

 

 

 

 

「医者になって周囲を見返してやりたい」彼は寮に来ても、強くそれを願っていました。もう一度医者になるという道なら乗るけれど、それ以外の道には乗れない、というのです。

 

 

 

 

「もうどんな仕事でもいいから、自分の好きな道へ進んでくれ」拓也さんを一度はその道に仕向けてきた親も、その頃にはとっくに医者への道はあきらめていました。

 

 

 

 

だけど当の本人が、どんなに苦しくて無謀でも、その道しか目指せないのです。

 

 

 

 

ほんのわずかな可能性に向かって走り続けることにしか、生きる意味を見出せないのです。

 

 

 

 

これはもう悲劇としか言いようがありません。ひきこもり自立支援センターに来る若者のほとんどは、「勝ち組路線」をあきらめたあと、いったんは人生の目標を失ってさまよいます。

 

 

 

 

しかし、同じような仲間との多様な活動を通して、やがてなにかしら自分の興味が持てるものを見つけていきます。

 

 

 

 

しかし、彼にはそれができませんでした。彼の興味は、最後まで医者になることにしかなかったのです。

 

 

 

 

彼は結局、ひきこもり自立支援センターの寮を退寮し、また一人暮らしをはじめました。

 

 

 

 

家庭内暴力をふるう若者たちは、じつは「勝ち組教育」の犠牲者なのだということを考えるとき、わたしの頭に真っ先に浮かぶのが、この拓也さんの顔です。

 

 

 

 

いま、どうしているのか本当に心配です。事例が長くなってしまいましたが、「勝ち組教育」が危険だという3つ目の理由は、まさにここにあります。

 

 

 

 

「勝ち組」という目標に向かってひたすら走らせ、その目標を絶対視させることで、親は子どもの無限の可能性、多様な生き方を結果として奪ってしまうことになるのです。

 

 

 

 

考えてもみてください。拓也さんだって中学3年生まではまったく問題のない、勉強のよくできた子だったのです。

 

 

 

 

医者にならなくても、もっといろんな道がひらけていたはずです。しかし、小さい頃から、「医者になる」というたった一本の道をひたすら歩かされてきたために、それ以外の魅力的な道が目に入らなくなってしまいました。

 

 

 

 

世の中には、もっといろんな人生があって、他にも豊かな生き方があるということが、もう彼の頭の中には入らなかったのです。

 

 

 

 

その結果、挫折してもなお、医者しか目指すことができなくなってしまったのです。

 

 

 

 

繰り返しになりますが、「勝ち組教育」の恩恵をこうむることができるのは、ほんの数パーセントの子どもたちだけです。

 

 

 

 

もしみなさんのお子さんが「勝ち組路線」からはずれてしまったときに、お子さんには、自分らしく生きていける力がほんとうに育っているでしょうか。

 

 

 

いいたずらにプライドを傷つけられた結果、子ども自身がいつまでも「勉強ができる、できない」ということに、とらわれたりはしないでしょうか。

 

 

 

 

熱心に「勝ち組教育」にお金をつぎ込み、さんざん子どもを走らせたあげくに「勝ち組路線」から子どもがはずれてしまったとき、そのつけは確実に、お父さん、お母さん、あなた方に回ってきます。

 

 

 

 

これまでわたしが語ってきたような「勝ち組教育」の危険な現実を、もっとも身近に感じさせてくれる場所があります。

 

 

 

 

それは、いわゆる有名進学校です。それも、学習塾で「超難関」とランク付けされ、毎年東京大学に何十人も生徒を合格させているような進学校です。

 

 

 

 

あのファミリー向けの受験雑誌が、まるで世間の憧れの学校であるかのように特集しているような学校が、じつは子どもにとって危険を伴う場所であるということは、親御さんにもぜひ、知っておいていただきたいと思います。

 

 

 

 

何度も繰り返しますが、もし子どもが有名進学校に入った後も、「勝ち組」を貫き通すことができたなら、雑誌の謳い文句どおり「幸せな将来への切符」を手にすることができるでしょう。

 

 

 

 

しかし、進学校に入るこらいですから、まわりの生徒も当然、優秀な子ばかりです。

 

 

 

 

小学校、中学校ではクラスで一番だったというような子ばかり集まるわけです。しかし新しいクラスでは、一番になれるのはひとりしかいません。

 

 

 

 

そして最下位の子も、必ず出てきてしまうのです。みなさんのお子さんが、進学校でも一番になれたらいいのです。

 

 

 

 

だけど、もしそれまで「優秀」とまわりから言われて育った子が、進学校に入ったとたんに、成績が最下位になってしまったらどうでしょうか。

 

 

 

 

「勝ち組教育」のもとで育つと、一番から最下位に落ちたことで、「自分は勝ち組ではなく「負け組」になってしまったという意識を子どもは持ってしまいがちです。

 

 

 

 

つまり、世間的には、みんな「勝ち組」に見える学校でも、その中でまた、「勝ち組」「負け組」が絶えず再生産される仕組みになっているのです。

 

 

 

 

地元の公立高校に進んでいれば「勝ち組」でいられた子が、進学校では「負け組」意識を味わうことになります。

 

 

 

 

進学校に合格したからといって、それだけで「勝ち組」になれるほど、世の中は甘くないのです。

 

 

 

 

超難関の進学校に子どもを行かせるのは、高額のギャンブルに等しいとわたしは思っています。

 

 

 

 

たしかに成功すれば、見返りもかなり大きいです。だけどその分、リスクも大きくなります。

 

 

 

 

そういう意味では、進学校はハイリスク・ハイリターンなのです。ただ、同じような危険性は、いまや有名進学校以外にも広がっています。

 

 

 

 

2番手、3番手を追う高校も、同じく「勝ち組教育」の影響を受けていることに変わりはありません。

 

 

 

 

すべての家庭がその影響からのがれられないのと同じように、それこそ幼稚園から高校、大学に至るまで、いま日本中のすべての学校に、程度の差こそあれ、「勝ち組教育」の意識が浸透しています。

 

 

 

 

「うちは、私立校に行かせていないから」「子どもの通っている学校は、そんなに進学校じゃないから」もはやそんな問題ではない、ということです。

 

 

 

 

忘れもしない光景があります。わたしが中学1年の1学期末のことです。先生から手渡された成績表を見て、ワッと泣き出したクラスメイトがいました。

 

 

 

 

彼は小学校では、ずっと学校で一番の成績をとってきたような子です。それまでは地元で「神童」言われて育ったような子です。

 

 

 

 

その子が、いきなりクラスで30番になってしまいました。同じような「神童」が集まってくるクラスですから、そんな子がでてきてしまうのは当然のことです。

 

 

 

 

しかし彼は、そうは思えなかったようです。「勝ち組」から「負け組」に、一気に転落した気がしたのでしょう。

 

 

 

 

それまでの彼のプライドを支えていたものが、成績表を見た瞬間、もろくも崩れ去ってしまったのです。

 

 

 

 

その数字を目にしたとき、彼の脳裏には、ずっと一番であることを期待する母親の顔が、浮かんだのだと思います。

 

 

 

 

数年前に自宅を放火した、奈良県の有名進学校に通う少年も、内心、同じように感じていたのかもしれません。

 

 

 

 

彼も「負け組」意識がそうとうに強かったようです。彼が通う進学校に行ける時点で、外から見れば立派な「勝ち組」ですが、本人も親もそうは思えなかったのでしょう。

 

 

 

 

小学校の時には、「算数オリンピック」に出場したこともあるくらいに優秀だった子が、中学入学後の最初の試験で、学年で最下位に近い成績をとってしまいました。

 

 

 

 

学校側のコメントでは、「医学部に入れる成績だった」ようですが、本人も父親も、おそらく「入れそうな医学部」には納得できなかったのだと思います。

 

 

 

 

もっともっと、超一流の医学部しか、自分たちを「勝ち組」と満足させることができなかったのでしょう。

 

 

 

 

わたしから見れば、彼も完全に「勝ち組教育」の犠牲者です。わたしが、高校2年生の終わりになった頃のことです。

 

 

 

 

中学1年の頃には120人いた同級生が、その頃には90人になっていました。途中の5年間で、30人も学校を辞めていたのです。

 

 

 

 

それでも人気の進学校ですから、生徒は絶えず転入し、その間に新たな30人が加わって、卒業の時には同じ120人になっていました。

 

 

 

 

途中で30人がいなくなった事実など、歯牙にもかけられませんでした。それに、有名大学に入学していった生徒の半分は、中学校から入学した生徒ではなく、高校から編入してきた生徒だという事実を指摘する人間など、誰もいませんでした。

 

 

 

 

たしかにこれは、40年以上も前の話です。しかし、これと同じような状況は、もしかしたら今でも、あちらこちらの有名進学校で続いているのかもしれません。

 

 

 

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